午年に考える「三つの間(ま)」

新年あけましておめでとうございます。

前回のブログで、午(ウマ)年は「炎の年」と申しました。火をウマく使うには、勢いだけでなく、“保つ”ことが大切だと考えます。今回は具体的なコツを愚考します。それには、三つの「間(ま)」が大切です。

・1つ目の間:「時間(じかん)」
時間は、誰にとっても平等です。一日は24時間、若者も老人も同じです。しかし人生が好転してる人は、時間を詰め込みません。

不思議なもので、予定を詰めすぎると、心は貧しくなります。逆に、何もしない時間を怖がらなくなった人ほど、人生が整っていき 余裕が出てきます

・2つ目の間:「空間(くうかん)」
部屋、職場、人の距離感。空間にも「間」があります。物が多すぎる空間は、心も情報も渋滞します。人間関係も同じで、近づきすぎると、摩擦が起きます。

空間に余白がある人は、自然と品が生まれます。余白は、無駄ではなく、力です。空間の「間」を保てる人は、静かに強いのです

・3つ目の間:「人間(じんかん)」
ここでは「人間」と書いて、〝 にんげん〝 ではなく、〝 じんかん〝 と読みます。人と人との「あいだ」。これが、最も難しいですね。

先程の時間・空間とリンクする部分はありますが、人間(じんかん)には唯一、対象物があります。相手を自分の意に沿うように考えると、関係は必ず歪みます。しかし、距離を保ちながら信頼できる人は、結果的に、長く深くつながっていきます。人間関係は、濃さより、呼吸です。この「間」を保てた者は、人に振り回されなくなります。

⚫️三つの間がウマく保てたとき
時間・空間・人間。この三つの「間」が整うと、

・無理をしなくなる
・焦らなくなる
・比べなくなる

そして気づけば、自分軸の人生が回りはじめます。走り続ける馬よりも、間合いを知っている馬の方が、遠くまで行きます。午年は、速さを競う年ではなく、間を整える年だと考えます。煩悩の火力を調整して、自分らしい人生を末永く歩みたいものです。合掌

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午年(うまどし)の心構え

今年も残りわずかとなりました。
来年は午(うま)年です。炎の性格をもつ年と云われます。午とは「正午」のことで、太陽が真上に昇り、陽の気が極みに達します。つまり、勢いと情熱が最も強く現れる時期を意味します。だからこそ、午年は「燃え方」を問う年だと言えるでしょう

過去の午年を振り返ると、社会にも個人にも転換が起こっています。

1966年:「学園紛争」の芽が出始めた年。→ 若者が既成秩序に火をつけました。

1978年:日中平和友好条約締結。対立から協調への転換の年。 → 炎を「融和」に使った例になります。

1990年:バブル経済崩壊前夜。→ 燃え上がった欲の火が、崩壊を呼びました。

2002年:日韓W杯・北朝鮮問題の年。→ 勢いと情熱の火が交錯しました。

2014年:SNS時代の炎上文化。→ 表現が「攻撃」にも変わり得る時代になりました。

どの午年も、「火の勢い」「制御の難しさ」を教えています。

特に来年の丙午(ひのえうま)は、火の陽がさらに強まる年になります。古くから「気が強い年」とも言われますが、それは悪い意味ではなく、信念を貫き、行動を形にできる力が最高潮に達するということです。問題は、その炎をどこへ向けるかです。

午年とは、心の火をどう扱うかを学ぶ年。燃え尽きることを恐れず、しかし焦がすことなく、末永く、静かに燃え続けることを意識して下さい。

皆様、良いお年をお迎え下さいませ。合掌

追伸
本日は、西願寺28世 禅蓮社住誉上人薫阿浄香了芸老和尚の80回忌祥忌日でした。ご身内がいらっしゃらないので、実質 私が唯一回向できる者になります。謹んで回向をさせていただきました。南無阿弥陀仏

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相手一番、自分二番

先月10月25日、滋賀県浄土宗檀信徒大会で、琵琶説教をさせていただきました。会場は、地元の近江八幡市文化会館。1000人規模の檀信徒の皆様が一堂に会する中で 自身が創作した法然上人の物語を語るというのは、感慨深いものがありました。

演奏前、スタッフの方から「こんな大舞台で緊張しませんか?」と聞かれました。けれど、不思議と私は緊張しないのです。それは、モノマネ芸人・コロッケさんの座右の銘である「相手一番、自分二番」という言葉に尽きます。

自分がうまく語れるか、拍手があるかどうか、そんなことを考えていたら、体は固まり、心は乱れます。でも、私が舞台に立つのは「自分を見せるため」ではありません。語る物語の登場人物、そして聞いてくださる方々に光を当てるためです。その瞬間、私は「自分」ではなく、ただ物語を運ぶ器になります。だから緊張しないのです。

琵琶説教とは、物語の登場人物が生き、苦しみ、祈る姿を、自分の体を通して伝える。そのとき私は、語り手でありながら、もう一人の聴き手でもあります。つまり、舞台の中心にいるのは、私ではありません。物語の中に生きる人々、そしてそれを聴いてくださる皆さまです。私はその間を結ぶ橋でありたいと思います。光が当たるのは、常に相手。だからこそ、自分の中にも静かな光が灯るのです

「相手一番、自分二番」

この舞台を支えてくださった実行委員の方々、奉仕を賜ったお上人方、役員の皆様、また聴聞してくださった檀信徒の方々に、心より感謝申し上げます。また、僧侶生活30年あまりの道程の中で、学びを支えてくださった多くの方々にも、深い敬意と感謝を捧げます。合掌

檀信徒会の会長さまより、あたたかな礼状をいただきました。

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テレビ撮影から学ぶこと

今月、2件のテレビ出演をしました。

2つの収録で印象的だったのは、ディレクターの「何を持って撮れ高にするか」という視点でした。笑い、人情、情報、知識 …… さまざまな要素の配分で、番組の趣旨が大きく変わります。

番組制作は、まさにチームプレーの結集でした。下交渉から始まり、無から有を想像して形を造っていきます。当日はAD、音響、運搬、ディレクター等の方々が出演者を引き立て、綿密な編集作業の後、スタジオや一般の視聴者に届けられるのです。すべての人が関わり合いながら、一つの番組ができあがっていく過程を実感しました。

みんなが主役。
みんなが引き立て役。
みんなが必要。

この経験から、我々一人一人が 未来に明確な視点を持ち、個性を出し、わきまえ、尊重することで社会は明るくなるのだと思いました。結局 私達は、縁のつながりで生きているんですね。合掌

10月18日(土)放映
KBS京都 サニータイム
『ガッ地理! 雑学マップ』

10月29日(水)放映
毎日放送 よんチャンTV 
『シャンプーハットのぶら参道』


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感謝と崇敬の念

突然ですが、皆様は神仏の気持ちになって 寺社を参拝されてますでしょうか? 今春、京都の御金(みかね)神社に参拝して、参詣者の行列の長さに驚きました。

金運パワースポットの御金神社

100メートル以上続く行列
一人ひとりが金運アップのお願いをしてると思うと、
神様が とても気の毒に感じます(−_−;)

私は願い事ではなく、感謝と崇敬の念を送っています。
その方が、神仏は悦び 目を掛けていただけます。

参詣者全員が願い事ばかりしていると、神仏もイヤになると思いませんか? ろくな挨拶もなく、敬いも感謝もなく、初対面の者が小銭程度で いきなり自分の欲望をぶつけに来られたら、私が神なら たまったものではありません(汗)。ワシは自動販売機ではない!!と怒ってしまいそうです。

住職が指針としている大切な言葉があります。
「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」
(鎌倉幕府 基本法典「御成敗式目」第一条)

【意味】いかなる神様も人々の崇敬を受けてこそ、そのご威光を輝かすのであり、御神威を高めるのは人の敬う力である。その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、神様の徳によってである。

古来より、神仏は人の崇敬を受ければ受けるほど、その御神威を益々と強めると言われます。すなわち、神仏のお力を高めるのは人の敬の心に他なりません。そして、人が生きていく中で運を与えられるのは、その人の敬の心によって力を増した神仏の徳によるものです。つまり、神仏と人とは互いが互いを高め合う存在であるというのが信仰の基本になることと云うのです

御金神社の狛犬

冷静に憐れんだ眼で、じーっと参拝者を観察されてます

皆様も是非、寺社を参る際には、まず①ご挨拶(住所、氏名、年齢等の自らの立場)をし、②神聖な言動(念仏、真言、般若心経、祝詞等、あるいは賽銭)をお供えし、③直接語りかけられたことへの御礼を述べ、④その上で「○○になれるように頑張ります! お見守り下さい」というお誓いごとで感謝と崇拝の念を送ってみてください。※切なる願掛けをしたならば、必ず御礼(報告)参りは必要です。

上記の指針は、世の中(人間関係)を明るくする方法でもあります。住職自身も この法則に従って人々と接しています。人を敬うことによって 周りが明るくなり、運が巡ってくるのです。決して、願い事(権利)をぶつけて幸せになるのではありません。

感謝と崇敬の念を施す習慣を身に付けることで、上手くいくのです。合掌

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諸行無常を受け入れ、味わい、楽しむ

お彼岸の時期が近づいて参りました。いつも秋彼岸は、遠方へ布教活動に出かけます。琵琶説教師として 『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」、、、という句を導入に語っています。

その一節は、まるで運命の扉が音を立てて閉じるような、重く悲しい印象を与えます。しかし最近、私はこんなふうに感じるのです・・・「諸行無常」とは、何か劇的な出来事だけを語っているのではないのだと ・・・。

本来は、もっと静かで、もっと日々の暮らしの中に忍び込んでいるものなんだと思います。朝起きて見る空の色。ふと感じる風の温度。誰かの表情のかすかな変化。そして、昨日まで確かだった自分の気持ちが、今日には少し違っているということ、、、そうした小さな変化が、気付かぬうちに積もっていき、やがて大きな節目を迎えます。

そう考えると、私達は「変わる」ことを怖がりすぎる必要はないのかもしれません。むしろ、変化は常に起きています。それならばいっそ、それを恐れるよりも、味わい、楽しむように生きてみよう、、、そう思うようになりました。

こだわっていたものが崩れるとき、確かに心は揺れます。でも、変化に慣れ、変化に心を開いていれば、その揺れは次第に「気付き」へと変わっていくのです

マイナスとマイナスをかけるとプラスになる。そんな数学の法則のように、「不安」と「変化」が出会ったときにこそ、人は思いがけない自由を手にするのかもしれません。

今日という一日は、もう二度とやってきません。同じ時、同じ人、同じ風景の中で、私達は常に少しずつ変わり続けています。それを否定するのではなく、受け入れ、味わい、時に楽しむこと。それが、現代を生きる「諸行無常」の智慧ではないかと思うのです。

秋彼岸を前に、そんなことを思いながら、琵琶を語り、お伝えしたいと準備をしています。九州、山口とご縁のある種々のご寺院さま、何卒宜しくお願いします。合掌

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敗戦80年に英霊を偲ぶ

本日は終戦記念日。今年は 我が国が先の大戦に敗れて80年目の年です。この間に日本の様々な良さが消されていますが、温故知新の精神で、良いものを次世代に残していきたいものです。

〝 人は2度死ぬ〝 と言います。1度目の死は、魂が身体から離れた時。2度目の死は、人々が その存在を完全に忘れた時といいます。

日本が続くかぎり、先の大戦のことは忘れ去られることはありませんが、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、ご冥福をお祈りします。決して忘れてはならない存在の方々です

私は戦後30年目の生まれです。今から30年前は、1995年で阪神大震災や地下鉄サリン事件があった年です。こう考えると、時間はアッという間に流れています。先の大戦については 様々な考えはありますが、同時代を生きる者が 当時をのことを共有し、未来の幸福を考える縁になればと思い、『戦艦大和』の琵琶を制作しました。
 
 

今年は様々な場所でで『戦艦大和』を語り、英霊の追悼をしています。すべての御魂が安かれと念じ、本日 終戦の梵鐘を突かせていただきました。合掌

月の真珠さまが、ブログ「京日記 花がたみ」で取り上げて下さいました。感謝申し上げます。九拝
    https://saganotsuki.blog.fc2.com/blog-entry-4751.html?sp

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牛頭天王像に玉眼入魂

本日7月15日は牛頭天王の縁日です。京都では祇園祭が盛大に催されてます。

このブログによく出てくる牛頭天王。祇園精舎の番人で、疫病封じの神としても知られ、明治時代の廃仏毀釈まで全国津々浦々、熱心に信仰されていた神です。琵琶説教師として諸行無常のシンパシーを感じ、コロナウィルス感染拡大を機に オリジナルで仏像を制作してもらいました。現在は住職の念持仏となっています。

縁ある方々を疫病(コロナウィルス)から護っていただきたく ご祈祷を続けてきましたが、1年前に一定の収束気配になりました。そこで 信仰の軸を阿弥陀如来に戻そうと思い、感謝を込めて玉眼を入れさせていただだきました。今後も牛頭天王への変わらぬ信仰はもちろんですが、さらなるパワーアップをされ、様々な悪鬼妖神に睨みを効か利せていただくことを念じ、決断しました。

京都にある北大路極楽堂さまにお願いをし、有数の京仏師をご紹介いただいての大修補でした。

玉眼入魂前の近影

ドキッとするほどの眼力になりました!

憤怒の眼を体現して下さり、
目の周りが充血しています。

牛頭天王像と共に、頭上の牛にも玉眼を入れていただきました。

頭牛は優しく周りを見渡し、黒眼の周りの
かすかな白眼まで表現して下さってます。

完成仏への玉眼は困難を極めるようです。後頭部を縦に削り、後から真っ直ぐはめ込む技術だとお聞きしました。これは勘による一発勝負で、熟練仏師でも失敗の可能性があるようですが、今回は4点すべて成功して下さいました。修補で削られた跡も目立ちません。日本の伝統技能の素晴らしさに感嘆しました。

廃仏毀釈で牛頭天王が消されてから 今年で丁度150年が経ちました。令和に降臨される牛頭天王像が完成し、本当に嬉しく思います。今後とも見守りをお願いします。合掌

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お知らせ

私が30年前に修行をしていた本山で、
信者さまや現修行者に琵琶説教できたことは、
感慨深いものがあります。
この度、27回忌を勤められた江藤澄賢台下の元、
勉学に励んでいました。仏縁に感謝です。合掌

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法事の仕合せ(しあわせ)

本日6月15日、西願寺にて、ごく内々の法要を取り行いました。ひとつは、祖父母(西願寺先々代29世夫婦)の25回忌。もうひとつは、先々々代・西願寺28世住職の80回忌でした。

西願寺28世住職は、私にとって「血のつながり」はありません。しかし、岐阜県から祖父母夫婦を養子に迎え、金森家の姓を継がせ、今の家系を かたち造って下さった方になります。

先祖とは、血だけではなく「縁」で繋がるもの。決して知らない人ではなく、今を生きる私達と深く関係した方々なのです。つまりこの方がいなければ、今の金森家、そして今の私、親族は存在しないのです。そう考えると感謝しかありません。

西願寺(現金森家)の内仏

本来、25回忌や80回忌という法事は一般的ではありません。ですが、あえてこの節目で いとこの方々に声をかけました。

なぜか。

親族もそれぞれに歳を重ね、病気や衰え、不安定な環境におかれている者も増えてきました。そんな中で「ゆっくり顔を合わせる時間を取りなさい」「2年後の法事では遅い、今のタイミングだ!」とインスピレーションが降りたのです。またそれが、初代や祖父母の願いにも感じました。

そしてもうひとつ。

私がこの30年、僧侶として歩んできた中で辿り着いた大きな気付きがあります。それは「法事をやることには、はっきりとした功徳がある」ということです。

「大難は小難に、小難は無難に変わる」

これは、僧侶として30年間歩んできた私の実感であり、最大の悟りでもあります。

法事(読経やお供養)には、時間や費用、気疲れや手間がかかります。けれど、それ以上の尊い意味がある。祖先への感謝を形にし、ご縁のある方々と心を合わせる時間を持つことで「大難は小難に、小難は無難に」変わっていく。そう実感してきました。また、そういうお家を何軒も拝見してきました。

コロナ禍は 人が集まることを謹慎することがマナーとなってましたので、自粛期間の年回は 自分で読経をしてました。住職ですので しっかりと回向が出来ます。誰にも迷惑を掛けません・・・でも何か違う・・・やはり「集って感謝を仕合せ(しあわせ)る」こそが、本来の法事の意義だと確信したのです。

今日、こうして親族と集い、初代や祖父母を偲び、共に手を合わせられること。そのこと自体が、かけがえのない時間でした。また この功徳は参列の各ご家族にも届き、2年後の法事の際に 仕合せ(しあわせ)を共有できるのです。

やっぱり今でした、やってよかった ♪

これからも、ご縁を大切にし、先祖を敬い、今を生きる人との結びつきを深めて参ります。合掌

阿弥陀さま、インスピレーションをありがとうございました ♪

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