骨佛法要(令和元年)

本年も骨佛法要を勤めさせていただきました。今年は52名の方々と共に、東日本大震災の物故者を始め、各々の縁深き方々に 誠心を捧げました。例年の如く、お喜楽さまによるハーモニカ演奏、里田さま御一行による牡丹餅の振る舞い、また 巽聖花さまが初任給で煎餅の供養をして下さったり・・・西願寺らしい 真心の込った法要になりました。

今年の回向師は、宝積寺の岸川知徳上人
2年後の授戒会で回向をお願いしてます。知恩院にお勤めだけあり、素晴らしいお声でした^^

ハーモニカ演奏は5曲。皆さん大合唱でした!

今年の琵琶説教は「戦艦大和」
令和に入り、昭和の教訓を語らせていただきました。

私は 今年で住職10年の節目になります。といっても 行事に合わせて交代でしたので、実質 名前だけの住職でした。西願寺は 先代(父親)に任せっきりで、外で勉強してました。私の人生設計では、このような形が 最低10年は続く予定でしたが、3年前に先代が69才で往生し、自身の研鑽を含め、外での自己実現が難しくなってしまいました。そんな中、私が伺わなくても 皆さんが参ってくれるお寺になり、本当に嬉しく思います。

この10年間、色々ありましたが、ロビン シャーマの言葉に励まされました。
最期の日、わたしたちが持っていけるのは、
人生に意味をもたらしてくれた
すべてのすばらしい人生経験の思い出だけです。
そう考えると、ものを収集するより、
しあわせな思い出が残ることをして日々をすごしたいと思います。 
ささやかなことを楽しむ知恵をもってください。
そういったものがもたらす最高の思い出は、
多大なエネルギーをついやして追いかけている
どんな物質的なおもちゃより、
あなたの人生に価値を与えるでしょう。

(『3週間続ければ一生が変わる』 海竜社)

「諸行無常」と「苦しみ」が付きまとうのが、私たちの住む人間世界です。祈りを捧げる私たちも、いつか必ず最期の日はきます。どうせなら、たくさんの人に感謝して、たくさんの人に喜びを与えて、人との思い出を残していきたいと思います。合掌

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息(いき)な生き方

令和になりました。新しい節目にご縁があり 嬉しい限りです。元号が変わる瞬間は息を呑む瞬間でした。日本国が ますます興隆することを祈念します。

思えば 平成の節目は、私は中学生でした。あの頃と今を比べてみると「息苦しい世の中になったなぁ~」という感じがします。キチッとした分、人間のあたたかさや ゆとりが無くなった気がします。もちろん現代を批判するつもりはありません。むしろ進化しているのだと思いますが、人間同士の ” 阿吽の呼吸 ”” 息を合わせる ” ということが無くなってきた気がします。

昇 幹夫のお言葉です。
哺乳動物は5億回呼吸して息を引き取ります。
ですからゆっくりと長い呼吸をすることが大切で、長い息は長生きなのです。
でもその寿命は毎日変動しています。
感動したり、大笑いしたり、
感謝の気持ちを持つことで寿命は延び、
怒ったり落ち込んだり、
悪口を言ったりすることで寿命は縮まります。
「一笑一若、一怒一老」
と言うとおりです。

(『笑顔がクスリ』 保健同人社 より)

仏教では この世は修行の場だと考えています。たった5億回で息絶えるならば、その中で 笑って生きるも人生、ワクワク楽しんで生きるのも人生、しかめっ面で生きるも人生、愚痴、不平、不満で生きるのも人生です。どうせなら息が通ういきいきとした人生を歩みたいものです。また、このような時代だからこそ お寺くらいは、息抜きできる空間でありたいものです。

本日は、息を題材に考えてみました。仏教の言葉に「息災延命(そくさいえんめい)」【感謝の心で災難を防ぎ、健康で長生きすること】とありますが、これが令和の時代に求められる ” 息な生き方 ” だと存じます。合掌

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独りの時間

こんにちは。「平成」最後のブログとなりそうです。私が愛読する鴨長明の『方丈記』にちなみ、『平成方丈記』と名付け、月2回、日記感覚で続けてきました。何十年後かに読み返し、「そんなことがあったんだ~」と振り返りたいと思い 記しています。

「平成」最終の月は、多忙を極めています。西願寺での善導忌、奉職寺院での花まつりやお身拭い式、地元仏教会の副会長に当たり 行事の指揮、地方での泊まりがけの琵琶説教(10日間で15席)・・・その他、通常の法務を変えることなくやってます。日替わりのスケジュールで 頭の切り替えが大変ですが、30代にやってきた経験が今に生きているような気がします。思えば30代の私は、自分というものを見付けることに 切磋琢磨した時期でした。

孔子がこんな言葉を残しています。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
これは、優れた人物は協調はするが主体性を失わず、つまらない人物は同調はするけど 心から親しくなることはないという意味です。つまり優れた人はどんな集団の中にいても自分を失わないということ。他人と違うことを恐れず、また自分と異なる人を疎外することなく、違う者同士が違いを尊重し合い、各々が各々の責任を持って協調していくということです。

また 鴨長明は『方丈記』で、「人との関わりは大事なことだが、人と関わる自分を失ってしまっては本末転倒だ」と述べられています。自分を失わないために必要なものは「独りの時間」だと。人との関わりが大事なように、独りの時間も同じように大事なものです。なんとなく、独りでボーッとしている時間でも、その時間で人は自分自身と数多の言葉を交わし、自分という存在を確認しているのです。人と関わるために独りの時間は死守しなければいけないものであり、それは食事の時間や睡眠時間と等しくなければないものだと思います。

ただ、独りの時間でも ネットやゲーム、明かりや音楽等で満たされる現代社会は、本当の意味で ” 自分 ” を見つめていないのかも知れません。これが「令和」の時代以降の日本の課題だと存じます。自分を持たなければ、満たされることは決してありません。宗教でもセミナーでも構いません。自らを見つめる時間を取りましょう。どんどん日本というものが溶けてなくなっていく時代に、僧侶として いかにお役に立てるかを考える今日この頃です。合掌

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四天王を安置

4月1日、「平成」に代わる新元号が「令和」と決定しました。出典は我が国最古の歌集『万葉集』で、日本古典からの引用は初めてとのこと。645年の「大化」以降、248番目の元号となるそうです。

その元号発表の頃、西願寺では四天王像をお迎えする工事をしていただいてました。四天王とは、お釈迦さまから 自分が亡くなった後に仏法を守護するように託された神といわれています。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。

実は西願寺では この仏像をお招きすることは悲願でした。予算の都合で、昭和62年の授戒会、平成21年の五重相伝の際には、紙に四天王の名前を書き、四隅の柱にお祀りしていました。それが今回ご縁があり、お迎えできたのです。西願寺建立の「天正」から数えて、43番目の元号発表での時期となりました。

持国天は東方の守護神。
持国天の名前には「国を支えるもの」と言う意味が込められています。
武器を持ち、国家安泰のご利益があると考えられています。

増長天は南方の守護神。
増長天は、「増大するもの」という意味から成長や豊穣を司る神とされます。
この像は 珍しく琵琶を持たれたお姿となります。

広目天は西方の守護神。
様々なものを見抜く力があると言われる神様で、他の四天王と違い
武器を持たず筆を持つという特徴的な像もあります。
また龍神を従えて西方を守護するともいわれ、この像は竜を従えたお姿をとられます。

多聞天は北方の守護神。
四天王という一括りの守護神の中では多聞天と呼ばれ、独尊で祀られるときに毘沙門天と呼ばれます。
釈迦の遺骨を納めた塔(ストゥーパ)を持っておられます。

作家の中嶋真澄氏のお言葉です。
もし、あなたがなかなか自分自身の道が開けてこないということで悩んでいるなら、
まだ当分というか、これからもずっと、あきらめないでほしい。
あなたにとっては、ただたんに時が熟していないという
ことだけのことなのかもしれないからだ。
それぞれに時が熟する時期がある。
それはいつなのか、わたしたちは自分でそのときを見定めることはできない。
できるのは唯一、あきらめないことだけなのだ。
時が熟するまでに随分と時間がかかることがある。
一夜で熟する果実もあれば、長く風雪に耐えて、やっと熟する果実もある。
あなただけの “ 時 ” がきっとくる。

(『幸福コンプレックス』 大和書房より)

今回、時代の移り変わりの最中に四天王をお祀りできたことは、最上の悦びです。西願寺の歴史の最初に聖徳太子がいらっしゃいますが、四天王を篤く信奉されたのが聖徳太子で、国家鎮護のご利益があります(歴史の節目の安置は、太子のお心が届いたのかもしれません)。また 工事の最中には、晴天の中で小雨が降り(これは神仏が反応されている証です)、工事が終わった途端、近くで大きな雷が落ちました(最高の厄落としです)。430年の西願寺の歴史にとって、今回が最高の ” 時 ”(タイミング)だったと確信しました。明日、善導忌(平成最後の法要)で魂入れをさせていただきます。

「令和」の時代は、「平成」で薄れていった四天王の功徳【国を守り(持国天)、心豊かに発展し(増長天)、広い視野で物事を見(広目天)、多くの意見を聞き、胆力をつける(多聞天)】という、日本人が原点に戻る時代になることをお祈りします。合掌

台座は、登録総代の浅尾嘉明さまが手作りで設置・寄付して下さいました! 
さすが建具屋、巧の技です。永代の功徳を積まれました。
四天王像の寄付をお考えの方も功徳を積みませんか?まず住職までおたずね下さい。檀家内外を問いません。
寄付札を設置し、永代祀らせていただきます。

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人のせいにして豊かになった人はいない

彼岸【ひがん】になりました。お彼岸とは「彼【か】の岸」、いわゆる あの世を指します。ちなみに 我々の住む人間世界は「此【こ】の岸」、此岸【しがん】といいます。この世とあの世は三途の川で区切られていることから、この世とあの世を ” 岸 ” で表しているんですね。彼岸の時期は 春分の日 と 秋分の日を中日【ちゅうにち】として、前後3日間の一週間をいいます。丁度その頃は、太陽が真東から真西に沈むことから、西方極楽浄土(ご先祖様のいらっしゃる方角)が示されるので 先祖が身近になり、こぞってお墓参りをする風習があるのです。

ところで 墓参りをされている時には、何を考えてますか?よくある質問ですが、私は、神仏には ” お誓いごと ” 。先祖には ” お祈りごと ” をしなさいと答えてます。神仏には細々したことではなく、目標に向かって「こう頑張ります。見守って下さい!」と誓うのです。霊格の高い方ですから効果は覿面です。(神仏によって得意分野が違いますので、勉強してから詣って下さい)一方、ご先祖様には少々の愚痴はオッケーで、最後に ご自身や家族の安否を報告し、感謝を捧ればいいのです。ただ 一つだけしてはいけないのは、他人のせいにした愚痴です。仏教はどこまでいっても因果応報ですので、先祖も困ります。くれぐれもお気を付け下さいませ。

今回は、斎藤一人さんの新刊『斎藤一人 絶対、なんとかなる!』よりご紹介します。

「日本は、世界でも指折りの豊かな国です。

これだけ豊かに暮らすことができて、私たちはものすごく幸せなんだよね。

仕事だって、探せばいくらでもある。

心身に問題を抱えているとか、なにか特別な事情があるわけじゃなかったら、誰でもそれなりにお金を稼ぐことはできます。

お金が全然なくて暮らしていけないってことはないよね。

働けばお金が入ってくるし、それなりに生活ができる。

で、そう思ってる人は、ちゃんと生活しているんだよね。

ところが、自分にできる仕事を顔晴る(がんばる)こともせず、政治が悪い、役人が悪い、会社が悪いとかって、なんでもかんでも人のせいにする人がいます。

そうやって人のせいにすること自体、おかしいんだよね。

お金がなくて貧しいのではなく、その心が貧しいから、いつまでたっても豊かになれないんです。わかるかい?

政治が悪いって言うんだったら、じゃあ自分がやってみなって。

誰がやったって、今以上のことはできないと思うよ。

そもそも、素人がいきなり選挙に立候補したって、そう簡単に受からない(笑)。

受かるだけで大変だし、もし当選しても、そこからさらに大変なんです。

それを、はたから文句ばっかり言うのはおかしいよね。

私もたまに、「斎藤さんが政治家になったら、世の中はもっとよくなりますか?」とかって聞かれるんだけど、みんな一生懸命やっているの。

誰だって顔晴っているんです。

一人さんが政治家になったからって、急に世の中がよくなるようなもんじゃない。

第一、 私は政治家になるつもりもないですからね(笑)。

人のせいにして豊かになった人はいないよ。

人のせいにして幸せになった人もいないよ。

幸せなお金持ちになりたいんだったら、今、自分ができることから始めて、そこから雪だるま式に豊かになっていくしかないんです。

大丈夫。なんとかなるから。」

(『斎藤一人 絶対、なんとかなる!』斎藤一人 著 / マキノ出版より)

問題が起きたとき、何かのせいにするのは簡単です。自分は何もしなくて済むようになるからです。すべては良くも悪くも自己責任です。自らを省みて、素直な心(目標や感謝)をお供えすれば、神仏やご先祖様は必ず聞き届けて下さるでしょう。こぞってお参りして下さいませ。合掌

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幸福とは

先日、先代の3年忌を迎えました。早いものです・・・あっという間に私も40代。報恩の誠を捧げつつ、自らの現状を振り返ってみました。住職となり、奉職寺院では融通を利かせていただける立場となり、琵琶説教では各所からお招きを受けるようになり、家族元気で、息子達も寺の手伝いをしてくれています。これは先祖が喜んでくれるあり方を模索し続けた結果であり、すべては仏の見守りがあってのことだと感謝しています。しかし、望みが叶うと同時に 別の悩みや忍耐を抱える自分がいるのも正直なところです。うまく言えませんが、苦労一つとっても、昔は自分のことだけを考えれば満足でした。一つのことが終われば「そこでおしまい! 後は自分の時間 ♪」という刹那的な喜びで満たされてましたが、今は一つのことを勤め終えても、そこから責任が広がり、ずっと何かを背負ってる感覚です。大笑いもしなくなりました(笑)・・・年を重ねるというのはそういうことだと存じます。それを味わう年齢となりました。

『朝日新聞』が掲載した「100人の20世紀」に選ばれた一人に、ナイロンを発明した米国のウォーレス・カローザスという人がいます。彼は、ナイロンの開発で莫大な財産を築き、勤務先のデュポン社から破格の待遇を受けていました。その中には「生涯、どこへ旅行し、どんな高級レストランで飲食しようが、費用の一切は会社が持つ」というユニークなものまであったそうです。はたから見れば、うらやましい限りで、私たちが思い描く「幸福」というものをすべて体現したかに見えますが、彼は41歳の若さで自殺しているのです。もし、お金や財産に恵まれ、他人から高く評価され、地位も保証されることで幸せになれるのなら、カローザスの悲劇はありえません。

『小さいことにくよくよするな!』の著者で有名なリチャード・カールソンの言葉です。
私たちの頭の中は、どうしたら幸福になれるかという思いつきや計画でいっぱいだ。
夫や妻の態度が変わりさえすれば、
自分は幸福になれるはずだ、と信じ込んでいる。

支払いを済ますことができれば、
あるいは収入がもっと増えれば幸せがやってくると考えている。
子どもがもっとよい成績をとってくれば、
裏庭の雑草がこんなに速く伸びなければ、
あるいは時間がありさえすれば…。
望みはどんどん広がっていく。
そして、一つの望みがかなえば、別の望みを持ち出し、
この望みさえ実現すれば、
待ち望んできた心の平和が訪れるのだと考えるのである。
悲しいことに、望みがかなったとしても、
心の平和を感じていられるのはほんのつかの間である。
あなたの心は、最初に条件を作り上げたときと同じような働きをまた繰り返す。

ストレスを減らすためには、
望むものを手に入れて幸福にはなれないのだと、
理解する必要がある。
幸福に生きるための近道は、
穏やかな考え方を身につけることなのだ。
望むものを手に入れるか入れないかは、問題ではないのだ。

(『あくせくするな、ゆっくり生きよう!』 主婦の友社)

結局、この悟りは仏教で言う ” 諸行無常 ” を受け入れることに尽きます。人間界で望むものは、いずれは移ろいゆきます。壊れてしまう幸せです。どんなに楽しい毎日を送っている人も、いざ不治の病にかかり、病室で一人、死に向き合わねばならなくなると、すべてが無味乾燥に感じてしまいます。「諸行無常を知り、穏やかに過ごす」・・・お釈迦さまは、死んだらどうなるかわからない、後生ハッキリしない心が 平安を妨げるのだとお説きです。究極のところは、死んだらどうなるかわからない・・・この部分をクリアすれば、すべては明るく、崩れない幸福が待っているというのです。” この世の幸福 ”” この世とあの世を貫く幸福 ” 。この両輪を持つこそが本当に幸せな人になれるのです。そういう意味では、身内の死を偲ぶ法事は大切な時間ですね。3年前に往生した先代の命日から このようなことを 改めて学ばせていただきました。合掌

最近では 法事での先祖の偲び方も色々です。派遣型の僧侶が流行っているようです。                                  しかし、住職からしたら当たり前のことばかりで、よほど仏縁は得がたいんだと実感します。                                大切なことは、いかに ” この世とあの世を貫く幸福 ” を教えてくれる僧侶と出会えるかですね^^。

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気概

ご無沙汰してます。今月はじめてのブログとなりました。多くの皆様から心配のご連絡をいただき 恐縮しています。今月は 縁のある方、お一人お一人と真剣に向き合ってますと、1日24時間では足りない状態になりましたm(_ _)m

世の中は休養ブームです。アイドルグループ嵐の休養、スシローも従業員の要望に応え 一斉休業するなど、各々が時間を見直す傾向にあります。働き方改革も その風潮かもしれません。しかし 私自身は一週間(7日)のうち3日は西願寺、3日は奉職寺院、1日は琵琶説教の割合で、人の3倍動いています。正直、身体は強くありませんが、これを病気や事故がないことを前提に、休みなく続けています。いつでも心体が空いていることが 当たり前だと思われる存在です(笑)。損得勘定や時間に関係なく、家族を犠牲にしてでも心身を捧げる・・・現代の考えとは逆境しますが、これが住職であり 修行なんだと思います。人々が 高台寺で開発されたアンドロイド観音ではなく、生身の僧侶の説法が聴きたいとおっしゃって下さるのは、この気概の差ではないでしょうか。

イギリス生まれの児童文学作家、アンドリュー・マシューズの言葉が心に響きます。
直線が“最短距離”とはかぎらない。
この地球上においては、何事もスムーズな直線では進まないということです。
時に歩みを止め、
時に逆行しながら進んでいくのです。
潮が満ちてくる時、それは引いては返しながら、
少しずつ進んでいきます。
木の成長過程では、季節によって葉を落としながら、
そのたびに少しずつ縦に大きく伸びていきます。
葉を失い、自然と戦いながら、
木は大きく成長するのです。
ですから地球上の自然現象においては、
後戻りするように見えることも、
実は成長過程の1つの段階なのです。

(『人生の愉しみと成功の5つの決心』 三笠書房)

かっこ付けたことを申しましたが、やはり生身の身体です。できないことだらけです。マシューズ氏のお言葉どおり、本当に成果がでてくるのは 進んでは後戻りし、後戻りしてもあきらめず進み続けた時なんだと思います。少しづつ出来ることをしていきますので、今後とも宜しくお願いしますね^^。合掌

この姿も慣れてくれば、生身の僧侶よりも需要が出てくるかも知れません。
奈良のセント君がそうでした。当初の「気持ち悪い~」からの大人気・・・人の心も移ろいゆくものです。

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時間の使い方

松の内も終わり、本格的な年の始まりです。今年こそ 有意義な時間を過ごそうと思ってましたが、はや1月も終盤です。まさに猪突猛進の日々です・・・(汗)。

けい氏のブログで、気付きの言葉がありましたので ご紹介します。
引退しようとしているある高齢の大工の話を紹介しよう。
この話が私は好きだ。とても大切なことを語っているからだ。
その大工は、もうそろそろ家を建てる仕事をやめて、
妻と一緒にのんびり暮らそうと思った。
雇い主は、個人的な願いとして「もう一軒だけ建ててくれないか」と頼んだ。
大工は承知したが、真剣に仕事をする気はなかった。
粗悪な材料を使い、手を抜いた。
キャリアを積んだ優秀な職人の幕引きにしては、残念な仕事だった。
家は完成した。
点検にやって来た雇い主は、玄関のカギを大工に渡していった。
「この家はあなたの家です。私からのプレゼントです」
大工は、大ショックを受けた。ひどく恥ずかしかった。
自分の家を建てているとわかっていたら…たぶんもっと頑張っただろう。
私たちもこの大工と同じだ。毎日毎日、人生という家を建てている。
だが、建てていることに全力を尽くしていないことが多い。
そしてずっと後になって、自分がつくりあげた人生(建てた家)に
一生住みつづけなくてはならないことを知ってショックを受ける。
もう一度、やり直すことができたら、まったくちがうことをするだろう。
だが、その時はもう、後戻りはできないのだ。あなたに後悔してほしくない。
あなたも私も、大工のことを笑えない。
私たちは人生という一生住みつづける家をつくっているが、
果たして最善を尽くしているか…
「ベストを尽くせ」という言葉は耳にタコができるほど聞かされた言葉かもしれない。
それから「あと、ひと頑張りだ」という言葉も。
でも、もう一度いおう。
いま、取り組んでいることに全力を尽くすと、
思いがけないところから幸運がもたらされることが多い。
もうダメだとか、おしまいだとか思っても、
もうひと頑張りすることが何より大切である。
それをどうか忘れないでほしい。
あと、ひと頑張りだ!もう一歩だ!

(『読むだけで 運がよくなる77の方法』リチャード・カールソン 著 / 浅見帆帆子 訳 /王様文庫より)

自分がしている事は、自分のモノになります。頑張ったら、頑張った分、あなたのモノ。手を抜いたら、手を抜いた分、あなたのモノ。もう辞めるから・・・と言って作った家が、あなたへのプレゼントだったように、全てにおいて、24時間、あなたがしたことが、あなたに返ってきます。あなたはどんな時間の使い方をしますか?タイムイズマネーではなく、タイムイズライフ、時間は命です。

こうしている時間も、あなたの命を使っています。
人の一生を80年として、一日(24時間)× 一年(365)=8760時間
80年×8760時間 =700800(時間)
今月、私は44歳になりますので、誕生日が来たら385440時間になります。上手くいって平均寿命まで生きられたとしても、残りは315360時間。若い若いと言われても、半分は 当の昔に過ぎ去っています。自分は時間を何に使うのか?自分の命を何に使うのか?平成最後の正月です。どの方も変わるには もってこいの節目だと存じます。悔いの無いように頑張りましょうね。合掌

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修正会(平成31年)

新年、明けましておめでとうございます。平成最後の正月になりました。旧年中は ひとかたならぬご尽力をいただき、心より感謝申し上げます。また、本年も 相変わりませぬようお願い申し上げます。今年も元日の10時から修正会を勤め、壇信徒を始め、参拝者の一年のご多幸を祈りました。その時の法話を掲載します。

昨年に引き続いて、得度を受けた息子達が手伝いをしてくれました。彼らも中3と中1。思春期で、和服を着て、人前で声を出すのは恥ずかしいはずですが、素直に座ってくれるだけでも有り難いと思っております。このような土壌ができているのも、ひとえに、壇信徒様の西願寺に対する熱意のお陰だと思って喜んでおります。

さて、今回も新年にあたり、干支の話から入りましょう。今年の干支は何ですか?そう、亥年です。この字で「いのしし」・・・毎年申しておりますが、十二支の運勢でいえば12番目。結びの干支になりますので、一年を12ヶ月で例えると、今年は12月の運勢を表します。つまり12月ですので、育った果実の収穫が終わった後の段階で、春に向け手入れをしている時期が本年であります。ですので、今年は個人の結果を求めるより、今後につながる土壌作りをする時期だとお考え下さいませ。個人の結果よりも土壌作りが優先です。

また、干支の節目と同時に「平成」の終わりでもあります。どんどん新旧の価値観が統合されていきます。新しい流れに対して、どのような態度で臨むかも問われる年でもあり、このような転換期においては、「変えるべきこと」と「変えてはならないこと」を見極めて、取捨選択しなければなりません。亥は鼻がきく動物です。まるで農家の方と 猪との生きる為の知恵比べのような・・・時代に翻弄されない先見性を持たねばなりません。年を重ねれば重ねるほど 難しい舵取りですが、今年は 個人の威厳を保つよりも、今後につながる土壌作りが優先の時期とお考え下さいませ。それが吉の年だと存じます。

ちなみに、昨年の出来事を振り返ってみましょうか。年末に発表された「今年の漢字」。平成30年の世相を一字で表す漢字で選ばれたのは「災」という字でしたね。応募者が選んだ理由として、北海道や大阪府北部の地震、西日本豪雨や台風、記録的猛暑などが挙げられたようであります。まぁ、天候以外にも色々荒れた1年だったように思います。それを「十二支の干支」の運勢で当てはめますと、昨年は戌 (いぬ)年でした。漢字に直すとこうなりますね。「戌」。戌は「忠犬ハチ公」というように、「忠誠を尽くす動物」の象徴であります。


 
ですので、謙虚に忠誠を尽くすというのが吉の年だと 去年の修正会でも申しましたが、実際は忠誠とは真逆の、パワハラ、モラハラ、裏切り等の上下関係のトラブルがマスコミをにぎあわせた印象です・・・日体大のアメフト事件や、大相撲の暴力事件、またボクシング、レスリングや体操界の訴え、受験の不正等々・・・一昔前では絶対的な関係である、先生と生徒、いわゆる師弟関係によるトラブルが世を賑わせていたように思います。これも先程から申している時代の流れであります。地位や名誉、権力を持った方が、良くも悪くも落とされた年でしたね。しかし、誰も得をした印象がありません。

調べてみますと「戌」という字は、「伐採のバツ」という字と「漢数字の一」からなる漢字で、一まとめに断ち切る(一刀両断)・・・そんな意味があるので、驚くべきことが起こるのも無理はありません。「戌」も動物であります。忠誠を尽くすと言っても、本能的にガブッと噛むこともあります。気が緩めば信用が失われ、争いに翻弄される傾向の年でもありました。それが出た年だったのかもしれません。ほら、戌に火や水(氵)がつけば、「滅び」という字になりますよね。この火や水(氵)が「煩悩」に当たるのであります。個人の欲望ですねぇ・・・私の周りでも、この一年、大恩のある所に忠誠を尽くさず 不義理をし続け、その報いがきて泣いてる者もあります。ですので、干支の運勢はあながち間違っていないのです。

まさしく、去年の「災」の字。この自然災害も、温暖化等が影響であってのことであります。つまり(ある意味)人災・・・長年積み重ねた人間の煩悩が巻き起こしたといっても過言ではないと思います。来年から新しい元号になりますが、人類が、あるいは日本が「滅び」ないように、お互い智慧を出し合わねばと思う、今日この頃であります。

話を戻しますと、今年は「亥年」・・・イノシシですね。十二支の一番最後の干支。この「亥」の字で「ためる」という意味があります。「亥」に「樹木の木(大黒柱の木)」という字を足すと「核」の字になります。「亥年」に ” 土壌 ” を耕し、 ” 木 ” を生やすことができれば「核」になる ・・・そういった意味で、今年は本当に「物事の肝」の年であります。

西願寺では、2年後の授戒会に向けて種まきを始める第一歩であります。さらなる12年のサイクルに向け、西願寺の足腰を強化する核となる年であります。授戒会の準備委員会の方々も一生懸命、今後につながる土壌を作って下さってます。お陰様で、80人の定員に近付いて参りました!(拍手)。役員や住職は、猪のように ” 猪突猛進 ” の心でやっています(笑)。どうぞ皆様、若い芽を伸ばす土壌作りをしてやって下さい。明日の西願寺に向けて、大きなご支援、協力を頂ければ幸いであります。その、あたたかいお心添えが、また12年後の節目に、生きてても、死んでても(笑)、良かったなぁ・・・と思える日が、必ず来ることを断言します。有り難いことに、現在の西願寺は 過去(現在進行形)の方々の土壌作りの恩恵を受けて、幸せにやっております!! こういう幸せを噛みしめられるのがお寺なんですねぇ・・・。

これにて、平成31年(亥年の教訓と心構え)の話を終えさせていただきます。ご清聴、誠にありがとうございました。同唱十念

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もらう

本日、奉職寺院の写経会で琵琶説教を行い、本年の説教が終了しました。24人が定員の席数ですが、30名まで増席をし 盛況に終わりました。中には東北の福島県から琵琶説教を聴きに来て下さる方もあり、身の引き締まる思いでした。その後 集まって下さった参詣者の接待をし、昼食を取らず 年末行事の打ち合わせ、お世話になっている方のへの年末挨拶、秋期特別公開の宝物館の片付けをして滋賀に帰り、今、西願寺での仕事です。

ちなみに明日は 午前中に三軒の月参り。昼過ぎに来客。夕方に掃除や礼状書き。晩にも月参り・・・僧侶にクリスマスはありません(笑)。それにプラス、自らの念仏修行や琵琶の稽古もありますが、これはプライベートで仕事に入りません。さらにお葬式があれば、24時間応対します。この一年間、毎日がこのような状態で動いてきました。大学時代の恩師に、西願寺、奉職寺院、琵琶説教の大きな正三角形を作りなさいとご教授いただきましたが、今、うっすら形ができかけてる感じです。

この一年の悟りに通じる言葉がありましたので、ご紹介します。
実は、与えるために
「もらう」という気持ちが必要です。
どんなにたくさん持っていても、
与えつづければいつかはなくなります。
親切にして「あげる」というのでは、
いつかエネルギーがなくなってしまいます。
親切をさせて「もらう」、
掃除をさせて「もらう」と
どんどんエネルギーが増えていき、
疲れることがありません。

(『そのままのあなたが素晴らしい』 田中信生 ダイヤモンド社)

「〜してあげる」、「〜させてもらう」。やっていることは同じでも、気持ちが違うだけで まるで変わってきます。させて ” もらって ” 、仏のみ光を ” いただく ” ・・・それこそが、生きる妙法だということを、今年 学ばせていただきました。皆様、一年間、ありがとうございました。では、明日も早いので 寝させてもらいまーす^^(笑)。合掌

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