月別アーカイブ: 10月 2015

晋山式

昨日、近江八幡市のご寺院の「晋山式」(しんざんしき)に招かれました。晋山式とは、” 山(寺)に晋(すすむ) ” と書くように、新住職が就任する際に行なわれる儀式のことです。私は6年前、西願寺に晋山させて頂きました。儀式の流れは、親鳥(おやどり)宅から檀信徒と共に「お練り」をし、門前での「開門式」。そして 本堂で御本尊と対面し、前住職から袈裟と過去帳を授かる「堂内式」。最後は 座敷で長老から 住職心得のご指導を受ける「書院式」と続きます。当時、檀信徒や有縁の皆様にお世話になった事、今も尚 しみじみとこみ上げてきます。生涯尽くしても 返しきれないご恩です。 このように記しますと、晴れやかな お祝いのように見えますが、先輩僧侶から 本来、厳しい儀式なのだと教えられたことを記憶しています。お寺は 今と違って世襲制ではありませんでした。本来、お練りは 初めて見る新住職に対し、どんな坊主なのか?!という村人への公開見物(さらし者)であり、本堂内の儀式は 随喜寺院から、実力をチェックされる場だと言われるのです。実際、私も ある住職より、目がキョロキョロせずによかったと 目線にまでチェックして下さったことには驚きました。やはり厳しい世界だと感じました。最近は 晋山式をされない寺院が増えていると聞きますが、今思うと このような儀式を勤めるのは とても大事だと思います。節目を作ることによって 檀家も住職も決意が変わるものと存じます。 宗教家・大川隆法氏のお言葉です。 「竹という植物を思い浮かべていただきたいと思うのです。竹の姿を見ていると「立派なものだな」と感じることがあります。みなさんは、節があって先になるほど細くなっていくという竹のスタイルを、単なるデザインとして何げなく思い浮かべるでしょうが、「あの節をつくっていく努力とは何だろうか」と私は考えるのです。竹の節は20センチか30センチぐらいの間隔です。しかし、どの竹も、その節の部分はカッチリとしています。根元からカッチリ、カッチリと伸びてきて、先のほうにいくほど、やわになり細くなって、風に揺れていますが、やわで風に揺れている部分も、時間が経つと、次第しだいに同じような節になっていくのです。そして、さらに大きな節になっていき、その上にもっと細く、先端が伸びていきます。あの竹という植物を見ていると、確実に確実に、節を固めて生長していくのがわかるのです。「ああ、大したものだな」と思います。10メートルになろうが、20メートルになろうが、竹が竹である理由、竹としての独自性を持っている理由は、あの節にあると私は思います。竹という植物は風に強く、いくら風が吹こうとも、そう簡単には折れないのです。やわであるけれども、単にやわなだけではないところは、いつも完全に勝ちつづけていることにあると思うのです。どれほど風が吹こうが、何があろうが、伸びつづけています。そして、自分が生長したという証拠を確実に刻み、それを私たちに見せてくれています。「これが私の生長した部分ですよ」というものを、はっきり見せてくれているのです。竹はその節をつくっていくときに、いったいどのような気持ちなのだろうか、と想像することがあります。一つひとつ節を積み重ねていくたびに、やはり、「これだけ自分は生長したのだ」という気持ちがあるのではないか、そこに充実感があるのではないかと私は思います」(『常勝思考』 幸福の科学出版) 時代は、節目に重きを置かない傾向にあります。冠婚葬祭、節句、祝日・・・自由を謳歌しすぎて 区切りが付けられないのが現代人ではないでしょうか。竹も人間と同じで、グーッと 楽して伸びていきたいのに、節を作らなくてはいけません。この時期は苦しいはずです。苦しいけれども、実際はその節の部分が 伸びていくための 大きな土台になっているはずです。物事には逆境がつきものですが、5年、10年、あるいは それ以上たった時に、その時が いちばん懐かしい時期として思い出されてくるのではないでしょうか。私は 苦しい時「いま節をつくっているのだ」という気持ちを持って、次への生長の道を歩んでいると 自らに言い聞かせています。竹のように節を作り続け、歳を重ねるごとに 強く、美しく、しなやかな人生を送りたいものです。今回、晋山式の随喜に当たり、6年前の節を思い出し、気持ちを新たにさせていただきました。合掌

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衣替え

10月は衣替えの季節です。僧侶の世界は ” 和服 ” が中心です。僧服は種類も限られてますので 暑さ寒さに関係なく、浄土宗では 一斉に6月1日から夏衣、10月1日から冬衣への衣替えと定められています。 昔の日本人の着衣は 晴着、普段着、仕事着の三つを用意していたと言います。このうち晴着と普段着が、上下が一つにつながったものを帯で結ぶという、いわゆる着物(和服)に相当するものですが、これらは作業をする時のものではありませんから、機能性はあまり重要ではありませんでした。一方、仕事着のほうは、機能性を重視して上下を分離し、上半身には腰までの丈の短い服、そして下半身にはズボン状の服(作務衣、もんぺ、袴)という組み合わせをしていました。 なぜ昔は 洋服のようなものが発明されなかったのでしょうか。その一つに素材の問題があります。Tシャツや短パン等の 身体に密着した衣類を作るには、容易に屈曲、伸縮する柔軟な素材が必要ですが、日本でこれが可能になったのは、江戸時代に入って木綿が大量に生産されるようになってからのことです。それまで絹は 庶民には手が届きませんでしたから、衣服の素材といえば 麻が主体の植物繊維が利用されていました。これらの素材は 肌に密着するには硬すぎますから、Tシャツや短パンのような衣類を作ることは困難でした。その代わり 仕事着が発明され、身体にまとわりつくようなこともなく、仕事着として適切であったと考えられます。 時代の流れと共に、服装も変化するんですね。” 温故知新 ” の精神で、古きものの良さが伝えていければと存じます。和服も堅苦しいものばかりでなく、和洋折衷に対応できる ” 粋 ” なものへと進化しています。人時所に合わせて着こなすと楽しいですよ。合掌

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