感謝と崇敬の念

突然ですが、皆様は神仏の気持ちになって 寺社を参拝されてますでしょうか? 今春、京都の御金(みかね)神社に参拝して、参詣者の行列の長さに驚きました。

金運パワースポットの御金神社

100メートル以上続く行列
一人ひとりが金運アップのお願いをしてると思うと、
神様が とても気の毒に感じます(−_−;)

私は願い事ではなく、感謝と崇敬の念を送っています。
その方が、神仏は悦び 目を掛けていただけます。

参詣者全員が願い事ばかりしていると、神仏もイヤになると思いませんか? ろくな挨拶もなく、敬いも感謝もなく、初対面の者が小銭程度で いきなり自分の欲望をぶつけに来られたら、私が神なら たまったものではありません(汗)。ワシは自動販売機ではない!!と怒ってしまいそうです。

住職が指針としている大切な言葉があります。
「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」
(鎌倉幕府 基本法典「御成敗式目」第一条)

【意味】いかなる神様も人々の崇敬を受けてこそ、そのご威光を輝かすのであり、御神威を高めるのは人の敬う力である。その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、神様の徳によってである。

古来より、神仏は人の崇敬を受ければ受けるほど、その御神威を益々と強めると言われます。すなわち、神仏のお力を高めるのは人の敬の心に他なりません。そして、人が生きていく中で運を与えられるのは、その人の敬の心によって力を増した神仏の徳によるものです。つまり、神仏と人とは互いが互いを高め合う存在であるというのが信仰の基本になることと云うのです

御金神社の狛犬

冷静に憐れんだ眼で、じーっと参拝者を観察されてます

皆様も是非、寺社を参る際には、まず①ご挨拶(住所、氏名、年齢等の自らの立場)をし、②神聖な言動(念仏、真言、般若心経、祝詞等、あるいは賽銭)をお供えし、③直接語りかけられたことへの御礼を述べ、④その上で「○○になれるように頑張ります! お見守り下さい」というお誓いごとで感謝と崇拝の念を送ってみてください。※切なる願掛けをしたならば、必ず御礼(報告)参りは必要です。

上記の指針は、世の中(人間関係)を明るくする方法でもあります。住職自身も この法則に従って人々と接しています。人を敬うことによって 周りが明るくなり、運が巡ってくるのです。決して、願い事(権利)をぶつけて幸せになるのではありません。

感謝と崇敬の念を施す習慣を身に付けることで、上手くいくのです。合掌

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諸行無常を受け入れ、味わい、楽しむ

お彼岸の時期が近づいて参りました。いつも秋彼岸は、遠方へ布教活動に出かけます。琵琶説教師として 『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」、、、という句を導入に語っています。

その一節は、まるで運命の扉が音を立てて閉じるような、重く悲しい印象を与えます。しかし最近、私はこんなふうに感じるのです・・・「諸行無常」とは、何か劇的な出来事だけを語っているのではないのだと ・・・。

本来は、もっと静かで、もっと日々の暮らしの中に忍び込んでいるものなんだと思います。朝起きて見る空の色。ふと感じる風の温度。誰かの表情のかすかな変化。そして、昨日まで確かだった自分の気持ちが、今日には少し違っているということ、、、そうした小さな変化が、気付かぬうちに積もっていき、やがて大きな節目を迎えます。

そう考えると、私達は「変わる」ことを怖がりすぎる必要はないのかもしれません。むしろ、変化は常に起きています。それならばいっそ、それを恐れるよりも、味わい、楽しむように生きてみよう、、、そう思うようになりました。

こだわっていたものが崩れるとき、確かに心は揺れます。でも、変化に慣れ、変化に心を開いていれば、その揺れは次第に「気付き」へと変わっていくのです

マイナスとマイナスをかけるとプラスになる。そんな数学の法則のように、「不安」と「変化」が出会ったときにこそ、人は思いがけない自由を手にするのかもしれません。

今日という一日は、もう二度とやってきません。同じ時、同じ人、同じ風景の中で、私達は常に少しずつ変わり続けています。それを否定するのではなく、受け入れ、味わい、時に楽しむこと。それが、現代を生きる「諸行無常」の智慧ではないかと思うのです。

秋彼岸を前に、そんなことを思いながら、琵琶を語り、お伝えしたいと準備をしています。九州、山口とご縁のある種々のご寺院さま、何卒宜しくお願いします。合掌

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敗戦80年に英霊を偲ぶ

本日は終戦記念日。今年は 我が国が先の大戦に敗れて80年目の年です。この間に日本の様々な良さが消されていますが、温故知新の精神で、良いものを次世代に残していきたいものです。

〝 人は2度死ぬ〝 と言います。1度目の死は、魂が身体から離れた時。2度目の死は、人々が その存在を完全に忘れた時といいます。

日本が続くかぎり、先の大戦のことは忘れ去られることはありませんが、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、ご冥福をお祈りします。決して忘れてはならない存在の方々です

私は戦後30年目の生まれです。今から30年前は、1995年で阪神大震災や地下鉄サリン事件があった年です。こう考えると、時間はアッという間に流れています。先の大戦については 様々な考えはありますが、同時代を生きる者が 当時をのことを共有し、未来の幸福を考える縁になればと思い、『戦艦大和』の琵琶を制作しました。
 
 

今年は様々な場所でで『戦艦大和』を語り、英霊の追悼をしています。すべての御魂が安かれと念じ、本日 終戦の梵鐘を突かせていただきました。合掌

月の真珠さまが、ブログ「京日記 花がたみ」で取り上げて下さいました。感謝申し上げます。九拝
    https://saganotsuki.blog.fc2.com/blog-entry-4751.html?sp

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牛頭天王像に玉眼入魂

本日7月15日は牛頭天王の縁日です。京都では祇園祭が盛大に催されてます。

このブログによく出てくる牛頭天王。祇園精舎の番人で、疫病封じの神としても知られ、明治時代の廃仏毀釈まで全国津々浦々、熱心に信仰されていた神です。琵琶説教師として諸行無常のシンパシーを感じ、コロナウィルス感染拡大を機に オリジナルで仏像を制作してもらいました。現在は住職の念持仏となっています。

縁ある方々を疫病(コロナウィルス)から護っていただきたく ご祈祷を続けてきましたが、1年前に一定の収束気配になりました。そこで 信仰の軸を阿弥陀如来に戻そうと思い、感謝を込めて玉眼を入れさせていただだきました。今後も牛頭天王への変わらぬ信仰はもちろんですが、さらなるパワーアップをされ、様々な悪鬼妖神に睨みを効か利せていただくことを念じ、決断しました。

京都にある北大路極楽堂さまにお願いをし、有数の京仏師をご紹介いただいての大修補でした。

玉眼入魂前の近影

ドキッとするほどの眼力になりました!

憤怒の眼を体現して下さり、
目の周りが充血しています。

牛頭天王像と共に、頭上の牛にも玉眼を入れていただきました。

頭牛は優しく周りを見渡し、黒眼の周りの
かすかな白眼まで表現して下さってます。

完成仏への玉眼は困難を極めるようです。後頭部を縦に削り、後から真っ直ぐはめ込む技術だとお聞きしました。これは勘による一発勝負で、熟練仏師でも失敗の可能性があるようですが、今回は4点すべて成功して下さいました。修補で削られた跡も目立ちません。日本の伝統技能の素晴らしさに感嘆しました。

廃仏毀釈で牛頭天王が消されてから 今年で丁度150年が経ちました。令和に降臨される牛頭天王像が完成し、本当に嬉しく思います。今後とも見守りをお願いします。合掌

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お知らせ

私が30年前に修行をしていた本山で、
信者さまや現修行者に琵琶説教できたことは、
感慨深いものがあります。
この度、27回忌を勤められた江藤澄賢台下の元、
勉学に励んでいました。仏縁に感謝です。合掌

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法事の仕合せ(しあわせ)

本日6月15日、西願寺にて、ごく内々の法要を取り行いました。ひとつは、祖父母(西願寺先々代29世夫婦)の25回忌。もうひとつは、先々々代・西願寺28世住職の80回忌でした。

西願寺28世住職は、私にとって「血のつながり」はありません。しかし、岐阜県から祖父母夫婦を養子に迎え、金森家の姓を継がせ、今の家系を かたち造って下さった方になります。

先祖とは、血だけではなく「縁」で繋がるもの。決して知らない人ではなく、今を生きる私達と深く関係した方々なのです。つまりこの方がいなければ、今の金森家、そして今の私、親族は存在しないのです。そう考えると感謝しかありません。

西願寺(現金森家)の内仏

本来、25回忌や80回忌という法事は一般的ではありません。ですが、あえてこの節目で いとこの方々に声をかけました。

なぜか。

親族もそれぞれに歳を重ね、病気や衰え、不安定な環境におかれている者も増えてきました。そんな中で「ゆっくり顔を合わせる時間を取りなさい」「2年後の法事では遅い、今のタイミングだ!」とインスピレーションが降りたのです。またそれが、初代や祖父母の願いにも感じました。

そしてもうひとつ。

私がこの30年、僧侶として歩んできた中で辿り着いた大きな気付きがあります。それは「法事をやることには、はっきりとした功徳がある」ということです。

「大難は小難に、小難は無難に変わる」

これは、僧侶として30年間歩んできた私の実感であり、最大の悟りでもあります。

法事(読経やお供養)には、時間や費用、気疲れや手間がかかります。けれど、それ以上の尊い意味がある。祖先への感謝を形にし、ご縁のある方々と心を合わせる時間を持つことで「大難は小難に、小難は無難に」変わっていく。そう実感してきました。また、そういうお家を何軒も拝見してきました。

コロナ禍は 人が集まることを謹慎することがマナーとなってましたので、自粛期間の年回は 自分で読経をしてました。住職ですので しっかりと回向が出来ます。誰にも迷惑を掛けません・・・でも何か違う・・・やはり「集って感謝を仕合せ(しあわせ)る」こそが、本来の法事の意義だと確信したのです。

今日、こうして親族と集い、初代や祖父母を偲び、共に手を合わせられること。そのこと自体が、かけがえのない時間でした。また この功徳は参列の各ご家族にも届き、2年後の法事の際に 仕合せ(しあわせ)を共有できるのです。

やっぱり今でした、やってよかった ♪

これからも、ご縁を大切にし、先祖を敬い、今を生きる人との結びつきを深めて参ります。合掌

阿弥陀さま、インスピレーションをありがとうございました ♪

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仏教的プラスマイナスゼロの法則

先日、東京は世田谷の大吉寺さまに琵琶説教でお邪魔しました。今回で16回目の講演ですが、コロナウィルス感染拡大で6年ぶりのご縁となりました。堂内満席の200名の参拝の方々に、温かい拍手を頂戴したのが嬉しかったです。

大吉寺本堂

当日の資料を作成して下さいました

午前中の講演でしたので 前泊させてもらい、副住職の成田淳教上人と久しぶりに夕食を共にしました。以前も申しましたが、彼と私は同じ誕生日で、昭和50年(1975)1月28日生まれです。

感応寺さまのホームページより

淳教上人の祖父は直木賞作家であり、
増上寺の元台下の成田有恒(寺内大吉)上人。

おじいちゃんにそっくり!?

再会した日が、お互いが生まれ18365日目(笑)

会食中、何気に「プラスマイナスゼロの法則」を話をしてました。それは、不幸だけしかない人生、幸福だけしかない人生などあり得ない。人生、何かを得たら何かを失い、何かを失えば何かを手に入れる。そして最後に幸不幸はプラスマイナスゼロになるという法則です。

最終的にゼロになるという結果平等的な考えは仏教に反しますが、今回は 〝 光と陰〝 がプラマイゼロで交錯してるのが人生だという解釈で話をしてました。

同じ日数を生きた彼を観ていると思います。それは、現在の幸せな環境は生まれつきでないことを … 今の表に現れる活躍(輝く部分)のみを見れば、やれ 大寺の威光だの、親の七光りだの、生臭坊主だの、運がいいだの、チヤホヤされているだの、様々な偏見があると思います。

しかし「プラスマイナスゼロの法則」に当てはめて見れば、その光と同じだけの深い陰があるのです。その陰が、苦悩や精進、人々への慈愛の心に当たります。

物事を成し遂げるためには、プレッシャーを跳ね返す精神力や忍耐、世間の流れを読む力や不動心 等々が必要です。現代人は、そのいう陰の部分への尊敬や感謝というものを見失っているように感じます

私達は〝 光と陰(プラスマイナスゼロ)〝 の回廊
を歩んでいる感覚なのだと思います。

真理は「陰を見つめてお陰さまご恩を知って有難う」なのです。この境地になれれば、真なる意味での「プラスマイナスゼロの法則」が理解できるんだと思います。

「世の中には 〝 光と陰〝 がある。光を疑い、嫉妬や否定する人は徳が吸い取られ、お陰や有難さを感じる人に徳のポイントがドンドン貯まっていく。コツをつかめば、成功も失敗もなく 幸せを感じるばかりになる。この裏技を知ってる僕たちは無敵だなぁ〜。徳のポイ活こそが仏教(幸福の近道)だよね^ ^」

修行を満行して30年が経ち、50歳での再会に淳教上人とそのような話で旧交を温めました。合掌

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隕石(いんせき)ストーン念珠

姫路にある牛頭天王総本宮の廣峯(ひろみね)神社は、住職の心の拠り所です。その奥ノ院には降臨されたとされる磐座があります。この場所は宇宙と繋がってるように思えてなりません。ただならぬパワーを感じます。

この磐座は、日本に牛頭天王が最初に
降臨した神聖な場所とされています。

先日、琵琶説教の帰りに参拝させていただきました。
山口県周防大島の永明寺さま、智光院さま、
長期間のご接待、ありがとうございました。

ご祈祷後に、不思議な雲が集まりました。

いただいた宇宙パワーをずっと感じておきたくて、参拝ごとに隕石を集めるようになりました。数ある種類の中で入手できる隕石ストーンは、主に6つあるようです

①ギベオン
②パラサイト
③テクタイト
④モルダバイト
⑤リビアングラス
⑥コンドライト

地球に落ちる隕石の数は、年間約2万個と推定されています。ほとんどのものは大気圏の摩擦熱により燃えてしまい、気化してプラズマとなって流れ、地上では流れ星となって見えます。

多くは海に落ち、地上に落ちたものも他の岩石と見分けがつきにくいため、落下を目撃されない限りは発見されにくいです。その様々な要因を潜り抜け、入手できる隕石にはロマンがありますね。

色々なツテを使い、宇宙のこぼれ玉を集て完成したのが、この念珠となります。

①ギベオン(金、銀)は、かつて宇宙に存在した惑星
などの“核”のかけらで、核とマントルの境目部分は
貴重な ②パラサイト(親玉の銀茶)と呼ばれます。
③テクタイト (黒)・④モルダバイト(緑)
⑤リビアングラス(黄透明)は、隕石が地球に落下した時の
熱と衝撃によって生まれた天然のガラスです。
⑥コンドライト(赤茶)は、地球に落下する隕石で
数が最も多く、我々が想像する隕石はこれになります。

これらの隕石ストーンをひとつにまとめてみました。

6つの隕石が揃ってる念珠は 既製品にはなさそうです。時空を超え、はるかなる旅路を経て地球にたどり着いた隕石系ストーン達は、壮大な宇宙の物語を感じます。

46億年前から、様々なご縁の数々で私の元に来てくれた隕石たちと生かされてる悦びを感じ、住職と縁があった方にも 宇宙の力が届くように勤めていきたいと思います。合掌

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狛犬さま

ちょうど一年前、念持仏の牛頭天王像に厨子が出来たとご報告しました。今回は、神様を邪気から守る狛犬(こまいぬ)が仲間入りしてくれました。これも寄進者が現れ下さったお陰です。心より御礼申し上げます。

この狛犬はオーダーメイドで製作をしていただきました。モデルとしたのは八坂神社の狛犬にしました。

神仏研究家の桜井識子さんによると、西門内の狛犬は 晴明神社の安倍晴明も一目置く、牛頭天王、最強の眷属だそうです。

八坂神社、西門内の狛犬

特に こちらの狛犬が桜井識子さんに語りかけられるようです。
住職の携帯の待受画面です^ ^

狛犬は、諸説ありますが「高麗から伝来したので「高麗犬(こまいぬ)」と呼ばれ、後に「狛犬(こまいぬ)」へと変化したと伝わります。

高麗とは昔の朝鮮半島の呼び名です。牛頭天王は天竺(祇園精舎)から日本の富士山を目指してやって来られました。(到着地は姫路の廣峯山)その途中、朝鮮半島にも滞在されましたので、当時から狛犬(高麗犬)を従えていたのかもしれません。

◎以下は仏師、井尻一茂氏の工程です。

本来の狛犬は「獅子」と「狛犬」に分かれていました。
向かって右側の「獅子」の像は、口を開けた姿です。
対して、向かって左側に設置された「狛犬」の像は、
角があり、口を閉じています。  


過去に 区別されていた「獅子」と「狛犬」ですが、
歴史を重ねていくうちに、呼び方は「狛犬」となり、
姿は「獅子」となりました。

口を開けている像を「阿形(あぎょう)」、閉じている像を「吽形(うんぎょう)」と呼びます。一対をあわせて「阿吽」と呼び、息があっているという意味で使う慣用句、「阿吽の呼吸」の阿吽です。

「阿吽」は、世界の始まりから終わりまでを表現しています。転じて「阿吽」を模している狛犬は、この世のありとあらゆることを知る力があります。ですから、人の言葉を理解することもでき、話すこともできるようです。

日本語の五十音は 「あい(愛)」から始まり「をん(恩)」を結びとします。結局、幸福の法則は 人に親切にすること(愛)から始まり、人へ感謝すること(恩)に帰結します。

つまり、狛犬へ「阿吽(愛恩)」の思いを祈れば、邪気の審査が通り、直接 牛頭天王に語りかけることができるのです。人間、「恩」を感じることが最高の悦びです。その始まりは「愛」から始まることを心得たいと思います

八坂神社の最強の狛犬さまは、今後の住職の心のバロメーターになることと存じます。合掌

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青春時代の豊かな感性

先月、東京の雲光院さまへ琵琶説教に行きました。昨年の藤本台下御巡教のご縁でのリピートでした。心あたたまる おもてなしをしていただき、深川の下町情緒を味わいました。

ご住職手作りのもんじゃ、美味しかったです!
寺内の皆様や信徒さまも遅くまで
お付き合いいただき、ありがとうございました^ ^

その前後の行程で、牛頭天王のいらっしゃる荒川の素盞雄神社大鳥居の羽田神社、そして日本三大弁財天の江島神社に参拝し、有意義な時間を過ごしました。

東京到着後、まず荒川の牛頭天王にご挨拶させていただきました。ご祈祷中、「勤めに追われる毎日ですが、青春時代のような豊かな感性を持ちながら暮らしたいです!」と念じました。すると境内から「Kが大事ですよー!」「アルファベットのKですよー!」と繰り返し絶叫する参拝女性の声がしました。祝詞が聴こえないくらいの大声でした(汗)。堂内の方々と苦笑するほどでした、、、。※実話です。

素盞雄(すさのお)神社

不思議(迷惑?)なご祈祷体験の後、南千住駅前の回向院さまに立ち寄り、吉田松陰先生の墓に参りました。清々しい気持ちで失礼しようとした矢先、目にした物は、、、カールゴッチの墓!! あのプロレスの神様、カールゴッチ氏の墓があったのです(驚)。大のプロレスファンの私のテンションは爆上がりでした。もしや〝 K〝 ってカールゴッチのこと?? しかも、ゴッチって?!!(笑)

日本プロレス界に大きな影響を与えたカールゴッチ氏

この墓はカールゴッチ氏の没後10年、2017年にアントニオ猪木氏、
西村修氏が発起人となり建立されるとありました。

南千住駅から雲光院さまに向かう電車の中、青春時代のようにテンションが上がる〝 K〝 って何だろう?と考えました。そこで浮かんだのが「デンジャラスK」。プロレスファンならお馴染みの川田利明選手のことでした。

調べてみると、現在、世田谷でラーメン屋を開いてらっしゃるとのこと。店名が「麺ジャラスK」、、、これだ!と思い、翌日の雲光院さま講演後に伺いました。

麺ジャラスK
成城学園前駅から徒歩15分。
開店前に待っていたら、川田氏ご本人が出勤。
「少しお待ち下さいー!」と声をかけて下さいました。

川田の声だ〜 ♪

川田さん手作りのカレーラーメン

ジャンボチキンカツとポテトサラダ

憧れの川田利明さん!
私の表情が青春時代に戻ってます。
素盞雄神社、祈祷前の目とは全然違う!(笑)
175センチの私が子供に見えます。

牛頭天王さま、粋な計らいをありがとうございました〜 ♪

この1月で50歳になりました。知らぬ間に立場や責任が上がり、プレッシャーに追われる毎日です。しっかり勤めはしつつ、心の豊かさを失わない生き方をしたいと思います。今回の東京は、そんなことを教えてくれた豊かな旅でした。合掌

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