「もらう」ことの尊さ

新年度になりました。読者も様々な環境になっておられることと存じます。ご自愛下さいませ。年度末、アルス・シムラの生徒さんから袈裟(けさ)の布施がありました。ご存じ、アルス・シムラは人間国宝・志村ふくみ師と志村洋子先生が開講する染織の芸術学院です。ちょうど奉職寺院が志村家の菩提寺となりますので、新年度の研修で 全生徒が参拝されるのです。その際、ふくみ先生と同郷(近江八幡)ということで、いつも私が案内させてもらいます。昨年の案内時、北陸出身の生徒さんから 私の着けていた ” 袈裟 ” について質問がありました。次のように答えた記憶があります。

「昔、インドでお釈迦さまが説法を行っておられた頃のこと。お坊さまたちは、仏教を人々に説いて廻っていました。当時、自分で生産活動を行ってはいないお坊さまは、衣食を人々の施しによってまかなっていました。ある日、いつものように説法をして各家々を廻っていたときのこと。ある貧しい家で、「たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。しかし ご覧の通り、私の家は貧乏で、お坊さまにあげる物は何一つありません。差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです。このような物でもよければ・・・」お坊さまは ありがたく、汚れて黄色くなっている布をもらいました。そして その布を寄せ集め、つぎはぎして衣を作って着たのです。これが「袈裟」の起源と云われます。それを証拠に、袈裟の基本色は黄土色で、小さな布をつぎはぎした模様でできているのです。また袈裟の名称は「カーシャ(汚れた布)」からきています。最後に・・・お坊様に施しをすることを布施(ふせ)と言いますよね。漢字にすると「布を施す」と書きます・・・わかりますか? そう、この逸話が「布施」の起源なんです・・・誠心誠意、おしめ(布)を差し出した … ここから、心を込めてお坊さまに施しをすることを ” 布施 ” と云うのです」

この話を聞いた生徒さんが、「卒業時に袈裟を布施させて下さい!」とおっしゃいました。それが卒業前日に実現したのです。奉職寺院にはお釈迦さまが祀られいます。その前を2年間、手を合わせてから 近くの工房へ通い詰められた生徒さん達が、袈裟を奉納されたのです。これこそが ” 真の布施 ” だと思いました。

仏縁に感謝!

仏縁に感謝!

袈裟の模様は 田んぼのあぜ道をあらわします。五穀が生ずるが如く、布施の功徳が花咲くよう、着けさせてもらいます。

袈裟の模様は 田んぼのあぜ道をあらわします。    一コマ一コマに各生徒さんの努力の結晶が詰め    込まれています。五穀が生ずるが如く、布施の    功徳が花咲くよう、着けさせてもらいます。

最後に田中信生氏の言葉をご紹介して、今回のブログを閉じます。
実は、与えるために「もらう」という気持ちが必要です。どんなにたくさん持っていても、与えつづければいつかはなくなります。親切にして「あげる」というのでは、いつかエネルギーがなくなってしまいます。親切をさせて「もらう」、掃除をさせて「もらう」と どんどんエネルギーが増えていき、疲れることがありません。(『そのままのあなたが素晴らしい』 ダイヤモンド社)

「~してあげる」ではなく、物事に「もらう」という気持ちを付けると 喜びが無限に膨らむのではないでしょうか。「何事も、させて” もらう ” 」。この気持ちが ” 布施 ” につながります。平成28年度ご卒業の7名の皆様、ありがとうございました。大切に功徳を積ましてもらいます。新年度からの 益々のご活躍を祈念いたします。合掌

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東日本大震災追悼法要(平成29年)

3月11日、東日本大震災追悼法要を勤めました。震災から丸6年。仏教でいうところの七回忌に当たります。国民の関心が薄れつつある中、協力や援助が形骸化してきた今日この頃です。被災地では 震災での傷も癒えぬまま、具体的な方向性を決めねばならない時期にさしかかっています。宮城県石巻市・大川小学校の保存議論は その一例ではないでしょうか。たしかに命を落とされた場所が観光地になれば、被災者や遺族はたまりません。そのような繊細な部分(ジレンマ)に、宗教がお役に立てればと思っています。

震災被災者(ちさと様)の遺骨を納める骨佛。台座には15000名余の震災被災者の芳名を手書きで納めています。

震災被災者(ちさと様)の遺骨を納める骨佛。台座には15000名余の震災被災者の芳名を手書きで納めています。

住職になると 様々な光景を目にします。最愛の親兄弟、子供を亡くされた方、自殺や不慮の事故での急な別れ … 皆さんの悲しみに寄り添うのが僧侶の役割です。そして その苦しみを転じ、悦びに向けていくため、粘り強く法を説き続け 時間を待ちます。幸福になりたいという念いは同じでも、これがなかなか難しいのです。相手の人生哲学を受け入れつつ、自然に、自然に・・・ ” リピートに耐える ” ・・・これは 今 流行の派遣坊主ではわかりません。生意気なことをいえば、住職でなければわからない心境です。

ダニエル・T・ドルービン氏のお言葉です。
人にはそれぞれ歴史がある。現在に至るまでの人生を、そして今の自分という存在を作ってきた物語だ。さまざまな偶然と出来事を経験した末に、あなたは今この状態にいる。今の状況にあなたを運んできた過去の出来事を変えることはできない。だが、未来は変えることができる。これまでの人生は面白く、エキサイティングで、やりがいあるものだったろうか。それとも重苦しいだけの人生だったろうか。どちらにしても、未来の物語はこれから書かれる。あなたの未来は、今この瞬間からはじまる。大事なのはここから何をするかだ。ここをスタート地点として、よりよい人生が始まる、限りないチャンスとすばらしい経験にあふれる人生が始まると思えばいい。(『腐ったバナナを捨てる法』 サンマーク出版)

どんな状況でも ここがスタート地点です。しかし、積み重ねの心がないとブレていきます。この法要は イベントや自己実現のためにしているのではありません。・・・念いが形骸化せぬよう、初心を忘れない ・・・この感覚が、被災者への何よりの供養だと思います。今年もありがとうございました。合掌

今年もお気楽さんによる、ハーモニカ演奏を奉納いただきました。その他、里田昭美様ご一行による牡丹餅、巽哲男家による飴の供養等、皆様のお心が込った法要でした。

今年も お気楽さんによるハーモニカ演奏を奉納いただきました。その他、里田昭美様御一行による牡丹餅、巽哲男家による飴、吉川一子様のミカンの供養等々、皆様のお心が込った法要になりました。

愛知、大阪、京都、滋賀から50数名の参拝者がありました。檀家以外で、宣伝もなく法要にこれだけの方々に参詣いただけるのは嬉しいものです。骨佛に納骨の諸精霊も” 生きた永代供養” に大層お喜びだと自負しています。

今回は 愛知、大阪、京都、滋賀から50数名の参拝者がありました。檀家以外で、これだけの方々に ご参詣いただけるのは西願寺の強みです。しきたりに拘らず、様々な方々が詣れる環境を作っていますので、檀家の皆さん(特に若い方)も是非ご活用下さいませ。

住職からは、法要後の琵琶説教、樒によるお清め、お札の授与をさせて頂きました。

施主の住職からは、法要後の琵琶説教、樒によるお清め、お札の授与をさせていただきました。多くの御参拝に感謝申し上げます。骨佛に納まる諸精霊も” 生きた永代供養” に大層お喜びだと自負しています。

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先師 一周忌法要

先日、先師の一周忌法要を檀信徒に勤めていただきました。あの大雪が降る葬式から1年 … 月日の早さを感じます。また 祖母の17回忌も併修していただきました。祖父母は今の西願寺の礎を築いた先祖です。葬儀委員関係者を始め、有縁の皆様、本当にありがとうございました。

通夜、葬儀の時は大雪でした。

通夜、葬儀の時は大雪でした

以下は 挨拶で述べた内容です。
(前略)… 遺品整理をしてますと、先代の写真が出てきました。幼い時の満面の笑み、学生時代の得意げな顔、背広を着た凜々しい姿、私を抱く父としての顔、僧服を着けた緊張の面持ち、孫を抱く 目尻が下がった祖父としての笑顔・・・等々、だんだん年老いく父の姿が残っていました。私にとっては生まれた時から ” 親 ” という存在ですが、息子の私と同じように年を取り、その時代 年代に苦労してきたと思うと、妙な親近感が湧いてきました。子を持って初めて分かりますが、完璧な状態で親になることはありません。未熟なまま、試行錯誤を繰り返し 育ててくれたと思うと、ただただ涙の出る思いです。

親を亡くし、人生について考えることが増えました。 我が半生を振り返ると、人の命は アッという間だなぁ と感じます。若造と言われてる私でも、20年もしないうちに ” 定年 ” という言葉がのし掛かります。恐ろしいものです。そんな限られた時間の中、我々は親先祖にどんな恩返しができるのでしょうか。それは ” 追善の念仏 ” しかないと思います。つまり 各人の信仰生活とは別に、お葬式をしっかり挙げさせていただくこと。また 節目に先祖の法事を開かせていただくこと … このことに尽きると思います。確かに法事ごとは、神経をすり減らし、時間を割かれ、財産のほとんどを持っていかれ … そんな思いをしても、褒めてもらうことなんかありません。よくわかります(笑)。しかし、子に注いでくれた親の愛情はこんなものではありません。信念を持って法事を勤めることが、生きる我が身の教えなのだと思います。それが先人の智慧であります。

最近は、親が率先して冠婚葬祭を省略し、子供に伝えていかない傾向にあります。これは 永い目で見れば、痛恨の極みです。取り返しがつかない行為であります。~ 世の人々が恩を忘れた生活をすれば 人類は滅ぶ ~ といいます。みんなが御恩を忘れ、目先の楽を求め、損得感情で動けば、それこそ お家(先祖や子孫、自らの存在)は滅ぶことでしょう。少々の財産を残しても、子供は感謝することなく、贅沢に使うことしかしません。親先祖の苦労を伝えてない環境なんですから … 。さすれば、どうか人生の先輩として、” 物の財産 ” より ” 心の財産 ” を残して下さい。 家族親族と共に 法事を勤める気概を持って下さい。お寺を護る気迫を教えて下さい。そこから 檀信徒を信仰の道に誘うのが住職の役割です。その双方の信念が 我々の生きた証となり、幸福の第一歩に繋がると確信します。

最後に、先代が よく法話で使っていた法然上人のお言葉を紹介して 終わりにします。
「念仏することは ひとえに わが父母の養いたてたればこそあれ」
【私達が 人間として生まれ、大きく育てて頂き、念仏を申すようになれたのも、すべて両親(先祖)の御恩です】

人間は勝手に手を合わす人格を養うことができません。親の姿を見て育つものであります。この一年で このようなことを学ばせて頂きました。先祖か懸命に護り続けて下さった西願寺が 更なる興隆していくよう、皆様と共に精進していきたいと存じます。本日は誠にありがとうございました。合掌  遺弟 三十一世・昭憲

先人の知恵は大事にしたいものです。頭からの否定ではなく、受け入れてからの判断が大切ではないでしょうか。

先人の知恵は大事にしたいものです。                  若者は 頭からの否定ではなく、受け入れて     からの判断が大切ではないでしょうか。

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ブログが丸5年を迎えました

今回で このブログ、『平成方丈記』が丸5年を迎えました。思えば、東日本大震災の被災者から ご家族の遺骨を預かり、骨佛を造立してからのスタートでした。パソコンに疎い私が、皆様の力を借りながらホームページを立ち上げたことが昨日のように感じます。あの震災で学びました・・人生は諸行無常・・毎回、遺言のつもりで記しています。

鴨長明は晩年、山奥で一人暮らしをし、諸行無常を見つめておられました。

『方丈記』の筆者・鴨長明は晩年、山奥で一人     暮らしをし、諸行無常を見つめておられました。   執筆が、彼を孤独から護ったものと存じます。

アナログな私は、いつもインターネットで「西願寺」を検索してからログインし、ブログを書いています。初期の頃は10ページ目くらいからの始まりでした。ホームページを探すのに一苦労でしたが、3年ほどたつと「西願寺」の中でトップに出てくるようになり、最近ですと「近江八幡 寺」で1ページ目に出てくるようです。” 継続は力 ” だと感じる今日この頃です。

当初は 檀信徒とのコミュニケーションのつもりで始めましたが、実は、檀家で読んで下さる方は ほとんどいません。興味もなさそうですし、あえて宣伝もしてません(笑)。また、いつも琵琶説教で集まって下さる熱心な方々でも 読んでおられる人は皆無のようです(汗)。それでも続ける理由は、” 話す(記す) ” ことによって、心が整理され、物事の兆しを感じやすくなったからです。僧侶は 私的な本心を語れる場がありません。ですから、本来の自分を取り戻すためにやっているのかもしれません。コメントを求めないのもそのためです。ポピュリズムにもなりたくありません。ただ、知らない方でもいいので、話せるということは幸せだなぁ … と感じるのが 正直な気持ちです。

武藤 清栄氏のお言葉です。
まわりをざっと見回して、話を聞いてくれる人が見当たらないときには、いっそ植物やペットにでも話しかけるとよい。相手が動物や植物であっても、ちゃんと心をもった聞き手とみなして真剣に話すと、話し終わったあとに不思議とさっぱりするものなのだ。身の回りにあるモノや動物を「聞き手」にするコツは、ひたすらその気になること。「こんなのばかばかしい」と思ったり、「何も答えてくれるワケじゃないのに」などと冷静になってはいけない。「話す」は「離す」「放す」に通ずる。臨床心理学の立場から言えば、言葉に出して話すということは、心を開け放ち、たまっていた怒り、憎しみ、悲しみを体から離すという意味合いも含んでいる。相手がアロエであっても、飼っている猫であっても、口に出して話すことの効果は大きい。それは、プロのカウンセラーも認めていることなのだ。(『ひとの話を聞ける人聞けない人』 ベストセラーズ)

近年は 一人暮らしの方や独居老人が増え、日常会話すらない人も多いと聞きます。法事に伺っても、法を説くというより、とにかく話を聞いてあげる場合が多いです。しかし「話す」は「離す」「放す」に通じます。辛いとき、苦しいとき、悲しいとき、何かに話すことが大切です。それは お仏壇に向かって、日頃から南無阿弥陀仏とお唱えする行為と似ているように思います。この5年のブログで、こういったソフトの面を学ばせていただきました。有縁の皆様、いつもお読み頂きありがとうございます。私が救われてます。感謝です。合掌

仏壇の前で手を合わせ、念仏する(話す)ことが、”絶対の幸福”を得る第一歩だと存じます。

仏壇の前で手を合わせ、念仏する(話す)ことが、” 絶対の幸福 ” を得る第一歩だと存じます。

※来月、3月11日(土)13時半より西願寺で、東日本大震災七回忌を勤めます。  ぜひ、お詣り下さいませ。九拝

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人生の坂

門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 【一休禅師】

1月28日で、また一つ年をとりました(汗)。今年の誕生日は、ちょうど旧正月に当たります。昔は、門松を飾る正月が来たら 一つ年をとる ” 数え年 ” が主流でした。現在は 誕生日で年を加える ” 満年齢 ” が常識ですが、一休さんは、正月にしろ 誕生日にしろ、節目を迎えれば、一つ 冥土(あの世)に近づくんだと警告されています。「めでたい、目出度い♪ 」と浮かれてばかりではいけないということですね。「はやく 死後の救い(絶対の幸福)を見付けて、真に めでたい生活を送れ!」と警鐘乱打されています。 

去年は様々なことがありました。人生における根本の苦しみを、仏教では ” 生老病死 ” と説きますが、この ” 四苦 ” が一気にきた年でした。それは 息子達の得度(仏子としての生)、厄年による心身の不調(老)、盲腸での入院(病)、先代の往生(死)・・・得度はめでたいことですが、子供達を その心境にさせるための 産みの苦しみ があります。まさに四苦の一年でした。この節分で本厄を終え ホッとしてますが、ただ 厄を越えたからといって、苦しみのない人生が待っているということは ありません(笑)。

月刊誌『とどろき』(平成28年10月号)に上手く人生を表した文章がありました。
「あなたの生きる目的は?」と聞かれたらどう答えますか。例えば子供なら、学校に通って勉強するとか、友達と遊ぶことだと思っているでしょう。中にはいじめられて、学校に行きたくない、いっそ、「早く卒業したら幸せになれる」と思ってガマンしてる子も少なくないようです。現在、不登校は全国で12万人に上るといわれています。   ” 子供は無邪気 ” ”気楽でいいよな” と大人は思っていますが、子供は子供なりに苦しみ悩みながら生きているのです。

ようやく学校を出て、青年になると、関心は「異性」に向く。勉強、趣味、遊び、どんな時でも、男は好きな女の前ではカッコよくふるまいたくなる。多くの小説やドラマが恋愛をテーマにしてるのも、誰もが、「恋人ができたら幸せになれる」と思っているからでしょう。

適齢期になると、いよいよ「婚活」に力が入る。「結婚したら幸せになれる」と金剛のごとく信じ、気の合う相手も求め、” キミと一緒なら、金も財産も何も要らない ” とのろけてプロポーズ。結婚して子供が生まれれば、今度は育児中心の人生に。母親だけでなく、育児能力の高い父親「イクメン(育児男子)」が最近は増えました。「子供が立派に育ったら幸せになれる」と夫婦で一心にわが子の成長を願い、子育てに手間、ヒマ、お金をかける。教育費のために仕事を励み、マイホームを夢みて今度は、「家が持てたら幸せになれる」と、さらに仕事に熱中していきます。

そうして家族や会社に身をささげて退職。加齢で身体が衰えると、健康維持や病気の快癒に心を砕くようになる。「健康になったら幸せになれる」とリハビリに精を出す。いよいよ最後は、「子孫に財産が遺せたら、オレの人生も意味があったのかな」と、一生を総括しようとする。このように人生が進むにつれ、「生きる目的」と思っているものも変わっていくのです。

人生には色々な「坂」があります

人生には色々な「坂」があります

人生にはいろいろな坂があります。その都度、上り切った満足や安心はありましょうが、喜びは一時のもので、すぐまた新たな坂を、ヨロメキながら上っていかねばなりません。今回迎えた42才は、数え年で 宗祖・法然上人のお悟りの年齢となります。お上人であっても、その後の人生、順風満帆ではありませんでした。しかし、降りかかる法難を悦びに変えられるのです。それは、死後も崩れぬ ” 絶対の幸福 ” の得られたことにあります。結局、人生は苦しみの世界。この世を卒業した時に 救われる教えに出逢えた者が勝ちなのです。私も法然上人に師事して、同じ道を歩ませていただいていることは、何にも代え難いことです。今後も 念仏生活で ” 人生の坂 ” を愉しんで参る所存です。合掌

立教開宗像(粟生光明寺)法然上人43歳の御姿

立教開宗像(粟生光明寺)          法然上人43歳の御姿

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西願寺の修正会

元旦10時に修正会(しゅしょうえ)を勤めました。この法要は、社会の平和と人々の幸福を祈る行事です。無事 新年を迎えられたことをご本尊に感謝し、 この一年 すこやかに過ごせることを願い、多くの方が参られました。

老若男女問わず、和気あいあいの修正会

儀式や法話を合わせても30分程ですので、     子連れの方も安心して参られます。         その後のお酒やお茶接待は自由参加です。

儀式や法話で30分程ですので、子連れの方も多く参られます。

住職は ” 形式的な挨拶 ” ではなく、         きっちり ” 法話 ” をしています!!          今年は「酉年の心構え」

正月に「ジャパネットたかた」のテレビショッピングを見ました。興味がそそられる語り口調に感銘を受けましたので、私もマネして 修正会を紹介したいと思います(笑)。

お待たせいたしましたー! 平成29年を幸せに暮らしたいと思う そこの あ・な・た!  今日は とっておきの情報を教えちゃいますよ~~。                      この西願寺の修正会に参れば、今年も幸せに過ごせること間違いなしっ!          住職からお清めが受けられて、お守りが貰えちゃうチャンスは、この時だけなのですー!

昨年の古いお守りを返納してもらい、新しいお守りを授与。そしてお清めです。

昨年の古いお守りを返納してもらい、          新しいお守りを授与。そしてお清めです。

「でも お布施が高いんじゃないの~ 」とお悩みのあ・な・た!・・・ご安心ください、日頃のご奉仕に感謝して、参加費はなし!。驚きのプライスレス  (゜Д゜)!。

さぁ、今回だけのこのチャンス!どうぞお見逃しなくー♪

さ・ら・に!・・・今年も何とか間に合いました。西願寺院代の菊田水月尼より、手摺り版画の授与がありました♪。一枚一枚 心を込めて 刷られた版画は、水月尼の真心の体現!これは檀家限定30枚でお願いします。                      どうです?ここまでくれば「西願寺の檀家でよかった~!」と ならないでしょうか~?ぜひ、元旦10時は 西願寺にお詣りくださいませ~~。

冗談が過ぎましたm(._.)m・・・今後も 老若男女、楽しくお詣りして下さることを切望します^^。いたずらに 寺離れ をうながす時代ですが、こういう ” 心の拠り所 ” があるんだと思っていただければ幸いです。そこで今回 お伝えしたいのが、先程ご紹介した 版画の お言葉です。

有縁の方は、仏壇の前に飾り、一年の指針とされてます。

有縁の方は 仏壇の前に飾り、     一年の指針と されてます。             

これは 柳 宗悦(やなぎ そうえつ)『心偈(こころうた)』の一節です。      「ドコトテ 御手(みて)ノ 真中(マナカ)ナル」
どこにいても、どんな時でも、私もあなたも御手の中心にあるのです。すみっこということはありません。どんな辛いときでも仏の慈悲に包まれている。だから、安心した日暮らしができるのです。それが信仰です。

今年も皆様が 安心の中、仏の慈悲に包まれることをお祈り申し上げます。合掌

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酉年の心構え

新年になりました。本年も宜しくお願いします。平成29年は酉(とり)年です。十二支の運勢でいえば、10番目の干支になりますので、一年を12ヶ月でたとえると10月をあらわします。つまり秋の季節。草木が成熟から収穫の段階へと移行していく運勢とされ、形となって 良くも悪くも 今までの成果が出る年となります。

ちなみに昨年は申(さる)年。「申」という字は ” 稲妻 ” を表した象形文字で、稲妻は空をふたつに割ることから、吉凶が分かれ 流動的になりやすい年でした。また9月(9番目の干支)は台風シーズンで、天候の荒れやすい時期です。その通り 国政では、安保をはじめ、意見が分かれる重要法案が目白押しの年でした。また天皇陛下の生前退位のお気持ち。首都・東京では、都知事の資質や オリンピック関連で賛否が入り混じり、芸能界では 国民的アイドルのSMAPに亀裂が入り、解散するという事態がありました。

世界の情勢を見ても、イギリスでは 国民投票による僅差のEU離脱。アメリカ大統領戦では まさかのトランプ氏当選。韓国大統領のスキャンダルによる大規模なデモ。ロシアとの北方領土 二等分計画 等々を見ても、真っ二つに割れる 大荒れの一年でした。

さらに、猿(申)は 木から木へコロコロ移り変わる習性から、” 心変わりの年 ” とされます。世間では 週刊誌による暴露ブームでありました(汗)。不倫した芸能人や薬物使用をした人が 会見を開く様子を多く見た気がします。あながち干支は、世相を表す鏡なのかもしれません。

稲妻(申)は、空をふたつに割ることから、吉凶が分かれる年を云います。

稲妻(申)は、空をふたつに割ることから、吉凶が分かれる年を云います。

申(さる)年は、煩悩から離れることが吉。三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」

申(さる)年は、煩悩から離れることが吉。     三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」

話を酉年に戻しましょう。「酉」という字は ” 酒つぼ ” を表します。確かに酉に氵(さんずい)で酒になります。入れ物を象徴する年ですが、どのように満たすかは 皆様次第です。そのコツは、朝、必ず決まった時間に鳴く、鶏(にわとり)に習えと言います。 もともと鶏は、「時」を知るために飼われていたというくらいです。物事の ” 兆し ” (気配)に敏感になり、先回りして 人の気持ちを汲める方が吉と出ています。

自分と他人の仲を円滑するのはもちろんですが、周囲を円満にする気配りは大吉です。 ” 犬猿の仲 ” という言葉がありますが、元々仲の悪かった猿と犬の間に入って喧嘩の仲裁をしたのが「とり」だと云います。確かに おとぎ話の『桃太郎』に出てくるお供は、犬、猿、キジ(鳥)でした。[※ちなみに鶏はキジ科にあたります]

十二支に当てはめれば、去年は申(さる)で 来年は戌(いぬ)。猿と犬の間にいるのが鳥で、まさしく 仲を「とりもつ」と 功徳が貯まる年なのです。どうぞ、よき縁を「とりこみ」、酉(酒つぼ)に功徳が満たされ、皆様が幸せに過ごされることをお祈り申し上げます。合掌

酉の字は、もともと「酒つぼ」を表します。

酉の字は、もともと「酒つぼ」を表します。

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美しさで判断する感性

本年 最後のブログとなりました。今年は色々な事が起き、人生の分岐点だった気がします。西願寺では 先代が往生し、舵取りが求められる一年でした。私的な問題なら自分で決められますが、公的な立場になれば そうはいきません。様々な人に助言を求めると、十人十色の回答が出てきます。大きな問題になればなるほど、袋小路に迷い込むことが多々ありました。

そんな時、指針にしたのは、 ” 正しさ ” ではなく ” 美しさ ” でした。かっこよくいえば、 ” 美しさで判断する感性 ” を持って進むことにしたのです。別の言葉に直すと ” 粋 ” と言えばいいでしょうか。気まぐれで動かないことを前提に、損得抜きの自己満足に徹しました。なかなか真意をわかってもらえない孤独はありますが、それでいいんです。粋は さっぱりとしたものです♪。この やせ我慢に 妙な快感を覚えました(笑)。神仏は見てござる・・・・粋ですねぇ。

ひすいこたろう氏の体験談です。
以前、熊本の幣立神宮で正式参拝をさせてもらったときに、神主さんがこんな話をしてくれました。「日本人が大事にしてきた叡智である『神道』には、あるものがないんです。他の宗教だったら考えられない、決定的なものがない。なんだと思いますか?」なんだと思いますか?「教えがない」んだそうです。教えがない宗教なんて、他に考えられます?でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。地獄がないから、誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない(笑)。そう、宗教じゃないんです。「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」神主さんの話にはまだ続きがありました。「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」これが答えでした。「その行為は美しいのか?」これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。(『なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?』 ひすいこたろう 著 滝本洋平 著 A-Works)

人生は損得の計算をすることが必要で、みな自分が得するように動くものです。しかし、得するための言動、損を回避するための 偏った言動は 美しくありません。 粋とは 損得勘定よりも、自分の言動の美しさを優先する価値体系です。そんな中、今やってることが将来の人々の為になってると思えれば、人生は より楽しいものになるはずです。みんな「自分が正しく、相手は間違っている」と思ってます。正しいか間違っているかで判断しようとするからケンカになるのです。美しいか、美しくないか・・・老若男女を超えて、生き様の美しさを魅せ合うようになれれば素敵だと思います。そんなことを学んだ一年でした。皆様、お世話になりました。よいお年を。合掌

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究極のプライベート

先日、ある お宅を訪問しました。この家には 霊験あらたかな弁財天が祀られおり、パワーが欲しい時に 詣らせていただいてます。拝観はされてませんので、普段は 老夫婦しか居られないんですが、読経の途中、背後にただならぬ気配を感じ 振り返ると、若い僧侶が座っていました。その方も プライベートで弁財天を詣りに来られたようで、後で話をすると、比叡山の 光永圓道(みつなが えんどう)大阿闍梨だとわかりました。

光永圓道 大阿闍梨

光永圓道 大阿闍梨

大阿闍梨(だいあじゃり)とは、随一の荒行として知られる千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を満行された行者のことです。修行内容は、比叡山の峰や谷を7年かけて計1千日巡り、礼拝をし続けます。山川草木などあらゆるものに仏の姿を感じながら歩く距離は 地球1周分(約4万キロ)と言われ、修行を始めてから700日を超えると9日間、食事や水、睡眠を断って 不動真言を10万回唱える「堂入り」の行が課されます。その後は山中だけでなく、京都市内でも礼拝をします。満行すると、行者は大阿闍梨と称され、土足で宮中に参内することが許されます。いったん行に入ったならば、決して途中で止めることができないという掟があり、もし途中で止める場合は 短刀で腹を掻き切るか、紐で首をくくり、命を絶たなければならないと云われます・・・戦後12人目の大阿闍梨が背後に居られるわけですから、ただならぬオーラを感じるわけですね(汗)。

お加持を受ける信者  阿闍梨は「生き身の不動明王」と称されます

お加持を受ける信者             阿闍梨は「生き身の不動明王」と称されます

光永阿闍梨は、私と同じ年です。出していただいた珈琲を味わいながら 一時間ほど対話しました。印象は、頭の回転が速い方だと感じました。何事にも前向き(強気)で、懐まで相手の言葉を受けず、自らの30センチ手前で説法されるイメージです。とにかく相づちが速いんです(笑)。私とは真逆・・・私は相手の言葉を受け入れ、その方の口から真理を引き出すイメージで法を説いてます。修行を専門にされてる僧侶と、一般の方々と暮らしている僧侶の違いかも知れません。縁が広がり、魔に憑かれることなく生きていくためには、それくらいの距離感でなければ、心身が保てないんだと思います。大変勉強になりました。

それにしても プライベートで 同じ場所を同時刻に参るというのは、すごい確率です。袖振り合うも多生の縁・・・弁財天様が引き合わせて下さったと感謝しています。前回も申しましたが、偶然とは「然るべくして人と禺う」です。仏道は ” 仏と仏のみが知る世界 ” に生きることです。立場は違えど 切磋琢磨しながら教化できればと思いました。合掌

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秀次談義

11月15日、琵琶説教の復帰として、地元 近江八幡で 豊臣秀次公の物語を語らせていただきました。本来 11月1日に開く予定でしたが、手術のため、泣く泣く延期の運びとなったのです。担当役員の皆様、そして、楽しみにして下さった方々には 多大なご迷惑をお掛けしましたが、無事に勤められ安堵しています。

講演会場の旧西川家住宅

講演会場の旧西川家住宅

旧西川家住宅 入口

旧西川家住宅 入口

旧西川家住宅 内観

旧西川家住宅 内観

今回の延期公演は、奉職寺院での休み(火曜日)に合わせて 15日になった訳ですが、丁度、秀次公の月命日に当たりました【 文禄4年7月15日寂 】。また(講演中に思い出したのですが)披露した『秀次物語』は、平成19年11月15日に完成し、秀次公の墓(京都・木屋町三条の瑞泉寺)に楽譜を奉納をさせていただいてたのです。あれから 丁度9年。” たまたま ” といえば それまでですが、偶然とは「然(しか)るべくして、人と禺(あ)う」と書きます。急性垂炎も意味があったんだなぁ・・・と良い方向に考えたいと思います。(今回 参れなかった御寺院さまには、次回があれば 懸命に勤めさせていただきますm(._.)m)

多くの方にお集まり下さいました

多くの方にお集まり下さいました

講演内容は、前に用意した原稿を すべて作り替えました。今回 ” 切腹(手術)” した体験から(笑)、” 人の死 ” ということに焦点を置き、辞世の句【人生の最期に残した おもい】の比較から、秀次公の偉大さをお伝えしました。

石田三成公の辞世の句(「真田丸」では 山本耕史さんが演じた武将)
「筑摩江(つくまえ)や  芦間(あしま)に灯(と)す かがり火と  ともに消えゆく 我が身なりけり」
筑摩江(現在の米原)の辺りで、三成公が処刑される前に、「ああ、あの芦(あし)の間に燃えているかがり火が やがて消えていくように、自分の命も もうすぐ潰えてしまうのだな」と、死に際に半分のあきらめと 半分の覚悟のこもった詩だと云われます。

天下人、太閤・豊臣秀吉公の辞世の句
「露(つゆ)とおち 露と消えにし わが身かな 難波(なにわ)のことも 夢のまた夢」
天下を統一した、関白になった、大坂城を造り、聚楽第を築いた、金と女にたわむれて遊びまくった … 今から思えば、「朝露(あさつゆ)」が消えるような、アッという間の一生だったなぁ。わしが作った「難波(なにわ)の帝国」も夢の中で夢を見ているような、儚いものであったことよ … と、死の前に泣いておられます。
 
豊臣秀次公の辞世の句(諸説あり)
「月花(つきばな)を 心のままに見つくしぬ なにか浮き世に 思い残さむ」
天に浮かぶ月も、地に咲く花も、心のまま、隅々にまで見尽くした。もうこれで、この世に思い残すことは何もない。

このお三方を比べても、秀次公の精神性の高さがうかがえます。皆、無念の思いがあるのは確かですが、石田三成公は、心の半分はこの世に執着を残され、秀吉公に至っては、死にたくないモードが全開です。秀次公は、無念は変わりませんが、素晴らしい死生観がうかがえます。仏教では、この世とあの世を貫いてまでが ” 人生 ” であり、生前の地位や名誉、財産、権力だけでは評価しません。

元気なうちは、” 死生観(死と向き合う生き方)” は持ちにくく、ダラダラと過ごしがちです。現代人は 限りある命にも関わらず、「何かを残す!」という意気込みではなく、平均寿命まで「生きるために生きる」という感覚ではないでしょうか。だから不安しかないんです。この世は 諸行無常・・・何事も ” たまたま ” ということはなく、「然るべくして、人と禺う」であり、すべては意味があるもの(日々の積み重ねの結果)だと思います。然るべくして偶う・・・後悔しないためには、日々を無駄にしない ” おもい ” が大切です。単純ですが これが真理であり、秀次公からのメッセージだと存じます。合掌

特別展 豊臣秀次公                                                          18才の わずか5年の在城で、現在の近江八幡の礎を築かれた                                                                             秀次公の<strong>” 込めたおもい ”</strong> を感じていただければと存じます。                                                               平成29年1月20日まで催されます

特別展 豊臣秀次公                                                          18才の わずか5年の在城で、現在の近江八幡の礎を築かれた秀次公の ” おもい ” を感じてください。                                                               平成29年1月20日まで催されます

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