天才とは「100%今に集中する力」である

昨日、祖父母の13回忌法要を親族で勤めました。先日は母方の祖母の満中陰でしたが、今回は父方で、祖父は私の師僧になります。この法事に辺り遺品を整理をしてると、一枚の写真が出てきました。それは 私が赤ちゃんの頃の写真で、ハイハイをしてる私を微笑ましく見ている祖父母の光景でした。物心がつく前から可愛がられていたんだと、改めて感謝の心が湧き上がってきたと同時に、ふと こんなことを思いました。それは、この頃に 現在の自分が想像できただろうかということです。

ひすいこたろう氏の小話にこんなものがあります。もし、赤ちゃんが話すことができたら・・・「いつか君はね、立ち上がれるようになって歩けるようになるよ」と声をかけたら、赤ちゃんはこう言うのではないでしょうか。「バカいっちゃいけない。ムリムリムリ。ハイハイだけでも精一杯なのに、立ち上がるなんて、絶対ムリ。まして歩くなんてムリムリムリ(笑)」ハイハイしかできない赤ちゃんからしたら、立ち上がって歩くって、まるでサーカスでも見ているようなものでしょう。

でも、現在の私は 歩いてます。赤ちゃんの頃に思えば 奇跡に思えるようなことが、当たり前の現実となっています。それは よけいなことを考えず、ただひたすら今できることをやってきた結果、いつの間にか立ち上がり、いつの間にか歩き出し、今では車の運転もし、また僧侶にもなっています。思えば子供の頃は、一見 ムダに思えるような行動に没頭してました。それは 余計なことは考えず、目の前の一歩を楽しんでいたのです。しかし 大人になれば、失敗や周りの目、後悔等が先に浮かび、行動範囲がどんどん狭くなってきます。もし、今も100あるエネルギーを目の前のことに 純粋に注ぐことができれば、人は知らず知らずのうちに夢が叶っているのだと思います。こたろう氏いわく、今、目の前のことに100の力を注げる人を「天才」というのだそうです。

天才とは「100%今に集中する力」である・・・これは皆が生まれもった力ですが、経験と共に忘れていくのは寂しいものです。しかし、南無阿弥陀仏は教えてくれます。よく見ると「お念仏」の「念」「今+心」という字で出来ています。あるを目一杯、様に伝え、救いを求めるのが念仏なのです。言い換えれば、100あるエネルギーを目の前のことに純粋に注ぐことができる修行が、南無阿弥陀仏なのです。無我夢中で念仏を唱えることにより「絶対の幸福」へのレールが引かれているのです! 私が現在、お念仏を唱えられるようになれたのは、多忙だった両親にかわり、手を合わせる環境で育ててくれた祖父母のお陰です。赤ちゃんの頃の自分に「お前は幸せなんだぞー!」と伝えてやりたいです(笑)。悩みは尽きませんが、今に集中して念仏を唱えている時は、阿弥陀様や先祖と繋がっている瞬間です。このような尊い教えに出会い、本当に幸せだと この度の法事で再認識しました。合掌

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