” しゃかりき ” に頑張れ!

先日9月9日。大切な信者さまが往生されました。ここで言う信者とは 檀家と違い、願い寺がありつつも ある特定の仏や僧侶に帰依し、仏道修行に邁進される方を言います。

ちょうど9月1日、2日と信者会の旅行がありました。一泊二日で姫路方面(書写山・圓教寺や赤穂)を巡りました。その信者さまも同行して下さり「金森さんが行ってくださると聞いて参加した!」「忠臣蔵の琵琶を楽しみにしてる!」等々、目を輝かして言って下さって参加されたのが 亡くなる一週間前だったのです。神戸の中華街・南京町では、手をつないで歩きました。美味しい焼き豚の店を教えてもらい、肉まんを頬張り、喫茶店でお茶をして「このデートは私の冥土の土産や。いつ死んでも後悔ないわ ♪」と言って下さいました。その時は、お元気な様子で 冗談だと皆が思ってましたが、虫の知らせだったのでしょうか・・・バスでお別れするとき「金森お上人さん、あなたが大変なことはよくわかってる。でも ” しゃかりき ” に頑張るんやで!」というのが最後のお言葉でした。訃報を聞いて、彼女への夜念仏をしているとき、ふと ” しゃかりき ” という言葉を思い出して、改めてこの言葉をかみしめました。

ラストサムライのロケ地で有名な書写山・圓教寺

ラストサムライのロケ地で有名な書写山・圓教寺

赤穂浪士の像を祭った赤穂・大石神社

赤穂浪士の像を祭った赤穂・大石神社

神戸の中華街・南京町

神戸の中華街・南京町

教林坊・廣部光信上人のご解説です。
私たちは普段何気なく「しゃかりきに~する」と言いますよね。平仮名で書くよりもカタカナで書いたほうがしっくりしそうな言葉ですが「釈迦力」と漢字で書けば「へぇ~」とうなずかれるのではないでしょうか。
お釈迦さまは今から約2500年前インドでお生まれになり、苦しむ人々を救おうと仏教を開かれ、すべての人が平安に暮らせるように、一生懸命に教えを説かれました。ここから転じて脇目もふらず物事に望むさまを「しゃかりき」というようになりました。
「お釈迦さまの力」と思えばどんな困難でも最後までやり通せる気がしますね。
(『人に教えてあげたい仏教語Ⅰ』)

「釈迦力」かぁ・・・あらためて信者さまの言葉の重みを感じました。仏縁のある方より、色々なことを教わります。

ただ、信者さまは 最期の別れが悲しいものがあります。檀家は ” 家 ” との付き合いで、法事を通じて世代を超えた仲間になりますが、信者はあくまで個人の付き合いですので、どれだけ心が通じていても お葬式での引導は渡せませんし、最近では 家族葬が主流となり 参列すら叶いません・・・出会わなくなったらそれっきり・・・まさしく 信者さまとは ” 一期一会 ” のお付き合いなのです。その時が最期の別れになると感じつつ、皆様と大事に時を過ごそうと思います。あわよくば、願い寺を大事にされることは前提ですが、西願寺の骨仏へ たとえ骨一片でもお納め下されば、生涯大切に祀らせていただく所存です。拝む対象があることで、私の心も救われます・・・そういった檀家・信者を超えた 心のつながりを大事にしたお寺を目指すのが私の指針です。宗教離れに 少しでも歯止めを掛けるよう「釈迦力」に頑張ります!合掌

西願寺のお骨仏    お骨を 仏の体内に納め、永代まつります。

西願寺のお骨仏         お骨を 仏の体内に納め、永代まつりますので 参拝者が絶えない生きた永代供養になります。

※本日は丁度、その信者さまの初七日になります。骨仏前にて 謹んでお勤めさせていただきました。南無阿弥陀仏

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損得感情をストップ

令和最初のお盆参りも 中盤に差し掛かりました。世の中の 文化や風習に対する考え方が急激に変わってきた昨今ですが、西願寺では 変わらずお盆を迎えることができました。これは 先人からの信仰の力だと 心より感謝しています。

今年の夏は 特に暑いです(汗)。天気予報を見てますと 「夏日」「真夏日」「猛暑日」などと言いますが、それぞれ 25度、30度、35度以上を指すようです。毎日が猛暑日と熱帯夜(25度以上)で、バテている方も多いんじゃないでしょうか。また、温度と怒りは比例するという説もあって、イライラされてる方も増えています。たしかに寛容力がなくなり、何かとクレームをつけるのもこの時期です。夏のニュースとして、吉本興業の内紛、韓国の過剰反応、京都アニメーション放火の惨劇等々・・・相手を罵り、自らの損得を ぶつけ合う事件が多いのが気になります。また当事者でもないのに、傍聴者が 善悪や損得を主張し合い、感情の収集がつかなくなっているのも現代の特色です。

精神科医・斎藤 茂太氏のお言葉です。
多くの人はそれほど「頑張った」わけではないのに、
自分だけが損をしていると思い込みがちなのです。
それは、自分以外の人や組織が「得をしている」ように見えるからですが、
実はそんなに差がなかったりします。
よくいう「隣の芝は青く見える」という現象で、
実態を見れば自分が置かれている状況、
受けている待遇と変わらないことが多いのです。
かえって「得をしている」ように見える人が、
実は損をしていることさえあります。
社会的に受けるべき保障を受けていないなど、
その人が、本当に損をしている場合をのぞいて、
「損をしている」と考えるのはストップしたほうがいいでしょう。
「損をしている」と考えることをストップすると、
驚くべきことが起こります。
その瞬間に「得」をしはじめるのです。

(『なぜかやる気が出ない人へ』 成美文庫)

私(住職)への会話の大半は悩みです。対人関係や老い、病気、死・・・それぞれの言い分があり、涙なしでは聞いてられない話も多数です。しかし、善悪や損得、感情のくくりに悩まれている方は、そこに浸ってしまう傾向があります。自らが被害者なので、攻撃をしたり引きこもったりして 相手や環境が変わるのを待たれるのです。もちろんその通りで 同情しますが、残念ながら 他人が変わることは まずありません。一時期は内向きに心を見つめるのも良いですが、いつかは 損得感情をいったんストップして、前向きに捉える準備をせねばなりません。流れない水が次第に腐ってくるように、いつまでも悲劇の○○ではいけないのです。

「損をしている」と考えることをストップする・・・この癖を付けましょう。

それを小まめに出来る人が 幸福を呼び寄せるのです。俗に言う、なぜか上手くいってる人です。昔の方は この方向転換を 仏教の教え(ご縁、ご恩、ありがとう、おかげさま、因果応報、功徳)に上手く習慣化されたのだと思います。決して 損得や善悪を、幸不幸の基準にしてはなりません。清濁併せのむ精神が大切です。意外と人生(修行期間)は短いですよ。合掌

追伸:本日、夏の永代供養と お申し込み分の特別施餓鬼を勤めました。
あらゆる負の感情をストップされたい方は、お願い事を書いて8月31日までにお送り下さい。今月中なら、個別の特別施餓鬼を こちらでさせて頂きます。まずは第一歩です。お手伝いさせて下さい。(布施は自由、秘密は厳守)

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豊川稲荷に参拝

最近、寺社仏閣巡りがマイブームです。昔は文化に触れるのための巡礼をしてましたが、今は御利益を求めています。” 御利益を求める ” と言うと聞こえが悪いですが、本質は大いなる力との交流のためです。神仏にはそれぞれ得意分野があるんですが、多くの方は 違いがわかってらっしゃいません。どこに詣っても 同じような祈りしかされてません。もったいないなぁ~って、いつも思います(汗)。厳しい言い方をすれば、神仏との対話を楽しまれる方が少ないんです。その対話の結果が ” 御利益 ” に繋がるのに・・・神仏の御力を頂かない手はありません。

先日は、愛知県の豊川稲荷に参拝しました。お稲荷さんの正体は、ダキ二天と言って 狐に乗っておられる神様です。諸説ありますが、右手に稲穂を荷(に)なってらっしゃるので、イナリと呼ばれるようになりました。狐は眷属です。いなり寿司の神ではありません(笑)。ダキ二天の御利益は金運で、気に入った人には 頭に稲穂をかざして下さいます。ですので、家内安全や病気平癒、極楽往生や良縁の願いはナンセンスです。その時の体験が面白かったので、ご紹介します。

豊川荼枳尼眞天 御影

豊川稲荷 大本殿

豊川稲荷は曹洞宗のご寺院ですが、まず大本殿で手を合わそうとした時でした。いきなり携帯のナビが「右方向です!」と案内するのです。携帯ナビで豊川稲荷に行ったので、ナビの設定はしていたんですが、到着後だったので作動するはずはありません。私は瞬時にダキ二天のお告げだと悟り、そのまま右方向に進みました。「進行方向です・・・ななめ右方向です・・・」案内通りに50メートルほど歩くと「運転おつかれさまでした」と携帯は言いました。そこは丁度、各お堂が並ぶ分岐点・・・どうしようかと思ってましたら、黒ネコが現れ、私を見て鳴くのです。10メートルほど付いていくと、そこは元・奥の院という場所でした。すごいエネルギーを感じた瞬間、15秒ほど大雨が降りました。禊ぎを払って頂いたんだと思います。

その後、道なりに歩いて行くと、現在の奥の院に到着しました。そこで手を合わせてると 職員の男性と目が合い、切り火をして頂くとこに。ロウソクに願い事を書き、堂内で一緒に真言(おん しらばった りに うん そわか)を唱え、願掛けをしたのち、財布を開けて そこに火花を散らしていただきました。ガラス越しに白い光が見えたので、ダキ二眞天との交流はできたと思います。願掛けですので、願の内容は伏せますが・・・ただ、あれから一週間・・・財布のお金は たしかに増えています!(笑)。しかし、私の願いは私的財産を増やすことではありませんので(お小遣いはありがたく頂戴するとして・・・笑)、あとは大願が叶うことを待つのみです。楽しみです^^。叶ったらご報告しますね。

現在の奥の院
大勢の参拝者でしたが、私がお参りする時には、人が途切れてゆっくりお参りできました。

中に上がらせてもらい、火切りの儀式をいていただきました。

ドン・エシッグのお言葉です。
「やる人はやる」
これはある友人の口ぐせだ。
口ばかり達者な人はいくらでもいるが、
彼らはいざ実行となると、さっさと姿を消してしまう。
成功者とは、成功するために必要なことを実行してきた人のことだ。
あなたはどれだけ実行してきただろうか。
あなたいちばん最近、実行したことは何だろうか。
自分が言うだけではなく
実行してきたことについて考えてみよう。

(『1分でやる気が出る146のヒント』 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

逆に ” やらない人はやらない ”
時間がないとか、後でやるとか、お金ができたらとか、
言い訳をしてやらないのです。
結果を出す人は、 ” やる ” と決めてやってきた人達だと存じます。
豊川ダキ二眞天さまとの会話は、こんな内容が含まれてました。合掌

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骨佛法要(令和元年)

本年も骨佛法要を勤めさせていただきました。今年は52名の方々と共に、東日本大震災の物故者を始め、各々の縁深き方々に 誠心を捧げました。例年の如く、お喜楽さまによるハーモニカ演奏、里田さま御一行による牡丹餅の振る舞い、また 巽聖花さまが初任給で煎餅の供養をして下さったり・・・西願寺らしい 真心の込った法要になりました。

今年の回向師は、宝積寺の岸川知徳上人
2年後の授戒会で回向をお願いしてます。知恩院にお勤めだけあり、素晴らしいお声でした^^

ハーモニカ演奏は5曲。皆さん大合唱でした!

今年の琵琶説教は「戦艦大和」
令和に入り、昭和の教訓を語らせていただきました。

私は 今年で住職10年の節目になります。といっても 行事に合わせて交代でしたので、実質 名前だけの住職でした。西願寺は 先代(父親)に任せっきりで、外で勉強してました。私の人生設計では、このような形が 最低10年は続く予定でしたが、3年前に先代が69才で往生し、自身の研鑽を含め、外での自己実現が難しくなってしまいました。そんな中、私が伺わなくても 皆さんが参ってくれるお寺になり、本当に嬉しく思います。

この10年間、色々ありましたが、ロビン シャーマの言葉に励まされました。
最期の日、わたしたちが持っていけるのは、
人生に意味をもたらしてくれた
すべてのすばらしい人生経験の思い出だけです。
そう考えると、ものを収集するより、
しあわせな思い出が残ることをして日々をすごしたいと思います。 
ささやかなことを楽しむ知恵をもってください。
そういったものがもたらす最高の思い出は、
多大なエネルギーをついやして追いかけている
どんな物質的なおもちゃより、
あなたの人生に価値を与えるでしょう。

(『3週間続ければ一生が変わる』 海竜社)

「諸行無常」と「苦しみ」が付きまとうのが、私たちの住む人間世界です。祈りを捧げる私たちも、いつか必ず最期の日はきます。どうせなら、たくさんの人に感謝して、たくさんの人に喜びを与えて、人との思い出を残していきたいと思います。合掌

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息(いき)な生き方

令和になりました。新しい節目にご縁があり 嬉しい限りです。元号が変わる瞬間は息を呑む瞬間でした。日本国が ますます興隆することを祈念します。

思えば 平成の節目は、私は中学生でした。あの頃と今を比べてみると「息苦しい世の中になったなぁ~」という感じがします。キチッとした分、人間のあたたかさや ゆとりが無くなった気がします。もちろん現代を批判するつもりはありません。むしろ進化しているのだと思いますが、人間同士の ” 阿吽の呼吸 ”” 息を合わせる ” ということが無くなってきた気がします。

昇 幹夫のお言葉です。
哺乳動物は5億回呼吸して息を引き取ります。
ですからゆっくりと長い呼吸をすることが大切で、長い息は長生きなのです。
でもその寿命は毎日変動しています。
感動したり、大笑いしたり、
感謝の気持ちを持つことで寿命は延び、
怒ったり落ち込んだり、
悪口を言ったりすることで寿命は縮まります。
「一笑一若、一怒一老」
と言うとおりです。

(『笑顔がクスリ』 保健同人社 より)

仏教では この世は修行の場だと考えています。たった5億回で息絶えるならば、その中で 笑って生きるも人生、ワクワク楽しんで生きるのも人生、しかめっ面で生きるも人生、愚痴、不平、不満で生きるのも人生です。どうせなら息が通ういきいきとした人生を歩みたいものです。また、このような時代だからこそ お寺くらいは、息抜きできる空間でありたいものです。

本日は、息を題材に考えてみました。仏教の言葉に「息災延命(そくさいえんめい)」【感謝の心で災難を防ぎ、健康で長生きすること】とありますが、これが令和の時代に求められる ” 息な生き方 ” だと存じます。合掌

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独りの時間

こんにちは。「平成」最後のブログとなりそうです。私が愛読する鴨長明の『方丈記』にちなみ、『平成方丈記』と名付け、月2回、日記感覚で続けてきました。何十年後かに読み返し、「そんなことがあったんだ~」と振り返りたいと思い 記しています。

「平成」最終の月は、多忙を極めています。西願寺での善導忌、奉職寺院での花まつりやお身拭い式、地元仏教会の副会長に当たり 行事の指揮、地方での泊まりがけの琵琶説教(10日間で15席)・・・その他、通常の法務を変えることなくやってます。日替わりのスケジュールで 頭の切り替えが大変ですが、30代にやってきた経験が今に生きているような気がします。思えば30代の私は、自分というものを見付けることに 切磋琢磨した時期でした。

孔子がこんな言葉を残しています。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
これは、優れた人物は協調はするが主体性を失わず、つまらない人物は同調はするけど 心から親しくなることはないという意味です。つまり優れた人はどんな集団の中にいても自分を失わないということ。他人と違うことを恐れず、また自分と異なる人を疎外することなく、違う者同士が違いを尊重し合い、各々が各々の責任を持って協調していくということです。

また 鴨長明は『方丈記』で、「人との関わりは大事なことだが、人と関わる自分を失ってしまっては本末転倒だ」と述べられています。自分を失わないために必要なものは「独りの時間」だと。人との関わりが大事なように、独りの時間も同じように大事なものです。なんとなく、独りでボーッとしている時間でも、その時間で人は自分自身と数多の言葉を交わし、自分という存在を確認しているのです。人と関わるために独りの時間は死守しなければいけないものであり、それは食事の時間や睡眠時間と等しくなければないものだと思います。

ただ、独りの時間でも ネットやゲーム、明かりや音楽等で満たされる現代社会は、本当の意味で ” 自分 ” を見つめていないのかも知れません。これが「令和」の時代以降の日本の課題だと存じます。自分を持たなければ、満たされることは決してありません。宗教でもセミナーでも構いません。自らを見つめる時間を取りましょう。どんどん日本というものが溶けてなくなっていく時代に、僧侶として いかにお役に立てるかを考える今日この頃です。合掌

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四天王を安置

4月1日、「平成」に代わる新元号が「令和」と決定しました。出典は我が国最古の歌集『万葉集』で、日本古典からの引用は初めてとのこと。645年の「大化」以降、248番目の元号となるそうです。

その元号発表の頃、西願寺では四天王像をお迎えする工事をしていただいてました。四天王とは、お釈迦さまから 自分が亡くなった後に仏法を守護するように託された神といわれています。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。

実は西願寺では この仏像をお招きすることは悲願でした。予算の都合で、昭和62年の授戒会、平成21年の五重相伝の際には、紙に四天王の名前を書き、四隅の柱にお祀りしていました。それが今回ご縁があり、お迎えできたのです。西願寺建立の「天正」から数えて、43番目の元号発表での時期となりました。

持国天は東方の守護神。
持国天の名前には「国を支えるもの」と言う意味が込められています。
武器を持ち、国家安泰のご利益があると考えられています。

増長天は南方の守護神。
増長天は、「増大するもの」という意味から成長や豊穣を司る神とされます。
この像は 珍しく琵琶を持たれたお姿となります。

広目天は西方の守護神。
様々なものを見抜く力があると言われる神様で、他の四天王と違い
武器を持たず筆を持つという特徴的な像もあります。
また龍神を従えて西方を守護するともいわれ、この像は竜を従えたお姿をとられます。

多聞天は北方の守護神。
四天王という一括りの守護神の中では多聞天と呼ばれ、独尊で祀られるときに毘沙門天と呼ばれます。
釈迦の遺骨を納めた塔(ストゥーパ)を持っておられます。

作家の中嶋真澄氏のお言葉です。
もし、あなたがなかなか自分自身の道が開けてこないということで悩んでいるなら、
まだ当分というか、これからもずっと、あきらめないでほしい。
あなたにとっては、ただたんに時が熟していないという
ことだけのことなのかもしれないからだ。
それぞれに時が熟する時期がある。
それはいつなのか、わたしたちは自分でそのときを見定めることはできない。
できるのは唯一、あきらめないことだけなのだ。
時が熟するまでに随分と時間がかかることがある。
一夜で熟する果実もあれば、長く風雪に耐えて、やっと熟する果実もある。
あなただけの “ 時 ” がきっとくる。

(『幸福コンプレックス』 大和書房より)

今回、時代の移り変わりの最中に四天王をお祀りできたことは、最上の悦びです。西願寺の歴史の最初に聖徳太子がいらっしゃいますが、四天王を篤く信奉されたのが聖徳太子で、国家鎮護のご利益があります(歴史の節目の安置は、太子のお心が届いたのかもしれません)。また 工事の最中には、晴天の中で小雨が降り(これは神仏が反応されている証です)、工事が終わった途端、近くで大きな雷が落ちました(最高の厄落としです)。430年の西願寺の歴史にとって、今回が最高の ” 時 ”(タイミング)だったと確信しました。明日、善導忌(平成最後の法要)で魂入れをさせていただきます。

「令和」の時代は、「平成」で薄れていった四天王の功徳【国を守り(持国天)、心豊かに発展し(増長天)、広い視野で物事を見(広目天)、多くの意見を聞き、胆力をつける(多聞天)】という、日本人が原点に戻る時代になることをお祈りします。合掌

台座は、登録総代の浅尾嘉明さまが手作りで設置・寄付して下さいました! 
さすが建具屋、巧の技です。永代の功徳を積まれました。
四天王像の寄付をお考えの方も功徳を積みませんか?まず住職までおたずね下さい。檀家内外を問いません。
寄付札を設置し、永代祀らせていただきます。

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人のせいにして豊かになった人はいない

彼岸【ひがん】になりました。お彼岸とは「彼【か】の岸」、いわゆる あの世を指します。ちなみに 我々の住む人間世界は「此【こ】の岸」、此岸【しがん】といいます。この世とあの世は三途の川で区切られていることから、この世とあの世を ” 岸 ” で表しているんですね。彼岸の時期は 春分の日 と 秋分の日を中日【ちゅうにち】として、前後3日間の一週間をいいます。丁度その頃は、太陽が真東から真西に沈むことから、西方極楽浄土(ご先祖様のいらっしゃる方角)が示されるので 先祖が身近になり、こぞってお墓参りをする風習があるのです。

ところで 墓参りをされている時には、何を考えてますか?よくある質問ですが、私は、神仏には ” お誓いごと ” 。先祖には ” お祈りごと ” をしなさいと答えてます。神仏には細々したことではなく、目標に向かって「こう頑張ります。見守って下さい!」と誓うのです。霊格の高い方ですから効果は覿面です。(神仏によって得意分野が違いますので、勉強してから詣って下さい)一方、ご先祖様には少々の愚痴はオッケーで、最後に ご自身や家族の安否を報告し、感謝を捧ればいいのです。ただ 一つだけしてはいけないのは、他人のせいにした愚痴です。仏教はどこまでいっても因果応報ですので、先祖も困ります。くれぐれもお気を付け下さいませ。

今回は、斎藤一人さんの新刊『斎藤一人 絶対、なんとかなる!』よりご紹介します。

「日本は、世界でも指折りの豊かな国です。

これだけ豊かに暮らすことができて、私たちはものすごく幸せなんだよね。

仕事だって、探せばいくらでもある。

心身に問題を抱えているとか、なにか特別な事情があるわけじゃなかったら、誰でもそれなりにお金を稼ぐことはできます。

お金が全然なくて暮らしていけないってことはないよね。

働けばお金が入ってくるし、それなりに生活ができる。

で、そう思ってる人は、ちゃんと生活しているんだよね。

ところが、自分にできる仕事を顔晴る(がんばる)こともせず、政治が悪い、役人が悪い、会社が悪いとかって、なんでもかんでも人のせいにする人がいます。

そうやって人のせいにすること自体、おかしいんだよね。

お金がなくて貧しいのではなく、その心が貧しいから、いつまでたっても豊かになれないんです。わかるかい?

政治が悪いって言うんだったら、じゃあ自分がやってみなって。

誰がやったって、今以上のことはできないと思うよ。

そもそも、素人がいきなり選挙に立候補したって、そう簡単に受からない(笑)。

受かるだけで大変だし、もし当選しても、そこからさらに大変なんです。

それを、はたから文句ばっかり言うのはおかしいよね。

私もたまに、「斎藤さんが政治家になったら、世の中はもっとよくなりますか?」とかって聞かれるんだけど、みんな一生懸命やっているの。

誰だって顔晴っているんです。

一人さんが政治家になったからって、急に世の中がよくなるようなもんじゃない。

第一、 私は政治家になるつもりもないですからね(笑)。

人のせいにして豊かになった人はいないよ。

人のせいにして幸せになった人もいないよ。

幸せなお金持ちになりたいんだったら、今、自分ができることから始めて、そこから雪だるま式に豊かになっていくしかないんです。

大丈夫。なんとかなるから。」

(『斎藤一人 絶対、なんとかなる!』斎藤一人 著 / マキノ出版より)

問題が起きたとき、何かのせいにするのは簡単です。自分は何もしなくて済むようになるからです。すべては良くも悪くも自己責任です。自らを省みて、素直な心(目標や感謝)をお供えすれば、神仏やご先祖様は必ず聞き届けて下さるでしょう。こぞってお参りして下さいませ。合掌

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幸福とは

先日、先代の3年忌を迎えました。早いものです・・・あっという間に私も40代。報恩の誠を捧げつつ、自らの現状を振り返ってみました。住職となり、奉職寺院では融通を利かせていただける立場となり、琵琶説教では各所からお招きを受けるようになり、家族元気で、息子達も寺の手伝いをしてくれています。これは先祖が喜んでくれるあり方を模索し続けた結果であり、すべては仏の見守りがあってのことだと感謝しています。しかし、望みが叶うと同時に 別の悩みや忍耐を抱える自分がいるのも正直なところです。うまく言えませんが、苦労一つとっても、昔は自分のことだけを考えれば満足でした。一つのことが終われば「そこでおしまい! 後は自分の時間 ♪」という刹那的な喜びで満たされてましたが、今は一つのことを勤め終えても、そこから責任が広がり、ずっと何かを背負ってる感覚です。大笑いもしなくなりました(笑)・・・年を重ねるというのはそういうことだと存じます。それを味わう年齢となりました。

『朝日新聞』が掲載した「100人の20世紀」に選ばれた一人に、ナイロンを発明した米国のウォーレス・カローザスという人がいます。彼は、ナイロンの開発で莫大な財産を築き、勤務先のデュポン社から破格の待遇を受けていました。その中には「生涯、どこへ旅行し、どんな高級レストランで飲食しようが、費用の一切は会社が持つ」というユニークなものまであったそうです。はたから見れば、うらやましい限りで、私たちが思い描く「幸福」というものをすべて体現したかに見えますが、彼は41歳の若さで自殺しているのです。もし、お金や財産に恵まれ、他人から高く評価され、地位も保証されることで幸せになれるのなら、カローザスの悲劇はありえません。

『小さいことにくよくよするな!』の著者で有名なリチャード・カールソンの言葉です。
私たちの頭の中は、どうしたら幸福になれるかという思いつきや計画でいっぱいだ。
夫や妻の態度が変わりさえすれば、
自分は幸福になれるはずだ、と信じ込んでいる。

支払いを済ますことができれば、
あるいは収入がもっと増えれば幸せがやってくると考えている。
子どもがもっとよい成績をとってくれば、
裏庭の雑草がこんなに速く伸びなければ、
あるいは時間がありさえすれば…。
望みはどんどん広がっていく。
そして、一つの望みがかなえば、別の望みを持ち出し、
この望みさえ実現すれば、
待ち望んできた心の平和が訪れるのだと考えるのである。
悲しいことに、望みがかなったとしても、
心の平和を感じていられるのはほんのつかの間である。
あなたの心は、最初に条件を作り上げたときと同じような働きをまた繰り返す。

ストレスを減らすためには、
望むものを手に入れて幸福にはなれないのだと、
理解する必要がある。
幸福に生きるための近道は、
穏やかな考え方を身につけることなのだ。
望むものを手に入れるか入れないかは、問題ではないのだ。

(『あくせくするな、ゆっくり生きよう!』 主婦の友社)

結局、この悟りは仏教で言う ” 諸行無常 ” を受け入れることに尽きます。人間界で望むものは、いずれは移ろいゆきます。壊れてしまう幸せです。どんなに楽しい毎日を送っている人も、いざ不治の病にかかり、病室で一人、死に向き合わねばならなくなると、すべてが無味乾燥に感じてしまいます。「諸行無常を知り、穏やかに過ごす」・・・お釈迦さまは、死んだらどうなるかわからない、後生ハッキリしない心が 平安を妨げるのだとお説きです。究極のところは、死んだらどうなるかわからない・・・この部分をクリアすれば、すべては明るく、崩れない幸福が待っているというのです。” この世の幸福 ”” この世とあの世を貫く幸福 ” 。この両輪を持つこそが本当に幸せな人になれるのです。そういう意味では、身内の死を偲ぶ法事は大切な時間ですね。3年前に往生した先代の命日から このようなことを 改めて学ばせていただきました。合掌

最近では 法事での先祖の偲び方も色々です。派遣型の僧侶が流行っているようです。                                  しかし、住職からしたら当たり前のことばかりで、よほど仏縁は得がたいんだと実感します。                                大切なことは、いかに ” この世とあの世を貫く幸福 ” を教えてくれる僧侶と出会えるかですね^^。

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気概

ご無沙汰してます。今月はじめてのブログとなりました。多くの皆様から心配のご連絡をいただき 恐縮しています。今月は 縁のある方、お一人お一人と真剣に向き合ってますと、1日24時間では足りない状態になりましたm(_ _)m

世の中は休養ブームです。アイドルグループ嵐の休養、スシローも従業員の要望に応え 一斉休業するなど、各々が時間を見直す傾向にあります。働き方改革も その風潮かもしれません。しかし 私自身は一週間(7日)のうち3日は西願寺、3日は奉職寺院、1日は琵琶説教の割合で、人の3倍動いています。正直、身体は強くありませんが、これを病気や事故がないことを前提に、休みなく続けています。いつでも心体が空いていることが 当たり前だと思われる存在です(笑)。損得勘定や時間に関係なく、家族を犠牲にしてでも心身を捧げる・・・現代の考えとは逆境しますが、これが住職であり 修行なんだと思います。人々が 高台寺で開発されたアンドロイド観音ではなく、生身の僧侶の説法が聴きたいとおっしゃって下さるのは、この気概の差ではないでしょうか。

イギリス生まれの児童文学作家、アンドリュー・マシューズの言葉が心に響きます。
直線が“最短距離”とはかぎらない。
この地球上においては、何事もスムーズな直線では進まないということです。
時に歩みを止め、
時に逆行しながら進んでいくのです。
潮が満ちてくる時、それは引いては返しながら、
少しずつ進んでいきます。
木の成長過程では、季節によって葉を落としながら、
そのたびに少しずつ縦に大きく伸びていきます。
葉を失い、自然と戦いながら、
木は大きく成長するのです。
ですから地球上の自然現象においては、
後戻りするように見えることも、
実は成長過程の1つの段階なのです。

(『人生の愉しみと成功の5つの決心』 三笠書房)

かっこ付けたことを申しましたが、やはり生身の身体です。できないことだらけです。マシューズ氏のお言葉どおり、本当に成果がでてくるのは 進んでは後戻りし、後戻りしてもあきらめず進み続けた時なんだと思います。少しづつ出来ることをしていきますので、今後とも宜しくお願いしますね^^。合掌

この姿も慣れてくれば、生身の僧侶よりも需要が出てくるかも知れません。
奈良のセント君がそうでした。当初の「気持ち悪い~」からの大人気・・・人の心も移ろいゆくものです。

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