人は心変わりをすると全くの別人になる

こんにちは。本年最後のブログとなりました。皆様、大変な一年だったことと存じます。住職も色々経験しましたが、これほど ” 諸行無常 ” を感じた年はありませんでした。

仏教では、我々は「魂の存在」だと教えます。その魂が生身の身体に入り、私達は人間になっています。その寿命が尽きると 生前の生き方(業)によって次の生が決まり、地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上界と 生まれ変わり死に変わりを繰り返すと云います。その6つの世界を「六道」といい、仏教(念仏の教え)は、六道(苦しみの輪廻)から魂が解脱する方法を教えます。

人間世界は一言で言うと、諸行無常の苦しみの世界です。誰もが幸福になる努力をしますが、結局 思い通りにはなりません。叶ったとしても長続きはしません。そんな中、永遠に生きるのではないかと錯覚し、不安、混乱の中で生きるのが人間なのです。みんな諸行無常に翻弄されているのです。諸行無常は言い換えれば ” 裏切り ” です。努力の如何に関わりなく 積み上げてきたものが時間と共に壊され(裏切られて)苦しむのです。

千年前の日本人は 人生をどう考えていたんでしょうか。清少納言の『枕草子』を読んでますと、なるほどと思う段(第68段 たとしえなきもの)がありました。
(意訳)
あまりにも違いすぎて、比べようのないもの。
夏と、冬と。
夜と、昼と。
雨の日と、晴れの日と。
人が笑っている時と、腹を立てている時と。
年老いた人と、若い人と。
白い人と、黒い人と。
自分が思いを寄せている人と、自分が憎んでいる人と。
同じ人なのに、自分に愛情を持っていた時と、心変わりしてしまった時とでは、全く別人のようにしか思えません。

(『こころきらきら枕草子』木村耕一著)

今も昔も、季節も、天気も、人の心も、全く思い通りにはならないんですね。努力云々ではなんともならない・・・うまくいってもコロコロと情況が変わるのが人間世界と教えてくれます。それにしても、最後の一文「 同じ人なのに、自分に愛情を持っていた時と、心変わりしてしまった時とでは、全く別人のようにしか思えません 」にはハッとしますね。これこそ諸行無常の極みです・・・。

住職には 多くの方が正直な気持ちを吐露して下さいます。本音を話す場所はなかなかないのを知ってますので、どんな話題でも誠心誠意聴くようにしています。そして あえて答えを出しません。100パーセント共感をし、相談者に考えてもらうようにします。その苦しみは彼(女)らの問題集ですから。しかし前提だけはお話します。

「私達は 努力に反して ” 裏切り ” がセットにある世界に生きています。勇気を持って ” いずれ失われること ” に目を向けましょう!」

このことを心に留めるだけで楽に生きられる事と存じます。精進は大切ですが、どうぞ自分を責めないで下さい。心配しなくても 解脱(往生)をしたらすべて還ってきますから。私は誰でも往生する方法を知っています^^ 
では、また来年。有難うございました。合掌

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伝統と伝承

先日、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまと小室圭さんがご入籍されました。日本国民としてお二人の幸せを心よりお祈り申し上げます、結婚に伴う儀式などは行われず、皇室を離れる際の一時金も支給されない異例の形でのご結婚となるようです。

この話題を考えるにつれ「伝統と伝承」という言葉を思います。この2つの違いがわからなければ、世の中が滅茶苦茶になります。

「伝統」は、時代に合わせて 先人の積み上げてきたことを次世代に残す行為や意思。
「伝承」は、時代が変わろうとも 絶対に変えてはならない根本真理。

今回のご結婚について言えば、儀式や過去の儀礼を執行されないのは「伝統」の部分で ご自身の意思と時代の流れ的要素が強いですが、皆様が話題にされているのは「伝承」の部分です。つまらない議論もありますが、その根本は 皇族の永続的な繁栄を願う国民感情の現れなのだと存じます。眞子さまがお気の毒で とても窮屈に感じることもありますが、一方で これが国の歴史の重みでもあるんだと 畏敬の念を覚えました。

堀江貴文氏が「10年続くお店」という興味深い話をされていました。
「飲食店の平均寿命が短くなっている。
3年続けばあっぱれ、といわれる業界で、10周年を迎えられるお店の少ないこと。
初期投資をして、休みも取らずに働いて、10年もたないのでは、やる意味がない。
ある程度有名になったシェフでも、人気の波が過ぎるとひっそりと業界から姿を消している。
10年以上続くお店にするには、コンスタントにお客さんがこなければだめだ。
つまり、お客さんに、いかに「また来たい」と思わせるかが鍵になる。
「そんなことわかっている」のだったら、あなたは「また来たい」と思わせるために、どんな努力をしているか考えてみてほしい。
僕が「また来たい」と思うのは、前にも書いたが驚きのあるお店。
「なんだこれは!?うまいぞ!」となれば、仲間を連れてまた行って、その驚きを共有したくなる。
SNSや「テリヤキ」に投稿して、ほかの人にも体験してもらいたいと思う。
そんな驚きを絶えず人に提供するのは並大抵のことではないだろう。
でも、実際に、人気をキープしているお店はそうなのだ。
最先端の手法や素材に対するアンテナを張り、キャッチし、自分なりのアイデアを出して実際に料理にする。
師匠に教わったことを繰り返しているだけの店は、絶対にもたない。」

(『なんでお店が儲からないのかを僕が解決する』 ぴあ)

この話も「伝統と伝承」に通じるのではないでしょうか。何も考えずに昔からしていることを繰り返しているだけでは10年と持たない。「伝統」は試行錯誤の末、続いていくものなのだと思います。堀江氏のおっしゃる ” 驚き ” とは、人間の大事な部分で、真心、誠意、サービス精神、丁寧さといったもので現れる「伝承」の積み重ねなのだと存じます。

現在、コロナウィルス感染拡大により、様々な地域の行事が中止、延期となっています。しかし、ただ合理的な行事の廃止や取りやめが良いのではなく、時代に合わせて いかに先人の知恵を後世に残す工夫が求められているのだと思います。「伝統」とは革新です。そして、その土台となるのが「伝承」(根本の真理)で、宗教を廃した合理化社会では 真なる幸福はつかめないと教えていただいた一ヶ月でした。合掌

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神仏に可愛がって”もらう”人生

西願寺には、江戸時代から伝わる疫病退散の掛け軸があります。今から200年ほど前の文元年間、当山がある船木村で疫病が流行り、当時の住職(薫誉上人)が祈りを捧げたところ、地蔵菩薩が夢で「利剣名号(穂先が刀のように尖った南無阿弥陀仏)を記せ」と告げられたとあります。そして夢告の通り行動し、大念珠で南無阿弥陀仏を唱え続けた暁には 疫病が完全に収束したと云われます。さらに地蔵菩薩は「我に祈る者、疫病から守る」と告げられ 自ら軸の中に入られたと伝わり、現在でも利剣名号の周りにお地蔵さまらしき黒い影が確認できます。

詳細は西願寺七不思議の5
をご覧下さいませ。

本来、今月は授戒会開催の月でしたが、疫病(新型コロナウィルス)感染拡大のため、やむなく延期となりました。現在の西願寺は 江戸時代の状況とよく似ていると思い、このたび住職より大念珠を布施させていただきました。参拝者は 利剣名号の前で、お回しいただければ幸いです。

私は 得た収入の〇分の1を神仏に布施することを決めています。陰徳がなくなるので これ以上申しませんが、この感覚は説明しづらいものがあります。例えば、布施と御礼は違います。一般的に「布施は ” させてもらう ” 行為、御礼は ” してあげる ” 行為」と言います。双方共に尊い行為ですが、御礼はお返しの意味合いが強く、潤滑油的に してあげる行為に対し、布施は自らの修行であり、他者の評価を超えて、させてもらうことに喜びを感じます。ですから、お褒めの言葉や領収書は発生しません(笑)。して ” あげる ” 行為は、対象者の反応によって喜びが変わり、あげることで無くなりますが、させて ” もらう ” 行為は、神仏の恵みをもらい、心が満たされ、繁栄をもらうことで 減ることはありません。

また、御礼は受動的(受け身)な行為に対して 布施は能動的(自発的)な行為となり、布施行は その人の本質そのものと言っていいんじゃないかと思います。つまり仏教では、その本質(霊格)の高さそのものが 物事がうまくいく根源と見ているのです。

少し難しいと思いますので、桜井識子さんのブログからヒントを拝借します。
「私の昔の知人に、とても信仰心の厚い人がいました。
性格も温厚で、優しく、いつも笑顔で、相手を心から気遣うことのできる、善人の見本のような人でした。
彼の夢は自分の会社を持つことでした。
残業も厭わず、一生懸命に働いて、奥さんもパートを頑張り、2人で資金をコツコツと貯め、ついに会社を設立しました。
周囲の誰もが、おめでとう! と盛大にお祝いをしました。
恥ずかしそうに照れていて、でもすごく嬉しそうにしていた2人を思い出します。
会社は順調にスタートし、神仏のご加護もあって、なんと! 3年目にして、支店を出しました。
大成功したのです。
よかったね~、という友人に囲まれて、2人はニコニコしていました。
でも、その頃から彼の人柄が、少しづつ変化していったのです。
お金持ちになったせいか、一般人を下に見るようになり、話をする時もそれがチラチラと出てきます。
成功した自分は、平凡な君たちとは違う、というようなことも口にするようになりました。
あれ? あんなにいい人だったのに? と、最初は軽い違和感を覚える程度でした。
しかし、だんだんと変わっていくので、周囲も徐々に距離を置くようになりました。
というか、彼のほうが以前の知り合いとは付き合いをしたくないようでした。
それからしばらくして、支店が閉鎖されたと噂で聞きました。
そしてその後、そんなに時間がたたないうちに、会社がつぶれたことも耳に入ってきました。
あれだけいいスタートを切り、明らかに成功していたのに …… 坂道を転がり落ちるように状況が悪化したのです。
神様に可愛がられている人でしたから、人格が変わった時点で、これ以上、霊格を落とすことはさせたくない、と神様が守ってあげたのです。
このようなことは、世の中にたくさんあります。
(中略)
神様はもとの性格の彼が好きだから、これ以上霊格を落とさないように守るのです。
霊格を落とすきっかけが会社なら、あっさりつぶします。
彼の魂にとって、会社を持っていることが、人生で一番重要ではないからです。
何が彼にとって一番いいのか …… そこはシビアに判断されます。
ですから、神仏に応援してもらって、何かを成し遂げた! 成功した! という場合、そのあとは自分の霊格を落とさないように心がけたほうがいいです。
あちらの世界に帰る時に、泣いて後悔しないようにという、神仏の優しさ、思いやりで、その成功がナシになるかもしれないからです。
でも、逆にいえば、霊格さえ落とさなければ …… つまり、そのままの自分でいれば、その成功は持続するわけです。
ということで、神仏に可愛がられている、目をかけてもらっていることを自覚することは、実はものすごく大事なことなのです」

(桜井識子オフィシャルブログ~さくら識日記~)

現代は、地道に物事を続けてらっしゃる方を評価する風潮があまりありません。変化変化で斬新なことをする人にスポットライトが集まります。しかし、仏教では ” 諸行無常 ” の世に変化しないものなんてない。現状維持に見える人でも、小さな変化や努力を繰り返して今の立場があるんだと教えます。つまり、一時的な成功や功名心が大切なのではなく、日々、地道に神仏に可愛がられることや目にかけてもらっていることの自覚をし、また高めた霊格を落とさないこと(小さな変化、精進)が一番の生き方と説きます。そのために布施の修行があるのです。

自らの心地いい環境を目指す、して ” あげる ” 人生か、神仏に好かれて、できることをさせて ” もらう ” 人生なのか・・・それぞれあるかと思いますが、住職は後者で楽しく信仰生活を送っていきたいと思います。合掌

もちろんお金のいらない布施修行もあります

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物で栄えて心で滅ぶ

相変わらずコロナウィルスが猛威を振るっています。滋賀県でも緊急事態宣言が延長となりました。この情況に、来月予定をしていた授戒会の延長を決定しました。延長日時は、1年8ヶ月後の令和5年のゴールデンウィーク(5月3、4、5日)と定めましたが、その時節には 感染症とうまく付き合っている世の中であることを願います。

通常、お寺の世界で 大行事を延長することはありません。そういう意味では貴重な経験をさせてもらっています。率直な感想を申せば、今の西願寺が置かれた環境を見つめ直す絶好の機会だと捉えています。行事の成功か否かは感じ方です。どれだけ不備があったとしても 時間は止まりません。始まれば予定日時で必ず終わりますので、批判はあっても失敗はありません。ただ、問題なのは人の心です。この行事により 受者にどれだけの影響を与えられたか・・・ここが大切です。これだけ価値観が多様化し、唯物的な世の中になれば、残念ながら 皆様の授戒会の価値観や関心は低いんだろなぁ … と感じます。40軒ほどの檀家で82人の受者を集められたのは、今まで連綿と続いてきた布教の成果で 誇れることですが、現代の人々のニーズに合わせると、色々と考えさせられます。

つまり、神仏や先祖が ” 絶対的な善 ” という価値観が、音を立てて崩れているのです。一般の方々は、そんなことよりも日常の生活が大切です。先祖回向のお布施よりも携帯代の方が大切、家族の葬式に参列するよりも学校に行く方が大切、仏の教えよりもネットの情報が大切・・・暴論ではなく、そんな時代になってしまいました。今回の延長は、現代人の考えと仏の教えの溝について考える絶好の機会だと住職は捉えています。儀式直前のハードな面を固めた今、ソフトの面を考えられる 2年近くの時間をいただいたことは、仏の恵みを感じずにはおれません

感染症コロナは、平和で物に恵まれて何もかもが自分の思うようになることしか求めてこなかった私達に、鉄槌を下すような不安増幅を与えています。いわゆる、今までの生き方に警鐘が鳴っている状態です。「物で栄えて心で滅ぶ」と言われるように、現代は、物中心の物質文明が放つ 眩いばかりの進歩の光に翻弄されて浮き足立ってしまい、人間にとって一番大切なものを忘れてしまい、コミュニケーションを否定し、責任回避で自らを守る風潮にあります。

人類の歴史の中で幾多となく感染症や疾病、自然災害などが襲ってきました。その折々に日本人は対策方法を生み出すと共に、一人一人が「信仰による生き方の見直し」を実行したのです。それが戒名(仏の名前)をもらう授戒会でした。その智慧を皆様方の先祖はしっかり培い続けて、今現在の我々が受け継いでいます。令和5年に延長された授戒会が さらに高みを帯び、この世とあの世を貫く幸福を得られる会になるよう精進して参ります。宜しくお願いします。合掌

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東京オリンピックの感想

先日、2020東京オリンピックが無事に閉式しました。まず、大会関係者や政治家の皆様、ご尽力されたすべての方々に心から敬意を表します。コロナウィルス感染拡大で世論が真っ二つに割れる中、無事に遂行されたことは至難の技だったことと存じます。そういった方々の思いが実を結び、日本選手団が安心して、金メダル27個、銀メダル14個、銅メダル17個、メダル数が計58個という好結果が出たのだと思います。

今回の大会で感じたのは、” 縁 ” の不思議さです。もし去年オリンピックが開催されていれば、違う選手が活躍されていたでしょうし、今年だから金メダルを獲れた選手もいらっしゃったはずです。メダルだけがすべてではありませんが、この大会で、努力だけでは如何ともし難い、” 縁 ” があったのだと感じました。しかし、縁を拡大解釈すれば、今回金メダルを獲った選手が、勝ち組で一生安泰とは限りません。有名になったが故に、一つの失言や失敗で人生を棒に振る場合もあるでしょうし、今回、大会に出場できなかった悔しさで、大きな糧を得て 素晴らしい存在になる方もあると思います。人生は最期まで縁の力で成り立っており、物事を刹那的、感情的に捉えてはいけないのだと思いました。

例えば住職は、お盆参りの中旬を迎えてます。本当に真剣にやってますので、各家からお喜びの声をいただくと嬉しいものです。しかし、私が今、コロナウィルス感染という縁に合えば、そのお褒めの言葉はひっくり返って、不安や批判、悪い噂としてこちらに跳ね返ってくるでしょう・・・繰り返しになりますが、努力や真心だけでは如何ともし難いのが人間世界で、人の評価は善悪ではなく、すべては ” 縁 ”なんだなぁ、、、とつくづく感じます。

親鸞聖人は このようなお言葉を残されています。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

つまり「縁がととのえば、人間はどんなこともしてしまう存在」で、「なりたくてなっていない方が多数おられる」ということです。現代の報道やネット社会で気になるのは、読者や視聴者の正義感に訴え、気に入らない人を「悪人」として、社会から排除しようとするような論調が強くなっています。批判する人は、「自分は絶対にあのようなひどいことはしない」という前提に立ってますが、親鸞聖人は そうじゃない!と強く戒めておられるのです。

私達は、たまたま生まれ育った境遇や、現在の生活や人間関係が犯罪を促すようなものでないので、今は重罪を犯すことが思いもよらないとお説きなのです。もし、考えもおよばないような情況に追いつめられたり、犯罪を引き起こすような縁が周りにそろってしまったならば、自分も何をしでかすか分からない存在なのです。現代人には、そのような想像力が大事なのではないでしょうか。根っからの悪人はなく、すべては縁で成り立ち、自省の心が大切なのだと存じます。

もし自分が 大会関係者や政治家、選手という縁を持っていれば、、、そいうことを想像すると、知らないことに口出したり、安易に批判することはできないなぁ・・・と感じたオリンピックでした。それよりも、ご恩、感謝、おかげさま、ありがとうの精神に目を向けたいものです。本当に素晴らしい大会でした。パラリンピックも楽しみにさせていただきます。皆様、それぞれのお立場があると思いますが、自省をして、ご自愛くださることを心よりお祈り申し上げます。合掌

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牛頭天王の縁日

7月15日は牛頭天王の縁日になります。京都の八坂神社では 祇園祭を盛大にされますが、姫路の廣峯神社では何も行われないとのことで、琵琶の奉納演奏に行ってきました。牛頭天王は、インドの牛の頭に似た牛頭山に住んでいたとされ、疫病防除の神でした。あまりに霊力が強いため 仏教聖地、祇園精舎の守護神も勤めていたとも云います。日本には 聖武天皇の時代、天平5年(733)に吉備真備が この広峰山にお祀りしたのが最初だと伝わります。

廣峯神社の山門
雨が心配でしたが、ちょうど梅雨の
中休みとなりました。

巫女さまによる舞

ご宝前での琵琶奉納
『平家物語』より「祇園精舎」と「那須与一」を語らせていただきました。

式典後、別室にて茶話会を開いていただきました。
宮司の幸田さま。廣峯神社の末裔、廣峰さまもから
色々歴史についてお話を頂戴しました。

皆様と記念撮影

最近、住職のブログにちょくちょく出てくる牛頭天王ですが、ピンと来る人は 今の日本に ほとんどないと思います。しかし 150年前まで日本の津々浦々で信仰された神様だったのです。残念ことに 慶応4(1868)年の「神仏分離令」で、牛頭天王の神号を用いる寺社は その名前を改めろ!と厳しく禁止令を出されたことで忘れられた存在になりました。人間が神を消すというのは恐ろしいことですね・・・それをきっかけに、日本の民族性、精神性、国運がガタガタに落ちた気がします。

私は琵琶で 諸行無常を語っているためか、” 滅び ” にシンパシーを感じます。人間界ですので 流行廃りがあって当然ですが、大事なものは残す努力をすべきだと考えています。今の日本にはそれがありません。何でも使い捨てです。それを説くべき僧侶であっても ありがとう、おかげさま、感謝、ご恩を実践されてる方が少なくて愕然とします・・・あと20年もしないうちに現在の生活様式が すべて通用しなくなるといいます。そんな中で晩年を迎えるというのは不安ですね・・・諸行無常の世に翻弄されないためにも、確固たる心の安定が必要です。今こそ積極的に神仏と親交する時期に来ていると思います。信仰は一日にしてなりません。

寄付をさせていただいたら、御堂前に
玉垣を建てていただきました。

” 人は二度死ぬ ”と言います。一度目の死は 肉体の消滅二度目の死は その存在を完全に忘れ去られたとき。過去、方々で活躍されていた牛頭天王方は、必死に居場所をさがしておられるはずです。それらの神霊方を西願寺でいったんお預かりできればと真剣に思っています。その願を立ててから、実際、念いが実現しすぎて恐いほどです。皆様にも御利益のお裾分けををしたいと存じます。株ではありませんが、今が買いの神様ですよ(笑)。御堂建立にご協力いただける方は、ぜひぜひお願いします!合掌

ご宝前にて 西願寺の念持仏に御魂分けを
していただきました。

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五穀断ち

令和3年も半ばに差しかかりました。皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか? 西願寺においては 授戒会開催の年でもあり、またコロナウィルスという未知の病いの流行もあり、忘れられない年となりそうです。

住職は ある願掛けをしており、昨年8月8日から実行していることがあります。それは ” 五穀断ち(ごこくだち) ” です。これは修験道のひとつで、修行や立願成就のために穀物を食べずに行うことで、穀断ち(こくだち)ともいいます。五穀というのは5種類の穀物のことで、「米・麦・栗・豆・稗(ひえ)」をいいます。もちろん断酒もしています。

私はこの修法で体重が約10キロ、腹囲は8センチほど減りました。五穀断ちの効能は、体の中に居る3匹の悪者が 食べる物がなくなって出て行くといわれます。その3匹とは「貪り、怒り、愚痴」の煩悩の親分です。その悪者が出て行くことで、心と体が覚醒して 霊的人生が身につくと云うのです。心には「反省」(×貪り)、「感謝」(×怒り)、「報恩」(×愚痴)という幸福への段階を悟り、身体は(現代風にいえば)、 「糖尿病」(×貪り)、「癌」(×怒り)、「認知症」(×愚痴)が除かれるのだと推察しています。

五穀断ちは周りの方々の協力が不可欠です。
どこまでいっても反省・感謝・報恩の毎日です。
現在は穀断ちに変え、大豆加工品はいただいてます。

心身の鍛練と徳積みが目的でしたが 副産物として、BMIが20.75の理想の状態になりました。

*写真は海老蔵さんです。
職業柄イメージ画像でお許し下さい(笑)

江戸時代に、百発百中の人相鑑定をする水野南北という方がいらっしゃいました。600人もの弟子を持ち、万に一つの狂いなく運命を爆裂に良くする具体的な方法を編み出された方です。その方の教えの一つが ” 食事の節制 ” でした。要約しますと、

規則的に小食、粗食を続けられれば、持って生まれた運命よりも急上昇できる。元々多くの徳を持って生まれている者もいるにはいるが、飲食を慎まないことで持って生まれた徳を 誰もが例外なく減らしてしまう。それとは逆に、持って生まれた運命が悪く、たとえ徳が少なかったとしても、3年以上飲食を慎み、継続した者は運命が必ず好転する。

腹八分で医者いらず
腹六部で老いを忘れる
腹四部で神に近づく

水野南北
3年間散髪屋で頭の相を研究
3年間風呂場で体の相を研究
3年間火葬場で死者の骨の相を研究
それでも百発百中にならなかったので、徳積み(小食法)を編み出されたようです。

現代は飽食の時代ですので 粗食はなかなか難しいですが、今の食事から2割の量を減らされるだけでも 運命が変わることと存じます。「運命」は ” 命を運ぶ ” と書きます。つまり、(大いなるものと波長を合わせ)行動することが大切です。理屈をこね回して 人を批判することが正しいとされる世の中ですが、(そんな人々と波長を合わせず)信仰に生きるというのは面白いものです。

人間界は 期間限定の魂の修行場です。つまり、あの世が救われる方法さえ手に入れば、この世の目的を ほぼ達成したことになります。あとは人を不幸にしない立願であるならば、どんどん挑戦していきましょう。徳積みで、健康な体反省 → 感謝 → 報恩の幸せのスパイラルを得ることによって、さらに魅力的な人生が歩めることでしょう。

改めて・・・皆さん、この1年を振り返って 何をされていましたか??

オリンピックの開催の是非やワクチン接種についての批評家だけでは これほど寂しいことはありません。今年も残り半分です。飛躍の寅年に向かって 徳を積む生活ができれば最高ですね。合掌

その他の徳積みとして
1、早寝早起き
2、占いは受けるべきでない
3水、紙、塩を無駄遣いしない
(物に対して誠意を持って取り扱う)
4、倹約はいいがケチはダメ
できることから始めましょう!

  

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西願寺に居られる牛頭天王方

コロナウィルス感染拡大が止まらず、再度、緊急事態宣言が発令されました。お隣の京都や大阪では、百貨店、映画館、スーパー銭湯等が軒並み営業を自粛したため、ゴールデンウィーク中、地元の滋賀には他府県ナンバーが溢れていました。「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺ではありませんが、いろいろな意味で何が幸いするかわかりません。

経済と健康、生と死・・・ワクチン接種の順番で日本中 大揉めしてますが、早く打ったからといって不老不死になるわけでなく、また死後の世界が救われることはありません。忘れてはならないのは、我々は肉体ではなく ” 魂の存在 ” と言うことです。今の思い・言葉・行動が未来を作ります。様々な問題がありますが、皆様の心の安穏を祈ります。

毎年5月は、東京の寺院で琵琶説教をしてましたが 2年連続で中止となりました。会場寺院の住職ご家族や檀信徒様との交流、また 東京観光を楽しみにしてましたが、今年も叶いませんでした。今回、どうしても参りたかったのが大田区の羽田神社でした。神仏研究家・桜井識子さまが5人目の牛頭天王の存在を記して下さり、縁を繋げたかったので、今回は木札を郵送で授与していただきました。自由気ままな牛頭天王らしいので、お好きな時、西願寺に遊びに来ていただければと思います^^

羽田神社の牛頭天王について
記されています。

羽田神社

西願寺に居られる牛頭天王方
向かって右端が、新たに勧請した羽田神社の木札です。

西願寺に牛頭天王像を祀ってからの後日談ですが、ある方を通じて サイキックちゃん という有名な霊能者に仏像の様子を聞いていただきました。すると、「うん、西願寺には八坂の牛頭天王が来てるよ! 眷属じゃなくて本体!! この住職、八坂の牛頭天王に相当好かれてる!!!」とあっさり仰ったようです。ご本体が来て下さるとは・・・どうりで願い事がズバズバと叶うはずだと思ってました(汗)。私は各牛頭天王さまにはそれぞれの願いを変えています。八坂神社には「与楽(よらく)」・・・父親の存在ように、楽しみや経験を与えて下さること・・・をお願いしています。生きにくい世の中ですが、無神論者の理屈に流されず、神仏のご加護で 有意義な人生を送りたいと思います。

ただ、お寺の敷地内では牛頭天王方も居心地が悪いようで・・・いずれ、新たなお堂を建てることを決意しました。「西願寺別院・牛頭天王堂」です。土地の目星はありますので、あとは流れに乗ってお堂を建立していきたいと思います。サイキックちゃん曰く、八坂牛頭より「最初は小さいお堂から始まる・・・しかし ここから伝説が始まる・・・これに携わる人は歴史に名が残る」ともお告げをいただいたみたいです。牛頭天王さまに特化し、色々語り合える場所にしたいと思いますので、興味のある方はご賛同いただければ幸甚です。一億円長者が現れたらいいなぁ … と妄想中です(笑)。無から有を作り出すワクワク感、これこそ牛頭さまの真骨頂です!。いずれ桜井識子様にもご参拝いただきたく願ってます。牛頭天王なら、あっさりと叶えて下さることでしょう。

今回のブログは、昭憲の独り言と捉えて下さいね。住職にとって阿弥陀如来の御存在はもちろん、諸仏諸菩薩諸天神、西願寺の檀信徒や有縁の諸精霊、東日本大震災被災者の方々、ブログの読者、お預かりのペットのご遺骨等々・・・すべて大切です。毎日、これらの方々の幸せを心より祈ってます。であるからこそ 皆さん、ワクワク 楽しく生きましょう。信仰の力は偉大です。私には「与楽」の力が 雪崩のように降り注がれています!合掌

先日、八坂神社に祀ってあったと云われる
神牛とご縁がありました。
長い長い八坂神社の歴史の中で、
様々な経緯があって流失したようです。
真偽は別として、大切にお祀りいたします。

背中の部分には金箔が残っています。
八坂牛頭の眷属でしょうか!

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この世に意味のないことはない

西願寺では、秋に予定をしている授戒会が半年を切りました。定員(80人)を超えましたので、あとは受者全員が無事に満行される対策を考えねばなりません。コロナウィルスとの兼ね合いもありますので、壇信徒が知恵を出し合って この難局を乗り越えたいと存じます。平穏な時に勤める行事よりも、何倍もやり甲斐があります。

最近 テレビのワイドショーで、「 コロナウイルス感染拡大により無意味なものが見えてきた。その代表はお葬式や法事である! 」と報道しているのを見ました。つまり、亡き人を弔うことや親族との付き合いよりも、自分の時間が大事という風潮が蔓延しているんだと思います。それほど人の心が世知辛くなってるのでしょう。

残念ながら、私がいつも申している、有り難う、おかげさま、感謝、ご恩という考え方は古いのかもしれません。しかし、この世に意味がないことはありません。 私達が起こした言動は、必ず何らかの形で作用するようにできています(縁起の法)。さすれば、意味があることと、意味がないことがあるのではなく、自分がそこに意味を見出すのか、見出さないのか、それだけなのだと思います。

私たちは、すべての関わりの中(縁起)で
生かされているとお釈迦様は説かれます。
結局、自分本位では生きていけないのです。

お寺という所は、そういう面が顕著に現れる所です。先祖回向にしても、布施にしても、墓掃除にしても、お供えにしても、意味を見出させない人からしたら茶番に見えるかもしれません。しかし、誰がなんと思おうが、自分が意味があると信じ切れること・・・このブレない精神が大切であり、それが信仰という言葉になり、大いなるものから力がいただけるのだと思います。今、コロナウィルスで全てのことがふるいにかけられています。行動が制限され、何が正義かがわからない時節だからこそ、自分が信じた道を生きたいものです。合掌

4月10日、総代や実行委員会の有志で授戒の成功を祈り、吹き流しを立てました。

4月10日は善導忌当日。善導大師の法力で、雲一つ無い晴天に恵まれました。
借景の山に八幡城跡の石垣が見えます。開基の豊臣秀次公も応援して下さってます。

授戒会の成満祈願をしました。

境内に高札も掲げました。

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東日本大震災から10年

東日本大震災から10年が経ちました。「十年ひと昔」とはよく言いますが、もう10年、まだ10年、ようやく10年。さまざまな思いが聞こえてきます。思えば 西願寺における布教の原点は ここにありました。この体験から 住職が思うことを世に発信していこうと思い ブログを始め、タイトルを『平成 方丈記』と名付けました。もう ” 平成 ” ではないのが、時の流れを感じます。

古典の『方丈記』には、「恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけり」(最も恐ろしいものは地震だ)と書かれています。地震によって生活が一変してしまう現実は、800年前も今も 変わらないようです。「平凡な毎日は続かない」と知らされると、「自分にとって、幸せって何だろう?」と考えさせられます。

鴨長明が、世の無常と人生のはかなさを
随筆として著したのが『方丈記』です

本日は『方丈記』(鴨 長明)の一節をご紹介します。
方丈庵に住んで5年。この山に住み始めた時は、「しばらくだけ」と思っていましたが、もう5年も過ぎてしまいました。仮の庵も、だんだん住み慣れて、屋根の軒に落ち葉が厚く積もり、土台に苔が生えてきました。

たまたま、何かのついでに、都の様子を聞いてみると、この5年間に、身分の高い人が、たくさん亡くなられたことが分かりました。まして、一般の人が、どれだけ死んでいったか、数え切れるものではありません。また、都には、何度も火災が発生しましたので、焼けた家が、どれだけあるか分かりません。

でも、私の、この方丈庵は、安らかで、火災の心配はありません。どんな豪華な家を建て、財産を蓄えても、火災、竜巻、地震などで、あっという間に消えていく喜びであることを知っています。いつまでも長生きしたいと願っても、病気、けが、事故、災害、戦争などで、いつ死んでいくか分からないことを知っています。だから、儚い命、短い人生を、欲や怒り、愚痴のために、振り回されたくはないのです。家や財産、名誉や地位が、多いとか、少ないとか、そんなことにとらわれずに、心から喜べる幸せ、安心を求めていきたいのです。
(『こころに響く方丈記』より 木村耕一 著)

下鴨神社には、鴨長明の方丈庵が復元されています

昔も今も人間の本質は変わらないんだと思います。現代は 目まぐるしく変化する世の中ですが、チャールズ・ダーウィンは「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びる者ではない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」と説きます。結局 我々は「諸行無常」の中で生きているのです・・・その真理を知れば、自分にとって何が大切なのか 幸せなのかが見えてくると思います。

私達は時間を取り戻すはできません。死ぬ時節もわかりません。一切の現象を止めることが出来ません。先がわからない中で生かされるのが人間界の苦しみであり、修行です。さすれば人間にとって大切なもの(感謝、有り難う、ご恩、おかげさま)だけは心に留める精進をし、心から喜べる幸せ、安心を求めていきたいものです。「諸行無常」の中で、唯一変わらぬ仏法真理を 共に分かち合えれば幸甚です。合掌

心より震災被災者のご冥福をお祈り申し上げます。南無阿弥陀仏

東日本大震災10年にあたり、産経新聞より取材を受けました。
現在、私の手元には原本がありませんが、信徒様がメールをくださいました。
届き次第、正式に掲載しますのでご一読くだされば幸甚です。

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