究極のプライベート

先日、ある お宅を訪問しました。この家には 霊験あらたかな弁財天が祀られおり、パワーが欲しい時に 詣らせていただいてます。拝観はされてませんので、普段は 老夫婦しか居られないんですが、読経の途中、背後にただならぬ気配を感じ 振り返ると、若い僧侶が座っていました。その方も プライベートで弁財天を詣りに来られたようで、後で話をすると、比叡山の 光永圓道(みつなが えんどう)大阿闍梨だとわかりました。

光永圓道 大阿闍梨

光永圓道 大阿闍梨

大阿闍梨(だいあじゃり)とは、随一の荒行として知られる千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を満行された行者のことです。修行内容は、比叡山の峰や谷を7年かけて計1千日巡り、礼拝をし続けます。山川草木などあらゆるものに仏の姿を感じながら歩く距離は 地球1周分(約4万キロ)と言われ、修行を始めてから700日を超えると9日間、食事や水、睡眠を断って 不動真言を10万回唱える「堂入り」の行が課されます。その後は山中だけでなく、京都市内でも礼拝をします。満行すると、行者は大阿闍梨と称され、土足で宮中に参内することが許されます。いったん行に入ったならば、決して途中で止めることができないという掟があり、もし途中で止める場合は 短刀で腹を掻き切るか、紐で首をくくり、命を絶たなければならないと云われます・・・戦後12人目の大阿闍梨が背後に居られるわけですから、ただならぬオーラを感じるわけですね(汗)。

お加持を受ける信者  阿闍梨は「生き身の不動明王」と称されます

お加持を受ける信者             阿闍梨は「生き身の不動明王」と称されます

光永阿闍梨は、私と同じ年です。出していただいた珈琲を味わいながら 一時間ほど対話しました。印象は、頭の回転が速い方だと感じました。何事にも前向き(強気)で、懐まで相手の言葉を受けず、自らの30センチ手前で説法されるイメージです。とにかく相づちが速いんです(笑)。私とは真逆・・・私は相手の言葉を受け入れ、その方の口から真理を引き出すイメージで法を説いてます。修行を専門にされてる僧侶と、一般の方々と暮らしている僧侶の違いかも知れません。縁が広がり、魔に憑かれることなく生きていくためには、それくらいの距離感でなければ、心身が保てないんだと思います。大変勉強になりました。

それにしても プライベートで 同じ場所を同時刻に参るというのは、すごい確率です。袖振り合うも多生の縁・・・弁財天様が引き合わせて下さったと感謝しています。前回も申しましたが、偶然とは「然るべくして人と禺う」です。仏道は ” 仏と仏のみが知る世界 ” に生きることです。立場は違えど 切磋琢磨しながら教化できればと思いました。合掌

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