紅葉の季節となりました。奉職寺院では多くの人々で賑わっています。観光客とも話す機会も増え、悩み相談を受けることが多い時期でもあります。悩みの大半は ” どう生きるか? ” ということに尽きますが、一昔前とは違って今は、” どう自分を輝かせるか? ” という自己実現の方に向いてるように思われます。それほど日本のしきたりが変わってきた証拠であると同時に、悩みも多岐に渡ってきたと言うことでもあります。私は それぞれの流行や仕組みを知ってる訳ではありませんが、どの時代になっても変わらぬ真理は勉強しています。
先日、アフリカの青年に日本の暮らしを見せ、体験してもらうというテレビ番組の再放送がありました。草原で暮らしていた彼には、すべてが驚くものばかり・・・水道の蛇口をパーッとひねると水がザーッと出る。これを見た青年は驚いてこう言いました。「水に困ってる家族のために、この蛇口をひとつ分けてほしい … 」また日の暮れにスイッチを入れると、電灯がパッともります。これまた驚いて「この電球を故郷に持って帰りたい … 」家族を喜ばしたい気持ちは痛いほどわかりますが、蛇口や電球を持って帰っても役に立たないことを納得させるのに、ずいぶん時間がかかった様子が放映されてました。
原理がわからない者は、蛇口が水を出しているようであり、電球が光っているように見えます。そうなるのには、発電所から電線を伝って電気が送られています。そこにつなぐので電灯がともります。いくら電球を母国へ持って帰っても、つなぐものがないので役には立ちません。蛇口が水を出してるようですが、それには水源地から送水管で 圧力をもって押しています。その送水管につなぐので水は出ます。
この話は 我が身に照らしてみると 意外と理解できないものです。世の中には立派な人が多いですが、根元原理を知らずに悩んでいる人は、失礼ながら ただの蛇口、ただの電灯の状態です。このままだと 光はともりませんし水も出ません。しかし 信仰心を持っている人は、不思議と原動力が授けられます。そうすると自然と輝くのです。なぜかうまくいってる人になれるのです。幸せになるには この根元原理を知り、コツをつかめばいいだけなのです。それは 送水管に蛇口をつなぐ行為であり、発電所から送られる電気を電灯につなぐような行為です。これが信仰です。私たち僧侶がしている布教活動は、この根元とつながる原理の伝道です。しかし 番組のアフリカ青年のように、なかなか納得してもらえないのが現状です(汗)。信仰心を持たない人は、優れた蛇口や電球を作ることのみに固執して、作り方や見栄えの良さばかり議論するイメージです・・・そうなると理屈っぽい人が増える・・・これではギスギスした世になります。
咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ
やはり紅葉も根元からの養分によって護られ、深紅の色をつけます。その葉だけでは如何ともなりません。人は 根元(大いなるもの)とつながる という意識を持つだけでも謙虚で優しくなり、新たな縁を持てるものだと存じます。合掌