月別アーカイブ: 7月 2012

大暑

本日は「大暑(たいしょ)」です。一年中で最も暑い日とされ、本格的な夏到来です。奉職寺院では写経会が行われ、怪談話の『土蜘蛛(つちぐも)』を琵琶で語らせて頂きました。暑い中、多くの方が御参拝下さり、また遠くは福島県の方もご縁があり、盛況に終わりました。法要終了後、ある信者様から「鰻の蒲焼き」を頂戴しました。夏の土用の最中で、暑気払いのスタミナを付けて下さいとのことで布施をして下さったのです。こんな事を記しますと「えっ、坊主がウナギ?」と驚かれるかもしれません。この件で言えば、おそらく皆様、生き物を殺す「殺生罪(せっしょうざい)」のことをお聞きになりたいのだと思います。 一言で殺生と言っても、殺し方によって仏法では三通りに分けられています。それは「自殺(じさつ)」「他殺(たさつ)」「随喜同業(ずいきどうごう)」の3つです。最初の「自殺」とは、世間一般に使われる、自らの命を絶つことではありません。自分で生き物を殺すことを言います。次の「他殺」とは、他人に依頼して生き物を殺させる罪をいいます。自分は直接殺さなくても、依頼すれば自分が殺したのと同じ罪だと仏法では教えられます。三番目の「随喜同業」とは、他人が生き物を殺しているのを見て楽しむ罪。殺す場面を見た魚や肉に舌鼓を打つのも、随喜同業の姿といいます。 ですから私は「釣り」や「活け作りを食す」「虫を殺す」等の行為をできるだけ避けておりますが、実際は上手くいきません。先日、ある法事にお伺いした時、ゴキブリが出たのです。「あなた、殺して」と奥さんが頼む(他殺)。「よっしゃ」と引き受けた主人は殺虫剤を手に取り、ゴキブリ目掛けて噴きかける(自殺)。泡の中でもがき苦しむ姿を、私や遺族が見守る(随喜同業)。一瞬の出来事でしたが、それぞれが三つの「殺生罪」を犯した瞬間でした。 このように、私たちはいくら気を付けていても、おびただしい殺生をせずしては生きられません。生きている限りは、深い業を持たざるを得ません。色々と理屈はありますが、我々は多くの犠牲の上に成り立っている存在なのだと認識し、この生かされてる命(使命)を全うしなければいけないと存じます。南無阿弥陀仏  合掌

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お中元

中元(旧暦7月15日)になりました。「お中元」とは、今ではお世話になった人にする「夏季の贈り物のこと」と思われていますが、本来は中国の「三元論」に由来しています。中国では旧暦の1月、7月、10月の15日をそれぞれ「上元」「中元」「下元」に分けて、季節の変わり目に神仏に食物を供え、人々をもてなす風習がありました。これが日本に伝わり、お盆に先祖の霊に供える習慣と結びついたのが、日本の「お中元」だと云われます。感謝の気持ちを捧げるのは、どの国でも変わらない真理ですね。現代は物をもらっても大喜びする時代ではありませんが、盆正月等に交わす気持ちが嬉しいものであります。 本日こんな事がありました。奉職寺院で、観光客がある手帳を見せて無料拝観をされたのはいいのですが、帰り際に「この手帳で先祖回向もタダにならないのか!」と訴えられるんです。ブランド品を携えた還暦ほどの男性でありました。丁度、関東はお盆の時期で、先祖の回向をしたい気持ちは素晴らしいのですが…「回向(えこう)」とは、「真心を回し向ける」の略で、ご先祖様が喜ばれるのは、やはり施主の気持ちであります。身を削ってでも、先祖を護ってくれる仏様や菩提寺にお供えしたいという真心が回向となるのに、それをあたかも物を値切るような回向では、その方のご先祖様は浮かばれないような気がしました。「親の土地を売って今旅行している」と言ってましたが、先人の財産を食いつぶすだけの人生では寂しいものがあります。 私たちが先人から受け継いだものには、お金や物といった「有形の財産」もありますが、何よりも「無形の心の遺産」を大切にせねばならないと思います。その貴重な心の遺産を花咲かせて、次なる世代へ伝えることが、今命あるものの勤めであり、幸福への第一歩だと存じます。 現代は「お中元」のあり方について色々議論されています。「贈ってもお返しをくれたりするからムダだと思う」とか「虚礼廃止のため」や「エコ活動の一環でやめよう」という考えもあります。しかし、伝統行事には必ず何らかの意味があります。このような時代だからこそ、本来の意味(真心の大切さ)だけは伝えていきたいものであります。合掌

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七夕

明日の「七夕(たなばた)」は、7月7日に行なう星祭りです。この日は、一年に一度だけ「織姫(おりひめ)」と「彦星(ひこぼし)」が天の川の上でデートをする日といわれ、この日にちなんで、願い事を書いた短冊を笹の葉につるし、織姫星に技芸の上達を願います。この物語の概略はこうです。結婚して仲むつまじく暮らしていた二人が、楽しさのあまり怠け者となってしまい、織姫の父である「天の神」の怒りを買って会えなくなってしましました。しかし年に1度会うことを許された二人は、七夕を楽しみに、日々仕事に精を出すようになったという話であります。 幼い頃は可哀相な二人だと同情してましたが、最近、年を重ねる事に、この逸話は真理だと思うようになりました。それは人間、これくらいの距離感が良好なのではないかと(笑)。私が日頃心がけているのは「腹六部(はらろくぶ)」という精神です。食事や睡眠、娯楽や人付き合いも、満足の一歩手前を心がけています。僧侶ですと、そのお家の悩み等々、洗いざらいのことが見えてきます。守秘義務ですので、詳細は口が裂けても言いませんが、だいたいのトラブルは「人の距離感」です。特にプライベートの髄まで知り合っている関係は、何かのボタンの掛け違いが起きた時は悲惨な状況になります。やはり何事も「腹六部」程度が丁度ではないかと思うのです。 「三猿(さんえん)」はご存じでしょうか?日光東照宮に目と耳と口を隠しているユーモラスな猿の彫刻があるのですが、これは「見ざる(猿)、言わざる(猿)、聞かざる(猿)」を現します。その意味は、他人の嫌なところは見ない、そして自分の嫌なところも見せない、他人の悪口、軽口は言わない、それから、そういうことは聞かないようにするという「人生訓」であります。たとえ親、夫婦、兄弟、恋人同士という親しい間柄でも、自分以外の人間と付き合うことが時には「三猿」を心がけることによって、自然と「腹六部」の精神に繋がっていくことと存じます。 そういった意味で、織姫と彦星は、いつまでも新鮮な、良い関係いられるのかなぁ…さすが神様のお計らい!と感じます(笑)。合掌    

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