月別アーカイブ: 5月 2014

回向(ゴールデンルール)

先日、琵琶説教で東京のお寺に伺いました。今年で10回目のご依頼でした。関東の法要は関西とは違い、法要の前に説教があります。当然、参拝者の目的は法要ですので、 説教の時間はガラガラになる可能性があるのですが、十度の仏縁で 150名の席に立ち見がでるようになり うれしい限りでした。 このお寺の副住職は、私の修行時代の同期で 2年間 同じ釜の飯を食べた仲です。しかも生年月日が同じで、今日までの14358日、同じ時間を過ごしている計算となります。私とは正反対の性格で、貫禄があり、豪快で、人の上に立つタイプです。年に一度しか会えませんが、私が求めいてるほとんどのことを 彼は成就しています。なぜ、そんなことができるのかと聞いてみましたら、こんな言葉が返ってきました。 「それは『回向(えこう)』の力だよ。僕は大の甘党で よくお汁粉を食べる。ある時、あんこの上にクリームをのせたら どんなに美味しいだろうかと思っていたら、先祖回向の申し込みがあったんだ。そして 法要を勤めたら、施主が ” クリームあんパン ” をお供えしてくれたんだよ。これで食べたい物 すべてを手に入れることができた。 めでたし めでたしだ。この回向の力こそが ゴールデンルールなんだよね。わっはっはっは!」・・・禅問答のような話ですが(笑)・・・回向の力を会得すると、自然と思いが叶うということを教えてくれました。 「ゴールデンルール」について、舛田光洋氏が わかりやすく解説されています。ゴールデンルールとは、「自分がしてほしいと思うことを人に与えよ」という法則(ルール)です。人生に幸運と成功を引き寄せるためには、絶対必要な法則なのです。なぜなら、この法則だけが、宇宙に遍満する「繁栄のエネルギー」を流し込むことができるからです。実は、私たちの周りには、目には見えませんが、繁栄のエネルギーが至るところに充満しているのです。この宇宙の繁栄のエネルギーを流しこむことができたなら、どんな望みも手に入り、人生を思うように動かせるのです。そんなとてつもないエネルギーなのです。 また、アメリカの自動車王、ヘンリー・フォードが次のように語っています。「もし、私が今まで築き上げたすべての富を失ったとしても5年もあれば取り返すことができるだろう。なぜなら、私は無限なる宇宙の繁栄のエネルギーとつながる方法を知っているからだ」。世の中の成功者と呼ばれている人の多くは、この「与えれば与えられる」という法則を意識的か、もしくは無意識的に使っているのです。ほとんどの人たちは、間違った法則の中で生きている。与えたら自分のものが減ってしまう。実際に物をあげたら自分の分は減ってしまいます。そして、多くの人は減らないように減らないように自分自身を守って生きています。だから、多くの人は満たされない人生を生きているのです。それは大きな間違いです。物を持つたびに心は貧しくなっていく。与えれば心は豊かになっていく。そして、与えれば与えるほど与えられる。「常に最高の自分を差し出し、多くの人に貢献するぞ」と生き、実践したときにこそ、最高の成功の中に生きることができるのです。(『夢をかなえる「そうじ力」』) この「与えれば与えられる」という法則こそが「回向」の力です。もちろん見返りを求める行動は愚かですが、最高の自分を他に回し向けるこによって、真なる悦びに生かされるのだと思います。そのためには ” 我 ” を捨て、大いなる力(ゴールデンルール)にすべてを任せる勇気が必要です。これがなかなかできません。実は これが ” 信仰 ” の力でもあります。今年も 腹心の友 から大切なことを学ばせて頂きました。合掌  

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人は二度死ぬ

先日、信徒さまのお葬式を勤めさせていただきました。引導を渡したのは 享年41歳の男性で、2年間の闘病生活をされた方でした。あまりに若すぎる死です。節目毎にご母堂さまと墓詣りに来られる心優しい人でした。 僧侶は葬儀を司りますが、いつまでも慣れることがありません。 亡き人の生涯、ご遺族の思いがそれぞれ 異なるからです。しかし どのような状況であっても、私が導師を勤める葬式は、参列者すべてに南無阿弥陀仏を唱えていただくようお願いします。色々な考えはおありでしょうが、できるだけ法話に時間をとり、念仏を唱えるよう説法するのです。僧侶は冷静になって ” 真なる救い ” を示さねばなりません。一緒になって嘆き悲しむことや、良い声でお経を唱える事が ” 救い ” だとお釈迦様がお説きならそうしますが、本当に故人やご遺族が救われる道が 念仏なのだと伝えるのが私の役割です。今回も通夜、葬儀と参列者の念仏の声がだんだん大きくなり、大きな慈悲に包まれながら、故人をお送りすることができました。ご遺族や葬儀社の方も、一体感のある葬式だったと申して下さいました。 霊柩車出発の時、中学時代からの親友だとおっしゃってた男性が、最前列で 呆然と立ってらっしゃってたのが印象的でした。昔、引っ越しのため、仲の良かった友達を見送った 辛く悲しい体験を思い出しました。あの瞬間はやるせないものがあります。二度と会えないと思うと、胸が張り裂けそうな気持ちになります。そう考えると、やはり阿弥陀如来の存在は必要です。来世に必ず再会させる!と約束された阿弥陀さまは居ていただかないといけません。念仏信者にとって ” 死 ” は、 しばしの別れなのです。 「人は二度死ぬ」といいます。一度目は ” 肉体の死 ” 。 二 度目は ” 人々の心の中から忘れ去られる事の死 ” 。遺された者の心の内に生き続け、誰からも忘れ去られないように勤めるのがお寺の役割だと思います。そのために南無阿弥陀仏を唱えるのです。念仏を唱え続けるかぎり繋がっているのです。またその縁で、亡き人が 我々の死に際し、仏と共に迎えに来てくれることでしょう。念仏とは ” 大きな慈悲の中で生かさせて下さること ” だと教えてくれます。毎週伺いする中陰参りは、故人の救いと、ご遺族の心のケアに勤めたいと存じます。 亡き人の ために手向けし念仏は 生きるわが身の 教えなりけり  合掌

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