こんばんは。突然ですが、以前にご紹介した愛猫ビーたんが本日 亡くなりました。令和5年12月26日(火)、約22年の生涯で、人間で言えば88歳の米寿でした。
ビーたんは、ちょうど祖父母が亡くなる時期(平成13年頃)、失踪した先代ビーちゃんと入れ違いでやってきました。その後 節目の金森家を黙って癒し、見守ってくれました。
亡くなったのは 一緒に寝ていた息子の部屋で、朝、静かに息を引き取っていたようです。早朝4時頃に声を出したみたいですので、明け方に逝ったのかもしれません。その4、5日前から何も食べなくなり、前日(当日)もゆっくり外に出て思い出の場所を巡り、直前まで自分で各部屋を巡りお別れをしてくれました。もう一日、早くても遅くても 私は見送れませんでした。いや、スケジュール的に この日しか無理でした。
朝に火葬をしてくれるところを探し、電話をしたら昼過ぎに来てくれました。みんなが揃う唯一の時間に見送れました。しかも晴天。あっぱれ(天晴れ)とはこのことです。息子の友達や、当日参拝予定だった巽家の皆様にも見送ってもらい、素晴らしい最期でした。何より、家で亡くなってくれたことが身内の救いでした。
ビーたんは、今、ブログを記してるこの場所で、24時間前に 私の膝の上に乗っていたので、とても切なく 不思議な気持ちです、、、こういう出来事があると、皆さん こう思われるんじゃないでしょうか。
〜 魂はどこからきて、どこにいくんだろう 〜
さっきまで動いていた生き物が動かなくなるんです。本当に不思議です。この死生観をもって 生きるのとそうでないのとでは、人生の深さが変わってくるのです。つまり 人間世界は、諸行無常という苦しみの世界に生きています。それに気付け!と仏教は教えます。
結局、み〜んな亡くなります。そして 周りに 誰も(気を許せる人)がいなくなる、、、自らも年を取り、老いや病いに苦しみ、理解者がなく、世代間ギャップと孤独に泣き、過去の後悔と死後の恐怖の中で、人生を終えます(←お経に書かれています)。
それが そう遠くない未来に訪れるとわかっていても、その解決法(仏の教え)を学ぼうとしないのが我々凡夫です・・・救われる方法があるんだよ!!って仏は手を広げて待って下さってます。様々な死の縁をかりて、皆様に仏縁があることを祈ります 。
とにかく仏縁が深かった ビーたん。誰よりも住職のお経や法話を聴いてくれました。次は人間に生まれ変わって、また楽しく遊びましょ。今まで本当にありがとう!! 南無阿弥陀仏