月別アーカイブ: 8月 2014

根なき花

今月はお盆の月で、多くのお宅にお参りさせていただきました。私の心構えは、自分自身が先祖になったつもりで伺うようにしています。お家の雰囲気は様々です。ほとんどのお宅は居心地よくして下さいますが、正直「ここには帰りたくないなぁ・・・」と思う家があるのも事実です。お迎えをするお経を唱える身でも、ご先祖さまの心を察してしまいます(汗)。 ある英霊を祀ったお宅にお参りした時のこと。玄関先で ご主人が車を洗っておられてました。しかし、私に目もくれず洗車を続けられるのです。結局、たった5分のお参りにも手を合わすことなく、数台の高級車に向き合っておられました。おそらく裕福なお宅でしょうが、あまりの心の貧しさに哀れになってきました。この家を守るため 戦場に出られたご先祖様はどんな思いで、この子孫を見ておられるのでしょうか。 法然上人の師匠である善導大師は、人生について こうお説き下さいます。               「人は生きている時に 精進しなければ、たとえてみるならば、植木に根がないようなものだ。花をとって日中に置いても、根がなくて養分を吸うことができなければ、どれだけの間、あざやかに咲いていることがでいるだろうか。人の命ももそのようなものだ。無常の、ほんのつかの間だ。もろもろの仏教徒に勧める。精進して、どうか速やかに真実に至りたまえ。そして真実の仏法に根を張って、本当に美しく咲き続ける命を生きなさい」(「日中無常偈」) 先祖を思うことができない人は、” 根なき花 ” と同じです。いくら 有意義な人生(花)を咲かせてるように見えても、その  命の根源 (根) に感謝できないのならば、真実の幸福は望めません。見せかけの繁栄は すぐに枯れ果てることでしょう。仏法に根を張ることができた私は、本当に幸せ者だと この時期 しみじみ感じます。合掌   咲いた花見て 喜ぶならば 咲かせた根元の 恩を知れ

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人間の五衰

前回のブログで「木の五衰」から因果応報の過程を記しました。今回は「人間の五衰」について、安岡正篤 氏の言葉から学びたいと思います。 「 人間もそうだ。いろいろの欲ばかり出して、すなわち貪欲・多欲になって修養しない。  つまり ” 省 ” しない。そうすると風通しが悪くなる。 つまり心理や教えが耳に入らなくなる。                                                                                            善語・善言を聞くということをしなくなる(「懐(ふところ)の蒸れ」)。 そうすると「裾(すそ)上がり」といって(理性や謙虚さを失い)、 人間がオッチョコチョイになってくる(「末(うら)枯れ」)。 そうするともう進歩は止まってしまう(「末(うら)止まり」)。 すると悪いことばかりに親しむようになる、虫が食うのだ(「虫食い」)。       つまらないやつにとりつかれ、そして没落する。これは「人間の五衰」だ。      だから植物の栽培もこの ” 省 ” という一字に帰する。 「省みる」ということは、別にいえば「省く」ということだ。それによって、人間本来の進歩・向上力が生まれる。すなわち克己(こっき)だ」               (『知命と立命』:「Ⅲ達人の人生哲学」より) 先日、震災被災地に慰問して学んだのが、” 省 く” 大切さ でした。無駄な欲望を省くことによって、人間は 真に豊かな生活ができるのだということを 目の当たりにしました。とりわけ戦後の日本人は、過度な文明至上主義となり、近代化(個人化、効率化、高速化、巨大化)し過ぎたのかもしれません。その結果、経済を抜きにした精神的連帯や、自然や生命の持つリアリティの喜びを暮らしの中で感じられなくなり、かえって無機質的なものになってしまったのではないでしょうか。 豊かな暮らしとは、便利で合理的な「文明」と、特殊で非合理的な「文化」の調和により生まれます。お寺参りは、先人が築きあげた 崇高な「文化」です。ちょうど今月は、ご先祖を迎えるお盆の時期です。これから自分は何を省き、何を得るか。それを考える良い時期です。「人間の五衰」に照らし合わせ、文明と文化の調和のとれた真に豊かな暮らしを 共々に目指していければと存じます。合掌

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