日々の法務で、「人生の坂道」について考えさせられることがあります。そんな時、仏教の引き出しとは別に、こんな言葉を噛みしめます。
「上り坂の儒家(じゅか)、下り坂の老荘(ろうそう)」
孔子の教えは「儒教(儒家)」、老子と荘子(老子の
後継者)を合わせて「老荘思想」と呼びます。
孔子は「社会の中でどう生きるか(道徳・礼儀)」を
説き、老子は「自然の流れに身を任せてどう生きるか
(自由・無為)」を説きました。
「上り坂の儒家(じゅか)、下り坂の老荘(ろうそう)」
心身ともに充実し、目標に向かって突き進む 「上り坂」の時は、孔子の説く儒教のように 自らを律し、努力を重ねることで 高い景色を目指す のが良いと思います。
しかし、人生は常に右肩上がりではありません。思い通りにいかない 「下り坂」の時があります。走り疲れて立ち止まりたくなった時、老子の説く「ゆるさ」や、物事を良し悪しで裁かない「ありのまま」の思考が、私たちの命を救う武器になると考えます。
「上り坂の儒家、下り坂の老荘」、、、最近、そう呟く日が増えました。というのも、住職の周りには、常に「上り坂こそが正義」とする儒教的な無言の圧力や、叱咤激励の言葉にあふれているからです(笑)。
そんな時、私はふと、その先にある晩年に思いを馳せるのです。いつか、これらの「肩書き」をすべてお返しした時、、、その先にこそ、本当の意味で穏やかな時が待っているのではないか。立派な肩書きや働きを持つ自分ではなく、何も持たない「ありのままの自分」をただ愛せるようになった時、人として最高の幸せを感じられるのではないかと。
「ありのままの自分でいい」という安心感は、決して活力を奪うものではありません。皆様も、心が折れそうになったら、この老子の温かな知恵を思い出してください。人生には、本当は上下も勝ち負けも存在しないのです。
比叡山 延暦寺の開祖・最澄さまも、人間にとって最も大切なことを一言で説かれます。
「一隅(いちぐう)を照らす、これ則ち国宝なり」
私たちは、無理に世界の中心を照らす必要はありません。自分が今いるその場所で、自分にできる精一杯を尽くし、その場を明るく照らすこと。それだけで国の宝なのです!
進歩と調和。この両輪を旨に、一人の人間として 今いる場所をそっと照らしていく。それこそが、何にも代えがたい尊い生き方の結論であると信じています。合掌












































