関東の牛頭天王を訪ねて② 竹寺

雲光院さまご巡教の翌日、関東の友人とともに、埼玉県飯能市にある竹寺に参りました。ここにも牛頭天王と縁があるようです。

神仏研究家の桜井識子さまによると、竹寺の牛頭天王は神社仕様の方と違い、お寺のオーラを持たれた牛頭天王だそうです。神社は物質界に力を発揮するのに対し、お寺は見えない世界に力を作用するとのこと。ですから、住職には馴染みのある雰囲気に感じました。

逢いたかった牛頭明王像と

本坊
この左手を登ると本殿に通じます。

本殿は平成11年に焼失をし、今建っているのは、平成15年に再建されたものとありました。桜井識子さまによると、焼失から再建するまでの間に牛頭天王はここを去ってしまったみたいです。現在の社殿内部には、牛頭天王の眷属がおられるとのことです。

ただ、本殿後方上空は牛頭天王の次元と繋がっているようです

本殿後方
上空に牛頭天王の凄い気を感じました!
前日の羽田ゴッチと同じ感覚の身震いがしました。

本殿前
再度、この本殿にご降臨いただくことをご祈祷しました。

願いが通じたらよいのですが、、、おみくじを引きました。

やはり、大吉 ♪
待ち人→来ます(キッパリ!!)
牛頭天王さま、、、、どこも行かず、
引き続き、竹寺をお護り下さいませ。

参拝後、本殿を下り 本坊まで戻ると、副住職さまが「同業者ですかか?」と尋ねて下さいました(笑)。「はい!」と答えると、住職さままで出てこられて、色々お話を聴かせていただきました。

美味しい茶蕎麦をいただきました。

遠い場所でしたが、次回のご開帳(2033年)の際にはぜひ参りたいと思います。牛頭天王ご本体がお戻りいただくことを、西願寺の念持仏よりお祈りし続けます。合掌

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ご案内

今年は 西願寺をお開きになった豊臣秀次公の430回忌にあたります。
【文禄4年(1595年)7月15日28歳ご遷化】

その節目に 京都国立博物館で特集展示をされてますので、秀次公をお知りいただく機縁にして下されば幸甚です。

西願寺も今年で創建440年目に当たります。
住職も各所で秀次公の琵琶を語り、ご威徳を偲びたいと存じます。合掌

琵琶説教『秀次物語』の譜面

西願寺の七不思議④より

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関東の牛頭天王を訪ねて① 羽田神社

4月5月と東京のご巡教の随行を賜り、その前後日に関東の牛頭天王を4カ所、参拝をしてきました。これから4回に分けて日記を書きます。

今回は4月の雲光院さま前日に参拝した羽田神社を紹介します。4月20日、早めに東京入りし、品川駅から大鳥居駅を下車、徒歩10分の所にある羽田神社に参拝しました。

神仏研究家の桜井識子さまによると、 廣峯神社、八坂神社、今宮神社、津島神社と並ぶ、凄い力を持たれた牛頭天王がいらっしゃるとのこと。コロナ騒動の頃から、行きたくて仕方なかった神社に参拝できました。祈祷札だけは羽田神社から取り寄せ、ここ3年、西願寺にて念いを馳せていました。


桜井識子さまによると、羽田の牛頭天王は 願いの内容ではなく、気まぐれで願いを聞いて下さるとのこと、、、(汗)。宝くじを買う気持ちで、開き直ってご祈祷を受けました。

牛頭天王より
「今撮ってみよ。パワーを見せてやる!」と豪快な声が聴こえ、
何度か断りましたが、最後は恐れながら従いました。
祈祷が始まる前とはいえ、本来は絶対ダメな行動ですm(_ _)m

パワーで画像が揺れてます。わかりますか?

ご祈祷の最中、頸椎から電流が走る感覚がありました。もしや、、、これは、当たり!?と思い、早速おみくじを引くと、、、。

大吉です。やりました^ ^
その予兆はあったのです。参拝前に大鳥居駅近くでの昼食。定食屋での呼出番号が128。私の誕生日だったのです。この時から歓迎を感じてました ♪

今でも羽田のゴッチへ祈りをすると、身体に電流が走る思いがします。得も言われぬ悦を感じてます。今後も一緒に歩んでいただければ幸いです。合掌

ホテルの窓。スカイツリーをバックに。
ゴッチも気持ちよさそうです^ ^
絶対こういうの好きなはずです(笑)

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藤本浄彦台下とご巡教

浄土宗が開かれて850年の節目に、大本山・くろ谷 金戒光明寺の藤本浄彦台下が各地を巡り、布教活動をなされてます。住職も台下からのご指名を賜り、琵琶説教で随行させていただく機縁がありました。

4月21日は、東京江東区の雲光院さまに参りました。奇しくも、師匠・祖父の23回忌の祥当日でした。

雲光院さまの至るところに、
金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀
(アフロ仏)が飾ってました。
この版画は西願寺から出た弟子の作です。
色んな所での繋がりを感じました。

本日5月15日は、東京板橋区の東京大仏、乗蓮寺さまに参りました。終わってすぐにブログを書いています。

弁榮聖者の墓前にて

東京大仏の前で

思えば法然上人は、お悟りになられた43歳の時に修行場の比叡山を下りられ、まず黒谷の地に草庵を結ばれました。それが現在の金戒光明寺になります。それから850年、様々な苦難困難を乗り越え、現在に法灯が受け継がれています。


金戒光明寺の山門にある「浄土真宗最初門」とは、
「日本の浄土宗の真のはじまりの場所」を意味します。

法然上人は在世中、東京方面にご縁はありませんでしたが、850年の年月を経て、法然上人の名代として藤本台下が法を説かれました。

その光景を目の当たりにし、随行のご縁を賜ったことは 誠に有難く、仏縁の尊さを感じました。もう一度、金森昭憲に生まれ直しても、同じご縁をいただくことは難しいでしょう。それだけ色々な方に護られて今があるのです。まさに千載一遇の仏縁でした。すべての方々の導きに感謝します。合掌

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浄土宗開宗850年慶讃大法要

4月11日、浄土宗大本山・くろ谷金戒光明寺で浄土宗開宗850年慶讃大法要があり、記念公演で琵琶説教を勤めました。 

金戒光明寺は、43歳の法然上人が比叡山を下りられ、最初に築かれたお寺(草庵)であり、浄土宗始まりの場所になります。その時から丁度、850年が経ちます。

これまでの研鑽が形となって現れ、最上の幸せを感じました。50年に一度のタイミング。大殿いっぱいの聴衆。万雷の拍手。すべてに感謝で、有り難かったです。

大師前(法然像)で拍手を受けている時、生まれてからの出来事が走馬灯のように思い出され、点が線に繋がった気分になりました。

・・・私は昭和50年、浄土宗開宗800の年に生まれました。初不動の日に生まれましたので、神仏と結び付きが深いと感じています。

お寺で待望の男子。しかも一人っ子で大切に育てられました。特に祖父母は可愛がってくれ、几帳面さと親切心を教えてくれました。部屋では浪曲のテープが流れていた記憶があります。

20歳で僧侶となり、清凉寺(嵯峨釈迦堂)で修行のご縁をいただき、この4月で30年目になります。宿舎で宗教琵琶・江頭法輪(えとうほうりん)氏のカセットテープと出会い、琵琶に興味を持ちました。

清凉寺で随身しながら仏教大学に通わせていただき、筑前琵琶の田中旭泉先生に師事しました。

大学では、藤本浄彦教授(現くろ谷金戒光明寺ご法主)の元、熊谷直実の研究をしました。今回の創作琵琶は金戒光明寺に縁の深い熊谷直実出家の物語を語りました。

27歳の時、琵琶説教師として 琵琶と浪曲を合わせた現代琵琶を制作し、僧侶として物語からの教訓を布教しだしました。

琵琶説教を聴いて下さった方々と 仏縁が広がっていきます。1人の念仏者をつくると、極楽に1本の蓮の花が咲くと言われますが、菊田水月が在家から出家して 西願寺の弟子となり、私の琵琶のロゴマーク、西願寺の仏画等を描いてくれました。今は住職となって 芸術部門で浄土宗に貢献してくれてます。

琵琶説教の仏具(衣、袈裟、フクサ類)は、信徒の里田昭美さまが一手に制作して下さってます。仏具を購入するのは簡単ですが、布施の力を信じ、功徳を活かしていきたいと思ってます。

その他、書ききれない程、多くの出会い、助けがあって今の私があります・・・

この時間は、私の人生において上位の思い出になりました。最上の悦びです。「喜び」ではなく「悦び」です。

我々がいつも使う「喜び」は、外的刺激に対する反応ですが、一方、「悦び」は一人で無条件に自分の中から湧き上がるよろこびです

「悦」という字の偏はりっしんべんで、意味は「心」です。外的な刺激や条件に関係なく、何か真剣に取り組んでいる時に心の中から湧き上がるよろこび、ワクワクする楽しい感情が「悦び」です。

ですから、この感覚は 他人に説明してもわかりません。話しても興味もないでしょう。しかし、自分の中だけの崩れることのない〝 よろこび〝 なのです。人生は この「悦び」を求める旅なんだと最近つくづく思います

法然上人は850年前に悟られたよろこびを、「悦」で表されてます。
「うけがたき人身をうけて、あいがたき本願にあいて、おこしがたき道心を発して、はなれがたき輪廻の里をはなれて、生れがたき浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなり」 (『一紙小消息(いっしこしょうそく)』)

私の人生、すべてに携わって下さった方々に 心より感謝申し上げます。合掌

帰りに御礼参りをしました。
金戒光明寺には熊谷直実(奥)と平敦盛(手前)
の供養塔が迎え合わせに建立されています。

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牛頭天王を厨子に安置

三寒四温を経て、徐々に春の訪れを感じます。今年(辰年)は 思いが具現化する年だと申しましたが、また一つ 思いを形にできました。

以前から申し上げている念持仏の牛頭天王ですが、この度、某氏の御寄進で厨子(ずし)に安置させていただくことができました。

牛頭天王は祇園精舎(お釈迦さまのお寺)の門番だと伝わります。
強制的に統合された素戔嗚尊(スサノオのミコト)と
区別するために、釈迦如来図の御前に安置しています。

もちろん、スサノオさまを否定してる訳ではありません。
牛頭天王に相対して、草場一壽氏の須佐之男画を安置しています。
一緒に御力をいただいています。

住職は 明治政府に強制的に葬られた牛頭天王信仰の復活をライフワークにしてますが、協力者によって拝殿が充実したことを嬉しく思います。財力や権力による自己満足ではなく、有縁の方々の御力で信仰を広められてることに悦びを感じているのです

将来は この厨子に納まった仏像を核に、参詣者が絶えない神社を造るのが夢です。私の意思を引き継ぎ、世代を超えて 立派な神社が出来てる様子が、私にはありありと見えています。

今回、小さな゛気付き ゛が 大きな゛築き ゛に変わる瞬間に立ち会えました。神仏の御力を借りれば、大概の夢は叶うと思います。信仰の力は偉大です。

今年のブログは辰年に因んで、無から有を産み出す悦びを 色々 記せればと思っています。合掌

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ビーたんの満中陰と納骨

先日、ビーたんの満中陰(49日)を迎え、法要と納骨をしました。 
 

ビーたんは合祀ではなく、個別納骨をさせていただきました。
この墓の形式ですと、将来 無縁仏になる心配はありません!

住職は 境内にペットの納骨所を建立しましたので、ペットを亡くされたご遺族とお話する機会があります。しかし、皆様のロス状態は 見ていて辛いものがあります。

今回は 我が家のペットでした。この49日間、どんな感覚になるのかを素直に味わってみました。皆さまがおっしゃってることで 強く感じたのは、、、

言葉を発しない存在なので、「思い出の美化」をしてしまう、、、これが一番でした。

ペットとの思い出は尽きません。彼(彼女)らは 言葉を発しないので、我々は表情のみを観て、一心に愛情(自らのすべて)を注ぎます。その為、お別れが来ても「もっと出来たんじゃないか?!」と思ってしまい、後悔と寂しさのループが続くんだと思いました。

人間同士で、お互いの心情を語り合ったり、喧嘩をしたりして 人となりを知ると、どこかで心の整理が付くものですが。

亡くなる1週間前のビーたん
とても元気で 妙に甘えてきてくれました。
この時は何を思ってたんでしょう。

その上で率直に思ったことは、いずれ前に向かないと、何もかも止まった状態になるということです。つまり、キツイ言い方ですが、すべては自らの「思い出の美化」ですから、心が晴れ渡る要素がないということです。「喪に服す心=供養の心」が混同すると、いつまでも悲しんでなくてはなりません

その体験を踏まえ、私自身、前に進む解決法を探しました。出た答えは、シンプルにお墓に納骨することでした。実際、お墓を持ことは 本当に安穏な精神状態になるのだと実感しています。

墓の効能は、
①「思い出の美化」を翻し、常に感謝できる心の状態を保てること。
②「存在の消失」を翻し、墓の存在が 彼(彼女)らの生きた証となること。
③供養の際、客観的に見てくれる存在(僧侶)と話すことで、安心ができ 前向きな心になれる。しかも、当家の先祖回向までしてくれる。

家に何十年と お骨を安置することは、遺族も霊(ペット)も前進がありません。浮遊霊のままで居させるのは人間のエゴになりかねません。どこかで前に進むべきだと存じます。そう考えると、納骨は いい距離感の出発だと存じます。また別の形で必ず逢えますから

※しかし、納得するまでは近くに安置してあげてくださいね。住職もその意見は賛同します。あとは時期の問題だけです。

今年は辰年で、「思いが具現化」する年だと申しましたが、自ら建立したペット供養塔で愛猫を弔える幸せをしみじみと感じています。亡くなった霊と よき思い出の中に生きる・・・これは幸せななことですね。

ビーたんのお陰で、ペット供養相談に来られた皆様の気持ちに さらに寄り添えそうです。合掌

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辰年の心構え

新年、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

さて、今年は辰年です。毎年申してますが、干支というのは、この世界の森羅万象を12に区分けしたものになります。5番目の辰は季節でいえば5月に当たります。つまり、新緑が勢いよく芽吹いていく季節になります。このことから、辰年は成長や発展の年だとされます。

元々「辰」という字は「ととのう(整)」や「ふるう(振)」といった意味があり、今までの努力や忍耐がい、るって具体的な形になっていくのに適した年とも解釈できます。

「手で辰を動かす」と書いて「振」の字になります。大黒天が打ち出の小槌を振ると小判が出てくるといわれますが、この小槌は精進を象徴しており、努力が報われる功徳があります。そう考えると、小槌は辰(龍)そのものなのかもしれません 。努力が報われたい方は、今年は大黒天をお詣りされるのが吉だと存じます。

大黒天

十二支それぞれに、動物があてはめられるようになるのは後代になってからですが、十二支の中では唯一想像上の動物であるのが龍になります。実は、9つの動物が合わさった生き物だと云われます。

中国では「角はシカ、耳はウシ、頭はラクダ、目はウサギ、鱗はコイ、爪はタカ、掌はトラ、腹はミズチ(妖怪)、首筋はヘビ」だとされています。

この9つの動物を組み合わせて描いてみると、龍の絵が出来上がります。種々合わさって完成することから「ととのう(整)」と訳されたのかもしれません。つまり、万物が相整い、振るって発展する様を、天に昇る龍に喩えたのではないかと思われます

牛頭殿の御前に祀っている
草場一壽氏の陶彩画
『時は今』の白龍

すべての下地が整い、今にも振るい立ちそうです。

しかし、良くも悪くも具体的な形になりやすいことに気をつけなければなりません。良いことや自らが願うことが具体的な形になるのは歓迎できますが、悪いことや不本意なことさえも具体化しやすい年でもあります。決して龍の逆鱗(げきりん)に触れる行為は控えましょう。善悪の判断、自分を抑える心、周囲への配慮をしっかりとなせば飛躍の一年となることは間違いなしです。

逆鱗は龍の急所にあります。
誰でも触れられたくない部分を持っています。
その場所に触れるようなことをすると、今までの
信頼や縁が一気に崩れて 戻らなくなります。
くれぐれもご注意下さい。

年明けから龍が暴れているような荒れた幕開けになりました。最後は物事が整い、幸が振り溢れるような一年であることを心よりお祈り申し上げます。合掌 

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ビーたん、天晴れ!!!

こんばんは。突然ですが、以前にご紹介した愛猫ビーたんが本日 亡くなりました。令和5年12月26日(火)、約22年の生涯で、人間で言えば88歳の米寿でした。

ビーたんは、ちょうど祖父母が亡くなる時期(平成13年頃)、失踪した先代ビーちゃんと入れ違いでやってきました。その後 節目の金森家を黙って癒し、見守ってくれました。

亡くなったのは 一緒に寝ていた息子の部屋で、朝、静かに息を引き取っていたようです。早朝4時頃に声を出したみたいですので、明け方に逝ったのかもしれません。その4、5日前から何も食べなくなり、前日(当日)もゆっくり外に出て思い出の場所を巡り、直前まで自分で各部屋を巡りお別れをしてくれました。もう一日、早くても遅くても 私は見送れませんでした。いや、スケジュール的に この日しか無理でした。

亡くなる前日(20時間前)、フラフラしながらも
自らの足で思い出の場所を巡っていたビーたん。

大好きな縁側で最後の日向ぼっこ
(亡くなる12時間前)

ビーたん、最後の写真(亡くなる6時間前)
今まで可愛がって下さった皆様、お世話になりました!

朝に火葬をしてくれるところを探し、電話をしたら昼過ぎに来てくれました。みんなが揃う唯一の時間に見送れました。しかも晴天。あっぱれ(天晴れ)とはこのことです。息子の友達や、当日参拝予定だった巽家の皆様にも見送ってもらい、素晴らしい最期でした。何より、家で亡くなってくれたことが身内の救いでした。

末期の水

本堂でのお葬式

皆様からいただいた供花や供物
(出棺前は大好きな縁側で)

火葬の儀

祭壇に祀られるビーたんの遺骨
令和6年2月8日が満中陰です。
それまでお経をあげ続けます。お寺に来てよかったね^ ^

ビーたんは、今、ブログを記してるこの場所で、24時間前に 私の膝の上に乗っていたので、とても切なく 不思議な気持ちです、、、こういう出来事があると、皆さん こう思われるんじゃないでしょうか。

〜 魂はどこからきて、どこにいくんだろう 〜

さっきまで動いていた生き物が動かなくなるんです。本当に不思議です。この死生観をもって 生きるのとそうでないのとでは、人生の深さが変わってくるのです。つまり 人間世界は、諸行無常という苦しみの世界に生きています。それに気付け!と仏教は教えます。

結局、み〜んな亡くなります。そして 周りに 誰も(気を許せる人)がいなくなる、、、自らも年を取り、老いや病いに苦しみ、理解者がなく、世代間ギャップと孤独に泣き、過去の後悔と死後の恐怖の中で、人生を終えます(←お経に書かれています)

それが そう遠くない未来に訪れるとわかっていても、その解決法(仏の教え)を学ぼうとしないのが我々凡夫です・・・救われる方法があるんだよ!!って仏は手を広げて待って下さってます。様々な死の縁をかりて、皆様に仏縁があることを祈ります

とにかく仏縁が深かった ビーたん。誰よりも住職のお経や法話を聴いてくれました。次は人間に生まれ変わって、また楽しく遊びましょ。今まで本当にありがとう!! 南無阿弥陀仏

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私のロマン

今年は出家をして30年目の年でした。18歳で故郷を離れ、クリクリ頭で京都の修行道場に向かった緊張感が懐かしく思います。

修行中、色々な方とご縁がありました。
それにしても若いです(恥)
ある時、女優の真野響子さんが訪ねて来て下さいました。

様々な方に影響を受け、自分には何ができるか?を考えてきました。
修行中の若造が、能楽師の梅若六郎さま
対談させていただきましたも よき思い出です。

そんな私も、僧侶として やりたい夢を持つようになりました。

一つは、私の住職代で授戒会(仏教の心構え)、五重相伝(念仏の心構え)の2つの道場を檀信徒に提供する
※西願寺では20年ごと、住職一代で どちらか一つを開催するのが通例でした。

二つは、故郷・近江八幡にある大ホール会館で、満席の観客に琵琶説教を披露する
※琵琶を方便として、今まで仏縁が薄かった方々を集めて講演をしたかったのです。

今年は、この2つの夢が一気に叶った年でした。ほとんどの皆様は、しょーもない夢だと思われるかもしれませんが、住職の夢は 権力や財力、組織力で作られたものでなく、長い期間をかけての信用(仏縁)で達成できるものを目指しました。縁ある全ての方々に感謝をし、今、しみじみと喜びを噛み締めています。

中学時代からの座右の銘
猪木さん、私のロマンが叶いましたよー!

今回は、二つめの夢が叶った 成道会(市民のつどい)のご報告をします。

会場となった近江八幡市の男女参画センター
やはり晴天!
様々な役員さまにお世話になりました。心より御礼申し上げます。

数ヶ月間、市内の至る所にこのポスターが貼ってあり、
時節柄、体調管理が本当に大変でした(汗) 
誰にも代わってもらえないプレッシャー、、、(^_^;)

成道会(じょうどうえ)とは、お釈迦さまの悟りを祝う法要です。
宗派を問わず勤める行事です。

コロナの影響で4年ぶりの成道会となりましたが、
300人を超える方々がお集り下さいました。

この会は、西願寺や浄土宗のバックアップがなく、様々な
宗派の方や一般の方々が集まって下さるから尊いのです。
組織の集客ではなく、聴きたい方が足を運んで下さる・・・
昭憲の説教を聴きたい! この状況での布教が 私の夢でした

みんな真剣です。

私も全身全霊をかけて語ります。

前回は、平成15年の第20回の成道会に
清興(琵琶伝道)で出演しました。

清興は、びわこのーと さん
ヴァイオリン、ヴィオラの演奏でした。

今回は 講師でのご依頼
過去、成道会に2度 出演された方はありませんので、
これは素直に自分を褒めてあげたいです。

布施を中心に法を説きました。

演目
祇園精舎、勧進帳(安宅の関)、鵯越の逆落とし

勧進帳を読む住職
今回は 義経、弁慶らが八幡さんに加護を祈る場面です。
近江八幡の地名も 八幡さんから付いていると云われます。
近隣には義経元服の池もあり、琵琶演奏の際には、
モノ(源平の亡霊)が喜んでいる感じがありました。

中高年のアイドルもさせてもらいました ♪(笑)

今年一年、お世話になりました。これからも ゛私のロマン ゛を求めて精進しまーすo(^▽^)o合掌

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