お盆の終わり

無事にお盆の行事を勤めることができました。西願寺は今まで二代三代の僧侶が 盆行事を分担してましたが、今年から僧侶が住職のみ。得度を受けた息子達が よく頑張ってくれました。この繋がりは一日にしてなりません。様々な縁に感謝です。

長男の棚経(たなぎょう)デビューにケーキを下さる檀家さまがありました(嬉泣)

最近思います。指導を受けてる立場の時は やらされてる感が強く、終えた時には自己達成感でいっぱいでしたが、実際しんどいのは指導する方なんだぁ … と。私も これまで育てていただいた方々に感謝ができる年齢になりました。特にお盆は そいうことを感じさせてくれる大切な時期です。

素敵な話が紹介されてました。
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していた為 おばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、遠足などある時は いつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。でも当時おばあちゃんが作るお弁当は おにぎり2つだったので、同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して「こんな変なお弁当つくらないでよ」「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。

そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・これなら恥ずかしくないかねぇ」と、シワシワのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。

おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、「おいしかったよ」の一言も言わなかった。本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。今私は結婚し、子供にも恵まれました。おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見るとこれがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。大好きです。

子供の頃や、仕事を始めたばかりの頃は、自分の力で大きくなったような気がしていました。しまいには教え方がヘタなどと言って、相手のせいにすることもありました。今思うと、とんでもない勘違い野郎です(笑)。どんな想いで育ててくれたか、どんな気持ちで生意気な後輩を指導してくれたか、その「愛」に気づかず、自分だけがすべての子供のような新人でした。自分が教える立場になり、育てる立場になり、どれほどの「愛」を注いでもらったかに気づきます。(「魂が震える話」より)

我々は まず「自分の現在地」を見つめることから始めましょう。今 置かれている「現在地」を確認し、謙虚に感謝できれば 過去も未来も輝きます。逆の人は、見ていて痛々しい餓鬼になってしまいます。すべてがうまくいきません。「幸福の青い鳥」は他にはいませんよ。

心より過去 現在 未来、すべての方々に感謝、ご恩、ありがう、おかげさまの心を捧げます。今、幸せをしみじみ噛みしめています。合掌

施餓鬼をしてますと、縁側に餓鬼の足跡らしきものが浮かびあがってきました。念いは通じるものです。              逆に人間には 念いが通じにくいものです。自分で気付かねば救われない世界です。

大阪の棚経で 龍神様に祈りましたら、雲が龍の頭になりました。竜眼もしっかり確認できました。

三界萬霊に供養中に 虹が架かりました。様々な念いが反応してくれたお盆でした。

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