「目的」と「目標」の違い

突然ですが、「目的」「目標」の違いをご存じですか?

『広辞苑』の定義です。
目的・・・目で見える的。「最終的に目指す到達点」、すなわち「終点」
目標・・・目で見える標。的に近づくための標。「目的を達成するために設けた手段」

つまり「目標」は、「目的」を実現させるためにどのようにしていくか、その過程を具体的に設定していくことになります。

今までの住職は、「目的」に向かって直行するタイプでした。もちろん目的達成のためには、小まめな「目標」を立てますが、どちらかといえば「目的」のための「目標」であって、目的が第一だった人生だったように思います。かっこよく言えば、人に喜んでもらう為に精一杯 生きてました。その反面、その道中(目標)や縁を味わう余裕がなかったかのように思います(^_^;。

旅行でも、目的地直行派?、道中を楽しむ派?と聞かれれば、断然、目的地直行派でした。琵琶説教で遠方に伺っても 迷惑をかけないことが第一で、寄り道は一切しませんでした。しかし 最近は、一気に目的達成できる事案が少なくなり、だんだん目的までの道中を噛み締めるよう変わってきた気がします。

常に親切で、最高のパフォーマンスが出せるよう節制をし続けても、身近な檀信徒や仲間が求める僧侶像でないことに気付いたんです。つまり 人々に綺麗なゴールを魅せるより、グチャグチャになりながらも その道中を共有することが思い出となり、こういった絆を求めてらっしゃるんだと思います

ということから最近は、魅せることより 自分の楽しみを優先していいんだ・・・と〝 進歩〝 より〝 調和〝 寄りの考えになりました。お釈迦さまの「明らめる」(明らかに見て我を捨てる、アキラメル)。親鸞聖人の「まは、さてあらん」(ま、所詮、人間なんてそんな偉いもんやない。しゃーないわ。阿弥陀さんに任せよ~)って感じです(笑)。

ひすいこたろう氏のお言葉です。
「淡々と過ぎていく普通の毎日が幸せの本質です」
by 小林正観

成功しても、幸せを感じられない人がいる原因は、ここにあります。幸せの青い鳥は、「未来」にではなく、「我が家(現在地)」にいたわけですから。「成功しないと幸せになれない」という不幸な幻想から覚めてください。「成功しないと幸せになれない」と思っていると、成功しても幸せになれませんからね。

幸せになるのに条件はいらなかった。もうあったんです。これが幸せです!忘れないでください。幸せ(幸福)はゴールではなく、スタートにあるのです!そして、「幸せ」から人生を始めたら、どこに行っても、何をしていても幸せだってことです。だって、「あなた」=「幸せ」だから。あなたは幸せから逃れられない。どこに行っても、もれなく幸せ(あなた)はついてきます。幸せから人生を始めよう。
(『見る見る幸せが見えてくる授業』 サンマーク出版)

幸せをゴールに置くと、幸せの期間は瞬間で、山登りでいったら「山頂」だけ、旅でいったら「目的地」だけが幸せということになります。しかし、その過程も含めて幸せと思えたなら、もちろん山頂もしあわせですが、そこに辿り着くまでの道中で咲いている花や、空気の味や、急な坂道で転んだことや、星降る夜の空や、荷物の重さや、疲れたときのチョコレートや、急な土砂降りの雨まで、「幸せ」を感じることができます。つまりは、今現在への感謝が 幸せの本質なんだと思います。

感謝から人生を始めると、
いつも楽しくて、いつも幸せです^ ^

最近は 少し時間ができると、以前紹介したレブルで 目的もなく走るのが楽しみです。だんだん暖かくなってきましたので、とても心地よいです^^。風を受け、季節を感じ、景色を見て、五感のストレスを洗い流している感覚です。

コロナが明ける気配で世の中が動き出しました。西願寺の法務、奉職寺院での責務、琵琶説教のご依頼がドンドン押し寄せてくる感覚です。仕事の質と量は増す一方ですが、その道中(目標)を楽しむことを決意すると幸せしかありません!! 私ほどスリリングな生き方をしてる人は そうありませんからね ♪(笑)合掌

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