手術

前回のブログから2週間が経ちました。今、私は療養しながら ブログを記しています。実は、先月27日に急性垂炎の手術をしました。当日夜間、腹痛が治まらず病院に行ったところ、盲腸が数倍腫れあがっており、石のようなものが いくつも発見され、その日のうちに手術を施していただきました。これもご縁です。素晴らしい医師が担当して下さったため、術後も順調に回復し、感謝 感謝です^^。

こういうことがあると、日頃の自分が見直せます。私は現在、西願寺の住職、奉職寺院の主任、琵琶説教と様々な立場で動き回っています。大半は京都の奉職寺院で勤めていますが … 思えば 前回のブログからでも、檀家の葬儀、400人規模の琵琶説教が2ケ所、近江八幡市内 寺院の晋山式と落慶式、隣寺の12年に一度の法要の出勤等々、有休を取りつつの 分刻みスケジュールでした(汗)。また 手術をするにあたり、半月分の琵琶説教のお断りが7ケ所、さらに 法事や来客等への延期やお詫びの電話をしていると 手術間際になり、激痛さえ忘れてしまう程でした(笑)。そして 手術も成功し、やっとゆっくりできると思っていたのも束の間、翌々日に総代様のご尊父の往生で、京都から早期退院をし、お葬式の導師を勤めさせて頂きました。

文字にすると生々しいですが、忙しさというのは、誰でも こんなものじゃないでしょうか。しかし、自らの力で どうしようもできなくなった時、周りの手助けの有り難さを知ります。一人で生きているんじゃないんだと・・・。この手術で 様々な方にご迷惑をかけしましたが、その分、弟子や部下も育ち、また私自身も 己を見つめる時間をいただきました。

日本列島は急に冷え込んできました。木枯らしが吹いています。こんな日は、子供の頃にやった凧揚げを思い出します。タコは 逆風(向かい風)が吹いている時、グンと高く飛ばすことができます。逆に 追い風の時は 高く飛ぶどころか、飛ぶことさえも難しいのです。逆風(向かい風)を うまくとらえることが、凧揚げのポイントだったことを思い出します。人生を見ても、逆風の時、自分に対して負荷がかかっている時ほど、大きく成長していく時期だと思います。この縁を大切に、” 反省・感謝・報恩の精神 ” で器を広げていく所存です。合掌

あらためて・・・ ♪あわてない あわてない ひとやすみ ひとやすみ

あらためて・・・(笑)          ♪ あわてない あわてない        ひとやすみ ひとやすみ

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得度式

先日、10月8日に愚息2人の得度式を勤めました。得度とは僧侶になるための出家の儀式です。今年は先代が往生し、寂しい話題が多い西願寺でしたが、このような儀式を勤めることができ、本当によかったと思います。

仏教者の心得を説く住職

仏教徒の心得を説く住職              参詣人と共に仏教とは何か?と           いうことを改めて復習しました

仏教者になるための言葉を授けます

仏教徒になるための言葉を授けます         その後、剃刀の作法、袈裟授与と進みます

多くの参詣人が証人になっていただきました 

多くの参詣人が証人になっていただきました     儀式の最後に「慶祝和讃」を全員で唱えました

得度を受けさせるには 本人達の決意が必要です。そのきっかけが 長男の小学校卒業時の作文でした。” 将来の夢 ”を題材とした文章が採用され、生徒代表として 多くの人の前で 否応なしにお釈迦様の弟子になる宣言したのです(笑)。

自分の言葉で記してことに意義があります

自分の言葉で記したことに意義があります

ブログに家族の記事を載せるのは気が引けますが、将来、息子たちが 人生の分岐点に読み返してくれたらと思い 記しました。二人は僧侶になるかわかりません。西願寺を継ぐか どうかもわかりません。しかし、多くの方に祝福され 得度をしたことは忘れてはなりません。初心を忘れず、仏の子として生きていってほしいと思います。

最後に二人が、檀家の前で申した御礼の言葉を記して ダメ押しをします(笑)。
「本日は、僕たち兄弟のために時間を作っていただきありがとうございました。これからも努力して頑張っていきたいと思います。優しく見守ってもらえたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします」金森隆将

「今日はありがとうございます。今、おじいちゃんがいてくれたら喜んでくれたかなぁと思ったら少し悲しいです。極楽から見守っていて下さい。僕も頑張ります。よろしくお願いします」金森隆文

得度式の記念品

得度式の記念品

二人が心を込めて選びました

二人が心を込めて選びました     (西願寺の名が入ったハンカチ)

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守破離

10月です。新年度から丸半年が過ぎました。皆さん、新しい環境になじんできて、別の悩みが出てきた頃じゃないでしょうか(笑)。今年 奉職寺院に入山した修行僧は、うまくモチベーションを保ちつつ 精進しています。

ただ 近年の修行僧は、時間に耐えれず 1、2年で退こうとする傾向にあります。3年程して やっと奥深さが見えてくるんですが …。現代教育の影響なんでしょうか。皆さんの環境でも 新参者がズケズケとマニュアルを作り、合理化を図ろうとしませんか?。あろうことか 修行僧でも入山していきなり、住職の立場で寺院を動かそうとする者がいます。伝統を無視して いきなり自分のやり方に変えようとする・・・新人の押し付けなんて 誰も聞かない・・・周りが付いてこず イライラする・・・退山をカードに 和を乱す・・・三毒煩悩(貪り→怒り→愚痴)のスパイラルに見事はまってしまうのです。こうなったら誰の助言も耳に入りません。修行のやり直しです。真理は 心の三薬(反省→感謝→報恩)だと 口を酸っぱく指導するんですが … 残念なことです。

日本には 昔から ” 守・破・離(しゅはり)” という言葉があります。意味を調べると、「まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる」とあります。

まず若者は ” 郷に入れば郷に従え ” です。型を作ることで 同時に器が広がっていくのだと思います。型にはまると「個性が死ぬ」という屁理屈は、忍耐力のない者の言い訳です。ものごとには段階があります。 ” 教えを守る段階(守) ” → ” 自主性と調和する段階(破) ” → ” 個性を発揮する段階(離) ”。何事にも言えることですが、まずは型を守ることが大切です(それで己を知ります)。優れている人から徹底的に学び、真似ることです。個性はその後、力を発揮します。順番を間違えないようにしないといけません。

今回は 修行僧 育成目線のブログでしたm(._.)m。私も自戒をしながら精進していきまーす\(^O^)/。合掌

♪ あわてない あわてない、ひとやすみ ひとやすみ 

♪ あわてない あわてない、ひとやすみ ひとやすみ 

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流れる水は腐らず

お彼岸に入りました。多くの方が墓詣りをされてます。祖父母が墓参りの際、「受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流せ」と言って、墓掃除をしていた事を思い出します。仏教では、どんな小さなことにも必ず原因があると教えられます。自分が恵まれていることにも原因があり、その「原因を知る心」を「恩」といい、この幸せは ” 何のお陰か ” を知り(知恩)感じ(感恩)報いる(報恩)よう努めることが非常に大事だと説かれています。

植西聰氏のお言葉です。
「流れる水は腐らず」ということわざがあります。「流れる水」とは、「少しずつでも努力し、前進していくこと」を意味しています。とにかく結果が出なくても、思い通りにならなくても、少しずつでもいいから前進していくことが大切です。あせらずに努力を続けていくことです。そうしていれば「気持ちが腐ることはない」のです。気持ちを腐らせることなく、少しずつであっても前へ向かって進んでいけば、どこかで希望が見えてきます。いい結果に辿り着く一歩手前まで来ていることに気づく場合もあります。大切なことは、止まることなく、前へ向かって歩き続ける、ということです。そして、歩き続けていれば、どこかで目的地に到達できます。それを教えてくれるのが、この「水は腐らず」ということわざです。歩みを止めれば、気持ちがどんどん腐っていくばかりです。(『「水」のように生きる』 ダイヤモンド社)

「流れる水」のように、サラサラと執着を流し、受けた恩だけは忘れない人は素敵です。受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流せ・・・恩の教訓は日本だけの真理ではありません。地球の裏側(ブラジル)にも こんな話があります。5年前、漁村に暮らす ある年配の男性が、油まみれになった瀕死の野生ペンギンを見つけ、懸命に介抱しました。その甲斐あって元気になったペンギンは、やがて名残惜しそうに海に帰っていきます。” もう二度と会うことはないだろう ” と誰もが思っていた次の年・・・なんと、そのペンギンが何百キロも泳いで男性に会いに来たというのです。以後も 毎年やってきたペンギンは、男性にだけ懐き、膝に乗って甘えてきます。そんな帰省は、「ペンギンの恩返し」として話題になっています。

これこそが ” 幸せの循環 ” ですね。お彼岸は恩を知り、感じ、報いる週間です。皆様の現状には 必ず原因があります。その ” 原因=恩 ” を知ると様々なことが好転してきます。どんな状況であれ 恩の歩みを止めなければ、必ずご加護があるのです。感謝の心を持って生きる人の方が、幸福感は大きくなります。合掌

ブラジルでは、野生動物をペットとして飼うことは、法律で禁止されています。

ブラジルでは、野生動物をペットとして飼うことは 法律で禁止されていますが、元レンガ職人、71歳のジョアン ・ペレイラ ・デ ・スザさんは、不定期に野生のマゼランペンギンと暮らされてます。

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一座建立

先日、リオ・オリンピックが閉幕しました。メダル獲得数が41個という大健闘の日本選手団でした。日本人は体格では外国に及びませんが、団結力では優秀な民族です。体操、卓球、リレー、シンクロ … 団体戦では無類の強さを発揮し、我々に喜びと感動を与えてくれました。

茶道の世界に「一座建立(いちざこんりゅう)」という言葉があります。これは千利休の教えで、主客に一体感を生ずるほど充実した茶会となることをいいます。個々の輝きも大切ですが、一つの象徴(主客)に向かって調和すれば、とてつもない力や 得も言われぬ悦びが湧き上がるのです。同じ幸福を得るにしても、個人の幸せを優先するか、主客への敬いを先に考えるのか … 日本人は 本来、後者の考えを持つ民族でした。

瀬戸内寂聴さんのお言葉です。
人間が生きてゆくには、もちろんお金が必要です。健康が必要です。地位もほしいし、高価なものもほしいでしょう。けれども、そうしたすべてのものを手に入れても、人に愛され、人を愛する心がなければ、人生は殺伐としたものになります。愛する人があって、自分が愛されている自覚が、生きることにはいちばん大切なうれしいことです。この気持ちがないならば、生きていてもほんとうにさびしい人生です。幸福になるためには、人から愛されるのがいちばんの近道です。そのためにはまず、自分が他人を愛さないといけません。よくがんばっているなと、他人をほめる。そして自分が幸せな気分になるのです。自分が他人を愛して幸せになったら、そのあなたを見て、必ず人が近づいてきます。するとその人も幸せになったり、自分ももっと幸せになる。幸せとは循環なのです。

お寺の法事も同じです。法要の「主客」は もちろん亡き人です。故人と参列者が 共々に感謝の心に包まれれば、その場は 幸福に満ちた空間になります。住職は亡き人の変わりとなり、その家がうまく進むための法話をし、お食事をご一緒し、個々の愚痴や苦言をお聞きし(笑)、お家の調和をはかります。日々、色々な不満はあると思いますが、その場は一旦置いて、共に悦ぶ時間を作るが法事です。そして、互いに悦んで頂いた姿をみて、自らもまた悦ぶ、だからまた悦んで頂こうと心を尽くす・・・この循環、連鎖を拡げていけば、必ず幸福へと繋がります。法要は、この ” 幸福の連鎖 ” の確認作業と言えます。

4年後の東京オリンピックの頃は、どんな日本になっているのでしょう。西願寺にご縁のあった方々には、この幸福の循環を味わっていただけるよう精進する所存です。合掌

キャプテンの乾友紀子さんは 近江八幡のご出身です。

シンクロ団体                   エースの乾友紀子さんは 近江八幡のご出身です。

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和魂洋才

お盆も佳境に入りました。今年は咳喘息を患い 体調不良のお盆でしたが、何とか乗り越えらそうです。皆様のお陰です。思えば 一人で盆詣りにデビューしたのが中学校1年生でしたので、あれから約30年が経ちます。

その間、明治、大正、昭和、平成と様々な方と接してきましたが、日本人の考えが変わってきていることを感じます。時代は ” 公 ” から ” 個 ” に急速に移り変わっています。その原因は、おそらく近代の日本人が 精神的な繋がり(自己犠牲による 助け合いの精神)を伝えることを軽視しすぎたことにあるのではないでしょうか。現代の若者は、過去から伝わる ” 公の精神 ” を語るだけで 猛烈なアレルギーを起こします。器を広げる(受け入れる)努力をせず、個人の楽しみに没頭する人が多くなった気がします。

あえて明治時代の方の手記を載せましょう(笑)。安珍清姫で有名な、和歌山県の道成寺管主・宏海老師の説法です。
頼みもしないのに親は勝手に生んだのだから養育の義務があり子にはそれをさせる権利こそあれ、親に対して孝行の義務はないなど口憚らず子供達に教えた教師が敗戦後にあったと確かにきいた・・・昭和20年10月米国の占領軍が民主化大改革を指令して以来、先ず学校では終身と歴史科を停止、続いて教育基本法・学校教育法公布、そして新憲法施行、日教組結成、刑法改定で不敬罪姦通罪を廃止し、民法改定で某国の嫌いな日本民族強固な基盤である家族制度を廃棄、親と子は別戸籍に分離せしめられたりでアレヨアレヨと言う間に敗戦の吾国世相は、革命的変化を来旨し、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ」の教育勅語で教育された明治人間には、愕きであり悲嘆でもあった。暫くして20数年、教育の欠陥は各方面に現れて、恐るべき社会現象を呈して来た。そして憲法改正の議さえ勃興、諸般を省みて今や修正を望む声が澎湃と湧き起こりつつある今こそ、取り戻さねばならぬもの多し。仏教伝持者の義務として特に道徳の復興、その根本は百行の基たる孝行精神の涵養こそ最大の急務であると考える。云々

日本には ” 和魂洋才(わこんようさい) ” という言葉があります。和魂洋才とは、日本古来の精神を大切にしつつ、西洋からの優れた学問・知識・技術などを摂取・活用し、両者を調和・発展させていくという意味の言葉です。明治時代以降、流入する西欧の文化や文物に対して、日本人がそれを受け入れる姿勢を表現したもので、つまり 知識や技術は受け入ても 日本人の心意気だけは守るという気概があったのです。この我慢が ” 粋 ” に通じます。お寺に集うものは、「七和三洋」というスローガンのもと、せめて我々のルーツである先祖(親孝行)は大切にしたいものです。合掌

親孝行

親孝行

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神仏仲良く

お盆の季節になりました。この一ヶ月は忙しい毎日が続きます。この時期になると、日本は本当に幸せな国だとつくづく感じます。世界はテロ行為に怯えていますが、日本では聞きません。お坊さんが盆詣りでスクーターに乗っていても 他宗教から襲われることはありませんし(笑)、檀家が墓参りをする際、他宗派から攻撃を受けることもありません(笑)。当たり前の話ですが、この何でもない幸せがあるのが日本だと思います。

それは 日本古来からの宗教観にあるのではないでしょうか。例えば 神社との関係。今は仏教と神道は別々に扱われていますが、明治政府が発足する前、日本は神仏習合といって 仏様と神様は同じ空間にありました。西願寺にも神棚は2つあり、薬師堂には役行者まで祀られています。昔は 同じ中にあったとしてもお互いを独立したものとして尊重し、寄り添う存在であったのです。また 御所には神社の他に仏間もあり、お坊さんになる天皇もいらっしゃいました。日本の場合、色々な所に神様が坐すという発想があり、また天皇も種々の宗教も認めておられたので、他国のような紛争はなく、国が統一する時は話し合いで国がまとまったという 世界でも珍しい国なのです。

青龍さんの言葉です。
「千年以上、習合されてきたのに、今では神仏分離になり、近年は必要とされなかったので仕方ないかもしれませんが、神主さんは仏教の事を知らない事が多く、お坊さんが神道の事を理解していない事が多いのが現状だと思います。個人的な願いですが、今後、夫婦がよりを戻すように、明治以前のような神仏習合する機会が増えれば、さらに日本という国は、柔軟性とおおらかさが増し世界から賞賛される平和な国になるのではないかと思います」

このお言葉通り、日本は幸せな国とはいえ、柔軟性やおおらかさ が利かない風潮があるのも事実です。これは日本人が 信仰というものを否定的見ていることも一因があると思います。「人間が一番偉いんだ!」と、宗教を机に向かった学問から入ると、価値観だけが暴走し 頭でっかちになるのです。そのため、意見の食い違いがおこり紛争に発展したりします。安易なことは言えませんが、今のテロ行為は こう言ったことが根源にあるのだと思います。信仰というものを、理論や効率性で片付けようとする社会ほど恐ろしいものはありません。現代こそ 日本文化の根源、仏教と神道を包み込む心・・・ ” 日本の幸福感(おおらかさ) ” が求められてる時代だと存じます。合掌

神道は、日本に古くからある民族宗教です。たくさんの神様がいらっしゃいますが、神道における最高神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)であるとの考えが一般的です。

祖先を敬愛し、自然を大切にし、すべての命に感謝する、それが神道の心と言われます。

インド発祥の仏教は、日本古来の祖先の霊を崇拝する習わしと深い結びつきを持って発展していきました。

インド発祥の仏教は 日本に輸入され、先祖の霊を崇拝する古来からの習わしと 結びつきを持って発展しました。 仏教は ” 感謝の心 ” に合わせて、   ” 教え(幸福への道)” が説かれます。

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ダブル損の幸福

今月26日で鴨長明(かものちょうめい)没 800年になります。彼が綴った「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず 」から始まる『方丈記』は、河の流れと 仏教の ” 諸行無常 ” を重ね合わせた随筆で、清少納言の『枕草子』、吉田兼好『徒然草』と並び、日本三大随筆にあげられます。『方丈記』では 戦乱が続き、天災や火災、人災も多かった当時の出来事が ありのままに描かれています。軽妙洒脱な長明に憧れる私は、東日本大震災を機に 平成の世で起きたことを仏教的に記せればと思い、このブログ(『平成方丈記』)を立ち上げました。

月に2回、綴って4年半・・・800年前も現代も ” 諸行無常 ” という観点からすれば、人間の悩みは 根本的に変わらないことがわかりました。人間世界は「娑婆(しゃば)」と言って「耐え忍ぶ = シャバ」世界です。そんな中、お釈迦さまは「いつでも、どんなことがあっても、心が穏やかでいられる境地を目指したい人、集まれ~!」と仏教をお開きになりました。娑婆は極楽と違い、諸行無常という中で生きねばならないハンデを背負っています。つまり 人間界は1つ損をしている世界ですが、そんな中で幸福を得るために説かれている修行が、” 陰徳 ” (ひそかに行う善行・良い意味での自己満足)です。

渡辺 和子さんの言葉を お借りしましょう。
「貰えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらが与えるなんて、これでは、『ダブルの損』だと、私は思ったのである。ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると、『得になる』ということだった。シングルの損だけにしておくと残るのは、腹立たしさや口惜しさだけであり、折りあらば仕返しをと考える自分だけである。ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り「よかった」という満足感が残るから不思議だ」(『目に見えないけれど大切なもの』 PHP研究所)

つまり 鴨長明のように 、諸行無常の真理と照らし合わせ、” 自己満足の範囲で、自分が誇りに思えることを行えば幸福になれる ” のではないでしょうか。見返りを求めることを捨て、思い切って ダブル損をする所から始めてみましょう!それが陰徳の修行であり、満足度のある生き方に繋がります。合掌

鴨長明は出家をし、琵琶の名手でもありました。

鴨長明は晩年 出家をし、琵琶の          名手でもありました。

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信頼

平成28年も折り返しとなりました。上半期を振り返ると、私は ” 諸行無常 ” という言葉が思い浮かびます。人で言えば イメージの無常があります。例えば 清原選手、ベッキーさん、乙武さん、ファンモンの加藤さん、桝添都知事・・・あれほど好感度があり 輝いていた方が、一瞬にして色あせてしまう・・・この移り変わりは マスコミが作った幻想に過ぎませんが、諸行無常といえば諸行無常です(笑)。また熊本地震での 熊本城の 悲惨な姿、イギリスのEU離脱問題での世界の動揺などを目の当たりにしますと、 何が起きてもおかしくない世界だと見せつけられた上半期でした。

” 諸行無常 ” は、移り変わりを静かに受け入れ、それを前向きに転ずる術を身につける思想です。しかし最近は、無常を ” 刺激 ” として捉える世論があるのが心配です。大きな変化で幸せになれるのでは … 他人が不幸になれば幸せになれるのでは … 自らを省みることなしに、偏った原因(あら)捜しや 個人批判が横行してる状況を見ていると 気分が悪くなります。皆が未熟な人間社会で、反省する者を受け入れ、互いが信頼し合い 生長していくことが 本当の修行であり、幸福への道だと存じます。

岩井 俊憲氏のお言葉を引用します。
信頼の反対の不信はどんなところからうまれるのでしょうか。多くの場合は、相手の実力に対し、高すぎるハードルを設定し、高い立場からのギャップ、未達成の部分を見る姿勢から始まります。親や教師や上司は、子供、生徒、部下に比べて知識や経験が豊富です。すると、その立場からものを見るわけですから、どうしても相手を低くしか見えません。不信感を持つ場合のメッセージにはある種の特徴があります。「タラ」「レバ」を使うことです。「あの子がもう少し素直だっタラいいのに」「整理整頓をしっかりやレバいいのに」「タラ」「レバ」を卒業しない限り、信頼は不可能ですし、そのようにみている自分の精神的な安定もありません。信頼することは、相手ばかりだけでなく、自分自身のためにも必要なのです。(『勇気づけの心理学』金子書房)

政治がよかっタラ … あのことがなけレバ … 一見、真っ当なことを言ってるようですが、他人への不信感が、かえって自分自身(信頼)を傷付けている・・・まさしく仏教の因果応報の教えです。日本人は仏教思想と共に生きてきた民族で、それが 諸行無常の自然災害がおきても、混乱や略奪を避け、忍耐強く、他人を思いやる日本人の気質にあらわれていると存じます。世界でも有数の優れた民族で、まだまだ捨てたものではありません。仏法真理にのっとって、相手を受けいれ 信頼し、コツコツと精進していける社会になるよう 布教活動をしていきます。宜しくお願いします。合掌

『結晶物語』(サンマーク文庫)では、水の結晶を様々な実験により写真で紹介されています。この水はおぞましい姿で、結晶は見られません。

『結晶物語』(サンマーク文庫)では、水の結晶写真を 様々な実験をして紹介されています。これは ある湖水の拡大画像。おぞましい姿で結晶は見られません。

その水を祈祷すると結晶ができ、大日如来の姿があられました。人が寄せる思いの大切さを学ばされます。

同じ水を祈祷すると結晶ができ、仏の姿があられました。人が寄せる信頼、思いの大切さを学ばされます。月参りをされているお家の雰囲気が良いのが うなずけます。悪い気も諸行無常 … 良き方向に変わるのです。

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ケタ違いの努力

先日、京都近代美術館へ「ポール・スミス展」に行ってきました。ポールスミスは、イギリス出身のファッションデザイナーで、また彼の持つファッションブランドです。“ ひねりのあるクラシック ” をスローガンとする このブランドは、伝統的な技術、仕立てと遊び心が共存していて人々を魅了します。

ひねりをきかせたクラッシック・・・この発想が大好きです。

ひねりのあるクラッシック・・この発想が大好きです。

ポール・スミスは、少年時代に自転車競技のレーサーを目指していましたが、不慮の事故により挫折します。失意の中、彼はパブによく通うようになりました。パブにはその頃、アートスクールの生徒たちがたくさん通っており、その影響を受け、アートの世界に興味を持ち始めます。新しい進路を見出した彼は、あらゆる依頼に懸命に応え、努力をし、今の立場に成ったと紹介されていました。

生活経済評論家の川北義則氏のお言葉です。
2倍、3倍の努力では結果は知れている。だが、ケタの違う努力をすれば、才能のあるなしなんかに関係なく、何かが確実に得られるというのだ。私たちは何かを始めようとしても、すぐに「もう遅い」とか「才能がない」といった言い方をする。実際、やってみてもなかなか進歩しない。それであきらめてしまうことが多いわけだが、ここに1つ、「ケタ違いの努力」という妙法があったのだ。この方法のポイントは「何も考えない」ことにある。「できるか?」といった疑問を一切さしはさまない。ひたすら最低、人の10倍の努力をするのだ。なまじ先の見通しを持つと、疑念や雑念、無力感、怠け心が、生まれてきて、やる気がうせる。この落とし穴に落ちていることが多いのではないか。何かでプロの域に達した人間は、人の10倍くらいの努力は朝飯前にしているものなのだ。あなたは「これだけは人の10倍は間違いなくやった」といえるものがどれだけあるだろうか。そういえるものは、きっと「モノになっている」はずである。(『人生、だから面白い』PHP研究所)

人は 大きな挫折の末、自分の可能性を見定め、適職を見つけていくのかもしれません。さらにケタ違いの努力をした人が、世に名を残すのだと思います。先の見通しは誰もわかりません。挫折を経験した事がある人は、” 一寸先は闇 ” 、” 諸行無常の理 ” を腑に落としておられるので怖いものはありません。そう考えると、人生、時には常識にとらわれず、がむしゃらな時期が必要なのかもしれません。私も琵琶説教師になったのは、大病をして生死の狭間を越えたところからでした。努力と聞くと 辛いイメージがありますが、人の10倍やる時というのは、ケタ違いの結果がでるはずです。そう考えると、ワクワク楽しんで 物事を取り組めるものと存じます。合掌

ポール・スミスの代名詞、なが~いストライプのデザイン・・今回も福をいただきました!

ポール・スミスの代名詞、なが~いストライプの    デザイン・・・今回も厄除福をいただきました!

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