ビーたんの満中陰と納骨

先日、ビーたんの満中陰(49日)を迎え、法要と納骨をしました。 
 

ビーたんは合祀ではなく、個別納骨をさせていただきました。
この墓の形式ですと、将来 無縁仏になる心配はありません!

住職は 境内にペットの納骨所を建立しましたので、ペットを亡くされたご遺族とお話する機会があります。しかし、皆様のロス状態は 見ていて辛いものがあります。

今回は 我が家のペットでした。この49日間、どんな感覚になるのかを素直に味わってみました。皆さまがおっしゃってることで 強く感じたのは、、、

言葉を発しない存在なので、「思い出の美化」をしてしまう、、、これが一番でした。

ペットとの思い出は尽きません。彼(彼女)らは 言葉を発しないので、我々は表情のみを観て、一心に愛情(自らのすべて)を注ぎます。その為、お別れが来ても「もっと出来たんじゃないか?!」と思ってしまい、後悔と寂しさのループが続くんだと思いました。

人間同士で、お互いの心情を語り合ったり、喧嘩をしたりして 人となりを知ると、どこかで心の整理が付くものですが。

亡くなる1週間前のビーたん
とても元気で 妙に甘えてきてくれました。
この時は何を思ってたんでしょう。

その上で率直に思ったことは、いずれ前に向かないと、何もかも止まった状態になるということです。つまり、キツイ言い方ですが、すべては自らの「思い出の美化」ですから、心が晴れ渡る要素がないということです。「喪に服す心=供養の心」が混同すると、いつまでも悲しんでなくてはなりません

その体験を踏まえ、私自身、前に進む解決法を探しました。出た答えは、シンプルにお墓に納骨することでした。実際、お墓を持ことは 本当に安穏な精神状態になるのだと実感しています。

墓の効能は、
①「思い出の美化」を翻し、常に感謝できる心の状態を保てること。
②「存在の消失」を翻し、墓の存在が 彼(彼女)らの生きた証となること。
③供養の際、客観的に見てくれる存在(僧侶)と話すことで、安心ができ 前向きな心になれる。しかも、当家の先祖回向までしてくれる。

家に何十年と お骨を安置することは、遺族も霊(ペット)も前進がありません。浮遊霊のままで居させるのは人間のエゴになりかねません。どこかで前に進むべきだと存じます。そう考えると、納骨は いい距離感の出発だと存じます。また別の形で必ず逢えますから

※しかし、納得するまでは近くに安置してあげてくださいね。住職もその意見は賛同します。あとは時期の問題だけです。

今年は辰年で、「思いが具現化」する年だと申しましたが、自ら建立したペット供養塔で愛猫を弔える幸せをしみじみと感じています。亡くなった霊と よき思い出の中に生きる・・・これは幸せななことですね。

ビーたんのお陰で、ペット供養相談に来られた皆様の気持ちに さらに寄り添えそうです。合掌

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辰年の心構え

新年、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

さて、今年は辰年です。毎年申してますが、干支というのは、この世界の森羅万象を12に区分けしたものになります。5番目の辰は季節でいえば5月に当たります。つまり、新緑が勢いよく芽吹いていく季節になります。このことから、辰年は成長や発展の年だとされます。

元々「辰」という字は「ととのう(整)」や「ふるう(振)」といった意味があり、今までの努力や忍耐がい、るって具体的な形になっていくのに適した年とも解釈できます。

「手で辰を動かす」と書いて「振」の字になります。大黒天が打ち出の小槌を振ると小判が出てくるといわれますが、この小槌は精進を象徴しており、努力が報われる功徳があります。そう考えると、小槌は辰(龍)そのものなのかもしれません 。努力が報われたい方は、今年は大黒天をお詣りされるのが吉だと存じます。

大黒天

十二支それぞれに、動物があてはめられるようになるのは後代になってからですが、十二支の中では唯一想像上の動物であるのが龍になります。実は、9つの動物が合わさった生き物だと云われます。

中国では「角はシカ、耳はウシ、頭はラクダ、目はウサギ、鱗はコイ、爪はタカ、掌はトラ、腹はミズチ(妖怪)、首筋はヘビ」だとされています。

この9つの動物を組み合わせて描いてみると、龍の絵が出来上がります。種々合わさって完成することから「ととのう(整)」と訳されたのかもしれません。つまり、万物が相整い、振るって発展する様を、天に昇る龍に喩えたのではないかと思われます

牛頭殿の御前に祀っている
草場一壽氏の陶彩画
『時は今』の白龍

すべての下地が整い、今にも振るい立ちそうです。

しかし、良くも悪くも具体的な形になりやすいことに気をつけなければなりません。良いことや自らが願うことが具体的な形になるのは歓迎できますが、悪いことや不本意なことさえも具体化しやすい年でもあります。決して龍の逆鱗(げきりん)に触れる行為は控えましょう。善悪の判断、自分を抑える心、周囲への配慮をしっかりとなせば飛躍の一年となることは間違いなしです。

逆鱗は龍の急所にあります。
誰でも触れられたくない部分を持っています。
その場所に触れるようなことをすると、今までの
信頼や縁が一気に崩れて 戻らなくなります。
くれぐれもご注意下さい。

年明けから龍が暴れているような荒れた幕開けになりました。最後は物事が整い、幸が振り溢れるような一年であることを心よりお祈り申し上げます。合掌 

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ビーたん、天晴れ!!!

こんばんは。突然ですが、以前にご紹介した愛猫ビーたんが本日 亡くなりました。令和5年12月26日(火)、約22年の生涯で、人間で言えば88歳の米寿でした。

ビーたんは、ちょうど祖父母が亡くなる時期(平成13年頃)、失踪した先代ビーちゃんと入れ違いでやってきました。その後 節目の金森家を黙って癒し、見守ってくれました。

亡くなったのは 一緒に寝ていた息子の部屋で、朝、静かに息を引き取っていたようです。早朝4時頃に声を出したみたいですので、明け方に逝ったのかもしれません。その4、5日前から何も食べなくなり、前日(当日)もゆっくり外に出て思い出の場所を巡り、直前まで自分で各部屋を巡りお別れをしてくれました。もう一日、早くても遅くても 私は見送れませんでした。いや、スケジュール的に この日しか無理でした。

亡くなる前日(20時間前)、フラフラしながらも
自らの足で思い出の場所を巡っていたビーたん。

大好きな縁側で最後の日向ぼっこ
(亡くなる12時間前)

ビーたん、最後の写真(亡くなる6時間前)
今まで可愛がって下さった皆様、お世話になりました!

朝に火葬をしてくれるところを探し、電話をしたら昼過ぎに来てくれました。みんなが揃う唯一の時間に見送れました。しかも晴天。あっぱれ(天晴れ)とはこのことです。息子の友達や、当日参拝予定だった巽家の皆様にも見送ってもらい、素晴らしい最期でした。何より、家で亡くなってくれたことが身内の救いでした。

末期の水

本堂でのお葬式

皆様からいただいた供花や供物
(出棺前は大好きな縁側で)

火葬の儀

祭壇に祀られるビーたんの遺骨
令和6年2月8日が満中陰です。
それまでお経をあげ続けます。お寺に来てよかったね^ ^

ビーたんは、今、ブログを記してるこの場所で、24時間前に 私の膝の上に乗っていたので、とても切なく 不思議な気持ちです、、、こういう出来事があると、皆さん こう思われるんじゃないでしょうか。

〜 魂はどこからきて、どこにいくんだろう 〜

さっきまで動いていた生き物が動かなくなるんです。本当に不思議です。この死生観をもって 生きるのとそうでないのとでは、人生の深さが変わってくるのです。つまり 人間世界は、諸行無常という苦しみの世界に生きています。それに気付け!と仏教は教えます。

結局、み〜んな亡くなります。そして 周りに 誰も(気を許せる人)がいなくなる、、、自らも年を取り、老いや病いに苦しみ、理解者がなく、世代間ギャップと孤独に泣き、過去の後悔と死後の恐怖の中で、人生を終えます(←お経に書かれています)

それが そう遠くない未来に訪れるとわかっていても、その解決法(仏の教え)を学ぼうとしないのが我々凡夫です・・・救われる方法があるんだよ!!って仏は手を広げて待って下さってます。様々な死の縁をかりて、皆様に仏縁があることを祈ります

とにかく仏縁が深かった ビーたん。誰よりも住職のお経や法話を聴いてくれました。次は人間に生まれ変わって、また楽しく遊びましょ。今まで本当にありがとう!! 南無阿弥陀仏

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私のロマン

今年は出家をして30年目の年でした。18歳で故郷を離れ、クリクリ頭で京都の修行道場に向かった緊張感が懐かしく思います。

修行中、色々な方とご縁がありました。
それにしても若いです(恥)
ある時、女優の真野響子さんが訪ねて来て下さいました。

様々な方に影響を受け、自分には何ができるか?を考えてきました。
修行中の若造が、能楽師の梅若六郎さま
対談させていただきましたも よき思い出です。

そんな私も、僧侶として やりたい夢を持つようになりました。

一つは、私の住職代で授戒会(仏教の心構え)、五重相伝(念仏の心構え)の2つの道場を檀信徒に提供する
※西願寺では20年ごと、住職一代で どちらか一つを開催するのが通例でした。

二つは、故郷・近江八幡にある大ホール会館で、満席の観客に琵琶説教を披露する
※琵琶を方便として、今まで仏縁が薄かった方々を集めて講演をしたかったのです。

今年は、この2つの夢が一気に叶った年でした。ほとんどの皆様は、しょーもない夢だと思われるかもしれませんが、住職の夢は 権力や財力、組織力で作られたものでなく、長い期間をかけての信用(仏縁)で達成できるものを目指しました。縁ある全ての方々に感謝をし、今、しみじみと喜びを噛み締めています。

中学時代からの座右の銘
猪木さん、私のロマンが叶いましたよー!

今回は、二つめの夢が叶った 成道会(市民のつどい)のご報告をします。

会場となった近江八幡市の男女参画センター
やはり晴天!
様々な役員さまにお世話になりました。心より御礼申し上げます。

数ヶ月間、市内の至る所にこのポスターが貼ってあり、
時節柄、体調管理が本当に大変でした(汗) 
誰にも代わってもらえないプレッシャー、、、(^_^;)

成道会(じょうどうえ)とは、お釈迦さまの悟りを祝う法要です。
宗派を問わず勤める行事です。

コロナの影響で4年ぶりの成道会となりましたが、
300人を超える方々がお集り下さいました。

この会は、西願寺や浄土宗のバックアップがなく、様々な
宗派の方や一般の方々が集まって下さるから尊いのです。
組織の集客ではなく、聴きたい方が足を運んで下さる・・・
昭憲の説教を聴きたい! この状況での布教が 私の夢でした

みんな真剣です。

私も全身全霊をかけて語ります。

前回は、平成15年の第20回の成道会に
清興(琵琶伝道)で出演しました。

清興は、びわこのーと さん
ヴァイオリン、ヴィオラの演奏でした。

今回は 講師でのご依頼
過去、成道会に2度 出演された方はありませんので、
これは素直に自分を褒めてあげたいです。

布施を中心に法を説きました。

演目
祇園精舎、勧進帳(安宅の関)、鵯越の逆落とし

勧進帳を読む住職
今回は 義経、弁慶らが八幡さんに加護を祈る場面です。
近江八幡の地名も 八幡さんから付いていると云われます。
近隣には義経元服の池もあり、琵琶演奏の際には、
モノ(源平の亡霊)が喜んでいる感じがありました。

中高年のアイドルもさせてもらいました ♪(笑)

今年一年、お世話になりました。これからも ゛私のロマン ゛を求めて精進しまーすo(^▽^)o合掌

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ご報告(大本山 くろ谷 金戒光明寺布教)

威風堂々とした山門
ここを通る時、いつも背筋に緊張が走ります。

気候も穏やかで、絶好の夜景拝観日和でした♪

全体で30分の時間をいただきました。
夜間拝観の観光客は、夕食やホテル、交通手段等の
束縛があり、とても貴重な時間です。
最後までお付き合い下さった皆様に心より感謝申し上げます。

次々と出入りの激しい時間帯でしたが、
最終的に多くの方が座って下さいました。

生まれも育ちも国籍も違う、初めて出会う方々と
真剣に向き合えるのが琵琶の醍醐味です。

浄土宗の僧侶にとって、念仏の礎の地(くろ谷)の
法然さまの御前で布教できることは最高の幸せです。
しかも850年前に この地で起きた出来事を
創作琵琶で語れたことは、この世での
素晴らしき思い出となりました。合掌

脇陣に吉備真備(きびの まきび)公がいらっしゃいました。
唐から牛頭天王を招来されたお方です!
真備公が縁を結んで下さったように感じます^ ^

オン ハラレイキャ ゴズデイバ セイガン ズイキ ソワカ

吉備真備公の隣に
「吉備観音(きびかんのん)」がいらっしゃいました。
琵琶を弾く時の私の顔と似てませんか?(笑)
この観音さまが私を護って下さった気がしました。
また ゆっくり御礼に参ります。

南無観世音菩薩

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大本山・くろ谷金戒光明寺の大殿を
お借りして創作琵琶を披露します。
源氏の武者 熊谷直実が、この黒谷の地で
法然上人に弟子入りする場面です。
暖かくしてお参り下さい。

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アントニオ猪木をさがして

映画「アントニオ猪木をさがして」を鑑賞してきました。今年は、2022年10月1日に79歳でこの世を去ったアントニオ猪木の一周忌に当たります。私は祖父の影響で、幼少より 大のプロレスファンとなり、書斎にはプロレス関係の書籍や漫画、DVD、CD、フィギアが所狭しとならんでいます。

猪木ブロンズ像

映画の内容は、プロレスラー・アントニオ猪木、そして人間・猪木寬至を立体的にひも解いていくドキュメンタリーでした。私の青春を映像で回顧してるような気持ちとなり、涙があふれ、幸福感に包まれた時間でした。

アントニオ猪木は、プロレスラーの枠にとどまらない「希代のエンターテイナー」でした。誰しもの耳に轟いていた「バカヤロー!」「元気があれば何でもできる」という名言に、世代の枠を超え、勇気を貰った人々も多いのではないでしょうか? 

ミレミアムの瞬間は
猪木さんと過ごしました! 

各試合のエピソードを語れば尽きませんが、一番衝撃を受けたのは、20年前に プロレス関係者から「プロレスは 結果のわかったショーである」とカミングアウトされたことでした。この時は さすがにショックでした、、、あ然 ぼう然 がく然としたことを覚えています。その告発以来、世間のニュースに全く驚かなくなりました(笑)。私にとって、それほど衝撃的な事件でした。

しかし この時に、人間世界は すべて方便でできているんだ!という仏教感覚を学んだ気がします。

ちょうど20年前、カミングアウトがありました。
人生最大の衝撃でした!

これは観音さまの「遊(ゆう)」の教えに通じます・・・自分はこの世に演者として現れたんだ。良い役も悪い役があるが、みんなが自分にとっての主役 脇役 善役 悪役を演じてくれて 成長させてくれてるのだ・・・そう考えると、すべての方々が観音さまに思え、感謝の心が湧いてきます^^ 

現代は目くじらを立てて、人の非を責める人が多いですが、この「遊の生き方(すべて観音さま)」を意識すると、もっと人生が楽しくなると思います。この感覚もプロレスからの学びです。まさに 猪木流「馬鹿になれ!」ですね。

映画「アントニオ猪木をさがして」のポスター

「馬鹿になれ!」と言っても、周囲を撹乱するような生き方(すべて自分さま=観音さまを見下す言動)では、ただの自己中心的な人になってしまいますので、お気を付け下さい。

「遊(ゆう)」の教えは究極の自己満足です。その遊びが楽しければ楽しいほど、皆んな(観音さま)が寄って来て笑顔になり、自分(観音さま)の幸せに繋がります。

・・・自己中ではなく自己満 ・・・

観音さまに喜んでもらうことを目一杯して 歩んでいこうと思います。逆に楽しく感じないことはしたくありません!(笑)。馬鹿になることが、アントニオ猪木への最大の恩返しだと思います。1,2,3,ダー!! 

アントニオ猪木の言葉
この言葉を額に入れて中学生の頃から教訓にしてました(笑)
私のすべての原点です!

闘覚院機魂寛道居士 一周忌 南無阿弥陀仏

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今回は大きな会場になります^ ^
どちら様もご来場お待ちしています(無料です♪)

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究極の幸せ

今年は彼岸が過ぎても暑い日が続きました。穏やかな気候が少なく、今は秋を通り越して冬が来そうな雰囲気です。

西願寺では20数年飼っている猫がいます。名前は ” びー ”(通称びーたん) 。今年、祖母の23回忌を勤めましたが、その頃から我が家に居ますので、金森家四代に渡り見守り続けているメス猫になります。

二代目びー

元々、西願寺は黒猫を飼っていました。その子はブラックのBを取っての びー だったんですが、晩年に行方不明になり、同時期に迷い込んできたのが今回の びーたん になります。この ” びー ” は美人(美猫?)だったことから、二代目の びー になりました。あれから20年あまり、、、、今では超後期高齢のお婆さんです(笑)

びーたんの見事な寝相

今夏は酷暑でしたが、お寺はクーラーをあまり付けません。びーたんは堂内の隅々の涼しい所を知り尽くしてますので、様々な所で涼んでいましたが、この暑さは老猫には堪えたんでしょう。盆明けくらいからプチ家出をして、ご近所の様々なお宅で可愛がってもらっていたみたいです。(お隣さんから「お寺の猫が遊びに来ています。心配しないで下さいね。エサを与えていいですか?」とお言葉をいただいてました)

おそらく、そのお宅では、お寺では出さないような高級ご飯を出して下さり、クーラーの効いた部屋で優しい声を掛けて下さってるのだと思います。びーたんは、ストレスフリーな生活をして、大好物のミルクが飲みたくなったら帰ってきて、また行きたい所に遊びに行く、、、なんて羨ましいんでしょう。人間でしたら、こんな恩知らずの行為は許されません(笑)。しかし、今回のびーたんの行動に ” 究極の幸せ ” を感じました。

お隣さんの窓に映る びーたん と思われるシルエット
今宵もお泊まりです(泣笑)

朝帰りの びーたん
ミルクを欲しがってます、、、
呑気なものです(汗)

そう考えると、とにかく人間世界は生きづらいものですね。夏目漱石がうまくこの世の中を喩えています。
「智に働けば角(かど)が立つ。
情に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角(とかく)に人の世は住みにくい」

『草枕』

【世間の人とつきあうときには、
頭のいいところが見えすぎると嫌われる。
あまりにも情が深いとそれに流されてしまう。
また自分の意見を強く押し出すと、
衝突することも多く世間を狭くする。
人づきあいというのは、
智と情と意地のバランスを
上手にとらなければならず、
なかなか困難なことだ】

その点、野生動物の生き方はシンプルです。財産を持たず、最低限の欲望で、世間体も気にせず、本能のままに生きて、愚痴もこぼすことなく命を全うします・・・しかも、周りもこの生き方を受け入れているんですから・・・これぞ究極のあり方です。あと真理を学ぶことができたら悟りの境地です。

お釈迦さまは「人は一人で生まれ、一人で死ぬ」とお説き下さいました。この世に来た時が一人なら、去るのも一人という教えです。他者に依存しない、揺るぎのない自分を持つことが大切だということです。

この境地(空)を体得すれば、毎日が楽しんだろなー♪ と思います。例えるなら観音さまです。美意識が高く、年齢や性別が不詳、めちゃくちゃオシャレで、遊び心を悟りとし、微笑で悠々と教化されるお姿に強い憧れを持っています。

住職は、心身共に観音さまを目指してます!
この水月観音さまが私の究極の姿です^ ^

この夏、びーたん から、とらわれのない ” 究極の幸せ ” を学ばせていただきました。縁のある皆様に感謝です。合掌

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ワクワクするご縁

先日、津島神社の牛頭天王に参拝し、授戒会の成功御礼と 今後の願い事を祈祷してきました。祈祷所では、 ” ワクワクするご縁 ” に恵まれますように!と言った内容を祈りました。それ以来、人の縁はもとより、物の縁、繋がりたいご縁が次々と叶い、ワクワクする毎日を送っています。

津島神社拝殿でのご祈祷風景

一例を挙げますと、今月の3日、地元の商店街の御依頼で琵琶説教に伺いました。幹事さんの話では、設営費等の捻出のため有料になるということ。また雨予報ということもあり、少人数だと予測してました。毎年されてる行事でもありませんし、地域行事という性質上、私も檀信徒や知り合いには声をかけませんでした。しかし蓋を開ければ 晴天に変わり、100人近くの人々が集まって下さったのです!(驚)。

面識のない方々から「琵琶説教の口コミを聞いて来ました!」、「予想以上に良かったです!」「定期的にやってほしい!」というお声を聞けて本当に嬉しく思いました。

これまでも色々な場所でさせていただいてますが、行事ありきの一コマがほとんどです。しかし今回は、私の琵琶を聴く為だけに、義理や行事の縁でなく、お金を払ってでも足を運んで下さることに感動しました。これこそ ” ワクワクするご縁 ” です。真剣に聴いて下さる皆様の表情に、今までのことが報われた気がしました。

今回は八幡堀の辺り、名刹の
蓮照寺さまをお借りしての説教でした

説教後、有志による食事会に
ご招待していただきました

様々な方と有意義なお話をし、また
魂の込もった料理や食器の数々に
ワクワクする体験を
させていただきました!
皆さま、ありがとうございました^ ^

石と白砂を使った細川流盆石の
伝統芸能を拝見しました

話を戻しますと、津島神社での祈祷中、武将の姿が浮かんできました。それは、津島の牛頭天王を信仰をされていた豊臣秀吉公のようでした。

「ワシは、太閤になろうなどとは思ったことがない。
草履取りのときは草履取りを一心に努めたら、足軽に取り立てられた。
ありがたいことだと一生懸命仕えたら、侍になった。
侍の仕事に夢中になっていると、いつしか侍大将になっていたのだ。
ついに姫路一城を拝領するにいたった。
ワシは、一職をうれば一職、一官を拝すれば一官、
その職官に没頭して今日にいたったのだ。
ほかに出世の秘訣は、なにもない」

豊臣秀吉公が寄贈した
津島神社の楼門(重要文化財)

秀吉公は人生成功の秘訣は、奇手を狙うことではないと申されました。ただひたすら、目の前のことに没頭しただけだと、、、その上で、信長さまだったらどんなことを喜ぶだろう?って考えて行動されていたのではないでしょうか。「困ったな~」「無茶なこと言うな~」ではなく、「よしっ、驚かせてやろう!」という気持ちで、 “ 草履取り ” や “ 一夜城 ” 、 “ 中国大返し ” などをやってのけたのでしょう。逃げても、逃げても、逃げても、逃げても、どの道、困難や障害というものは必ずやって来るものです。

住職も若い頃、法話をするご縁を頂戴し、どうしたら聴衆に喜んでもらうかという一心で琵琶説教を始め、気付けば20年の歳月が経ちました。その思いが原点となり、様々な方とご縁をいただいてます。

結局、人生は嫌なことばかりではありません。困難と成長は、イコールで結ばれてるように感じます。

困難=成長

この成長が ” ワクワクするご縁 ” に繋がるのだと思います。人間世界は修行の場ですので、心地よいことばかりではありません。しかし、一つ一つの困難から逃げると言うことは、同時に成長(ワクワク感)からも逃げるということになります。年を重ねると喜びが少なくなるというのはこの辺にあると思います。

何事にも目をそむけずに「面白いことが起きたぞ!」と言って迎合すれば、人生は充実するのではないでしょうか。そうすれば点が線に繋がり、得も言われぬワクワク感、そしてご縁のありがたさが味わえるものだと存じます。合掌

先日は、琵琶説教の新フクサを
刺繍で作っていただきました。
『平家物語』の熊谷直実と平敦盛の場面です。
琵琶説教ではフクサの刺繍柄を楽しんで
いただく方も多いんじゃないでしょうか。 
これもワクワクするご縁ですね^ ^

製作者の里田昭美さまは、
琵琶説教関係すべての
執持物にご協力いただいてます。
私の活動は色々なご縁で
成り立っています。
感謝!

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