ダブル損の幸福

今月26日で鴨長明(かものちょうめい)没 800年になります。彼が綴った「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず 」から始まる『方丈記』は、河の流れと 仏教の ” 諸行無常 ” を重ね合わせた随筆で、清少納言の『枕草子』、吉田兼好『徒然草』と並び、日本三大随筆にあげられます。『方丈記』では 戦乱が続き、天災や火災、人災も多かった当時の出来事が ありのままに描かれています。軽妙洒脱な長明に憧れる私は、東日本大震災を機に 平成の世で起きたことを仏教的に記せればと思い、このブログ(『平成方丈記』)を立ち上げました。

月に2回、綴って4年半・・・800年前も現代も ” 諸行無常 ” という観点からすれば、人間の悩みは 根本的に変わらないことがわかりました。人間世界は「娑婆(しゃば)」と言って「耐え忍ぶ = シャバ」世界です。そんな中、お釈迦さまは「いつでも、どんなことがあっても、心が穏やかでいられる境地を目指したい人、集まれ~!」と仏教をお開きになりました。娑婆は極楽と違い、諸行無常という中で生きねばならないハンデを背負っています。つまり 人間界は1つ損をしている世界ですが、そんな中で幸福を得るために説かれている修行が、” 陰徳 ” (ひそかに行う善行・良い意味での自己満足)です。

渡辺 和子さんの言葉を お借りしましょう。
「貰えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらが与えるなんて、これでは、『ダブルの損』だと、私は思ったのである。ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると、『得になる』ということだった。シングルの損だけにしておくと残るのは、腹立たしさや口惜しさだけであり、折りあらば仕返しをと考える自分だけである。ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り「よかった」という満足感が残るから不思議だ」(『目に見えないけれど大切なもの』 PHP研究所)

つまり 鴨長明のように 、諸行無常の真理と照らし合わせ、” 自己満足の範囲で、自分が誇りに思えることを行えば幸福になれる ” のではないでしょうか。見返りを求めることを捨て、思い切って ダブル損をする所から始めてみましょう!それが陰徳の修行であり、満足度のある生き方に繋がります。合掌

鴨長明は出家をし、琵琶の名手でもありました。

鴨長明は晩年 出家をし、琵琶の          名手でもありました。

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