花まつり

昨日4月8日は「花まつり」でした。別名「灌仏会(かんぶつえ)」ともいい、お釈迦様のご生誕を御祝する行事です。日本では仏教伝来以来の歴史があると言いますが、最近では知らない方も多いようです。作法としては「花御堂(はなみどう)」の中央に「誕生仏(たんじょうぶつ)」をまつり、その仏像の頭から甘茶を注ぐのです。なぜ甘茶をかけるのかというと、お釈迦様がお生まれになった時、九龍が天から降りてきて、香水を浴びせ清めたとの逸話からなります。いわゆる産湯の役目をしたのですね。

甘茶をかけるは日本独自のもので、江戸時代からの風習と考えられています。当時、参詣人は甘茶を竹筒等に入れて持ち帰ったようです。そして、この甘茶で墨をすって書いた「虫」の一字を柱や壁、天上などに貼ったり、「卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙を戸口にさかさまに貼れば、長虫(蛇)やムカデ・害虫を退治できるとされていました。 明治頃まではこの甘茶をもらいに来る子供たちで賑わい、また門前には竹筒をうる店がずらりと並んだと言われています。仏教が暮らしの中に溶け込んでいたんですね。かつては、お寺を中心とする村社会がささやかな喜びを共有していたのだと思います。

民俗学者である宮本常一は日本全国の農村を歩き、その生活について書き留めたと言います。『家郷の訓(おしえ)』の中で「かつて人々は幸福というものの意味をよく知っていた。それはただ、人並みに暮らすと言うことであり、村の仲間と共働することであった。そこには泣き言も不平もなく、我を張るものもなく、人の心の階調があった。」と記しています。

幸いお寺にはまだそのような精神が残っています。そこには個人ではなく、先人への感謝を重んじ、背伸びや不平なく生きる人々の姿があります。まだ仏教にご縁のない方は、是非このような宗教行事から入られることをお勧めします。時代は「温故知新」です!お寺も頑張らなければです。お釈迦様ご生誕お目出度う御座います。心より感謝申し上げす。

合掌

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桜の入学式

今年の入学式は、ちょうど桜の開花時期に当たりました。今の私達には入学式と桜は一体のように思いますが、ある方から明治初期の入学式は9月だったと教わりました。それは高等教育学校や師範学校の先生のほとんどが欧米人で、外国の制度を取り入れていたからだそうです。しかし、国が4月1日から翌年の3月31日を「年度」としてくくった為、国からの補助金や早めの人材確保の関係上、今の時期になったようです。

しかし、平安時代の官人の任命は3月(現在の4月)といいますので、昔から我が国の「年度始め」はこの時期だったのです。明治時代、欧米に合わせようとしたものの、やはり日本には「春始まり」の方が向いていたのでしょう。やはりその国の土壌に適した時期があるのだと思いました。

国民性も同様です。日本人は勤勉にして誠実、責任感旺盛で協調性に富み、忍耐強く礼儀正しい。先人達の努力によって日本は「人材」という世界一優れた資源を持つようになりました。しかし、この国の気候・風土・歴史・文化など国の土壌を一切考慮することなく「個」を全面に押し出し「主張は美徳」とする外国の教育が日本の土壌にあっているのかといえば疑問符です。日本人は体格も小さく、桁外れの才能にも恵まれてもいません。どちらかといえば集団で力を合わせることで、無類の力を発揮する国民だと思います。個人がバラバラに存在しては世界に貢献はできません。

「協調性」と「自己抑制」は表裏一体です。これから入学される方々は「自己主張」も大事ですが、この国の美徳である「協調性」も意識して学んで頂ければと存じます。入学式の時期にあたり、改めて先人達から受け継いだ貴重な資源を捨て去ってはならないと思いました。合掌

 

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春の嵐

昨日は日本列島を暴風が襲いました。隣の牧町では電柱が17本も倒れるという被害がありました。他県でも同様の被害があったようですが、混乱もなく助け合う日本人の精神は素晴らしいものがあると思います。

去年の東日本大震災の直後、アメリカのCNNテレビキャスターは「略奪行為などはショックを受けるほど皆無。住民たちは冷静で、他者と調和を保ちながら礼儀を守っている」と被災地仙台から驚きの声を本国へ送られました。

また、ロシアのイズベスチア紙には「首都圏の公共交通機関は完全に麻痺してしまったが、タクシー運転手は料金をぼったくろうとせず、粉々に割れたショーウインドウがあっても誰一人盗みに入ろうとしない。行列の場でも喧嘩など1つも起こらない。店員は水を配り、どの施設もトイレを開放していた」「日本人は上からの命令でそうしてるわけではない…驚くべき自己統制と他者への気遣い。日本人は自分たちを1つの大きな家族と捉えている。このような人々を見れば尊敬のまなざしを向けずにおれない」と。

歴史作家の鈴木旭氏はこう述べられています。

どん底に落ちても他人を思う心を忘れず、自分だけ良ければいいという個人主義、利己主義に陥らず、互いに助け合った。しかも、ごく普通の人々が、ごく普通にやったことであった。

外国人が称賛した日本人の姿は昨日、今日の付け焼き刃で出来ることではない。これは日本人が遠い祖先がら何代も重ねて引き継いで培って来た公徳心、公共意識、日本人のDNAであり、偶然ではない。

先人への報恩感謝。利他の心という仏教精神こそが、豊かな社会を築くのだと感じました。合掌

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先日、東日本大震災追悼法要・骨佛開眼供養を勤めました。

詳細は掲載記事のページにありますが、今回は別の角度からお話します。

私には夢がありました。それは本堂を参詣者でいっぱいにすること。

通常は横のつながり(他寺からの応援や親類の集まり)等で、本堂が一杯になることは あるんですが、今回は全国から任意で集まって頂き、満員になったのです!

お寺に携わらない方には当たり前のような光景に見えると思いますが、檀家制度の強い今日、宗派を越えて人々が集まるのは稀有なことです。
まさに感無量でした…。

前日には、檀信徒さまが自然と集まって下さり、お掃除をしていただきました。

この法要は、西願寺に”絆”を与えて下さった気がします。

チサトさんの供養をさしてもらってるつもりが、逆にこちらが供え養ってもらっている…供養の本当の意味を教えて下さった気がします。

目に見えない力は厳然と働いてますね。

有縁の皆様、有難う御座いました。 合掌

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再会

本日、取材で原田伸郎さんが西願寺に来られました。

1時間程でしたが、とても楽しいひと時でした。

原田さんは、私の修行寺の近く(京都嵯峨)でお生まれになり、

墓参りで戻られた際には、時々すれ違っていました。

自坊での再会?(笑)、不思議に思います。

イメージ通りとても穏やかな方でした。

益々のご活躍をお祈り申し上げます。合掌

取材内容はまたお知らせ致します。

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ブログはじめました。宜しくお願いします。

このたびブログを始めることになりました。

今年は鴨長明の『方丈記』が記されて800年になります。

長明は有名な琵琶法師で、周りで起こった出来事を『方丈記』として残されました。

当時の日本も天変地異・異常気象が起きていたようです。

私も同じ琵琶法師として、世の中の出来事を

仏教的な観点で記していければと思っています。

「ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず…」

このブログも川の流れのように、とらわれることなく自由に綴っていきたいと思い

「平成方丈記」と名付けました。

皆様、宜しくお願い致します。 合掌

 

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