物で栄えて心で滅ぶ

相変わらずコロナウィルスが猛威を振るっています。滋賀県でも緊急事態宣言が延長となりました。この情況に、来月予定をしていた授戒会の延長を決定しました。延長日時は、1年8ヶ月後の令和5年のゴールデンウィーク(5月3、4、5日)と定めましたが、その時節には 感染症とうまく付き合っている世の中であることを願います。

通常、お寺の世界で 大行事を延長することはありません。そういう意味では貴重な経験をさせてもらっています。率直な感想を申せば、今の西願寺が置かれた環境を見つめ直す絶好の機会だと捉えています。行事の成功か否かは感じ方です。どれだけ不備があったとしても 時間は止まりません。始まれば予定日時で必ず終わりますので、批判はあっても失敗はありません。ただ、問題なのは人の心です。この行事により 受者にどれだけの影響を与えられたか・・・ここが大切です。これだけ価値観が多様化し、唯物的な世の中になれば、残念ながら 皆様の授戒会の価値観や関心は低いんだろなぁ … と感じます。40軒ほどの檀家で82人の受者を集められたのは、今まで連綿と続いてきた布教の成果で 誇れることですが、現代の人々のニーズに合わせると、色々と考えさせられます。

つまり、神仏や先祖が ” 絶対的な善 ” という価値観が、音を立てて崩れているのです。一般の方々は、そんなことよりも日常の生活が大切です。先祖回向のお布施よりも携帯代の方が大切、家族の葬式に参列するよりも学校に行く方が大切、仏の教えよりもネットの情報が大切・・・暴論ではなく、そんな時代になってしまいました。今回の延長は、現代人の考えと仏の教えの溝について考える絶好の機会だと住職は捉えています。儀式直前のハードな面を固めた今、ソフトの面を考えられる 2年近くの時間をいただいたことは、仏の恵みを感じずにはおれません

感染症コロナは、平和で物に恵まれて何もかもが自分の思うようになることしか求めてこなかった私達に、鉄槌を下すような不安増幅を与えています。いわゆる、今までの生き方に警鐘が鳴っている状態です。「物で栄えて心で滅ぶ」と言われるように、現代は、物中心の物質文明が放つ 眩いばかりの進歩の光に翻弄されて浮き足立ってしまい、人間にとって一番大切なものを忘れてしまい、コミュニケーションを否定し、責任回避で自らを守る風潮にあります。

人類の歴史の中で幾多となく感染症や疾病、自然災害などが襲ってきました。その折々に日本人は対策方法を生み出すと共に、一人一人が「信仰による生き方の見直し」を実行したのです。それが戒名(仏の名前)をもらう授戒会でした。その智慧を皆様方の先祖はしっかり培い続けて、今現在の我々が受け継いでいます。令和5年に延長された授戒会が さらに高みを帯び、この世とあの世を貫く幸福を得られる会になるよう精進して参ります。宜しくお願いします。合掌

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東京オリンピックの感想

先日、2020東京オリンピックが無事に閉式しました。まず、大会関係者や政治家の皆様、ご尽力されたすべての方々に心から敬意を表します。コロナウィルス感染拡大で世論が真っ二つに割れる中、無事に遂行されたことは至難の技だったことと存じます。そういった方々の思いが実を結び、日本選手団が安心して、金メダル27個、銀メダル14個、銅メダル17個、メダル数が計58個という好結果が出たのだと思います。

今回の大会で感じたのは、” 縁 ” の不思議さです。もし去年オリンピックが開催されていれば、違う選手が活躍されていたでしょうし、今年だから金メダルを獲れた選手もいらっしゃったはずです。メダルだけがすべてではありませんが、この大会で、努力だけでは如何ともし難い、” 縁 ” があったのだと感じました。しかし、縁を拡大解釈すれば、今回金メダルを獲った選手が、勝ち組で一生安泰とは限りません。有名になったが故に、一つの失言や失敗で人生を棒に振る場合もあるでしょうし、今回、大会に出場できなかった悔しさで、大きな糧を得て 素晴らしい存在になる方もあると思います。人生は最期まで縁の力で成り立っており、物事を刹那的、感情的に捉えてはいけないのだと思いました。

例えば住職は、お盆参りの中旬を迎えてます。本当に真剣にやってますので、各家からお喜びの声をいただくと嬉しいものです。しかし、私が今、コロナウィルス感染という縁に合えば、そのお褒めの言葉はひっくり返って、不安や批判、悪い噂としてこちらに跳ね返ってくるでしょう・・・繰り返しになりますが、努力や真心だけでは如何ともし難いのが人間世界で、人の評価は善悪ではなく、すべては ” 縁 ”なんだなぁ、、、とつくづく感じます。

親鸞聖人は このようなお言葉を残されています。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

つまり「縁がととのえば、人間はどんなこともしてしまう存在」で、「なりたくてなっていない方が多数おられる」ということです。現代の報道やネット社会で気になるのは、読者や視聴者の正義感に訴え、気に入らない人を「悪人」として、社会から排除しようとするような論調が強くなっています。批判する人は、「自分は絶対にあのようなひどいことはしない」という前提に立ってますが、親鸞聖人は そうじゃない!と強く戒めておられるのです。

私達は、たまたま生まれ育った境遇や、現在の生活や人間関係が犯罪を促すようなものでないので、今は重罪を犯すことが思いもよらないとお説きなのです。もし、考えもおよばないような情況に追いつめられたり、犯罪を引き起こすような縁が周りにそろってしまったならば、自分も何をしでかすか分からない存在なのです。現代人には、そのような想像力が大事なのではないでしょうか。根っからの悪人はなく、すべては縁で成り立ち、自省の心が大切なのだと存じます。

もし自分が 大会関係者や政治家、選手という縁を持っていれば、、、そいうことを想像すると、知らないことに口出したり、安易に批判することはできないなぁ・・・と感じたオリンピックでした。それよりも、ご恩、感謝、おかげさま、ありがとうの精神に目を向けたいものです。本当に素晴らしい大会でした。パラリンピックも楽しみにさせていただきます。皆様、それぞれのお立場があると思いますが、自省をして、ご自愛くださることを心よりお祈り申し上げます。合掌

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牛頭天王の縁日

7月15日は牛頭天王の縁日になります。京都の八坂神社では 祇園祭を盛大にされますが、姫路の廣峯神社では何も行われないとのことで、琵琶の奉納演奏に行ってきました。牛頭天王は、インドの牛の頭に似た牛頭山に住んでいたとされ、疫病防除の神でした。あまりに霊力が強いため 仏教聖地、祇園精舎の守護神も勤めていたとも云います。日本には 聖武天皇の時代、天平5年(733)に吉備真備が この広峰山にお祀りしたのが最初だと伝わります。

廣峯神社の山門
雨が心配でしたが、ちょうど梅雨の
中休みとなりました。

巫女さまによる舞

ご宝前での琵琶奉納
『平家物語』より「祇園精舎」と「那須与一」を語らせていただきました。

式典後、別室にて茶話会を開いていただきました。
宮司の幸田さま。廣峯神社の末裔、廣峰さまもから
色々歴史についてお話を頂戴しました。

皆様と記念撮影

最近、住職のブログにちょくちょく出てくる牛頭天王ですが、ピンと来る人は 今の日本に ほとんどないと思います。しかし 150年前まで日本の津々浦々で信仰された神様だったのです。残念ことに 慶応4(1868)年の「神仏分離令」で、牛頭天王の神号を用いる寺社は その名前を改めろ!と厳しく禁止令を出されたことで忘れられた存在になりました。人間が神を消すというのは恐ろしいことですね・・・それをきっかけに、日本の民族性、精神性、国運がガタガタに落ちた気がします。

私は琵琶で 諸行無常を語っているためか、” 滅び ” にシンパシーを感じます。人間界ですので 流行廃りがあって当然ですが、大事なものは残す努力をすべきだと考えています。今の日本にはそれがありません。何でも使い捨てです。それを説くべき僧侶であっても ありがとう、おかげさま、感謝、ご恩を実践されてる方が少なくて愕然とします・・・あと20年もしないうちに現在の生活様式が すべて通用しなくなるといいます。そんな中で晩年を迎えるというのは不安ですね・・・諸行無常の世に翻弄されないためにも、確固たる心の安定が必要です。今こそ積極的に神仏と親交する時期に来ていると思います。信仰は一日にしてなりません。

寄付をさせていただいたら、御堂前に
玉垣を建てていただきました。

” 人は二度死ぬ ”と言います。一度目の死は 肉体の消滅二度目の死は その存在を完全に忘れ去られたとき。過去、方々で活躍されていた牛頭天王方は、必死に居場所をさがしておられるはずです。それらの神霊方を西願寺でいったんお預かりできればと真剣に思っています。その願を立ててから、実際、念いが実現しすぎて恐いほどです。皆様にも御利益のお裾分けををしたいと存じます。株ではありませんが、今が買いの神様ですよ(笑)。御堂建立にご協力いただける方は、ぜひぜひお願いします!合掌

ご宝前にて 西願寺の念持仏に御魂分けを
していただきました。

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五穀断ち

令和3年も半ばに差しかかりました。皆様、この半年はいかがお過ごしでしたでしょうか? 西願寺においては 授戒会開催の年でもあり、またコロナウィルスという未知の病いの流行もあり、忘れられない年となりそうです。

住職は 今年を力強く乗り越えるべく、年始から実行していることがあります。それは ” 五穀断ち(ごこくだち) ” です。これは修験道のひとつで、修行や立願成就のために穀物を食べずに行うことで、穀断ち(こくだち)ともいいます。五穀というのは5種類の穀物のことで、「米・麦・栗・豆・稗(ひえ)」をいいます。この行によって、まず授戒会の成功、そして賛同して下さる方々に健康とご多幸が降り注ぐようにと始めました。

私はこの修法で体重が約10キロ、腹囲は8センチほど減りました。五穀断ちの効能は、体の中に居る3匹の悪者が 食べる物がなくなって出て行くといわれます。その3匹とは「貪り、怒り、愚痴」の煩悩の親分です。その悪者が出て行くことで、心と体が覚醒して 霊的人生が身につくと云うのです。心には「反省」(×貪り)、「感謝」(×怒り)、「報恩」(×愚痴)という幸福への段階を悟り、身体は(現代風にいえば)、 「糖尿病」(×貪り)、「癌」(×怒り)、「認知症」(×愚痴)が除かれるのだと推察しています。

五穀断ちは周りの方々の協力が不可欠です。
どこまでいっても反省・感謝・報恩の毎日です。
現在は穀断ちに変え、大豆加工品はいただいてます。

心身の鍛練と徳積みが目的でしたが 副産物として、BMIが20.75の理想の状態になりました。

*写真は海老蔵さんです。
職業柄イメージ画像でお許し下さい(笑)

江戸時代に、百発百中の人相鑑定をする水野南北という方がいらっしゃいました。600人もの弟子を持ち、万に一つの狂いなく運命を爆裂に良くする具体的な方法を編み出された方です。その方の教えの一つが ” 食事の節制 ” でした。要約しますと、

規則的に小食、粗食を続けられれば、持って生まれた運命よりも急上昇できる。元々多くの徳を持って生まれている者もいるにはいるが、飲食を慎まないことで持って生まれた徳を 誰もが例外なく減らしてしまう。それとは逆に、持って生まれた運命が悪く、たとえ徳が少なかったとしても、3年以上飲食を慎み、継続した者は運命が必ず好転する。

腹八分で医者いらず
腹六部で老いを忘れる
腹四部で神に近づく

水野南北
3年間散髪屋で頭の相を研究
3年間風呂場で体の相を研究
3年間火葬場で死者の骨の相を研究
それでも百発百中にならなかったので、徳積み(小食法)を編み出されたようです。

現代は飽食の時代ですので 粗食はなかなか難しいですが、今の食事から2割の量を減らされるだけでも 運命が変わることと存じます。「運命」は ” 命を運ぶ ” と書きます。つまり、(大いなるものと波長を合わせ)行動することが大切です。理屈をこね回して 人を批判することが正しいとされる世の中ですが、(そんな人々と波長を合わせず)信仰に生きるというのは面白いものです。

人間界は 期間限定の魂の修行場です。つまり、あの世が救われる方法さえ手に入れば、この世の目的を ほぼ達成したことになります。あとは人を不幸にしない立願であるならば、どんどん挑戦していきましょう。徳積みで、健康な体反省 → 感謝 → 報恩の幸せのスパイラルを得ることによって、さらに魅力的な人生が歩めることでしょう。

改めて・・・皆さん、この半年を振り返って 何をされていましたか??

オリンピックの開催の是非やワクチン接種についての批評家だけでは これほど寂しいことはありません。今年も残り半分です。飛躍の寅年に向かって 徳を積む生活ができれば最高ですね。合掌

その他の徳積みとして
1、早寝早起き
2、占いは受けるべきでない
3水、紙、塩を無駄遣いしない
(物に対して誠意を持って取り扱う)
4、倹約はいいがケチはダメ
できることから始めましょう!

  

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西願寺に居られる牛頭天王方

コロナウィルス感染拡大が止まらず、再度、緊急事態宣言が発令されました。お隣の京都や大阪では、百貨店、映画館、スーパー銭湯等が軒並み営業を自粛したため、ゴールデンウィーク中、地元の滋賀には他府県ナンバーが溢れていました。「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺ではありませんが、いろいろな意味で何が幸いするかわかりません。

経済と健康、生と死・・・ワクチン接種の順番で日本中 大揉めしてますが、早く打ったからといって不老不死になるわけでなく、また死後の世界が救われることはありません。忘れてはならないのは、我々は肉体ではなく ” 魂の存在 ” と言うことです。今の思い・言葉・行動が未来を作ります。様々な問題がありますが、皆様の心の安穏を祈ります。

毎年5月は、東京の寺院で琵琶説教をしてましたが 2年連続で中止となりました。会場寺院の住職ご家族や檀信徒様との交流、また 東京観光を楽しみにしてましたが、今年も叶いませんでした。今回、どうしても参りたかったのが大田区の羽田神社でした。神仏研究家・桜井識子さまが5人目の牛頭天王の存在を記して下さり、縁を繋げたかったので、今回は木札を郵送で授与していただきました。自由気ままな牛頭天王らしいので、お好きな時、西願寺に遊びに来ていただければと思います^^

羽田神社の牛頭天王について
記されています。

羽田神社

西願寺に居られる牛頭天王方
向かって右端が、新たに勧請した羽田神社の木札です。

西願寺に牛頭天王像を祀ってからの後日談ですが、ある方を通じて サイキックちゃん という有名な霊能者に仏像の様子を聞いていただきました。すると、「うん、西願寺には八坂の牛頭天王が来てるよ! 眷属じゃなくて本体!! この住職、八坂の牛頭天王に相当好かれてる!!!」とあっさり仰ったようです。ご本体が来て下さるとは・・・どうりで願い事がズバズバと叶うはずだと思ってました(汗)。私は各牛頭天王さまにはそれぞれの願いを変えています。八坂神社には「与楽(よらく)」・・・父親の存在ように、楽しみや経験を与えて下さること・・・をお願いしています。生きにくい世の中ですが、無神論者の理屈に流されず、神仏のご加護で 有意義な人生を送りたいと思います。

ただ、お寺の敷地内では牛頭天王方も居心地が悪いようで・・・いずれ、新たなお堂を建てることを決意しました。「西願寺別院・牛頭天王堂」です。土地の目星はありますので、あとは流れに乗ってお堂を建立していきたいと思います。サイキックちゃん曰く、八坂牛頭より「最初は小さいお堂から始まる・・・しかし ここから伝説が始まる・・・これに携わる人は歴史に名が残る」ともお告げをいただいたみたいです。牛頭天王さまに特化し、色々語り合える場所にしたいと思いますので、興味のある方はご賛同いただければ幸甚です。一億円長者が現れたらいいなぁ … と妄想中です(笑)。無から有を作り出すワクワク感、これこそ牛頭さまの真骨頂です!。いずれ桜井識子様にもご参拝いただきたく願ってます。牛頭天王なら、あっさりと叶えて下さることでしょう。

今回のブログは、昭憲の独り言と捉えて下さいね。住職にとって阿弥陀如来の御存在はもちろん、諸仏諸菩薩諸天神、西願寺の檀信徒や有縁の諸精霊、東日本大震災被災者の方々、ブログの読者、お預かりのペットのご遺骨等々・・・すべて大切です。毎日、これらの方々の幸せを心より祈ってます。であるからこそ 皆さん、ワクワク 楽しく生きましょう。信仰の力は偉大です。私には「与楽」の力が 雪崩のように降り注がれています!合掌

先日、八坂神社に祀ってあったと云われる
神牛とご縁がありました。
長い長い八坂神社の歴史の中で、
様々な経緯があって流失したようです。
真偽は別として、大切にお祀りいたします。

背中の部分には金箔が残っています。
八坂牛頭の眷属でしょうか!

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この世に意味のないことはない

西願寺では、秋に予定をしている授戒会が半年を切りました。定員(80人)を超えましたので、あとは受者全員が無事に満行される対策を考えねばなりません。コロナウィルスとの兼ね合いもありますので、壇信徒が知恵を出し合って この難局を乗り越えたいと存じます。平穏な時に勤める行事よりも、何倍もやり甲斐があります。

最近 テレビのワイドショーで、「 コロナウイルス感染拡大により無意味なものが見えてきた。その代表はお葬式や法事である! 」と報道しているのを見ました。つまり、亡き人を弔うことや親族との付き合いよりも、自分の時間が大事という風潮が蔓延しているんだと思います。それほど人の心が世知辛くなってるのでしょう。

残念ながら、私がいつも申している、有り難う、おかげさま、感謝、ご恩という考え方は古いのかもしれません。しかし、この世に意味がないことはありません。 私達が起こした言動は、必ず何らかの形で作用するようにできています(縁起の法)。さすれば、意味があることと、意味がないことがあるのではなく、自分がそこに意味を見出すのか、見出さないのか、それだけなのだと思います。

私たちは、すべての関わりの中(縁起)で
生かされているとお釈迦様は説かれます。
結局、自分本位では生きていけないのです。

お寺という所は、そういう面が顕著に現れる所です。先祖回向にしても、布施にしても、墓掃除にしても、お供えにしても、意味を見出させない人からしたら茶番に見えるかもしれません。しかし、誰がなんと思おうが、自分が意味があると信じ切れること・・・このブレない精神が大切であり、それが信仰という言葉になり、大いなるものから力がいただけるのだと思います。今、コロナウィルスで全てのことがふるいにかけられています。行動が制限され、何が正義かがわからない時節だからこそ、自分が信じた道を生きたいものです。合掌

4月10日、総代や実行委員会の有志で授戒の成功を祈り、吹き流しを立てました。

4月10日は善導忌当日。善導大師の法力で、雲一つ無い晴天に恵まれました。
借景の山に八幡城跡の石垣が見えます。開基の豊臣秀次公も応援して下さってます。

授戒会の成満祈願をしました。

境内に高札も掲げました。

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東日本大震災から10年

東日本大震災から10年が経ちました。「十年ひと昔」とはよく言いますが、もう10年、まだ10年、ようやく10年。さまざまな思いが聞こえてきます。思えば 西願寺における布教の原点は ここにありました。この体験から 住職が思うことを世に発信していこうと思い ブログを始め、タイトルを『平成 方丈記』と名付けました。もう ” 平成 ” ではないのが、時の流れを感じます。

古典の『方丈記』には、「恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけり」(最も恐ろしいものは地震だ)と書かれています。地震によって生活が一変してしまう現実は、800年前も今も 変わらないようです。「平凡な毎日は続かない」と知らされると、「自分にとって、幸せって何だろう?」と考えさせられます。

鴨長明が、世の無常と人生のはかなさを
随筆として著したのが『方丈記』です

本日は『方丈記』(鴨 長明)の一節をご紹介します。
方丈庵に住んで5年。この山に住み始めた時は、「しばらくだけ」と思っていましたが、もう5年も過ぎてしまいました。仮の庵も、だんだん住み慣れて、屋根の軒に落ち葉が厚く積もり、土台に苔が生えてきました。

たまたま、何かのついでに、都の様子を聞いてみると、この5年間に、身分の高い人が、たくさん亡くなられたことが分かりました。まして、一般の人が、どれだけ死んでいったか、数え切れるものではありません。また、都には、何度も火災が発生しましたので、焼けた家が、どれだけあるか分かりません。

でも、私の、この方丈庵は、安らかで、火災の心配はありません。どんな豪華な家を建て、財産を蓄えても、火災、竜巻、地震などで、あっという間に消えていく喜びであることを知っています。いつまでも長生きしたいと願っても、病気、けが、事故、災害、戦争などで、いつ死んでいくか分からないことを知っています。だから、儚い命、短い人生を、欲や怒り、愚痴のために、振り回されたくはないのです。家や財産、名誉や地位が、多いとか、少ないとか、そんなことにとらわれずに、心から喜べる幸せ、安心を求めていきたいのです。
(『こころに響く方丈記』より 木村耕一 著)

下鴨神社には、鴨長明の方丈庵が復元されています

昔も今も人間の本質は変わらないんだと思います。現代は 目まぐるしく変化する世の中ですが、チャールズ・ダーウィンは「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びる者ではない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」と説きます。結局 我々は「諸行無常」の中で生きているのです・・・その真理を知れば、自分にとって何が大切なのか 幸せなのかが見えてくると思います。

私達は時間を取り戻すはできません。死ぬ時節もわかりません。一切の現象を止めることが出来ません。先がわからない中で生かされるのが人間界の苦しみであり、修行です。さすれば人間にとって大切なもの(感謝、有り難う、ご恩、おかげさま)だけは心に留める精進をし、心から喜べる幸せ、安心を求めていきたいものです。「諸行無常」の中で、唯一変わらぬ仏法真理を 共に分かち合えれば幸甚です。合掌

心より震災被災者のご冥福をお祈り申し上げます。南無阿弥陀仏

東日本大震災10年にあたり、産経新聞より取材を受けました。
現在、私の手元には原本がありませんが、信徒様がメールをくださいました。
届き次第、正式に掲載しますのでご一読くだされば幸甚です。

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老いについて考える

2月になりました。緊急事態宣言が延長されるなど、相変わらずコロナの影響を強く感じる日々です。皆様、いかかお過ごしでしょうか。

住職も1月に誕生日を迎え、また一つ年を取りました。一休禅師のお言葉に、
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」とあります。
昔は数え年で、年が明ける元旦で一つ年をとる計算法でした。門松を飾る(正月を迎える)ということは、一歩づつ死(冥土)に向かっているのだ。はやく真理に目覚めて 心安らかに生きなさい!という一休さんからの教訓です。現代で言うところの誕生日ケーキが 門松にあたる感覚でしょうか。

私は阿弥陀仏信仰なので 冥土(死)に対して それなりの覚悟を持ってますが、それより怖いのが 世間の価値観が大きく変わっている現実です。この世相において 老いることに不安に感じます。これこそが魂の器を広げる修行であり、この世に生まれてきた意味なのだと思いますが・・・現代の風潮は、過去の価値観を否定し、目上の方をこけ下ろし、一つの過ちでその方の全てを抹殺する、、、まるで修羅界のようです(汗)。昔のありがとう、お陰さま、ご恩、感謝の日本人はどこに行ってしまったのか?というほどの変わりようです。46歳になり、上下世代の良さも悪さも知っている私は、それがうまく融合できないかと考えてしまう今日この頃です。

一休さん
昔、懐かしのアニメですが、様々なエピソードも、人間社会の葛藤を乗り越えた結果なのだと存じます。

世代間ギャップについて面白い言葉がありますので ご紹介します。
「18歳と81歳の違い」
・道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳
・心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳
・偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳
・受験戦争で戦っているのが18歳、アメリカと戦ったのが81歳
・恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳
・まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳
・東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳
・自分探しの旅をしているのが18歳、出掛けたまま分からなくなって皆が探しているのが81歳
・ドキドキが止まらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳
・恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳
・道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才
・「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

60年の差があると これほど見方が変わるんですね(笑)。しかし、世代によって考え方が変わるのは 今に始まった事ではありません。2600年前のお釈迦さまも「老い」の苦しみを説いてらっしゃいます。僧侶として十分勉強したつもりでしたが、最近 目上の方と話していると、老いの苦しみは 衰えや病気、あるいは死に向けての恐怖だけではないと気付きました。それは時代に対応できない孤独です。時代の流れと共に価値観が変わり、今までの言動では老害扱いされてしまい、「孤独」の苦しみに苛まれる方が本当に多くいらっしゃいます。「浦島太郎」なんて その典型の話かもしれません。身体はそのままで 新しい時代を迎えても、必ずしも幸せではないのだと存じます。やはり、自分が生きた時代が一番いいのだと思います。

私はまだまだ中年の部類ですが、目まぐるしい時代の変化に 老いに対する考え方が深くなってきました。できるだけ 縁ある方に寄り添うように心掛けてますが、時代の流れは如何ともし難いものがあります。そのような移り変わりの人間界で変わらぬもの・・・それが「手を合わせる心」です。最終的にこれしかありません。敗戦国として精神を骨抜きにされた日本。さらにコロナでの文化破壊は加速の一途です。しかし、幸せの妙法(ありがとう、お陰さま、ご恩、感謝)だけは心に留めたいと思います。合掌

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丑年の心構え(令和3年)

新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。さて、毎年初ブログは十二支に因んだお話をしてますが、今年の干支は丑(うし)です。丑年はどのように生活すればよいのでしょうか。

古来より丑年は忍耐が必要であるとされます。現在の世界情勢や景気を考えても、今年は耐えることが求められそうです。ですから 焦る気持ちを抑え、さらなる発展に備えるための年となるでしょう。昨年は子(ね)年で、良くも悪くも最初の一歩を踏み出しました。最初の一歩を踏み出した時、もう片方の足はまだスタート地点にあります。ですが丑年で二歩目を踏みだすと、完全にスタートから離れ後戻りはできなくなります。丑年を迎えるにあたり、これから12年の目標を確認し、そのための基礎を作る心がけが大切と心得て下さいませ。

また、牛は十二支の動物の中で最も歩みの遅い動物です。ですから 先を急ぐのではなく、着実な一歩を大切にしていかなければなりません。反芻(はんすう)を繰り返しながらの土台作りが大切ですね。私は物事を進めるときに、魔が差さないよう「おい、あくま!」と念じつつ取り組んでいます。

お・・・おこるな
い・・・いばるな
あ・・・あせるな
く・・・くさるな
ま・・・まけるな

西願寺は、今年、授戒会の年です。準備委員会の皆様が懸命に動いて下さり、80人以上のご参加を申し込んで下さいました。時節柄、なかなか難しい舵取りになりそうですが、未来のお寺にとっては、本当に大事な年になると存じます。それこそ忍耐の年になりそうです。怒らず、威張らず、焦らず、腐らず、負けないで精進して参ります。本年も宜しくお願いします。合掌

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牛頭天王像の安置(廣峯、八坂、今宮、津島の御魂をご勧請)

本年最後のブログです。今年はコロナウィルスが全世界に猛威を振るい、現在も継続中です。人間が想定していた色々な出来事がもろくも崩れ去ってしまい、これほど「諸行無常」を感じた年はありません。今年一年、コロナだけが思い出となるのは嫌です。未曾有の年となった令和2年の総決算として、疫病封じで名高い 牛頭天王(ごず てんのう)の仏像を製作しました。

牛頭天王像(昭憲念持仏)

牛頭天王とは、お釈迦さまが説法を行った祇園精舎の守護神で、とてつもない霊力を持たれた神仏です。古来より 日本でも牛頭天王信仰は盛んでしたが、明治時代の廃仏毀釈で牛頭天王はスサノオノミコトと同一化され、その存在は人為的に消されてしまいました。今でも各地にある祇園社、八坂社という神社は牛頭天王をお祀りしていた名残になります。では牛頭天王の御魂はどこにいかれたのでしょう? その存在を探してらっしゃる方に、霊能者の桜井識子さまがいらっしゃいます。この方によれば、現在 そのご存在が確認できる神社は4社あり、廣峯神社(姫路)八坂神社(京都)今宮神社(京都)津島神社(愛知)と言われます。私は、この仏像を通じて4社の御魂と交流をしたく、出来上がった念持仏を持って 4神社で神恩感謝のご祈祷をしていただきました。

4社でご祈祷後の念持仏
眼力が変わりました・・・
廣峯、八坂、今宮、津島の牛頭天王が宿って下さってるのを感じます。
【念が強いため、しばらく秘仏といたします】

普段は住職が様々なご祈祷をする側で、逆にしていただくのは緊張しました。何が不安かと言えば、それぞれの神社で私の念いを受け止めて下さるかということです。僧侶が仏像のご祈祷をしに神社を回るというのは滑稽かもしれません。しかし、私はいたって真剣です。このブログ内で笑われるのはいいですが、失礼ながら4神社でその願いを受け止めて下さるかが本当に不安でした。各神社ではそれぞれ応対して下さり、無事にご祈祷いただきました。無理を申したにも関わらず、丁寧に応対してしていただいた各神社には心より感謝申し上げます。逆に言えば、皆様方が住職の所に依頼して下さる願いは切実で、私にとっては多くの中のお一人ですが、皆様方にとっては真剣そのもの・・・丁寧に受け止めることが大切なことだと学びました。

先述の牛頭天王の功徳を伝えて下さった桜井識子さま。お話がしたくて仕方ありませんが、お姿を隠してらっしゃるのでお出会いできる術はありません。しかし 知らぬ間に会っていたようです。著書で私の印象を語って下さってる文章がありましたのでご紹介します。私が勤めている寺院を参拝され、その感想を述べられた後の追記部分です。

と、ここで終わるような書き方をしていますが、もうひとつ、絶対に書いておきたいことがあります。
こうして私は結構長い時間を本堂で過ごしました。最初は受付に女性が1名だけでしたが、後から僧侶の方が1名来られて、受付には2名おられました。何事かお仕事の話をされていたようでした。
私は本堂でずっとひとりでしたし、あっちを見たりこっちを見たり、また戻ってこれを見て・・・というふうに思いっきり見学させてもらっています。ですから、本堂を出る時に会釈だけでもしておこうと受付のほうに顔を向けました。
こちらが頭を下げる瞬間に、お2人ともが ” にっこり! ” と音がするくらい、とびきりの笑顔で頭を下げられたのです。その瞬間に心の中にお花が咲いたような、ものすごい温かいものを感じました。
最後の最後までなんて素晴らしいおてらなんだろう、と思いました。お釈迦様の波動が行き渡ったお寺です。
朝一番の参拝だったので、良い心に整えていただけてありがたかったです。このお寺をでて普段ならちょっとイラッとするであろう出来事がありましたが、全然腹が立たず心は平和なままでした。ここのお釈迦様は本当にすごいです。

(『京都でひっそりスピリチュアル』宝島社 桜井識子)


八坂神社本殿の上に、口を開けた狛犬が出て下さいました。
桜井識子さまも同著書で八坂神社の狛犬と対話をされています。

牛頭天王はお釈迦さまの守護神。私も清凉寺(嵯峨釈迦堂)で釈迦如来像に仕えて25年なりますが、様々な寺社仏閣を巡られてる識子さまより 釈迦如来像の波動と一体になってるとお褒めいただいてました。このお言葉を励みに、微力ですが 様々な悩みを抱えた方の念いを受け止められるよう精進致します。来年は皆様にとって さらに良い年であるよう、心よりお祈り申し上げます。佳いお年をお迎え下さいませ。合掌

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