張り切らずに楽しむ

最近、暗いニュースが蔓延しています。コロナ問題、ウクライナ問題に続いて芸能人自殺のニュースも増えています。どうしてこんなに住みにくい世の中になってしまったのでしょうか。当たり前にテレビで見ていた人が 急に見れなくなるというのは非常に寂しいものです。「当たり前⇔有難う」と言いますが、現代人には「有難う」と言う ” 感謝の心 ” が無くなってきているのかもしれません

霊能者や僧侶によくある話ですが、人生の一時期、どうしようもない絶望感を感じる時期が来ると言います。それが次なる悟りへのステップアップとも言いますが、、、実は私も3月11日(東日本大震災の日)から2ヶ月間、そんな時期に入ってしまいました。やっと抜けた感じがしてブログを書いています。それまで普通に勤めはしてましたが、それはもう、精神的不安と体調不良はひどいものでした。タイプによりますが、僧侶は自己犠牲の毎日です。常に品行方正を求められ、常に相手のペースや距離感を合わせながら法務を勤めています。

何か大きな事が起こった時に初めて「言ってくれたらよかったのに~」と言われますが、それまでいくらサインを出しても そんな懇願は通りません。周りは「私以外の要求は手を抜いて休んだらいい!!」と仰る方々が大多数ですので、そこに” 普通(ありのまま)の自分 ” が存在する余地がありません。

それは現代社会の縮図であり、自殺した芸能人を 手のひら返しで美化している光景に似ているんじゃないでしょうか?

今回の修業を経験して、世の中は「当たり前」が先行して「有難う」と感じてくれる人は少ないんだなぁ、、、と思いました。そのシンドさは「なぜ?」「どうして?」「話せばいい!」と言った他人の価値観に合わせた理由付けを聞きたい訳でなく、「憂さ晴らしをすればいい!」と言った楽観的な世界ではありません。自分のことは自分にしかわからないのです、、、もし皆様が そんな方を見かけたら、そっと ” 普通(ありのまま)の自分 ” が出せるよう補助してあげて下さい。

そんな中、なぜか芸能人のタモリさんの生き方に興味を覚えました。タモリ氏を論じているジュウ・ショさんの文章です。

タモリは「ミュージカル嫌い」としても有名だ。急に踊ったり歌ったりする様に「こっちが恥ずかしくなる」のだという。これに通ずるエピソードとして「テレビの過度な演出を嫌った」という話がある。音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)や『笑っていいとも!』でスタッフが演出を加えようとすると「普通でいいんだよ」と直したそうだ。

また、タモリはこんな言葉も発している。「マンネリ化した番組は、いろんなことをやろうとして失敗する」と。

仕事もプライベートもマンネリ化すると、足掻(あが)きたくなるものだ。しかし、タモリはある意味で諦めている。「諦」という言葉は、実は仏教用語の1つだ。今ではネガティブなイメージが強いが、もともとは「明らめる」。つまり、集中をやめることで、周りがよく見えてくるわけである。これは彼の「やる気のある者は去れ」という名言にも通ずる姿勢だ。

毎日きちんと「普通」であり続けることで、視聴者も安心して番組を観られる。タモリが担当した番組の多くが長く愛される理由ともいえるだろう。

人は生きている限り、周囲とコミュケーションをとりながら暮らしていく。ましてや現代はSNSの影響などによって、過剰なほど他人の声が聞こえてくる。とんでもない速さで情報が入ってくる現代はとっても便利だ。しかし、便利過ぎて、LINEの通知や仕事のメールを少し窮屈に感じる方もいるかもしれない。

そんな方に、私はタモリの気張らない生き方を提唱したい。「私を消す」「今をゆるく楽しむ」「普通を愛する」という3点に共通するのは「がんばらないこと」だ。

何かとがんばりたくなる私たちだからこそ、タモリの“ 飄々とした禅的な生き方 ” は、きっと救いになるに違いない。

『プライドを持たない「タモリ思考」が必要な理由 頑張りがちな私たちに必要な「禅的生き方」(「週刊女性PRIME」編集部)

ネガティブ的な意味でなく、様々なことを明らめ、人に期待せず、世の中をありのままに見つめ、張り切らずに楽しみたいと感じた2ヶ月間の修業でした。本当に漠然と苦しんでらっしゃる方が大勢いらっしゃいます、、、住職もタモリ氏のように飄々と生きていきます。皆さんも ” 普通(ありのまま)の自分 ” を大切にして下さいね。合掌

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時間軸と空間軸

4月に入り、新入生の入学式の時節となりました。春ですね。「春」といえば、みなさんは、何を連想されますか?あるランキング調査では「春といえば、桜」と答える人が、約8割だったそうです。

しかし、古典で「春」といえば・・・やはり「春はあけぼの」です。この時代も桜は綺麗であったと思いますが、清少納言は花ではなく「時間軸(時の移ろい)」であらわしているのが印象的です。

一方、現代人の考えは「空間軸(今の状態)」です。現実に美しくなっている ” 今 ” の桜のみ見ている気がします。桜が好き!と言っても、開花宣言や花見に一喜一憂し、インスタ映え等の「空間」による心地良さを好み、そのプロセスは見向きもしません。平均寿命が延びた日本人ですが、現代人の方が刹那的だと感じます。

エッセイスト、木村耕一さんの対談を引用します。
──木村さん、春ですね。春といえば?

はい、「春は曙(あけぼの)。ようよう白くなり行(ゆく)、やまぎわすこしあかりて・・・」を思い出します。『枕草子』の、有名な書き出しですね。

──春といえば、「桜」を思い浮かべる人がほとんどのようですが・・・。なぜ、「あけぼの(夜明け前)」なのでしょうか?

そうですよね。春といえば、「桜」を連想する人が多いと思います。それなのに清少納言は、花ではなく、時間帯できたか!と驚きますよね。この意外性が、夜明け前の静けさを、映画のワンシーンのように脳裏に浮かばせ、強烈な印象を与えているのです。

──確かに「春はあけぼの」って、言葉の響きもよく、映像が浮かんでくるようですね。どんなメッセージが込められているのでしょうか?

はい。清少納言は、私たちに、「ほら、つらい冬が終わって、温かい太陽が昇ってきたよ。真っ暗な闇が去って、薄紫色に輝いてきたよ。だから、春は、あけぼのが好き」と語りかけているように思います。
彼女自身が、生きることのつらさ、苦しさを、強く感じていたからこそ、
「春の来ない冬はない」
「朝の来ない夜はない」
「だから、あきらめずに、前向きに生きよう」
というメッセージを、『枕草子』の冒頭に込めたのではないでしょうか。

──あれ? 『枕草子』は、千年前の、平安貴族の日常を、エッセー風に書いたものではないでしょうか。王朝生活は、そんなに暗いはずないですよね。

はい、実は私も、『枕草子』を読むまでは、「平安貴族は、気楽でいいなあ。いつもきれいな服を着て、すぐ恋をして和歌を詠み、四季の変化を眺めて『風流だな』と言っていれば評価されるんだから・・・。何の苦しみもない人たちだろうな」と思っていました。ところが、清少納言が、当時の天皇と后の周りで起きたことを書き残してくれたおかげで、平安貴族といっても、王朝生活といっても、人間関係の苦しみは、現代の私たちと、少しも変わらないことが分かります。

──え? どんなことがあったのでしょうか。

根も葉もないウワサ話に悩まされたり、濡れ衣を着せられたり、権力争いに巻き込まれたり・・・。でも、どんな理不尽な扱いを受けても、清少納言は、相手を非難したり、攻撃したり、報復したりしていません。知恵と洒落、ユーモアのセンスを生かして、乗り越えていきます。

──すごいですね。理不尽な出来事には、腹を立てたり、恨んだりして当然だと思っていましたが・・・。

怒りには怒りをぶつけ、恨みには恨みで報復していては、いつまでも、ドロドロとした戦いが続き、お互いに、得るものはありません。

──確かに、そのとおりです。

「正しいことは、時間の流れが証明してくれる。私は、私の誠意を尽くすだけ・・・」清少納言の、こういう心の持ち方が、千年たっても、多くの読者に支持されている理由ではないでしょうか。

──ありがとうございました。「『枕草子』は、キラキラしている」「悲しみ、苦しみを乗り越える力を与えてくれる」という読後感を持つ人が多いのもうなずけますね。
(「意訳で楽しむ古典シリーズ」)

現代人は、物事をもう少し「時間軸」を意識すると様々なものが見えてくるはずです。それを仏教が教えてるのではないでしょうか。こんな言葉があります。

あ 当たり前やと喜ばず
い いつもの事やと感謝せず
う 受けしお陰に気も付かず
え 縁を大事と喜ばず
お 恩も忘れて我が事ばかり

まさしく「時間軸」「空間軸」が交わった時にしっくりくる言葉です。仏教を通じて何事もバランスのよい見方を大切にしたいと思う今日この頃です。合掌

最近の関心事、コロナ問題やウクライナ問題にしても、感情論や各国の思惑による情報戦(空間軸)のみに傾くのではなく、過去の教訓や歴史的な背景、大いなるものからの警告(時間軸)として冷静に見る方が、真実が見えてくるのかもしれません。

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生活者と人生者

段々と暖かな春の日差しになってきました。奉職寺院の梅や河津桜も見頃になっています。これから一年かけて、様々な花が私たちを楽しませてくれます。日本人は花が大好きです。そのような花たちの終わりを日本語は粋に表現してますので、一部お伝えします。

【桜】⇒「散る」
【梅】【萩】⇒「こぼれる」
【椿】⇒「落ちる」
【朝顔】⇒「しぼむ」
【牡丹】⇒「崩れる」
【菊】⇒「舞う」
【薔薇】⇒「枯れる」
【紫陽花】⇒「しおれる」

では、私たち人間の終わりは何と言うでしょう?

【人間】⇒「往(い)く」

仏教では、仏に救われての亡くなり方を「往生」と言います。往き生まれる・・・人間は死んだら終わりでなく、魂は永遠に生き続けると説きます。ですから、人間のご遺体のことを「亡骸(なきがら)」といいます。” 魂の抜け殻 ” という意味ですね。みんなこの世を去るんです。そう考えると、花にしても人間にしても、今を精一杯生きることが尊くて 成功も失敗もないんだなぁ、と思います。入り組んだ現代社会では、色々考えれば考えるほどうまくいかないもので・・・そんな中、僧侶は「余分なことは考えなくていいんですよ。ただ、魂の次の往き先だけは意識しておいて、この世をハツラツと生きましょう!」と魂中心の生き方を伝える職業です。

宗教評論家のひろさちや氏のお言葉です。
ここで人間というものを二つに定義してみましょう。
毎日の暮らしにあくせくし、そこにとらわれて、何か問題が起きたら、なんとか解決したい、どうしたらもっとよくなるのか、と考える。これが「生活者」です。
一方、ここに人間が生きている、生きている俺は好きなように生きる、どんな生き方をしたってかまわんだろう、と開き直ることができる。こちらは「人生者」です。

人生者と生活者が決定的に違うのは、そのトラブルにどう向き合うかなんです。生活者はトラブルをなんとしてでも解決しようとする。悩みや苦しみもなくしたい、と考えます。人生者はそんなつまらないことはしません。トラブルも、苦労も、悩みも、放っておくんです。

放っておくとはどういうことか?トラブルにみまわれてる自分、悩みに落ち込んでいる自分、苦労のさなかにいる自分を、そのままに生きる、ということですね。
トラブルや悩みも同じです。それをどうにかしようなんてことは考えずに、あるがままにいきたらいい。それが人生者としての生き方です。

(『「ずぼら」人生論』 三笠書房)

最近は、コロナ感染、悲惨な戦争、物価上昇等々、辟易(へきえき)とする話題ばかりです。人の考えも様々になり、正しさの価値観が消えている状態です。これは 一僧侶の努力ではどうすることもできません。放っておくといえば語弊がありますが、ありのままに生きる「人生者」として、もっと自分の心を大切にしたいと思うようになってきました。何の駆け引きもなく、精一杯生きている花を見ると勇気が湧いてきます。人生は、おごらず、比べず、面白がって、平気に生きればいいんです。合掌

今、奉職寺院の河津桜が見頃です
桜は「散る」ですね
「散る桜 残る桜も散る桜」良寛禅師

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父の遺言

今月28日は先代住職の7回忌に当たります。檀信徒や縁ある方々に葬儀を挙げていただいて丸6年。長かったような短かったような・・・一言では言い表せない年月でした。率直に言いますと、かなりしんどかったです。一家の大黒柱を失うというのは、これほど大変なものなのかと痛感しました。この6年の経験が糧となり、器を広げることが先代への親孝行だと存じます。

西願寺430年の歴史の重みと、
伝統と伝承を考えさせられた6年でした。

そんな先代が亡くなる前に発した言葉が今でも忘れられません。
「お金を使いたい・・・」
私にとっては衝撃的な言葉でした。仮にも僧侶ですから、清浄な悟りの言葉をいただけると思っていたからです。しかし、この言葉の意味をずっと考え続け、様々な体験をし、今回の節目を迎えると、実に奥深い言葉だと捉えられるようになりました。それは お金に対しての価値観です。

「時は金なり」という諺の通り、時間は有限です。その貴重な時間を割いて、人が何かを費やす対価が 現代で言うお金です。つまり「人生の貴重な時間を費やすエネルギー=対価(お金)」ですから、貯蓄ばかりでは意味がありません。エネルギーは動いてなんぼのモノです。 色々な経験に使ってこそ、恩送りという循環ができるのだと存じます。お金に対する執着や他人の目のために ” 人生という時間 ” を犠牲にすべきではなく、また仕事や物質の奴隷になってはけないのだと思います。特に風の時代は、得体のない(土のように)ガチガチに固まった美徳の奴隷になってはいけないのではないでしょうか。

尊敬するビル・パーキンス氏の言葉です。
死は人を目覚めさせる。
死が近づいて初めて、私たちは我に返る。
先が長くないと知り、ようやく考え始めるのだ。
自分はいったい何をしてきたのだろう? 
これ以上、先延ばしをせずに、今すぐ、本当にやりたいこと、大切なことをすべきだ、と。
ふだん私たちは、まるで世界が永遠に続くかのような感覚で生きている。
だが残念なことに、私たちは喜びを先送りしすぎている。
手遅れになるまでやりたいことを我慢し、ただただ金を節約する。
人生が無限に続くかのような気持ちで。

(『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』)

先代は常々「今日が人生で一番若い日だ」と申していました。この言葉は、何をするにしても遅いことはないという意味だと理解しています。しかし、お金に関して言えば 活きた使い方にはタイミングがあります。

人生の最期に思い返すのは ” 今まで経験してきたこと ” と ” 死後のこと ” (後悔と恐怖)だとお経に記されています。

住職は死後の救いについては専門家ですので、信仰の力で恐怖を打ち消す努力はできると思います。しかし、後悔という面では先代のようにフツフツと沸き上がる気がするのです。今まで、財産の大半を寄付して 私生活の充足を考えずに生きてきた私は、美徳というものを隠れ蓑にして、お金(エネルギー)の使い方を放棄していた気がします。もちろん功徳としては貯まっているはずで、神仏に護られている自覚はありますが、この世的な経験や喜びが圧倒的に足りないと思う今日この頃です。そう考えると「お金を使いたい・・・(死を前に 後悔せぬよう多くの経験をしなさい!)」・・・これが父の遺言だったのか!?とさえ感じます。

父との別れは早かったですが、私が晩年、このことに気付かされていては 生きる価値が全然違うかったかもしれません。”人生で多くの経験をすることが一番の充足に繋がる”・・・これを合い言葉に、また私の趣味や最近始めたこと等をお話できればと思っています。合掌

親族にご参列いただき7回忌と納骨法要を勤める準備をしてきましたが、
残念ながらコロナの影響で家族内でさせていただきました。
骨仏の存在として、西願寺や子孫を極楽から見守ってくれればと願います。

願蓮社成誉上人法阿慈光邦雄和尚 7回忌 荘厳浄土 南無阿弥陀佛

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寅年と風の時代の心構え(令和4年)

新年、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。本年、令和4は寅(トラ)年です。本来、この字は「イン」と読みます。寅は「引」や「伸」の「イン」の同義語で、意味は「草木が伸び始める状態」を表します。ですから、精進をすれば少しずつ活気が出てきて、万事順調に進みはじめる年だと言えます。

ただ、時代が大きく変わりつつあることを意識して十二支を指針とすべきです。よく勉強されている方は、現在は「風の時代」だと聞かれたことがあると思います。これは西洋の占術学で、理屈はこうなります。

天体にある木星と土星は地球に大きな影響を与えると言いますが、この二つの惑星は20年に一度 ピッタリ重なります。これをグレートコンジャンクションといいます。しかし 約200年に一度、重なり合う惑星の配置が変わり、その時から地球に住む人間の価値観や精神性がガラッと変わるというのです。2020年12月22日から配置が変わったと言いますので、約一年前から始まった新たな時代を「風の時代」と言います。

ちなみに その前は「地の時代」と呼ばれてました。重なり合う惑星の配置が変わるというのは、今までのグレートコンジャンクションは「牡牛座、乙女座、山羊座(地の星座)」の中で重なり合っていましたが、一年前から「水瓶座(風の星座)」の中で重なり合ったことから「風の時代」と言うのです。

この時代はこの先220年ほど続くとされていますので、今を生きている人々は、これから先の生涯「風の時代」を生きることになります。では どんな価値観に変わるのでしょうか。

住職も流行に乗らず、冷静に「風の時代」の幕開けを見てきましたが、当てはまるものばかりで驚きました。最近の悩み相談のほとんどが、地の時代と風の時代の価値観のギャップに苦しんでおられるのです。コロナの影響もありますが、この一年で人々が 「風」のように自由に生きることに価値を求め、働き方やお金に対する価値観も大きく変わった気がします。

ところで 我々の生きた「地の時代」とは、約260年前の産業革命の時代から始まったようです。物、金、権力、ステータス、ブランド、不動産、終身雇用など形ある安定したモノものを重んじる物質主義で、目に見える資産形成に価値が置かれていた時代です。産業革命から始まり、それが行き着いたところが現代の大量生産・大量消費の世界でした。また 精神面では実績を信用し、組織の伝統を大切にする、我慢や根性が大切とされてきた時代でもありました。振り返れば、まさに土(地)のように しきたりがガチガチに固まった時代だったように思います。

地の時代の幕開けとされる産業革命

この「風の時代」は、「風」が目に見えないように、形のないものに価値観を見いだす新時代として、「所有したい」という物質的欲求から「知りたい(情報、知識、人脈)」という精神的欲求へと人々の関心が変遷されると言われています。つまり、企業や組織など長い物に巻かれる時代は終わり、上下関係や他人の目などは関係なく、自分流で生きていく時代となります。

どうぞ、皆様も今年から新たなものを挑戦してみる年にされればと存じます。まずは他人の目を気にせず、自分が本当に良いと思うものを好きになれればいいですね。寅の干支の意味通り、精進をすれば少しずつ活気が出てきて、万事順調に進みはじめる年だといえます。今年も宜しくお願いします。合掌

風の時代幕開けの象徴がビッグボス、新庄剛志氏じゃないでしょうか。あの縦社会のプロ野球界に監督で選ばれるなんて 数年前までは考えられませんでした。彼は1月28日生まれの水瓶座で、風の時代に一番輝く星座といわれます。1月28日生まれと言えば星野源さんも風の時代に入り新垣結衣さんの心を射止めましたね!
ちなみに、住職も両氏と同じ誕生日の水瓶座です(笑) 今までも琵琶説教を考案したり、骨仏を建立したり、倍返り御守を広めたりして、組織に入らず クリエイティブで型破りの気質がありましたが・・・「風の時代」を楽しみにしている一人です^^

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人は心変わりをすると全くの別人になる

こんにちは。本年最後のブログとなりました。皆様、大変な一年だったことと存じます。住職も色々経験しましたが、これほど ” 諸行無常 ” を感じた年はありませんでした。

仏教では、我々は「魂の存在」だと教えます。その魂が生身の身体に入り、私達は人間になっています。その寿命が尽きると 生前の生き方(業)によって次の生が決まり、地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上界と 生まれ変わり死に変わりを繰り返すと云います。その6つの世界を「六道」といい、仏教(念仏の教え)は、六道(苦しみの輪廻)から魂が解脱する方法を教えます。

人間世界は一言で言うと、諸行無常の苦しみの世界です。誰もが幸福になる努力をしますが、結局 思い通りにはなりません。叶ったとしても長続きはしません。そんな中、永遠に生きるのではないかと錯覚し、不安、混乱の中で生きるのが人間なのです。みんな諸行無常に翻弄されているのです。諸行無常は言い換えれば ” 裏切り ” です。努力の如何に関わりなく 積み上げてきたものが時間と共に壊され(裏切られて)苦しむのです。

千年前の日本人は 人生をどう考えていたんでしょうか。清少納言の『枕草子』を読んでますと、なるほどと思う段(第68段 たとしえなきもの)がありました。
(意訳)
あまりにも違いすぎて、比べようのないもの。
夏と、冬と。
夜と、昼と。
雨の日と、晴れの日と。
人が笑っている時と、腹を立てている時と。
年老いた人と、若い人と。
白い人と、黒い人と。
自分が思いを寄せている人と、自分が憎んでいる人と。
同じ人なのに、自分に愛情を持っていた時と、心変わりしてしまった時とでは、全く別人のようにしか思えません。

(『こころきらきら枕草子』木村耕一著)

今も昔も、季節も、天気も、人の心も、全く思い通りにはならないんですね。努力云々ではなんともならない・・・うまくいってもコロコロと情況が変わるのが人間世界と教えてくれます。それにしても、最後の一文「 同じ人なのに、自分に愛情を持っていた時と、心変わりしてしまった時とでは、全く別人のようにしか思えません 」にはハッとしますね。これこそ諸行無常の極みです・・・。

住職には 多くの方が正直な気持ちを吐露して下さいます。本音を話す場所はなかなかないのを知ってますので、どんな話題でも誠心誠意聴くようにしています。そして あえて答えを出しません。100パーセント共感をし、相談者に考えてもらうようにします。その苦しみは彼(女)らの問題集ですから。しかし前提だけはお話します。

「私達は 努力に反して ” 裏切り ” がセットにある世界に生きています。勇気を持って ” いずれ失われること ” に目を向けましょう!」

このことを心に留めるだけで楽に生きられる事と存じます。精進は大切ですが、どうぞ自分を責めないで下さい。心配しなくても 解脱(往生)をしたらすべて還ってきますから。私は誰でも往生する方法を知っています^^ 
では、また来年。有難うございました。合掌

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伝統と伝承

先日、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまと小室圭さんがご入籍されました。日本国民としてお二人の幸せを心よりお祈り申し上げます、結婚に伴う儀式などは行われず、皇室を離れる際の一時金も支給されない異例の形でのご結婚となるようです。

この話題を考えるにつれ「伝統と伝承」という言葉を思います。この2つの違いがわからなければ、世の中が滅茶苦茶になります。

「伝統」は、時代に合わせて 先人の積み上げてきたことを次世代に残す行為や意思。
「伝承」は、時代が変わろうとも 絶対に変えてはならない根本真理。

今回のご結婚について言えば、儀式や過去の儀礼を執行されないのは「伝統」の部分で ご自身の意思と時代の流れ的要素が強いですが、皆様が話題にされているのは「伝承」の部分です。つまらない議論もありますが、その根本は 皇族の永続的な繁栄を願う国民感情の現れなのだと存じます。眞子さまがお気の毒で とても窮屈に感じることもありますが、一方で これが国の歴史の重みでもあるんだと 畏敬の念を覚えました。

堀江貴文氏が「10年続くお店」という興味深い話をされていました。
「飲食店の平均寿命が短くなっている。
3年続けばあっぱれ、といわれる業界で、10周年を迎えられるお店の少ないこと。
初期投資をして、休みも取らずに働いて、10年もたないのでは、やる意味がない。
ある程度有名になったシェフでも、人気の波が過ぎるとひっそりと業界から姿を消している。
10年以上続くお店にするには、コンスタントにお客さんがこなければだめだ。
つまり、お客さんに、いかに「また来たい」と思わせるかが鍵になる。
「そんなことわかっている」のだったら、あなたは「また来たい」と思わせるために、どんな努力をしているか考えてみてほしい。
僕が「また来たい」と思うのは、前にも書いたが驚きのあるお店。
「なんだこれは!?うまいぞ!」となれば、仲間を連れてまた行って、その驚きを共有したくなる。
SNSや「テリヤキ」に投稿して、ほかの人にも体験してもらいたいと思う。
そんな驚きを絶えず人に提供するのは並大抵のことではないだろう。
でも、実際に、人気をキープしているお店はそうなのだ。
最先端の手法や素材に対するアンテナを張り、キャッチし、自分なりのアイデアを出して実際に料理にする。
師匠に教わったことを繰り返しているだけの店は、絶対にもたない。」

(『なんでお店が儲からないのかを僕が解決する』 ぴあ)

この話も「伝統と伝承」に通じるのではないでしょうか。何も考えずに昔からしていることを繰り返しているだけでは10年と持たない。「伝統」は試行錯誤の末、続いていくものなのだと思います。堀江氏のおっしゃる ” 驚き ” とは、人間の大事な部分で、真心、誠意、サービス精神、丁寧さといったもので現れる「伝承」の積み重ねなのだと存じます。

現在、コロナウィルス感染拡大により、様々な地域の行事が中止、延期となっています。しかし、ただ合理的な行事の廃止や取りやめが良いのではなく、時代に合わせて いかに先人の知恵を後世に残す工夫が求められているのだと思います。「伝統」とは革新です。そして、その土台となるのが「伝承」(根本の真理)で、宗教を廃した合理化社会では 真なる幸福はつかめないと教えていただいた一ヶ月でした。合掌

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神仏に可愛がって”もらう”人生

西願寺には、江戸時代から伝わる疫病退散の掛け軸があります。今から200年ほど前の文元年間、当山がある船木村で疫病が流行り、当時の住職(薫誉上人)が祈りを捧げたところ、地蔵菩薩が夢で「利剣名号(穂先が刀のように尖った南無阿弥陀仏)を記せ」と告げられたとあります。そして夢告の通り行動し、大念珠で南無阿弥陀仏を唱え続けた暁には 疫病が完全に収束したと云われます。さらに地蔵菩薩は「我に祈る者、疫病から守る」と告げられ 自ら軸の中に入られたと伝わり、現在でも利剣名号の周りにお地蔵さまらしき黒い影が確認できます。

詳細は西願寺七不思議の5
をご覧下さいませ。

本来、今月は授戒会開催の月でしたが、疫病(新型コロナウィルス)感染拡大のため、やむなく延期となりました。現在の西願寺は 江戸時代の状況とよく似ていると思い、このたび住職より大念珠を布施させていただきました。参拝者は 利剣名号の前で、お回しいただければ幸いです。

私は 得た収入の〇分の1を神仏に布施することを決めています。陰徳がなくなるので これ以上申しませんが、この感覚は説明しづらいものがあります。例えば、布施と御礼は違います。一般的に「布施は ” させてもらう ” 行為、御礼は ” してあげる ” 行為」と言います。双方共に尊い行為ですが、御礼はお返しの意味合いが強く、潤滑油的に してあげる行為に対し、布施は自らの修行であり、他者の評価を超えて、させてもらうことに喜びを感じます。ですから、お褒めの言葉や領収書は発生しません(笑)。して ” あげる ” 行為は、対象者の反応によって喜びが変わり、あげることで無くなりますが、させて ” もらう ” 行為は、神仏の恵みをもらい、心が満たされ、繁栄をもらうことで 減ることはありません。

また、御礼は受動的(受け身)な行為に対して 布施は能動的(自発的)な行為となり、布施行は その人の本質そのものと言っていいんじゃないかと思います。つまり仏教では、その本質(霊格)の高さそのものが 物事がうまくいく根源と見ているのです。

少し難しいと思いますので、桜井識子さんのブログからヒントを拝借します。
「私の昔の知人に、とても信仰心の厚い人がいました。
性格も温厚で、優しく、いつも笑顔で、相手を心から気遣うことのできる、善人の見本のような人でした。
彼の夢は自分の会社を持つことでした。
残業も厭わず、一生懸命に働いて、奥さんもパートを頑張り、2人で資金をコツコツと貯め、ついに会社を設立しました。
周囲の誰もが、おめでとう! と盛大にお祝いをしました。
恥ずかしそうに照れていて、でもすごく嬉しそうにしていた2人を思い出します。
会社は順調にスタートし、神仏のご加護もあって、なんと! 3年目にして、支店を出しました。
大成功したのです。
よかったね~、という友人に囲まれて、2人はニコニコしていました。
でも、その頃から彼の人柄が、少しづつ変化していったのです。
お金持ちになったせいか、一般人を下に見るようになり、話をする時もそれがチラチラと出てきます。
成功した自分は、平凡な君たちとは違う、というようなことも口にするようになりました。
あれ? あんなにいい人だったのに? と、最初は軽い違和感を覚える程度でした。
しかし、だんだんと変わっていくので、周囲も徐々に距離を置くようになりました。
というか、彼のほうが以前の知り合いとは付き合いをしたくないようでした。
それからしばらくして、支店が閉鎖されたと噂で聞きました。
そしてその後、そんなに時間がたたないうちに、会社がつぶれたことも耳に入ってきました。
あれだけいいスタートを切り、明らかに成功していたのに …… 坂道を転がり落ちるように状況が悪化したのです。
神様に可愛がられている人でしたから、人格が変わった時点で、これ以上、霊格を落とすことはさせたくない、と神様が守ってあげたのです。
このようなことは、世の中にたくさんあります。
(中略)
神様はもとの性格の彼が好きだから、これ以上霊格を落とさないように守るのです。
霊格を落とすきっかけが会社なら、あっさりつぶします。
彼の魂にとって、会社を持っていることが、人生で一番重要ではないからです。
何が彼にとって一番いいのか …… そこはシビアに判断されます。
ですから、神仏に応援してもらって、何かを成し遂げた! 成功した! という場合、そのあとは自分の霊格を落とさないように心がけたほうがいいです。
あちらの世界に帰る時に、泣いて後悔しないようにという、神仏の優しさ、思いやりで、その成功がナシになるかもしれないからです。
でも、逆にいえば、霊格さえ落とさなければ …… つまり、そのままの自分でいれば、その成功は持続するわけです。
ということで、神仏に可愛がられている、目をかけてもらっていることを自覚することは、実はものすごく大事なことなのです」

(桜井識子オフィシャルブログ~さくら識日記~)

現代は、地道に物事を続けてらっしゃる方を評価する風潮があまりありません。変化変化で斬新なことをする人にスポットライトが集まります。しかし、仏教では ” 諸行無常 ” の世に変化しないものなんてない。現状維持に見える人でも、小さな変化や努力を繰り返して今の立場があるんだと教えます。つまり、一時的な成功や功名心が大切なのではなく、日々、地道に神仏に可愛がられることや目にかけてもらっていることの自覚をし、また高めた霊格を落とさないこと(小さな変化、精進)が一番の生き方と説きます。そのために布施の修行があるのです。

自らの心地いい環境を目指す、して ” あげる ” 人生か、神仏に好かれて、できることをさせて ” もらう ” 人生なのか・・・それぞれあるかと思いますが、住職は後者で楽しく信仰生活を送っていきたいと思います。合掌

もちろんお金のいらない布施修行もあります

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物で栄えて心で滅ぶ

相変わらずコロナウィルスが猛威を振るっています。滋賀県でも緊急事態宣言が延長となりました。この情況に、来月予定をしていた授戒会の延長を決定しました。延長日時は、1年8ヶ月後の令和5年のゴールデンウィーク(5月3、4、5日)と定めましたが、その時節には 感染症とうまく付き合っている世の中であることを願います。

通常、お寺の世界で 大行事を延長することはありません。そういう意味では貴重な経験をさせてもらっています。率直な感想を申せば、今の西願寺が置かれた環境を見つめ直す絶好の機会だと捉えています。行事の成功か否かは感じ方です。どれだけ不備があったとしても 時間は止まりません。始まれば予定日時で必ず終わりますので、批判はあっても失敗はありません。ただ、問題なのは人の心です。この行事により 受者にどれだけの影響を与えられたか・・・ここが大切です。これだけ価値観が多様化し、唯物的な世の中になれば、残念ながら 皆様の授戒会の価値観や関心は低いんだろなぁ … と感じます。40軒ほどの檀家で82人の受者を集められたのは、今まで連綿と続いてきた布教の成果で 誇れることですが、現代の人々のニーズに合わせると、色々と考えさせられます。

つまり、神仏や先祖が ” 絶対的な善 ” という価値観が、音を立てて崩れているのです。一般の方々は、そんなことよりも日常の生活が大切です。先祖回向のお布施よりも携帯代の方が大切、家族の葬式に参列するよりも学校に行く方が大切、仏の教えよりもネットの情報が大切・・・暴論ではなく、そんな時代になってしまいました。今回の延長は、現代人の考えと仏の教えの溝について考える絶好の機会だと住職は捉えています。儀式直前のハードな面を固めた今、ソフトの面を考えられる 2年近くの時間をいただいたことは、仏の恵みを感じずにはおれません

感染症コロナは、平和で物に恵まれて何もかもが自分の思うようになることしか求めてこなかった私達に、鉄槌を下すような不安増幅を与えています。いわゆる、今までの生き方に警鐘が鳴っている状態です。「物で栄えて心で滅ぶ」と言われるように、現代は、物中心の物質文明が放つ 眩いばかりの進歩の光に翻弄されて浮き足立ってしまい、人間にとって一番大切なものを忘れてしまい、コミュニケーションを否定し、責任回避で自らを守る風潮にあります。

人類の歴史の中で幾多となく感染症や疾病、自然災害などが襲ってきました。その折々に日本人は対策方法を生み出すと共に、一人一人が「信仰による生き方の見直し」を実行したのです。それが戒名(仏の名前)をもらう授戒会でした。その智慧を皆様方の先祖はしっかり培い続けて、今現在の我々が受け継いでいます。令和5年に延長された授戒会が さらに高みを帯び、この世とあの世を貫く幸福を得られる会になるよう精進して参ります。宜しくお願いします。合掌

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東京オリンピックの感想

先日、2020東京オリンピックが無事に閉式しました。まず、大会関係者や政治家の皆様、ご尽力されたすべての方々に心から敬意を表します。コロナウィルス感染拡大で世論が真っ二つに割れる中、無事に遂行されたことは至難の技だったことと存じます。そういった方々の思いが実を結び、日本選手団が安心して、金メダル27個、銀メダル14個、銅メダル17個、メダル数が計58個という好結果が出たのだと思います。

今回の大会で感じたのは、” 縁 ” の不思議さです。もし去年オリンピックが開催されていれば、違う選手が活躍されていたでしょうし、今年だから金メダルを獲れた選手もいらっしゃったはずです。メダルだけがすべてではありませんが、この大会で、努力だけでは如何ともし難い、” 縁 ” があったのだと感じました。しかし、縁を拡大解釈すれば、今回金メダルを獲った選手が、勝ち組で一生安泰とは限りません。有名になったが故に、一つの失言や失敗で人生を棒に振る場合もあるでしょうし、今回、大会に出場できなかった悔しさで、大きな糧を得て 素晴らしい存在になる方もあると思います。人生は最期まで縁の力で成り立っており、物事を刹那的、感情的に捉えてはいけないのだと思いました。

例えば住職は、お盆参りの中旬を迎えてます。本当に真剣にやってますので、各家からお喜びの声をいただくと嬉しいものです。しかし、私が今、コロナウィルス感染という縁に合えば、そのお褒めの言葉はひっくり返って、不安や批判、悪い噂としてこちらに跳ね返ってくるでしょう・・・繰り返しになりますが、努力や真心だけでは如何ともし難いのが人間世界で、人の評価は善悪ではなく、すべては ” 縁 ”なんだなぁ、、、とつくづく感じます。

親鸞聖人は このようなお言葉を残されています。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

つまり「縁がととのえば、人間はどんなこともしてしまう存在」で、「なりたくてなっていない方が多数おられる」ということです。現代の報道やネット社会で気になるのは、読者や視聴者の正義感に訴え、気に入らない人を「悪人」として、社会から排除しようとするような論調が強くなっています。批判する人は、「自分は絶対にあのようなひどいことはしない」という前提に立ってますが、親鸞聖人は そうじゃない!と強く戒めておられるのです。

私達は、たまたま生まれ育った境遇や、現在の生活や人間関係が犯罪を促すようなものでないので、今は重罪を犯すことが思いもよらないとお説きなのです。もし、考えもおよばないような情況に追いつめられたり、犯罪を引き起こすような縁が周りにそろってしまったならば、自分も何をしでかすか分からない存在なのです。現代人には、そのような想像力が大事なのではないでしょうか。根っからの悪人はなく、すべては縁で成り立ち、自省の心が大切なのだと存じます。

もし自分が 大会関係者や政治家、選手という縁を持っていれば、、、そいうことを想像すると、知らないことに口出したり、安易に批判することはできないなぁ・・・と感じたオリンピックでした。それよりも、ご恩、感謝、おかげさま、ありがとうの精神に目を向けたいものです。本当に素晴らしい大会でした。パラリンピックも楽しみにさせていただきます。皆様、それぞれのお立場があると思いますが、自省をして、ご自愛くださることを心よりお祈り申し上げます。合掌

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