柳のように

先日、西願寺の新年総会があり、檀家の皆様と意志の統一は図りました。総会では、昨年の寺業報告や今年の行事予定、また中長期的なビジョンを話し合います。もちろん、お寺は檀信徒のものですので 合議制で決めますが、将来のビジョンについては様々な意見を取り入れ、住職が提案します。果たして それが皆様の幸せにつながるのか否か・・・独裁でもいけませんが、大衆迎合でもいけません。

巷では寺離れをいたずらに叫んで、批判や警告するものが賢者のような振る舞いをします。しかし、伝統を守ることや、変わらないということもは もっと努力を要します。寺の勤めをしてますと、古くさい … 時代遅れ … 改革せよ … スピード感がない … 様々なアドバイスをいただきます。そんな時、仙厓(せんがい)和尚の言葉を思い出します。
                           
           気に入らぬ 風もあろうに 柳かな

この格言について、橋本暢子氏がわかりやすく解説して下さってます。
柳の木はしなやかです。
東から風が吹けば西へなびき、西から風が吹けば東へなびきます。
でも「柳に雪折れなし」と言われるように、柳は決して折れません。

よく、表向き人や状況に「自分を合わせる」人は
「自分がない」とか「何事も気にしない」とかいったマイナスの評価を受けがちです。
そういうケースも多々あるでしょう。
確かに、人や状況に「流される」人は、そういうこともあると思います。
でもその中には、その「柔軟性」が、本当の強さゆえに発揮できる人もいます。
「流される」と「合わせる」は、主体性が全く違うんですよね。

真っ向から対決することも、大切です。
でも何の風に吹かれているかも、その風の強さも分からないうちに対決すれば
負けてしまうこともあるかもしれません。

風を受けて、それに必死に耐えてみる。
外からは、風の猛攻に対するあなたの「counter force(反撃のチカラ)」は
目に見えず、ただ静止しているように見えてしまいます。
でもそれは、何もしていない、ということではありません。
踏ん張っているんですよね。ものすごいチカラです。

そして、あるとき、だんだんとけてきたきた雪をばさっとはねのける柳のように、
自分で立ち上がります。これまたものすごいチカラです。
よく何かの圧力に対して自分が踏ん張っているとき、
その「何か」が急になくなると、
自分が「おっとっと」と前に出てしまうときがありますよね。
あれだと思うんです(笑)。

強い風や重い雪があなたを襲えば、揺れたり凹んだりすることがあります。
それを無理に凹まないようにするのは大変です。人間ですから。
だったら、揺れてみる。凹んでみる。
でも、耐えてみる。
ばさっとはねのけるチャンスを待ってみる。
そのためには、「曲がっても折れない」自分のチカラが大切だと考えます。

表向き風を切るチカラも素晴らしいですが
「折れない」チカラ、それも本当に大切だと思うわけです。

毎日走って疲れたときは、ちょっと立ち止まって、
「いつもの 風に吹かれて」みたいと思います。

とても勇気づけられます。このたび35年ぶりの授戒会に向けて準備委員会を発足しましたが、檀信徒の力を借りて勤めて参りたいと思います。合掌

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