月別アーカイブ: 4月 2016

真空チタンカップ

前回、厄年の方に「長いもの」を贈るとよい。長いものは、厄を超え ” 長寿を祈る ” の意味だと申しました。この度は、チタンカップを頂戴しました! 新潟県燕市にあるサスギャラリーの真空チタンカップです。ご存じでしょうか? 特徴は、バーナーで炙っても中の氷が溶けないという驚きの保温力にあります。長時間 保温できるコップですので、まさに「長いもの」です(笑)。 その秘訣は、カップの二重構造にあるようです。真空状態の空間部分は 熱を通しにくい性質があるため、冷たさも熱さも外部の影響を受けずに 温度を維持できます。つまり、氷が解けにくいので 飲み物の味も薄まらず、また 熱いものを入れても 持つ手は熱くなりません。さらに 結露で手やテーブルが濡れてしまうこともなく、コースターもいりません。さすがの一言です・・・ここまで来るのに、相当の努力と知恵が重ねられたと存じます。サスギャラリーは、元々 魔法瓶の会社でしたが、その技術を 茶の間で活かせないだろうかと、高い目標と地道な努力を積み重ねられたとお聞きしました。 高原 慶一朗氏のお言葉です。 「高い目標と地道な努力、それが仕事で成功するための両輪ではないでしょうか。人生においても、自分の血肉となる体験は非凡な出来事だけから得られるものではありません。ドラマチックな出来事だけが「体験」ではないのです。これといって特別なことがない平穏無事な1日からも、私たちはたくさんの栄養を得ているはずです。平凡さから得た栄養と、非凡さからもたらされた滋養の間に差があるわけではなく、平凡な日の積み重ねの果てに、非凡な1日が訪れてくるのです。むずかしい球をときどきホームランする打者。やさしい球を確実にヒットにする打者。野球にも、こういうタイプの別があるようです。非凡なひらめき型と平凡な積み重ね型ともいえますが、私が買うのは後者です。そこに「平凡のなかの非凡」を見るからです」(『理屈はいつも死んでいる』  サンマーク出版) まさに日本文化の結集が詰まったカップを頂戴しました。斬新な商品のように見えますが、実は 伝統工芸フロアに売ってるようです。伝統の中にモダンを感じる一品です。” アラブの富豪が爆買いした魔法のコップ ” だとか、” 各国首脳への贈答品 ” と云われる 日本の誇りの品ですが、その原点は「平凡のなかの非凡」の精神にあります。お寺のあり方でも同じです。刺激を求めて 熱しやすく冷めやすいの繰り返しでは長続きしません。このカップのように 一定の熱量を保ち続ける精進をする・・・ここから得る幸福こそが本物なんだということを学びました。お施主さま、誠にありがとうございました。僧侶は布施でお育ていただいてます^^。合掌

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リラックス涅槃像

本日は、お釈迦さまの誕生日(降誕会)です。インドにあるルンビニーの花園でお生まれになったので 「 花まつり 」 ともいい、竜が産湯の代わりに甘露水を降らせたという逸話から、誕生仏の頭から甘茶をかけて祝う風習があります。お釈迦さまは 我々に真理をお説きになり、心の自由(魂の解脱)への方法を与えて下さいました。しかし 同じ正しさでも、世の中の正論は 窮屈だと感じる今日この頃です・・・世間の風潮は こぞって過去や世代を否定します。ご恩の否定、おかげさまの否定、お互いさまの否定 … 潔癖になりすぎて、自分一人で生きている と錯覚する時代になってしまいました。 仏教でも やっていけないこと(戒)を説きますが、犯してしまった後は、自らの反省に任されます。それは 自ら心を調え、明日への時間が与えられるのです。” 許し” が与えられます。もちろん、教団を陥れるような行為は 律という罰則はあります。しかし、今の世の中のように 関係のない人が 寄ってたかってネットリンチをすると 立ち直れません。いくら正論でも エスカレートする一方です。真理と正論・・・考えさせられます。 フリーアナウンサー・長谷川豊氏のお言葉に感銘を受けました。 『昔よりも面白くない』なんてもの、テレビ以外にもあふれてないか?先週お伝えした逗子海水浴場のニュース。あまりにもお客さんの…特に若い男女のマナーが悪いという苦情が相次いだらしい。このままでは、安心して子供を連れて行けない、と。 逗子市は逗子の海岸を「日本一安全でマナーのいい浜辺」として利用できるようにしよう!と決断。結果…酒はダメ…刺青は論外…音楽もかけちゃダメ…逗子海岸は今年施行された法律により、日本一、間違いなく「マナーが良く」「子供にも安心して楽しめる海岸」へと生まれ変わった。そして、大きな問題が発生した。 海開きは7月1日。そこから2週間がたち、逗子海岸お訪れたお客さんは1万3千人。去年の同時期は…7万4千人だった。なんと、客が激減。7分の1の客数では周囲の海の家や旅館は立ち回らない。そう。地元の観光協会やホテルなどが逗子市を相手取って裁判を検討し始めたのだ! 一体何故?マナーがいい方がいいんじゃないのか?親子で安心して遊べる方がいいんじゃないのか?しかし、行政が良かれと思ってやったことは、逗子海岸が「見捨てられた海岸」となる結果をもたらした。 答えの一つはここにあるように思える。 人間は…もっともっと、リラックスして生きている。ダメなことはダメだ。が、その…ダメなことをしちゃうことも受け入れながら生きているのだ。人間はバカで、だらしなくて、だからこそ愛すべき存在で、だからこそ楽しさや苦しみがあるのだ。人間が生きる生活には…本来もっと『のりしろ』があるべきなのだ。そして、多くの人間はそんなこと、とっくの昔に知っていて、だから人間みんな、うまいことやりながら許し、許され、生きている。ダメなことはダメだ。その通り。が、実は人間はそうは言いながらもう少しリラックスして生きるものだし、ダメなことを許容しながら生きている。逗子海岸はそこをあまりにもきっちりと線引きをした。やだよね。そりゃあ。そんな堅っ苦しい海岸。僕でもやだ。さすがに海なら酒くらい飲みたいし。なので誰も行かなくなった。可哀想だが、逗子海岸周辺の海の家やホテルは経営はもはや成り立たないだろう。いくらなんでも客数7分の1位になると…もうやってはいけないだろう。可哀想だが、たたむところが続出するだろう。そして裁判も勝てないだろう。 逗子の海岸を良い方向に持っていこうと考えた行政に罪はない。事実、苦情は山ほど来ていたのだから。と、言うか、むしろ「安全な海を作りたい」の方がよっぽど正論だからだ。正論が…正論すぎて息苦しくなったのだ。 最近はテレビだけじゃなく、行政も何もかも、「そこまで怒らんでも」ってことに対して、怒りすぎ、「そこまできちきちせんでも」ってことで、きちきちしすぎなんです。 会議室の中で考えちゃうと、それでいいって思っちゃうんでしょうね。違うんだよなぁ。人間ってもっともっとリラックスして生きてます。本当はいろんなこと出来るのに、なんだか形上の「正論」にあぐらをかいて、単に決まりを作って、単にあれもこれも辞めるって決めて安心することに甘えて。テレビがつまらなくなったのも、 今の日本が息苦しくなっているのも、 原点は同じだと思う。 お釈迦さまは ” 中道 ” という極端に走らない「のりしろ」のある生活をお説きです。まさに包み込む真理と対立軸を作る正論の違いですね・・・先日、花まつりの甘茶を求め 京の街に出ましたら、ステキな涅槃像に出逢いました。何とも言えないリラックスした雰囲気で、思わず購入してしまいました。力を抜かれ … 続きを読む

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