月別アーカイブ: 9月 2012

秋分(秋彼岸)

「秋分(しゅうぶん)」は、秋の「彼岸(ひがん)」の中日になります。「彼岸」は本来、阿弥陀仏の極楽浄土を指し、「あちらの岸」という意味です。一方、私達の住む苦しみ悩みの世界を「此岸(しがん)」といい、「こちらの岸」に例えられます。つまり、春・秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈む日であり、沈む夕日に「西方極楽浄土」を念じたのが始まりといわれます。仏教は、我々の世界を「海に浮かぶ岸」に譬え、救いの方角(彼岸)を教えてくれます。 何年か前に『オープン・ウォーター』という、実話を元にした映画がありました。カリブ海でダイビングしていた夫婦が、ツアースタッフのミスで海に取り残されてしまう話です。サメや小魚に襲われ、脱水症状や体温の低下、波や強い日差し、風雨や夜の闇など、彼らが味わう恐怖、極度の緊張が克明に描かれています。水平線しか見えない海の真ん中で、あてどなく漂い、行く先が見えない不安や絶望…こんな時、救いの方角がわかれば、どんなに有難いことかと思いました。 まさしく人生も同じではないでしょうか。何のために勉強し、働き、苦しくとも生きねばならないか分からないまま、次から次とやってくる苦しみの波に、子供から大人まで翻弄されています。いくら立派な生活基盤を調え、「どう生きる」の手段に熟知していても、肝心の生きる方角、目的が示されないままの一生では悲劇です。しかし、救いの方角がハッキリして、そこに向かって力強く泳いでいく人生は、知らなかった時とは比較にならない素晴らしいものになります。秋分が「彼岸」(救いの方角)をお考え頂ける時節になれば幸甚です。南無阿弥陀仏 合掌

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白露

「白露(はくろ)」となりました。これは大気が冷えてきて、露ができ始めるころを指します。昔は夏から秋への節目を、この「白露」が目印となったようです。 季節の変わり目で体調を崩される方も多いのではないでしょうか。その要因となるのが、夏にたまった疲れです。夏にかかった様々なストレスが、この時期にどっと出てきます。それはちょうど、筋トレをして筋肉痛になるのに似ており、若いうちはすぐ治りますが、年を取ると忘れた頃に痛み出し、しかも尾を引くという感覚です(笑)。この時季の体調不良の原因の一つに、夏場の冷食とエアコンがあげられます。身体を冷やして夏を過ごした人は、体温調整の働きが上手くいかず、秋口に風邪を引きやすくなるというのです。環境上仕方ない方もありますが、人間もやはり動物です。日頃から自然に身を任せる習慣が、健康に過ごせる秘訣となります。その点、お寺の生活は理に適っています。早寝早起き。読経での腹式呼吸や精神統一。掃除での適度な運動。聞香、書道、水行、精進料理等々、四季折々、自然と共に生活をしています。 室町時代の禅僧、一休さんは、こんな詩を残されています。 白露の 己が姿をそのままに 紅葉に置けば 紅の玉 「白露はありのままの自分でいながら、紅葉の上では紅の露になる」 朝に草花をぬらす露は、それ自身は透き通り、何の色もついていませんが、赤く色づいた葉っぱの上に宿ると、紅色に輝きます。しかし、無色透明という露本来の姿は少しも変っていません。春が来れば花が咲き、夏になれば雷が鳴る。秋になればすすきの穂が揺れ、冬になれば雪が降る。こういう、ものの本当のありようを見失ってはいけない。ありのままを受けとれる自分になることが大切だと説かれています。合掌

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