最近、暗いニュースが蔓延しています。コロナ問題、ウクライナ問題に続いて芸能人自殺のニュースも増えています。どうしてこんなに住みにくい世の中になってしまったのでしょうか。当たり前にテレビで見ていた人が 急に見れなくなるというのは非常に寂しいものです。「当たり前⇔有難う」と言いますが、現代人には「有難う」と言う ” 感謝の心 ” が無くなってきているのかもしれません。
霊能者や僧侶によくある話ですが、人生の一時期、どうしようもない絶望感を感じる時期が来ると言います。それが次なる悟りへのステップアップとも言いますが、、、実は私も3月11日(東日本大震災の日)から2ヶ月間、そんな時期に入ってしまいました。やっと抜けた感じがしてブログを書いています。それまで普通に勤めはしてましたが、それはもう、精神的不安と体調不良はひどいものでした。タイプによりますが、僧侶は自己犠牲の毎日です。常に品行方正を求められ、常に相手のペースや距離感を合わせながら法務を勤めています。
何か大きな事が起こった時に初めて「言ってくれたらよかったのに~」と言われますが、それまでいくらサインを出しても そんな懇願は通りません。周りは「私以外の要求は手を抜いて休んだらいい!!」と仰る方々が大多数ですので、そこに” 普通(ありのまま)の自分 ” が存在する余地がありません。
それは現代社会の縮図であり、自殺した芸能人を 手のひら返しで美化している光景に似ているんじゃないでしょうか?
今回の修業を経験して、世の中は「当たり前」が先行して「有難う」と感じてくれる人は少ないんだなぁ、、、と思いました。そのシンドさは「なぜ?」「どうして?」「話せばいい!」と言った他人の価値観に合わせた理由付けを聞きたい訳でなく、「憂さ晴らしをすればいい!」と言った楽観的な世界ではありません。自分のことは自分にしかわからないのです、、、もし皆様が そんな方を見かけたら、そっと ” 普通(ありのまま)の自分 ” が出せるよう補助してあげて下さい。
そんな中、なぜか芸能人のタモリさんの生き方に興味を覚えました。タモリ氏を論じているジュウ・ショさんの文章です。
タモリは「ミュージカル嫌い」としても有名だ。急に踊ったり歌ったりする様に「こっちが恥ずかしくなる」のだという。これに通ずるエピソードとして「テレビの過度な演出を嫌った」という話がある。音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)や『笑っていいとも!』でスタッフが演出を加えようとすると「普通でいいんだよ」と直したそうだ。
また、タモリはこんな言葉も発している。「マンネリ化した番組は、いろんなことをやろうとして失敗する」と。
仕事もプライベートもマンネリ化すると、足掻(あが)きたくなるものだ。しかし、タモリはある意味で諦めている。「諦」という言葉は、実は仏教用語の1つだ。今ではネガティブなイメージが強いが、もともとは「明らめる」。つまり、集中をやめることで、周りがよく見えてくるわけである。これは彼の「やる気のある者は去れ」という名言にも通ずる姿勢だ。
毎日きちんと「普通」であり続けることで、視聴者も安心して番組を観られる。タモリが担当した番組の多くが長く愛される理由ともいえるだろう。
人は生きている限り、周囲とコミュケーションをとりながら暮らしていく。ましてや現代はSNSの影響などによって、過剰なほど他人の声が聞こえてくる。とんでもない速さで情報が入ってくる現代はとっても便利だ。しかし、便利過ぎて、LINEの通知や仕事のメールを少し窮屈に感じる方もいるかもしれない。
そんな方に、私はタモリの気張らない生き方を提唱したい。「私を消す」「今をゆるく楽しむ」「普通を愛する」という3点に共通するのは「がんばらないこと」だ。
何かとがんばりたくなる私たちだからこそ、タモリの“ 飄々とした禅的な生き方 ” は、きっと救いになるに違いない。
『プライドを持たない「タモリ思考」が必要な理由 頑張りがちな私たちに必要な「禅的生き方」(「週刊女性PRIME」編集部)
ネガティブ的な意味でなく、様々なことを明らめ、人に期待せず、世の中をありのままに見つめ、張り切らずに楽しみたいと感じた2ヶ月間の修業でした。本当に漠然と苦しんでらっしゃる方が大勢いらっしゃいます、、、住職もタモリ氏のように飄々と生きていきます。皆さんも ” 普通(ありのまま)の自分 ” を大切にして下さいね。合掌