心の港

西願寺では この土日、お盆を迎える墓参りがありました。檀家各家が一心に掌を合わせ、先祖を偲ばれます。これが 人間の最も美しい姿ではないでしょうか。亡き人と生者の 魂の拠り所 がお寺です。このような ” 心の港 ” を 末永く護るのが檀信徒の勤めであり、それを鼓舞するのが僧侶の役割です。

とても暑い墓参りでした。

とても暑い墓参りでした。

子供たちに手書きメッセージ入りのお菓子を配っています。

子供たちに手書きメッセージ入りのお菓子を配ります。

臨床心理士の金盛 浦子さんのお言葉です。
「ちゃんと港を持っている心は、どこまででも旅をし、ときには戦い、傷つくこともありながら、帰る港があるからこそ頑張れるのです。他人の中でもまれても耐えることができるのです。でも心が港を持っていなかったとしたら・・・。心はさまようしかありません。癒される場所はありません」(『「自分を信じる」ただそれだけでいい』大和出版)

人それぞれ ” 心の港 ” は違うかもしれません。それは 家族の待つ家かもしれませんし、故郷、旅館、居酒屋、喫茶店・・・色々な思いがあると存じますが、しかし この世は ” 諸行無常 ” です。住居があっても 家族を見送り 独りぼっち・・・生まれ育った故郷も 世代が変わると居づらくなり・・・なじみの場所が店じまい・・・震災での仮設住まい・・・あの お釈迦さまであっても、生前中に戦争で 故郷が滅んでしまいました・・・残念ながら、癒やされる ” 心の港 ” は移り変わってゆくのです。

このブログのタイトル『平成方丈記』。これは鴨長明の『方丈記』から名付けましたが、先月7月26日は 長明800回忌のご命日でした。「方丈」とは、 ” 粗末な庵 ” という意味です。内容は、どんな豪華な家を建てようとも 地位や名誉、財産、健康・・・人が考える あらゆる贅を尽くしても、やがては 苦悩や虚しさだけが残ると訴え、最後に 心の安まる場所は ” 佛の世界 ” しかないと締めくくられます。結局、絶対に崩れぬ港は、佛の世界しかないのです。それを司る お寺は絶対に壊してはなりません。このような真実は、手遅れになってからしか気付かないものですが、西願寺では 僧俗一体となって、” 心の港 ” を護っていく所存です。 合掌

平成27年7月26日、鴨長明800回忌当日に『方丈記』を語りました。インターネット上では、誰も供養をされた形跡がなかったので、勤められて良かったです。

平成27年7月26日、鴨長明800回忌当日に『方丈記』を語りました。インターネット上では、誰も供養をされた形跡がなかったので、勤められて良かったです。譜面は、昨年亡くなられた管公香先生のご遺作。

供養により、鴨長明の”帰る港”を築きました。

供養により、鴨長明の ” 心の港 ” を築きました。

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プロレス観戦

世の中には、初対面の相手にしてはいけない話題があるといいます。「政治と宗教と野球」・・・しかし、宗教家からすれば 特に危険な話題とは思えません。逆に関心が高い分、相手の懐に入れるので 共感を得やすい話題です。しかし、世の中で ほとんど賛同が得られない話題があります。それは・・・プロレス好き・・・という信仰告白です。この話をすれば たいがいの人が眉をひそめ、「あれ八百長でしょ?」とか「流血が気持ち悪い」、「なんでロープに振られて返ってくるの?」・・・プロレスの話題に触れると、それまでの相手の笑顔が消え、冷たい目で見られる・・・あの瞬間はたまりません(汗)。はっきり言いますが、私はプロレスファンです。祖父の影響で もう30年くらいは見てるでしょうか。本日も観戦してきました。京都市武道センターはスゴイ熱気でした。

プロレス会場の熱気

プロレス会場の熱気

 
たぎる中村真輔 イヤァオ♪

たぎる中村真輔 イヤァオ♪

そもそも「日本のプロレス」は力道山が持ち込んだ輸入品でした。アメリカのプロレスはスポーツというよりも、どちらかといえばエンターテイメントという位置づけにあります。選手はプロレスラーではなくスーパースター、その試合を楽しむ人はファンでなく、ユニバースと呼ばれます。一方、日本のプロレスラーはあくまでスポーツ選手のカテゴリーに入ります。武道の国ニッポンでは、プロレスは観賞用スポーツとして発展を遂げてきました。そんな日本のプロレスに全世界が熱狂しているのはご存じでしょうか。

世界中のプロレスマニアが購入している『レスリング・オブザーバー』というニュースレターがあります。目の超えたマニアたちが愛読する世界で最も権威のあるプロレス業界紙ですが、その読者投票で、新日本プロレスの選手が上位を独占してるのです。2014年の投票でMVPのトップ5のうち3人が日本選手で、年間最高試合もすべて日本のプロレスが独占状態です。投票権を持つのは英語圏のファンがほとんどですので、いかに日本のプロレスが支持されているかわかります。このような時代に生で観戦できて、本当に幸せに思います。うんちくは この辺にしておきましょう・・・。

現代は 曖昧なものを排除しようという流れにあります。何でも白黒を付けたがり、正義という名目のもと 人を傷つける・・・もっと 大らかな視野で世の中を見れば、楽になるのになぁ・・・と思う今日この頃です。「昔はよかった」という言葉は、このような意味で使われるのだと思います。その感覚を養う訓練の一つがプロレス観戦にあると思います(笑)。そこには世の中のすべての感情やドラマが詰まっているからです。相手の攻撃を受けて受けて、さらに受けて立ち上がる、そして最後は 耐えきった者が勝つ!。仏教でいう ” 不動明王 ” のようなプロレスラーの姿に感動を覚える住職でした。合掌

“みんなのコケシ” 本間選手とのツーショット❗️

“みんなのコケシ” 本間選手とのツーショット❗️

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夏越の祓

一年の半分が過ぎました。12月の大晦日には一年の穢れを祓う行事が盛んですが、半年の穢れを祓う行事もあります。種々ありますが、有名なのは「夏越の祓(なごし の はらえ)」です。これは 神社にある「茅(ち)の輪」をくぐり、暑い夏を無事に越せるよう祈る儀式で、お盆を前に心身を清める意味もあるようです。聞くところによると、この時期は 人だけではなく牛や馬も海水に浸って身を清めるようです。生物にとって大事な節目なのかもしれません。皆、幸福を求めて生きているんですね。

くぐる時は脱帽しましょう

くぐる時は脱帽しましょう

安岡正篤 氏のお言葉です。「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたに過ぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなく上手い巡り合わせにぶつかったとかいう、これは幸。そうではなくて原因を自己の中に有する、すなわち、自分の苦心、自分の努力によって勝ち得たる幸いを「福」という。福の示偏は神さまのことだ。旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。農家でいうならば俵を積み上げるという文字。神の前に蓄積されたるものが「福」である。

昔の日本人は、幸福というものをよくわかっていたのだと存じます。環境や身辺のさいわいは「幸」、心の充実やさいわいは「福」。この二つが合わさって「幸福」なんですね。現代人は「幸」ばかり求めているように思えてなりません。季節と共に生かされてることに感謝し、心身の幸せをバランスよく積むこそが ” 粋 ” だと感じる今日この頃です。

京都では「夏越の祓」に水無月(みなづき)を食します。かつて幕府や宮中では氷を口にして暑気払いををする行事がありましたが、庶民は氷を手に入れることはできないので、氷に見立てたお菓子を食べるようになりました。以来、氷片をを型取った三角形の「外郎(ういろう)」に、マメになるようにと小豆を散らした「水無月」を食べることが習慣になりました。小豆は悪魔払いの意味もあるようです。今年も信者様からの多くのお心遣い(水無月)を頂き、身と心とお腹が飽満(みちたり)ました!二夏は越せそうです(笑)。考えますと、現代は一般家庭にもエアコン等がありますが、昔は一夏を越えることに真剣になっておられたんでしょうね。当たり前のことに感謝したいものです。合掌

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六月病

毎年、5月のゴールデンウィークが終わったころ、よく話題に上るのが「五月病」です。しかし、最近 新社会人では5月よりも6月に症状を訴える人が増えていて「六月病」と呼ばれているようです。「五月病」と同じように「六月病」は医学用語ではありません。医学的には「適応障害」に分類されます。この症状は、急激な環境の変化についていけず、心や体が悲鳴をあげている状態です。入社時に限らず、配置転換や転職、退職、結婚、引越しなど環境が大きく変化する時期に起こりがちです。物事を幅広く見れれればいいのですが、「○○で なければならない!」という人に現れやすい症状だそうです。

諸説ありますが、「五月病」は ” 義務 ” (周りに迷惑をかけないか?)という意識、「六月病」は ” 権利 ” (この環境は 自分に合わないのでは?)という意識から起こると言います。「六月病」という言葉が出てきたと言うことは、現代人に ” 公 ” の精神がなくなり、” 私 ” に生きる傾向があるのかもしれません。しかし、若いうちから ” 私 ”というものに主観を置くと、周りの環境になじみにくくなります。なぜなら、世の中は「需要と供給」で成り立つからです。周りが望んでいること(需要)を、絶妙のタイミングや力加減で遂行(供給)できる人材が望まれるのです。学生時代ならともかく、社会は ” 私 ” に合わせてくれるほど優しいものではありません。よほどの天才なら別ですが・・・。

井上裕之氏のお言葉です。「大きな成功、目標、夢を得るためには、時間がかかることを常に意識します。すなわち、小さなことの積み重ねが、夢をかなえてくれることになるのです。しかし、多くの人は、結果を急ぎすぎ、投げ出してしまいます。仕事においても、人生においてもすべてですが、焦らず、ひとつずつ丁寧に積み重ねていくしかありません。成功や目標、夢を叶えるために、時間を楽しむことです。すぐに成果がでないからといって諦めてはいけません。叶えられた人は、運がよいわけでも、才能があるのでもなく、粘り勝ちをした人だと思っています。つまり、多くの人が勝手に辞めていくので、続けていけば勝てるのです。夢を叶えたいなら続けよう!!」(『コーチが教える!「すぐやる」技術』  フォレスト出版)

新しい環境に身を置くと、周りのアラがよく見えるものです。でも ” 私の正義 ” に需要がなければ、誰も見向きをしてくれません。主張だけして 責任が取れなければ、それは ただのワガママです。まず 世の中の矛盾を受け入れ、器を広げることが大切ではないでしょうか。物事を修めるには時間(忍耐)が必要です。才能ではなく、物事を続けていける人が最終的に勝つのだと思います。そういった意味で人間は平等です。男と女、本能と理性、権利と義務、過去と未来、需要と供給、公と私、主張と責任、平等と公平、忍耐と効率、正と負・・・あらゆる二極に分かれるものを包み込む精進こそが、真の修行(中道)だと存じます。合掌

感情が消化しきれなくなったら、海に向かって叫びましょう!・・・私は琵琶湖ですが・・・。

感情が消化しきれなくなったら、海に向かって叫びましょう!・・・私は琵琶湖ですが・・・。

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大坂の陣終結400年

本日6月4日は豊臣秀頼公のご命日です。先月、旧暦の5月8日に合わせ 奉職寺院では 「 秀頼公忌(秀頼公を偲ぶ法要)」 が行われました。境内に秀頼公の首塚が祀られることから 毎年勤められますが、今年は大坂の陣終結から400年の節目の法要でした。秀頼公は 天下人となった豊臣秀吉の子息と云われ、母は茶々(淀君)です。秀吉亡き後、豊臣家と徳川家の関係は微妙な状態が続き、大坂の陣が勃発。最終的に豊臣軍は敗北し、秀頼と淀君は自害したと伝えらます。秀頼公は 享年23歳でした。今回の秀頼公忌は 「淀君」という琵琶歌を奉納演奏させていただきました。

しかし 今回の供養はとても複雑で・・・私の立場は、豊臣秀次公がお建てになった西願寺の住職です。秀次公は 秀吉の姉、とも様の息子で、跡継ぎがいなかった秀吉の後継者として養子に入り、関白にまでなられたお方です。しかし、秀吉晩年に秀頼公がご誕生されたことから 秀次公は疎まれてしまい、三条河原で一族もろとも殺されてしまいました。ですから、秀頼公と秀次公は因縁深い関係となります。

さらに申せば、奉職寺院も西願寺も浄土宗に属しています。浄土宗は 豊臣家を滅ぼした徳川家康公が信奉された宗派です。先日6月1日が家康公の400回忌に当たり、総本山の知恩院では 盛大に法要が勤められました。こういったご縁から、浄土宗紋は徳川家の「葵の御紋」を使用しています。実は、秀頼公を祀る奉職寺院も徳川家による建立です・・・つまり、このたびの豊臣秀頼公400年忌の奉納演奏は、敵方の徳川家が建てた本堂で、因縁のある豊臣秀次公寺院の住職が供養する空間となったのです。まさに恩讐を超えた不思議な感覚でした。

    

しかし、これが佛教の真骨頂ではないでしょうか。諸説ありますが「佛」という字・・・弗(ふつ)を合わせた字ですが、 弗は ” 反対に曲がった二本に木に綱を掛け合わす意味 ” で、この網が慈悲をあらわします。いかなるものを包み込む、推し量る出来ない大きな慈悲を持った人・・・これを佛と言って崇拝するのです。この400年という時の流れで、恨み、憎しみというものを越えて、大坂の陣に縁のあったすべての方が、佛の大きな慈悲に包まれればと思い 奉納演奏させていただきました。

佛教は「和をもって貴し」の精神です。この大きな節目に立ち会えたこと、本当に嬉しく思います。この法要で 様々な因縁が解消されればと存じます。また奇しくも、今年は大東亜敗戦から70年の節目の年でもあります。世界の情勢は混沌としてますが、すべての人々が、様々な因縁を越えて 佛の慈悲に包まれることを 心よりお祈りします。合掌

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出世間(しゅっせけん)ばなし

今月10日、東京のお寺で琵琶説教を勤めました。もう11回目のご縁ですが、年々聴衆が増え、今年も本堂いっぱいの200人の参拝者が来て下さいました。このお寺の聴衆は真剣です。メモを取られる方も多く、知的なメリハリのある都会の雰囲気が大好きです。将来は首都に庵を開き、信徒に布教活動をするのが 私の夢です。

法話終了後は、副住職に接待していただきました。以前も申しましたが、彼は修行道場の同期で 誕生日が同じです。まさに双子のような存在で、年に1度、語らうことを楽しみにしています。私が食事の美味しさに感動していると、彼はこんな事をつぶやきました。「今の喜びは、きっと過去世の子孫が僕たちに回向してくれてるだな」・・・ポカンとする私に彼は続けました。

「僕たちは今年で40歳になったよね。ということは41年前に過去世で亡くなっているんだ。つまり過去世から現世へは 四十九日で生まれ変わり、十月十日の間 母の胎内に入り 今の生がある。これで丁度1年だろ?だから41年前に過去世で死んでるのさ。そこで僕は思う。日頃 何げに嬉しい事があるのは、きっと過去世の子孫が 僕たちの冥福を祈ってくれてるからさ」

さらに「冥福の ” 冥 ” の字は、暗いという意味だけど、真っ暗闇ではなく、ほのかな光のある暗さを意味する。現世に絶望する人が多いけど、今こそ僕たち僧侶は、冥福の大切さを伝えなげなければならない。この教えを次世代につなげれば、必ず僕たちも来世で回向してもらえる存在となり、その時 また喜びを味わえる。そして そのことを知って感謝すれば、子孫にも幸福がおとずれるんだよ。僕たち僧侶は、” 人間という冥界 ” の中に ” 光 ” を感じることができる方向を示さなくてはならないんだよな」・・・もちろん、今の我々自身が先祖の幸福を祈り、回向するのも同じ理論です。生死を超えた過去・現在・未来はすべてつながっており、行い、言葉、行動は自分に返ってくるのです。このような輪廻(命のつながり)の思想を取り戻し、仏事を行うことによって幸福しかない世界が見えてきます。そうすれば ” 徳を積む ” と言うことも おのずと理解が出来るようになります。現代の幸福論は、いずれも ” 自分の幸せを第一 ” に考えるから歪みがでてくるのです。

彼は最後こう締めくくりました。「今の我々がすべきことは、南無阿弥陀仏を信じ、毎日を機嫌良く生きることじゃないかな。これで先祖も子孫も救われるんだよ。そんな中、一番してはいけないことは嫉妬、恨み、そねみ 等の暗い心。その念が過去・現在・未来のすべての縁者を不幸にする。そう考えると、来世の幸福を確信し、この世を ” 生きてるだけで丸儲け ” の精神で楽しめばいいんだよね」・・・彼との会話には、細かい悩み相談なんていりません。同じ方向を向いて、また 同じ時間生きている存在が居てくれることに本当に感謝でした。また この感謝の心が、三世のすべての縁者を喜ばせるものだと思うと、仏教とは喜びしかない世界なんだと思います。

今、いろんな事に悩んでらっしゃる方が多いと思いますが、結論を言うと、” 来世の往生を喜び、自分の機嫌を取ること ” ・・・これだけなんです。様々な陰口・悪口・嫉妬・・・言わせておきましょう(笑)。私も遠慮することなく、人という冥界を楽しもうと思いました。死後の光は約束されてるんですから!。いつ死んでも、どう転んだって幸福しかありません!。彼との「世間ばなし」ならぬ、「出世間(しゅっせけん)ばなし」で今年も色々 学ばせていただきました。合掌

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祝日の意義

大型連休の真っ只中です。皆様いかかお過ごしでしょうか。お寺は祝日に関係なく法務を勤めています。しかし、どんな忙しくとも 祝日の意義は忘れてならないと思っています。本来 祝日とは、” 国民がよりよき社会、より豊かにな生活を築きあげるため、自然への畏敬の念、歴史、文化を尊び、社会や先人、家族などに感謝をする日 ” です。ただの休日になってしまっては 何の意味もありません。そこで「国民の祝日に関する法律」を記してみます。

元日 1月1日
   年のはじめを祝う。
成人の日 1月の第二月曜日 
   おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日 
   建国をしのび、国を愛する心を養う。
春分の日 春分日 
   自然をたたえ、生物をいつくしむ。
昭和の日 4月29日 
   激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日 5月3日 
   日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日 5月4日 
   自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日 5月5日 
   こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日 7月の第三月曜日 
   海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
敬老の日 9月の第三月曜日 
   多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
秋分の日 秋分日 
   祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。
体育の日 10月の第二月曜日 
   スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
文化の日 11月3日 
   自由と平和を愛し、文化をすすめる。
勤労感謝の日 11月23日 
   勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
天皇誕生日 12月23日 
   天皇の誕生日を祝う。

いかかでしょうか。例えば、本日5月5日の「こどもの日」の意義は、” こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する ” とあります。しかし、同月第二日曜日には「母の日」があるためか、「こどもの日」が母に感謝する日であることは、ほとんど忘れられてるのではないでしょうか。その他にも「成人の日」に若者が荒れたり、「秋分の日」に運動会をしたり・・・ひとつづつの意義を反芻しますと、国民の意識と行動は 喜劇のような滑稽さがあります(笑)。

大山 武 氏のお言葉です。「子供たちの健やかな成長には日常生活に根差したアイデンティティーが必要だ。その一つに国民としての共通の風習や伝統行事を家族や地域の人々と共に体験することが大切だ。日本の伝統・文化が凝縮されている国民の祝日はその典型である。日本の長い歴史の中にで先人は、畏敬の念を抱いて自然の恵みに感謝し、生産的な活動である日頃の仕事を離れて、地域の皆でお祭りをするという宗教的情操を熟成してきたが、現在の法律では直接的な宗教的意義は取り払われている」

祝日には、その国の伝統や文化が深く関わっています。現代は 何の自覚や誇りもない人間が多くなったと言いますが、それは物事の意義を考えなくなったツケだと存じます。総代様が小学生の頃は、祝日でも いったん通学があり、その日の意義を教えてもらい 饅頭をもらって帰宅したと聞きます。今一度、国民の一体感、誇りや自信を呼び戻すためにも、学校や地域での行事などで祝日の由来や意義を伝え、感謝の心を育て、この国のことを再認識することが大切ではないでしょうか。合掌

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自信

先日、山口県は周防大島で 琵琶説教を勤めてきました。広島駅から在来線で約一時間半。大畠駅から車で小一時間の 沖家室(おきかむろ)島にあるお寺です。ここには『まんが日本昔ばなし』にも放映された「ふか地蔵」がいらっしゃいます。10年ぶりの仏縁でした。今回は5日間で8席、『法然上人御一代記』をお聴き頂きました。この法要は「回向法要」と言って、檀信徒が一年間に積んだ念仏の功徳を ご先祖さまや 世の中に回し向けるために勤められています。ご本尊からの御手(みて)の糸が、境内に建てられた大塔婆に繋がっている様子は圧巻でした。江戸時代から244年目の伝統行事で、とても深く、重みのある法要でした。法灯を絶やすことなく 最後まで勤められたことは、私にとって大きな自信となりました。有縁の皆様、本当に有難うございました。

  

    

最近、琵琶説教で伺うと よく言われることがあります。「あんた、テレビに出れるで!」・・・。その方にとって、最大の褒め言葉なのかもしれません(笑)。実際、先日、NHKの有名なテレビ番組への出演依頼がありました。担当の方に誠意あるお言葉を頂戴しましたが、丁重にお断りしました。私にとって琵琶説教は「芸」ではなく「布教」です。テレビ出演のメリットはあるでしょうが、やはり布教は 聴衆と同じ空気を吸って成り立つものだと思います。編集された画面からでは伝わりにくいと思うのです。まして まだまだ浅学の身、自分を見失うことのないよう精進していく所存です。

心理学者・多湖 輝 氏のお言葉です。「ゆっくりと、しかも着実に」は、ものごとを成しとげる基本とされているが、どんなにわずかなレベルアップでも、レベルアップしたという実績が、人の心に与える力は実に大きい。大目標をいきなりめざすより、小目標を一つずつ達成していくことが、自信を生む源泉なのである。ところが、世の中には、自分自身に大目標の無理難題を背負わせて、いたずらに焦燥感にかられたり、自信を喪失したりしている人が少なくないのだ。小さな目標を一つずつ達成することが自信を生むのだ。(『1日1践!かんたん「自己暗示」で一生が変わる』 ぜんにち出版)

何事も一歩づつ、分相応に進んでいきたいと思います。それが自信になり、次の一歩に繋がります。回向法要の檀信者さまのコツコツとした姿勢に、その思いを強く致しました。合掌

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花祭り

本日は「花祭り【お釈迦さまの誕生日】」です。寺院では 花を飾った水盤の上に誕生仏【お生まれになった時のお釈迦さまの像】を安置します。もともと「灌仏会(かんぶつえ)」ともいうように、誕生仏の頭の上から甘茶をかける風習があります。花をまつる所以は、ご誕生の聖地・ルンビニの花園を表しています。甘茶をかける由縁は、お釈迦さまが誕生された時、九龍が天から降りてきて、口から吐いた香水で洗浴したという言い伝えからきています。産湯の役目をしたのかもしれません。古来より 甘茶は霊力があると云われ、参詣者は水筒に入れて持ち帰り、家族で飲み合って健康を祈願されます。

 

さて、この季節は気温も上がり 虫が出てくる頃です。様々な言い伝えがありますが、花祭りの甘茶で墨をすり、「虫」の字を書いた紙、また「卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙を逆さまにして、柱や壁、天井などに貼ると虫除けになると云われるのはご存じでしょうか。ぜひ是非 お試しあれ。

 

誕生仏の不思議なポーズは、お生まれになった直後、すくっと立ち上がり、七歩 歩いた後、右手を上に挙げ 左手を下に指されたことに由来します。そして「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」とお唱えになります。現在 この言葉は ” 自己中心 ” とか ” 傍若無人 ” と同じ意味で使われることがありますが、本来は「天上・天下広しといえども、我々人間にしか果たせない、たった一つの尊い目的があって生まれてきたのである」ということです。

お釈迦さまのお言葉です。「人の身 受け難くして 今すでに受く。仏法 聞き難くして 今ここに聞く。この身 今生において度せずんば、いずれの世においてか この身を度せん。今、至心に三宝に帰依し奉る」(生まれ難い人間に生まれ、聞き難い仏法を聞けてよかった。何がなんでも今生で ” 生死の一大事(死んだらどうなるのかの大問題)” を解決しなければ、いつの世でできるであろうか。永遠のチャンスは今しかない。みな人よ、真剣に仏法を聞かねばならぬ)。釈尊のお勧めのように、すべての人の生まれてきた唯一の目的は、南無阿弥陀仏と称える身となり、極楽往生をすることにあるのです。この人生 究極の目的が解った時、天と地に向かって「天上天下 唯我独尊」と叫べずにおれなくなるのです。花祭りを機縁に、たった一度の人生、私たちは何に命を尽くすべきか深く考えてみたいものです。合掌

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臨終行儀

今月4日に隣寺の御老僧がご遷化され、本日 中陰二七日の導師を勤めさせていただきました。朴訥として余計なことを語らず、泥だらけになりながら掃除に明け暮れ、お寺を50年間守られた和尚様でした。檀家の信望も厚く、3年前には本堂や庫裏の立て替え、昨年末に住職を交代、すべてをやり遂げられ、最期はホスピスで延命治療をせず、臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)[臨終時における作法]を行い、往生なされました。

臨終行儀はご存じでしょうか。わかりやすく説明した文章がありましたので紹介します。
「 昔は入院できる病院などなく、医者にかかることさえ贅沢といわれていたぐらいなので、誰しもみな自分の家で死を迎えていた。そのため死んでいく人と、それを看取る人の心得としての臨終行儀があった。安らかな臨終を迎えさせたい、迎えたい、という願いとそれを実現する智恵を集めたものが臨終行儀である。現在ではほとんどの人が病院で死を迎えており、延命治療のしすぎが問題になるほど治療に関しては恵まれているが、その反面、病気や死に関することの多くが病院まかせになってしまった。自分や親しい人の死と向き合い、それを受けいれることはすべての人に訪れる試練であり、死から眼をそむけることは、生から眼をそむけることでもある。昔は多くの人が辞世の言葉を残しているが、今そうしたことを聞かないのは死を見つめることが疎かになった証拠かもしれない。死から目をそむけている人は、死にゆく人と深い交流を持つことはできない。死にゆく人と接するときには、自らがしっかりとした死生観を持っていなければならないのである。それでは死をどうとらえて臨終を迎えた人と接したらいいのか、ということを考えた場合、もっとも説明しやすく、また納得してもらいやすいのは、死はこの世からあの世への通過点であり、極楽浄土への入り口である、ととらえることである。そう信じることができれば死後の世界は明るいものとなる。反対に死は永遠の暗闇であるとか、無に帰るだけというのでは、死にゆく人を慰めるのは難しい。つまり死の問題の核心には、私たちは死後どうなるのかという問題が隠れている。臨終行儀は人生の一大事に対処するための智恵の集積であり、それは誰もが心得ておくべき事である」

御老僧はしっかりと死と向き合われました。臨終行儀は 仏のお迎えを待つ作法であり、まず臨終の人からよく見えるように阿弥陀仏の像を安置し、仏像の左手から五色の糸をのばし、臨終者の左手に持たせます。これはお浄土へ導いてもらうための糸であり、付きそいの人が 南無阿弥陀仏を死にゆく人と声をあわせて称え、その息に合わせるように念仏します。その際、魔除けの鐘を 早すぎず、強すぎず、柔らかく静かに、絶やさないように打ち、正念を与えます。また臨終を迎える人は喉がかわくので、きれいな紙に水を含ませて、くちびるを潤してあげるとよいと云います。そして、ときどき声をかけて 何か見えるものがあるかを聞きます。これは阿弥陀仏の来迎を確認するためです。 臨終の間際になったら、看取る人は鐘を打ちながら念仏のみを称え、臨終者から目を離さず息を引き取る瞬間を必ず見とどけます。大事なことは、息絶えた後もしばらくは耳にお経やお念仏を入れるようにすることです。これが本来の 枕経 と呼ばれるものです。

御老僧は、ご家族や檀家に見守られながら「最高!」という合図をされ、「してやったり」のご尊顔で往生なされました。死を超越することは、地位や名誉、権力、お金・・・何にも勝るものだからです。南無阿弥陀仏は凄いなぁ~と感じる最期でありました。宗教は現世利益や道徳のためにあるのではなく、魂が救われるためにあるのです。これこそが真の救いです。ただ臨終行儀は、ご家族の理解はもちろんのこと、何より心より尊敬する導師(僧侶)を見つけねばなりません。この状況を作るには、まさしく日頃の心構えが大事になるわけです。また宗教を理解するには、この死生観が必要です。御老僧のお姿から、僧侶として、また人間としての大切な心構えを学ばせて頂きました。南無阿弥陀仏

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