西願寺の修正会

元旦10時に修正会(しゅしょうえ)を勤めました。この法要は、社会の平和と人々の幸福を祈る行事です。無事 新年を迎えられたことをご本尊に感謝し、 この一年 すこやかに過ごせることを願い、多くの方が参られました。

老若男女問わず、和気あいあいの修正会

儀式や法話を合わせても30分程ですので、     子連れの方も安心して参られます。         その後のお酒やお茶接待は自由参加です。

儀式や法話で30分程ですので、子連れの方も多く参られます。

住職は ” 形式的な挨拶 ” ではなく、         きっちり ” 法話 ” をしています!!          今年は「酉年の心構え」

正月に「ジャパネットたかた」のテレビショッピングを見ました。興味がそそられる語り口調に感銘を受けましたので、私もマネして 修正会を紹介したいと思います(笑)。

お待たせいたしましたー! 平成29年を幸せに暮らしたいと思う そこの あ・な・た!  今日は とっておきの情報を教えちゃいますよ~~。                      この西願寺の修正会に参れば、今年も幸せに過ごせること間違いなしっ!          住職からお清めが受けられて、お守りが貰えちゃうチャンスは、この時だけなのですー!

昨年の古いお守りを返納してもらい、新しいお守りを授与。そしてお清めです。

昨年の古いお守りを返納してもらい、          新しいお守りを授与。そしてお清めです。

「でも お布施が高いんじゃないの~ 」とお悩みのあ・な・た!・・・ご安心ください、日頃のご奉仕に感謝して、参加費はなし!。驚きのプライスレス  (゜Д゜)!。

さぁ、今回だけのこのチャンス!どうぞお見逃しなくー♪

さ・ら・に!・・・今年も何とか間に合いました。西願寺院代の菊田水月尼より、手摺り版画の授与がありました♪。一枚一枚 心を込めて 刷られた版画は、水月尼の真心の体現!これは檀家限定30枚でお願いします。                      どうです?ここまでくれば「西願寺の檀家でよかった~!」と ならないでしょうか~?ぜひ、元旦10時は 西願寺にお詣りくださいませ~~。

冗談が過ぎましたm(._.)m・・・今後も 老若男女、楽しくお詣りして下さることを切望します^^。いたずらに 寺離れ をうながす時代ですが、こういう ” 心の拠り所 ” があるんだと思っていただければ幸いです。そこで今回 お伝えしたいのが、先程ご紹介した 版画の お言葉です。

有縁の方は、仏壇の前に飾り、一年の指針とされてます。

有縁の方は 仏壇の前に飾り、     一年の指針と されてます。             

これは 柳 宗悦(やなぎ そうえつ)『心偈(こころうた)』の一節です。      「ドコトテ 御手(みて)ノ 真中(マナカ)ナル」
どこにいても、どんな時でも、私もあなたも御手の中心にあるのです。すみっこということはありません。どんな辛いときでも仏の慈悲に包まれている。だから、安心した日暮らしができるのです。それが信仰です。

今年も皆様が 安心の中、仏の慈悲に包まれることをお祈り申し上げます。合掌

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酉年の心構え

新年になりました。本年も宜しくお願いします。平成29年は酉(とり)年です。十二支の運勢でいえば、10番目の干支になりますので、一年を12ヶ月でたとえると10月をあらわします。つまり秋の季節。草木が成熟から収穫の段階へと移行していく運勢とされ、形となって 良くも悪くも 今までの成果が出る年となります。

ちなみに昨年は申(さる)年。「申」という字は ” 稲妻 ” を表した象形文字で、稲妻は空をふたつに割ることから、吉凶が分かれ 流動的になりやすい年でした。また9月(9番目の干支)は台風シーズンで、天候の荒れやすい時期です。その通り 国政では、安保をはじめ、意見が分かれる重要法案が目白押しの年でした。また天皇陛下の生前退位のお気持ち。首都・東京では、都知事の資質や オリンピック関連で賛否が入り混じり、芸能界では 国民的アイドルのSMAPに亀裂が入り、解散するという事態がありました。

世界の情勢を見ても、イギリスでは 国民投票による僅差のEU離脱。アメリカ大統領戦では まさかのトランプ氏当選。韓国大統領のスキャンダルによる大規模なデモ。ロシアとの北方領土 二等分計画 等々を見ても、真っ二つに割れる 大荒れの一年でした。

さらに、猿(申)は 木から木へコロコロ移り変わる習性から、” 心変わりの年 ” とされます。世間では 週刊誌による暴露ブームでありました(汗)。不倫した芸能人や薬物使用をした人が 会見を開く様子を多く見た気がします。あながち干支は、世相を表す鏡なのかもしれません。

稲妻(申)は、空をふたつに割ることから、吉凶が分かれる年を云います。

稲妻(申)は、空をふたつに割ることから、吉凶が分かれる年を云います。

申(さる)年は、煩悩から離れることが吉。三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」

申(さる)年は、煩悩から離れることが吉。     三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」

話を酉年に戻しましょう。「酉」という字は ” 酒つぼ ” を表します。確かに酉に氵(さんずい)で酒になります。入れ物を象徴する年ですが、どのように満たすかは 皆様次第です。そのコツは、朝、必ず決まった時間に鳴く、鶏(にわとり)に習えと言います。 もともと鶏は、「時」を知るために飼われていたというくらいです。物事の ” 兆し ” (気配)に敏感になり、先回りして 人の気持ちを汲める方が吉と出ています。

自分と他人の仲を円滑するのはもちろんですが、周囲を円満にする気配りは大吉です。 ” 犬猿の仲 ” という言葉がありますが、元々仲の悪かった猿と犬の間に入って喧嘩の仲裁をしたのが「とり」だと云います。確かに おとぎ話の『桃太郎』に出てくるお供は、犬、猿、キジ(鳥)でした。[※ちなみに鶏はキジ科にあたります]

十二支に当てはめれば、去年は申(さる)で 来年は戌(いぬ)。猿と犬の間にいるのが鳥で、まさしく 仲を「とりもつ」と 功徳が貯まる年なのです。どうぞ、よき縁を「とりこみ」、酉(酒つぼ)に功徳が満たされ、皆様が幸せに過ごされることをお祈り申し上げます。合掌

酉の字は、もともと「酒つぼ」を表します。

酉の字は、もともと「酒つぼ」を表します。

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美しさで判断する感性

本年 最後のブログとなりました。今年は色々な事が起き、人生の分岐点だった気がします。西願寺では 先代が往生し、舵取りが求められる一年でした。私的な問題なら自分で決められますが、公的な立場になれば そうはいきません。様々な人に助言を求めると、十人十色の回答が出てきます。大きな問題になればなるほど、袋小路に迷い込むことが多々ありました。

そんな時、指針にしたのは、 ” 正しさ ” ではなく ” 美しさ ” でした。かっこよくいえば、 ” 美しさで判断する感性 ” を持って進むことにしたのです。別の言葉に直すと ” 粋 ” と言えばいいでしょうか。気まぐれで動かないことを前提に、損得抜きの自己満足に徹しました。なかなか真意をわかってもらえない孤独はありますが、それでいいんです。粋は さっぱりとしたものです♪。この やせ我慢に 妙な快感を覚えました(笑)。神仏は見てござる・・・・粋ですねぇ。

ひすいこたろう氏の体験談です。
以前、熊本の幣立神宮で正式参拝をさせてもらったときに、神主さんがこんな話をしてくれました。「日本人が大事にしてきた叡智である『神道』には、あるものがないんです。他の宗教だったら考えられない、決定的なものがない。なんだと思いますか?」なんだと思いますか?「教えがない」んだそうです。教えがない宗教なんて、他に考えられます?でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。地獄がないから、誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない(笑)。そう、宗教じゃないんです。「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」神主さんの話にはまだ続きがありました。「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」これが答えでした。「その行為は美しいのか?」これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。(『なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?』 ひすいこたろう 著 滝本洋平 著 A-Works)

人生は損得の計算をすることが必要で、みな自分が得するように動くものです。しかし、得するための言動、損を回避するための 偏った言動は 美しくありません。 粋とは 損得勘定よりも、自分の言動の美しさを優先する価値体系です。そんな中、今やってることが将来の人々の為になってると思えれば、人生は より楽しいものになるはずです。みんな「自分が正しく、相手は間違っている」と思ってます。正しいか間違っているかで判断しようとするからケンカになるのです。美しいか、美しくないか・・・老若男女を超えて、生き様の美しさを魅せ合うようになれれば素敵だと思います。そんなことを学んだ一年でした。皆様、お世話になりました。よいお年を。合掌

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究極のプライベート

先日、ある お宅を訪問しました。この家には 霊験あらたかな弁財天が祀られおり、パワーが欲しい時に 詣らせていただいてます。拝観はされてませんので、普段は 老夫婦しか居られないんですが、読経の途中、背後にただならぬ気配を感じ 振り返ると、若い僧侶が座っていました。その方も プライベートで弁財天を詣りに来られたようで、後で話をすると、比叡山の 光永圓道(みつなが えんどう)大阿闍梨だとわかりました。

光永圓道 大阿闍梨

光永圓道 大阿闍梨

大阿闍梨(だいあじゃり)とは、随一の荒行として知られる千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を満行された行者のことです。修行内容は、比叡山の峰や谷を7年かけて計1千日巡り、礼拝をし続けます。山川草木などあらゆるものに仏の姿を感じながら歩く距離は 地球1周分(約4万キロ)と言われ、修行を始めてから700日を超えると9日間、食事や水、睡眠を断って 不動真言を10万回唱える「堂入り」の行が課されます。その後は山中だけでなく、京都市内でも礼拝をします。満行すると、行者は大阿闍梨と称され、土足で宮中に参内することが許されます。いったん行に入ったならば、決して途中で止めることができないという掟があり、もし途中で止める場合は 短刀で腹を掻き切るか、紐で首をくくり、命を絶たなければならないと云われます・・・戦後12人目の大阿闍梨が背後に居られるわけですから、ただならぬオーラを感じるわけですね(汗)。

お加持を受ける信者  阿闍梨は「生き身の不動明王」と称されます

お加持を受ける信者             阿闍梨は「生き身の不動明王」と称されます

光永阿闍梨は、私と同じ年です。出していただいた珈琲を味わいながら 一時間ほど対話しました。印象は、頭の回転が速い方だと感じました。何事にも前向き(強気)で、懐まで相手の言葉を受けず、自らの30センチ手前で説法されるイメージです。とにかく相づちが速いんです(笑)。私とは真逆・・・私は相手の言葉を受け入れ、その方の口から真理を引き出すイメージで法を説いてます。修行を専門にされてる僧侶と、一般の方々と暮らしている僧侶の違いかも知れません。縁が広がり、魔に憑かれることなく生きていくためには、それくらいの距離感でなければ、心身が保てないんだと思います。大変勉強になりました。

それにしても プライベートで 同じ場所を同時刻に参るというのは、すごい確率です。袖振り合うも多生の縁・・・弁財天様が引き合わせて下さったと感謝しています。前回も申しましたが、偶然とは「然るべくして人と禺う」です。仏道は ” 仏と仏のみが知る世界 ” に生きることです。立場は違えど 切磋琢磨しながら教化できればと思いました。合掌

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秀次談義

11月15日、琵琶説教の復帰として、地元 近江八幡で 豊臣秀次公の物語を語らせていただきました。本来 11月1日に開く予定でしたが、手術のため、泣く泣く延期の運びとなったのです。担当役員の皆様、そして、楽しみにして下さった方々には 多大なご迷惑をお掛けしましたが、無事に勤められ安堵しています。

講演会場の旧西川家住宅

講演会場の旧西川家住宅

旧西川家住宅 入口

旧西川家住宅 入口

旧西川家住宅 内観

旧西川家住宅 内観

今回の延期公演は、奉職寺院での休み(火曜日)に合わせて 15日になった訳ですが、丁度、秀次公の月命日に当たりました【 文禄4年7月15日寂 】。また(講演中に思い出したのですが)披露した『秀次物語』は、平成19年11月15日に完成し、秀次公の墓(京都・木屋町三条の瑞泉寺)に楽譜を奉納をさせていただいてたのです。あれから 丁度9年。” たまたま ” といえば それまでですが、偶然とは「然(しか)るべくして、人と禺(あ)う」と書きます。急性垂炎も意味があったんだなぁ・・・と良い方向に考えたいと思います。(今回 参れなかった御寺院さまには、次回があれば 懸命に勤めさせていただきますm(._.)m)

多くの方にお集まり下さいました

多くの方にお集まり下さいました

講演内容は、前に用意した原稿を すべて作り替えました。今回 ” 切腹(手術)” した体験から(笑)、” 人の死 ” ということに焦点を置き、辞世の句【人生の最期に残した おもい】の比較から、秀次公の偉大さをお伝えしました。

石田三成公の辞世の句(「真田丸」では 山本耕史さんが演じた武将)
「筑摩江(つくまえ)や  芦間(あしま)に灯(と)す かがり火と  ともに消えゆく 我が身なりけり」
筑摩江(現在の米原)の辺りで、三成公が処刑される前に、「ああ、あの芦(あし)の間に燃えているかがり火が やがて消えていくように、自分の命も もうすぐ潰えてしまうのだな」と、死に際に半分のあきらめと 半分の覚悟のこもった詩だと云われます。

天下人、太閤・豊臣秀吉公の辞世の句
「露(つゆ)とおち 露と消えにし わが身かな 難波(なにわ)のことも 夢のまた夢」
天下を統一した、関白になった、大坂城を造り、聚楽第を築いた、金と女にたわむれて遊びまくった … 今から思えば、「朝露(あさつゆ)」が消えるような、アッという間の一生だったなぁ。わしが作った「難波(なにわ)の帝国」も夢の中で夢を見ているような、儚いものであったことよ … と、死の前に泣いておられます。
 
豊臣秀次公の辞世の句(諸説あり)
「月花(つきばな)を 心のままに見つくしぬ なにか浮き世に 思い残さむ」
天に浮かぶ月も、地に咲く花も、心のまま、隅々にまで見尽くした。もうこれで、この世に思い残すことは何もない。

このお三方を比べても、秀次公の精神性の高さがうかがえます。皆、無念の思いがあるのは確かですが、石田三成公は、心の半分はこの世に執着を残され、秀吉公に至っては、死にたくないモードが全開です。秀次公は、無念は変わりませんが、素晴らしい死生観がうかがえます。仏教では、この世とあの世を貫いてまでが ” 人生 ” であり、生前の地位や名誉、財産、権力だけでは評価しません。

元気なうちは、” 死生観(死と向き合う生き方)” は持ちにくく、ダラダラと過ごしがちです。現代人は 限りある命にも関わらず、「何かを残す!」という意気込みではなく、平均寿命まで「生きるために生きる」という感覚ではないでしょうか。だから不安しかないんです。この世は 諸行無常・・・何事も ” たまたま ” ということはなく、「然るべくして、人と禺う」であり、すべては意味があるもの(日々の積み重ねの結果)だと思います。然るべくして偶う・・・後悔しないためには、日々を無駄にしない ” おもい ” が大切です。単純ですが これが真理であり、秀次公からのメッセージだと存じます。合掌

特別展 豊臣秀次公                                                          18才の わずか5年の在城で、現在の近江八幡の礎を築かれた                                                                             秀次公の<strong>” 込めたおもい ”</strong> を感じていただければと存じます。                                                               平成29年1月20日まで催されます

特別展 豊臣秀次公                                                          18才の わずか5年の在城で、現在の近江八幡の礎を築かれた秀次公の ” おもい ” を感じてください。                                                               平成29年1月20日まで催されます

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手術

前回のブログから2週間が経ちました。今、私は療養しながら ブログを記しています。実は、先月27日に急性垂炎の手術をしました。当日夜間、腹痛が治まらず病院に行ったところ、盲腸が数倍腫れあがっており、石のようなものが いくつも発見され、その日のうちに手術を施していただきました。これもご縁です。素晴らしい医師が担当して下さったため、術後も順調に回復し、感謝 感謝です^^。

こういうことがあると、日頃の自分が見直せます。私は現在、西願寺の住職、奉職寺院の主任、琵琶説教と様々な立場で動き回っています。大半は京都の奉職寺院で勤めていますが … 思えば 前回のブログからでも、檀家の葬儀、400人規模の琵琶説教が2ケ所、近江八幡市内 寺院の晋山式と落慶式、隣寺の12年に一度の法要の出勤等々、有休を取りつつの 分刻みスケジュールでした(汗)。また 手術をするにあたり、半月分の琵琶説教のお断りが7ケ所、さらに 法事や来客等への延期やお詫びの電話をしていると 手術間際になり、激痛さえ忘れてしまう程でした(笑)。そして 手術も成功し、やっとゆっくりできると思っていたのも束の間、翌々日に総代様のご尊父の往生で、京都から早期退院をし、お葬式の導師を勤めさせて頂きました。

文字にすると生々しいですが、忙しさというのは、誰でも こんなものじゃないでしょうか。しかし、自らの力で どうしようもできなくなった時、周りの手助けの有り難さを知ります。一人で生きているんじゃないんだと・・・。この手術で 様々な方にご迷惑をかけしましたが、その分、弟子や部下も育ち、また私自身も 己を見つめる時間をいただきました。

日本列島は急に冷え込んできました。木枯らしが吹いています。こんな日は、子供の頃にやった凧揚げを思い出します。タコは 逆風(向かい風)が吹いている時、グンと高く飛ばすことができます。逆に 追い風の時は 高く飛ぶどころか、飛ぶことさえも難しいのです。逆風(向かい風)を うまくとらえることが、凧揚げのポイントだったことを思い出します。人生を見ても、逆風の時、自分に対して負荷がかかっている時ほど、大きく成長していく時期だと思います。この縁を大切に、” 反省・感謝・報恩の精神 ” で器を広げていく所存です。合掌

あらためて・・・ ♪あわてない あわてない ひとやすみ ひとやすみ

あらためて・・・(笑)          ♪ あわてない あわてない        ひとやすみ ひとやすみ

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得度式

先日、10月8日に愚息2人の得度式を勤めました。得度とは僧侶になるための出家の儀式です。今年は先代が往生し、寂しい話題が多い西願寺でしたが、このような儀式を勤めることができ、本当によかったと思います。

仏教者の心得を説く住職

仏教徒の心得を説く住職              参詣人と共に仏教とは何か?と           いうことを改めて復習しました

仏教者になるための言葉を授けます

仏教徒になるための言葉を授けます         その後、剃刀の作法、袈裟授与と進みます

多くの参詣人が証人になっていただきました 

多くの参詣人が証人になっていただきました     儀式の最後に「慶祝和讃」を全員で唱えました

得度を受けさせるには 本人達の決意が必要です。そのきっかけが 長男の小学校卒業時の作文でした。” 将来の夢 ”を題材とした文章が採用され、生徒代表として 多くの人の前で 否応なしにお釈迦様の弟子になる宣言したのです(笑)。

自分の言葉で記してことに意義があります

自分の言葉で記したことに意義があります

ブログに家族の記事を載せるのは気が引けますが、将来、息子たちが 人生の分岐点に読み返してくれたらと思い 記しました。二人は僧侶になるかわかりません。西願寺を継ぐか どうかもわかりません。しかし、多くの方に祝福され 得度をしたことは忘れてはなりません。初心を忘れず、仏の子として生きていってほしいと思います。

最後に二人が、檀家の前で申した御礼の言葉を記して ダメ押しをします(笑)。
「本日は、僕たち兄弟のために時間を作っていただきありがとうございました。これからも努力して頑張っていきたいと思います。優しく見守ってもらえたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします」金森隆将

「今日はありがとうございます。今、おじいちゃんがいてくれたら喜んでくれたかなぁと思ったら少し悲しいです。極楽から見守っていて下さい。僕も頑張ります。よろしくお願いします」金森隆文

得度式の記念品

得度式の記念品

二人が心を込めて選びました

二人が心を込めて選びました     (西願寺の名が入ったハンカチ)

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守破離

10月です。新年度から丸半年が過ぎました。皆さん、新しい環境になじんできて、別の悩みが出てきた頃じゃないでしょうか(笑)。今年 奉職寺院に入山した修行僧は、うまくモチベーションを保ちつつ 精進しています。

ただ 近年の修行僧は、時間に耐えれず 1、2年で退こうとする傾向にあります。3年程して やっと奥深さが見えてくるんですが …。現代教育の影響なんでしょうか。皆さんの環境でも 新参者がズケズケとマニュアルを作り、合理化を図ろうとしませんか?。あろうことか 修行僧でも入山していきなり、住職の立場で寺院を動かそうとする者がいます。伝統を無視して いきなり自分のやり方に変えようとする・・・新人の押し付けなんて 誰も聞かない・・・周りが付いてこず イライラする・・・退山をカードに 和を乱す・・・三毒煩悩(貪り→怒り→愚痴)のスパイラルに見事はまってしまうのです。こうなったら誰の助言も耳に入りません。修行のやり直しです。真理は 心の三薬(反省→感謝→報恩)だと 口を酸っぱく指導するんですが … 残念なことです。

日本には 昔から ” 守・破・離(しゅはり)” という言葉があります。意味を調べると、「まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる」とあります。

まず若者は ” 郷に入れば郷に従え ” です。型を作ることで 同時に器が広がっていくのだと思います。型にはまると「個性が死ぬ」という屁理屈は、忍耐力のない者の言い訳です。ものごとには段階があります。 ” 教えを守る段階(守) ” → ” 自主性と調和する段階(破) ” → ” 個性を発揮する段階(離) ”。何事にも言えることですが、まずは型を守ることが大切です(それで己を知ります)。優れている人から徹底的に学び、真似ることです。個性はその後、力を発揮します。順番を間違えないようにしないといけません。

今回は 修行僧 育成目線のブログでしたm(._.)m。私も自戒をしながら精進していきまーす\(^O^)/。合掌

♪ あわてない あわてない、ひとやすみ ひとやすみ 

♪ あわてない あわてない、ひとやすみ ひとやすみ 

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流れる水は腐らず

お彼岸に入りました。多くの方が墓詣りをされてます。祖父母が墓参りの際、「受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流せ」と言って、墓掃除をしていた事を思い出します。仏教では、どんな小さなことにも必ず原因があると教えられます。自分が恵まれていることにも原因があり、その「原因を知る心」を「恩」といい、この幸せは ” 何のお陰か ” を知り(知恩)感じ(感恩)報いる(報恩)よう努めることが非常に大事だと説かれています。

植西聰氏のお言葉です。
「流れる水は腐らず」ということわざがあります。「流れる水」とは、「少しずつでも努力し、前進していくこと」を意味しています。とにかく結果が出なくても、思い通りにならなくても、少しずつでもいいから前進していくことが大切です。あせらずに努力を続けていくことです。そうしていれば「気持ちが腐ることはない」のです。気持ちを腐らせることなく、少しずつであっても前へ向かって進んでいけば、どこかで希望が見えてきます。いい結果に辿り着く一歩手前まで来ていることに気づく場合もあります。大切なことは、止まることなく、前へ向かって歩き続ける、ということです。そして、歩き続けていれば、どこかで目的地に到達できます。それを教えてくれるのが、この「水は腐らず」ということわざです。歩みを止めれば、気持ちがどんどん腐っていくばかりです。(『「水」のように生きる』 ダイヤモンド社)

「流れる水」のように、サラサラと執着を流し、受けた恩だけは忘れない人は素敵です。受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流せ・・・恩の教訓は日本だけの真理ではありません。地球の裏側(ブラジル)にも こんな話があります。5年前、漁村に暮らす ある年配の男性が、油まみれになった瀕死の野生ペンギンを見つけ、懸命に介抱しました。その甲斐あって元気になったペンギンは、やがて名残惜しそうに海に帰っていきます。” もう二度と会うことはないだろう ” と誰もが思っていた次の年・・・なんと、そのペンギンが何百キロも泳いで男性に会いに来たというのです。以後も 毎年やってきたペンギンは、男性にだけ懐き、膝に乗って甘えてきます。そんな帰省は、「ペンギンの恩返し」として話題になっています。

これこそが ” 幸せの循環 ” ですね。お彼岸は恩を知り、感じ、報いる週間です。皆様の現状には 必ず原因があります。その ” 原因=恩 ” を知ると様々なことが好転してきます。どんな状況であれ 恩の歩みを止めなければ、必ずご加護があるのです。感謝の心を持って生きる人の方が、幸福感は大きくなります。合掌

ブラジルでは、野生動物をペットとして飼うことは、法律で禁止されています。

ブラジルでは、野生動物をペットとして飼うことは 法律で禁止されていますが、元レンガ職人、71歳のジョアン ・ペレイラ ・デ ・スザさんは、不定期に野生のマゼランペンギンと暮らされてます。

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一座建立

先日、リオ・オリンピックが閉幕しました。メダル獲得数が41個という大健闘の日本選手団でした。日本人は体格では外国に及びませんが、団結力では優秀な民族です。体操、卓球、リレー、シンクロ … 団体戦では無類の強さを発揮し、我々に喜びと感動を与えてくれました。

茶道の世界に「一座建立(いちざこんりゅう)」という言葉があります。これは千利休の教えで、主客に一体感を生ずるほど充実した茶会となることをいいます。個々の輝きも大切ですが、一つの象徴(主客)に向かって調和すれば、とてつもない力や 得も言われぬ悦びが湧き上がるのです。同じ幸福を得るにしても、個人の幸せを優先するか、主客への敬いを先に考えるのか … 日本人は 本来、後者の考えを持つ民族でした。

瀬戸内寂聴さんのお言葉です。
人間が生きてゆくには、もちろんお金が必要です。健康が必要です。地位もほしいし、高価なものもほしいでしょう。けれども、そうしたすべてのものを手に入れても、人に愛され、人を愛する心がなければ、人生は殺伐としたものになります。愛する人があって、自分が愛されている自覚が、生きることにはいちばん大切なうれしいことです。この気持ちがないならば、生きていてもほんとうにさびしい人生です。幸福になるためには、人から愛されるのがいちばんの近道です。そのためにはまず、自分が他人を愛さないといけません。よくがんばっているなと、他人をほめる。そして自分が幸せな気分になるのです。自分が他人を愛して幸せになったら、そのあなたを見て、必ず人が近づいてきます。するとその人も幸せになったり、自分ももっと幸せになる。幸せとは循環なのです。

お寺の法事も同じです。法要の「主客」は もちろん亡き人です。故人と参列者が 共々に感謝の心に包まれれば、その場は 幸福に満ちた空間になります。住職は亡き人の変わりとなり、その家がうまく進むための法話をし、お食事をご一緒し、個々の愚痴や苦言をお聞きし(笑)、お家の調和をはかります。日々、色々な不満はあると思いますが、その場は一旦置いて、共に悦ぶ時間を作るが法事です。そして、互いに悦んで頂いた姿をみて、自らもまた悦ぶ、だからまた悦んで頂こうと心を尽くす・・・この循環、連鎖を拡げていけば、必ず幸福へと繋がります。法要は、この ” 幸福の連鎖 ” の確認作業と言えます。

4年後の東京オリンピックの頃は、どんな日本になっているのでしょう。西願寺にご縁のあった方々には、この幸福の循環を味わっていただけるよう精進する所存です。合掌

キャプテンの乾友紀子さんは 近江八幡のご出身です。

シンクロ団体                   エースの乾友紀子さんは 近江八幡のご出身です。

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