大坂の陣終結400年

本日6月4日は豊臣秀頼公のご命日です。先月、旧暦の5月8日に合わせ 奉職寺院では 「 秀頼公忌(秀頼公を偲ぶ法要)」 が行われました。境内に秀頼公の首塚が祀られることから 毎年勤められますが、今年は大坂の陣終結から400年の節目の法要でした。秀頼公は 天下人となった豊臣秀吉の子息と云われ、母は茶々(淀君)です。秀吉亡き後、豊臣家と徳川家の関係は微妙な状態が続き、大坂の陣が勃発。最終的に豊臣軍は敗北し、秀頼と淀君は自害したと伝えらます。秀頼公は 享年23歳でした。今回の秀頼公忌は 「淀君」という琵琶歌を奉納演奏させていただきました。

しかし 今回の供養はとても複雑で・・・私の立場は、豊臣秀次公がお建てになった西願寺の住職です。秀次公は 秀吉の姉、とも様の息子で、跡継ぎがいなかった秀吉の後継者として養子に入り、関白にまでなられたお方です。しかし、秀吉晩年に秀頼公がご誕生されたことから 秀次公は疎まれてしまい、三条河原で一族もろとも殺されてしまいました。ですから、秀頼公と秀次公は因縁深い関係となります。

さらに申せば、奉職寺院も西願寺も浄土宗に属しています。浄土宗は 豊臣家を滅ぼした徳川家康公が信奉された宗派です。先日6月1日が家康公の400回忌に当たり、総本山の知恩院では 盛大に法要が勤められました。こういったご縁から、浄土宗紋は徳川家の「葵の御紋」を使用しています。実は、秀頼公を祀る奉職寺院も徳川家による建立です・・・つまり、このたびの豊臣秀頼公400年忌の奉納演奏は、敵方の徳川家が建てた本堂で、因縁のある豊臣秀次公寺院の住職が供養する空間となったのです。まさに恩讐を超えた不思議な感覚でした。

    

しかし、これが佛教の真骨頂ではないでしょうか。諸説ありますが「佛」という字・・・弗(ふつ)を合わせた字ですが、 弗は ” 反対に曲がった二本に木に綱を掛け合わす意味 ” で、この網が慈悲をあらわします。いかなるものを包み込む、推し量る出来ない大きな慈悲を持った人・・・これを佛と言って崇拝するのです。この400年という時の流れで、恨み、憎しみというものを越えて、大坂の陣に縁のあったすべての方が、佛の大きな慈悲に包まれればと思い 奉納演奏させていただきました。

佛教は「和をもって貴し」の精神です。この大きな節目に立ち会えたこと、本当に嬉しく思います。この法要で 様々な因縁が解消されればと存じます。また奇しくも、今年は大東亜敗戦から70年の節目の年でもあります。世界の情勢は混沌としてますが、すべての人々が、様々な因縁を越えて 佛の慈悲に包まれることを 心よりお祈りします。合掌

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