月別アーカイブ: 6月 2015

六月病

毎年、5月のゴールデンウィークが終わったころ、よく話題に上るのが「五月病」です。しかし、最近 新社会人では5月よりも6月に症状を訴える人が増えていて「六月病」と呼ばれているようです。「五月病」と同じように「六月病」は医学用語ではありません。医学的には「適応障害」に分類されます。この症状は、急激な環境の変化についていけず、心や体が悲鳴をあげている状態です。入社時に限らず、配置転換や転職、退職、結婚、引越しなど環境が大きく変化する時期に起こりがちです。物事を幅広く見れれればいいのですが、「○○で なければならない!」という人に現れやすい症状だそうです。 諸説ありますが、「五月病」は ” 義務 ” (周りに迷惑をかけないか?)という意識、「六月病」は ” 権利 ” (この環境は 自分に合わないのでは?)という意識から起こると言います。「六月病」という言葉が出てきたと言うことは、現代人に ” 公 ” の精神がなくなり、” 私 ” に生きる傾向があるのかもしれません。しかし、若いうちから ” 私 ”というものに主観を置くと、周りの環境になじみにくくなります。なぜなら、世の中は「需要と供給」で成り立つからです。周りが望んでいること(需要)を、絶妙のタイミングや力加減で遂行(供給)できる人材が望まれるのです。学生時代ならともかく、社会は ” 私 ” に合わせてくれるほど優しいものではありません。よほどの天才なら別ですが・・・。 井上裕之氏のお言葉です。「大きな成功、目標、夢を得るためには、時間がかかることを常に意識します。すなわち、小さなことの積み重ねが、夢をかなえてくれることになるのです。しかし、多くの人は、結果を急ぎすぎ、投げ出してしまいます。仕事においても、人生においてもすべてですが、焦らず、ひとつずつ丁寧に積み重ねていくしかありません。成功や目標、夢を叶えるために、時間を楽しむことです。すぐに成果がでないからといって諦めてはいけません。叶えられた人は、運がよいわけでも、才能があるのでもなく、粘り勝ちをした人だと思っています。つまり、多くの人が勝手に辞めていくので、続けていけば勝てるのです。夢を叶えたいなら続けよう!!」(『コーチが教える!「すぐやる」技術』  フォレスト出版) 新しい環境に身を置くと、周りのアラがよく見えるものです。でも ” 私の正義 ” に需要がなければ、誰も見向きをしてくれません。主張だけして 責任が取れなければ、それは ただのワガママです。まず 世の中の矛盾を受け入れ、器を広げることが大切ではないでしょうか。物事を修めるには時間(忍耐)が必要です。才能ではなく、物事を続けていける人が最終的に勝つのだと思います。そういった意味で人間は平等です。男と女、本能と理性、権利と義務、過去と未来、需要と供給、公と私、主張と責任、平等と公平、忍耐と効率、正と負・・・あらゆる二極に分かれるものを包み込む精進こそが、真の修行(中道)だと存じます。合掌

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大坂の陣終結400年

本日6月4日は豊臣秀頼公のご命日です。先月、旧暦の5月8日に合わせ 奉職寺院では 「 秀頼公忌(秀頼公を偲ぶ法要)」 が行われました。境内に秀頼公の首塚が祀られることから 毎年勤められますが、今年は大坂の陣終結から400年の節目の法要でした。秀頼公は 天下人となった豊臣秀吉の子息と云われ、母は茶々(淀君)です。秀吉亡き後、豊臣家と徳川家の関係は微妙な状態が続き、大坂の陣が勃発。最終的に豊臣軍は敗北し、秀頼と淀君は自害したと伝えらます。秀頼公は 享年23歳でした。今回の秀頼公忌は 「淀君」という琵琶歌を奉納演奏させていただきました。 しかし 今回の供養はとても複雑で・・・私の立場は、豊臣秀次公がお建てになった西願寺の住職です。秀次公は 秀吉の姉、とも様の息子で、跡継ぎがいなかった秀吉の後継者として養子に入り、関白にまでなられたお方です。しかし、秀吉晩年に秀頼公がご誕生されたことから 秀次公は疎まれてしまい、三条河原で一族もろとも殺されてしまいました。ですから、秀頼公と秀次公は因縁深い関係となります。 さらに申せば、奉職寺院も西願寺も浄土宗に属しています。浄土宗は 豊臣家を滅ぼした徳川家康公が信奉された宗派です。先日6月1日が家康公の400回忌に当たり、総本山の知恩院では 盛大に法要が勤められました。こういったご縁から、浄土宗紋は徳川家の「葵の御紋」を使用しています。実は、秀頼公を祀る奉職寺院も徳川家による建立です・・・つまり、このたびの豊臣秀頼公400年忌の奉納演奏は、敵方の徳川家が建てた本堂で、因縁のある豊臣秀次公寺院の住職が供養する空間となったのです。まさに恩讐を超えた不思議な感覚でした。      しかし、これが佛教の真骨頂ではないでしょうか。諸説ありますが「佛」という字・・・人と弗(ふつ)を合わせた字ですが、 弗は ” 反対に曲がった二本に木に綱を掛け合わす意味 ” で、この網が慈悲をあらわします。いかなるものを包み込む、推し量る出来ない大きな慈悲を持った人・・・これを佛と言って崇拝するのです。この400年という時の流れで、恨み、憎しみというものを越えて、大坂の陣に縁のあったすべての方が、佛の大きな慈悲に包まれればと思い 奉納演奏させていただきました。 佛教は「和をもって貴し」の精神です。この大きな節目に立ち会えたこと、本当に嬉しく思います。この法要で 様々な因縁が解消されればと存じます。また奇しくも、今年は大東亜敗戦から70年の節目の年でもあります。世界の情勢は混沌としてますが、すべての人々が、様々な因縁を越えて 佛の慈悲に包まれることを 心よりお祈りします。合掌

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