人生の後半戦(哲学者ショーペン・ハウアーより学ぶ)

先月、51歳の誕生日を迎えました。
50代という本格的な「人生の後半戦」に入り、驚いていることがあります。それは、いつの間にか自分を取り巻く景色が変わってしまったことです。

気づけば周囲は年下が多くなり、知らぬ間に 気を使われる立場になっていました。自分の何気ない一言が重く受け止められ、発言に注意を払わねばならない場面も増えました。また、親世代や先輩方の衰えを目の当たりにする中で、自分の「人生の残り時間」を否応なしに意識させられます。

40代までは「自分の顔に責任を持て」と言われますが、50代は「自分の抱える苦しみにどう責任を持つか」が問われている。そんな気がしてなりません。

そんな中で、最近改めて読み返しているのが哲学者ショーペン・ハウアーの言葉です。彼は「人生は苦悩に満ちている。生きることは苦しみそのものである」と説きました。これは仏教と同じ視点です。

ドイツの哲学者 ショーペン・ハウワー

私たちは、つい「苦しみ」を何か特別な不幸のように捉えてしまいます。しかし、彼は「この世は苦しみが土台であるので、快楽を求めると かえって不幸な状態になる。幸せとは『苦痛を取り除いた状態』である」と言い切りました。

つまり「幸せにならなければならない」「もっと評価されなければならない」と求める心こそが、実は自分を苦しめている正体なのです。

50代になった今、私が目指したいのは 「何かを積み上げること」ではなく「苦しみを取り除くこと」です。

「こうあるべきだ」というプライドや、他人の目を気にする執着。そうしたものを一つずつ手放していく(=求めない)ことが、結果として心から重荷を取り除き、穏やかな境地へと導いてくれます。

「求めない」ということは、諦めることではありません。余計な執着を削ぎ落として、自分を楽にしてあげるための、前向きな「練習」なのです。

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これからは、自分を飾り立てる時期ではなく、身軽になる時期と考えます。住職という立場にあっても、一人の人間として、この「求めない練習」を続けていきたいと思っています。人生の後半戦、できるだけ荷物を軽くして、軽やかに歩んでいきたいものです。合掌

追伸
今年のブログは 自戒を込め、哲学者ショーペン・ハウアーの言葉を元に、いくつかのステップに分けて記せればと思っています。

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