月別アーカイブ: 10月 2012

霜降

「霜降(そうこう)」となりました。秋が一段と深まり、霜が降る頃となりました。朝晩の冷え込みが厳しくなり、日が短くなったことを実感する今日この頃です。 先日12日、人間国宝であられる志村ふくみ先生の「米寿をお祝いする会」のサプライズゲストとして、琵琶説教をさせて頂きました。夕方5時頃、しょうざん庭園をバックに、かがり火のほのかな明かりの中、荘厳な雰囲気での演奏でした。まだその頃は、日暮れでも心地よく感じましたが、たった10日でグッと冷え込んだ気がします。1年の中でも、丁度よい季候はわずかで、後になってその有り難さがわかります。 米寿というと88歳。失礼ながら日数に換算すると、3万2千日あまりの人生を積み重ねて来られた計算となります。また、先生は31歳で本格的に染色の分野に入られたとのことですので、2万日あまりの研鑽となられます。私は琵琶と出逢って17年ですので、6千日あまり。まだまだハナタレ小僧にもならない存在だなぁ…と痛感しました(笑)。 同じく来賓として来ておられた、滋賀県知事・嘉田由紀子先生は「もったいない」とスピーチされておられました。もったいない…例えば、人生を1日1円として譬えますと、1年間で365円の財産となります。米寿の3万2千円に比べたら微々たるものかもしれません。しかし、どんな方でも人生は積み重ねであって、1日1円を投資するか浪費するかはその人次第であります。今日の1円を大切にすることが、この1年間(365円)の価値を高めてくれるはずであります。まさしく人生は「もったいない」の精神であります。 霜降の時季になると、ほど良い気候の有り難さが身に染みます。私達の人生も、後悔なく、1日一歩づつ、着実に歩んでいければ、これほど素晴らしいことはありません。志村ふくみ先生、本当にお目出度う御座いました。これからもご指導宜しくお願いします。合掌  

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寒露

「寒露(かんろ)」となりました。寒露とは、寒冷によって露が宿るという意味です。長雨が終わり、秋も深まり始める頃となりました。秋は「読書の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」というように、自らを磨き、見つめ直す最適な時節です。 仏教では、私達の行いを身(からだ)、口(くち)、心(こころ)の三方面から教えます。特に重視するのが「心の行い」です。それは、心で思わぬことを言ったり、やったりはしないからです。私達のどんな言動も心の命令によるものですから、司令塔である「心」を、仏教では最も重要視するのです。 こんな話があります。2人の禅僧が諸国行脚(あんぎゃ)中、小川に差しかかった。美しい娘が、連日の雨で川が増水し、飛び越えられずにモジモジしている。「どれどれ、私が渡してあげよう」僧の1人が、無造作に抱いて渡してやった。途方に暮れていた娘は、顔を赤らめ礼を言って立ち去った。同伴の僧はがそれを見て、かりにも女を抱くとはけしからんとでも思ったのか、無言の行に入ってしまった。戒律のやかましい禅宗では、女性に触れてはならないとされているからだろう。日が暮れて、女を渡した僧が「どこかで泊まることにしようか」と声をかけると、「生臭坊主との同伴はごめん被(こうむ)る」。連れの僧は、そっぽ向いた。「何だ、まだあの女を抱いていたのか」くだんの僧はカラカラと笑った。連れの僧は、いつまでも抱いていた心の生臭さを突かれて、返す言葉がなかったという。 現代は、世の中のほとんどがマニュアル管理され、最も重要な「心」がなおざりになっている気がします。人間の社会では、どんな悪い考えを抱いても、それだけでは法律に抵触(ていしょく)するわけではありません。しかし、先程の「連れの僧」のように、いつまでも心に含んでいれば、いずれは口や身までに現れてしまいます。つまり、口や身で殺さなくても、心で思えば殺生であり、直接イジメをしなくても、心で犯せば立派な犯罪となります。法を犯すわけでも、道徳に背くわけでもないのに、心で思うだけで何が悪いのかと思われるかも知れませんが、真理は「心のあり方」で決まると教えられます。 悲しいかな、心を見れば、人間は綺麗なものではありません。むしろ「悪人」であります。そんな我々をお見抜きで、「その身そのままで必ず救う」と阿弥陀仏は誓われておられます。現代人はもっと謙虚にならなくてはなりません。一年中で最も過ごしやすい「寒露」の頃に、そんな思いでお念仏を唱えたいものです。南無阿弥陀仏 合掌

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