先日、京都近代美術館へ「ポール・スミス展」に行ってきました。ポールスミスは、イギリス出身のファッションデザイナーで、また彼の持つファッションブランドです。“ ひねりのあるクラシック ” をスローガンとする このブランドは、伝統的な技術、仕立てと遊び心が共存していて人々を魅了します。
ポール・スミスは、少年時代に自転車競技のレーサーを目指していましたが、不慮の事故により挫折します。失意の中、彼はパブによく通うようになりました。パブにはその頃、アートスクールの生徒たちがたくさん通っており、その影響を受け、アートの世界に興味を持ち始めます。新しい進路を見出した彼は、あらゆる依頼に懸命に応え、努力をし、今の立場に成ったと紹介されていました。
生活経済評論家の川北義則氏のお言葉です。
2倍、3倍の努力では結果は知れている。だが、ケタの違う努力をすれば、才能のあるなしなんかに関係なく、何かが確実に得られるというのだ。私たちは何かを始めようとしても、すぐに「もう遅い」とか「才能がない」といった言い方をする。実際、やってみてもなかなか進歩しない。それであきらめてしまうことが多いわけだが、ここに1つ、「ケタ違いの努力」という妙法があったのだ。この方法のポイントは「何も考えない」ことにある。「できるか?」といった疑問を一切さしはさまない。ひたすら最低、人の10倍の努力をするのだ。なまじ先の見通しを持つと、疑念や雑念、無力感、怠け心が、生まれてきて、やる気がうせる。この落とし穴に落ちていることが多いのではないか。何かでプロの域に達した人間は、人の10倍くらいの努力は朝飯前にしているものなのだ。あなたは「これだけは人の10倍は間違いなくやった」といえるものがどれだけあるだろうか。そういえるものは、きっと「モノになっている」はずである。(『人生、だから面白い』PHP研究所)
人は 大きな挫折の末、自分の可能性を見定め、適職を見つけていくのかもしれません。さらにケタ違いの努力をした人が、世に名を残すのだと思います。先の見通しは誰もわかりません。挫折を経験した事がある人は、” 一寸先は闇 ” 、” 諸行無常の理 ” を腑に落としておられるので怖いものはありません。そう考えると、人生、時には常識にとらわれず、がむしゃらな時期が必要なのかもしれません。私も琵琶説教師になったのは、大病をして生死の狭間を越えたところからでした。努力と聞くと 辛いイメージがありますが、人の10倍やる時というのは、ケタ違いの結果がでるはずです。そう考えると、ワクワク楽しんで 物事を取り組めるものと存じます。合掌