本日、奉職寺院にて 東海テレビ「スイッチ!」の撮影があり、応対させていただきました。
放送は 愛知、岐阜、三重の3県で、10月17日(木)【9時50分〜11時14分内】の予定です。
2回目のご巡教(乗蓮寺さま)の翌日、関東の友人と栃木県小山にある須賀(すが)神社に参りました。これで関東で確認できる牛頭天王をすべて参拝したことになります。
神仏研究家の桜井識子さまによると、須賀神社の牛頭天王は、八坂神社の眷属から始まり、パワーをつけて神様になられたとあります。これから益々の御力をつけられる牛頭天王だと教えていただいています。
陽気な八坂ゴッチとは違い、真面目で物事を語らず、ジッと見つめてらっしゃる雰囲気でした。会話はできていません。
境内の摂社末社はあたたかい雰囲気でした。
その日は 急な参拝にも関わらず、ご祈祷をしていただけました。宮司さまは、西願寺裏の天神さまでお世話になってる近江八幡の岡(おか)宮司の後輩に当たられる方でした。様々な縁を感じます。
今回は牛頭天王のお言葉が聴けなかったので、おみくじにメッセージを求めました。
良い結果を得られれば、自身の成長に繋がる。結果までの過程も大事だが、結果を出してこそ一人前と評価されるもの。
途中の過程で自身を評価することは、自己満足に過ぎない。結果にこそ、すべてが凝縮されているのだ。
ちょうど、藤本台下とのご巡教を大盛況に終えた直後でしたので、グッとくるものがありました。
現代は〝 結果にこだわるな!〝という風潮が強いです。しかし、この御神籤では〝 結果を出して一人前!!〝 〝 良くも悪くも結果こそすべて!!〝 と言って下さいました(感涙)。
神仏は見てござる・・・最高のお褒めの言葉をいただき、何もかもが認められた気がしました。
須賀神社のゴッチも、眷属(子分)から牛頭天王になられました。京都の八坂から、見知らぬ土地(栃木)に勧請され、相当な苦労と精進をなされたことと存じます。まさしく結果を出された神様の力強いお言葉でした。
以上、関東の牛頭天王を訪ねての旅でした。合掌
乗蓮寺さま御巡教の前日、5月14日に東京は荒川区にある素盞雄(すさのお)神社に参拝してきました。もちろん、強力な牛頭天王がいらっしゃるとのことでの参拝です。
南千住駅を下りると、街ぐるみで信仰されてることがわかりました。こういった地域の神様は、力が強いです!
本日は仏滅で神主さまがいらっしゃらないので、ご祈祷を受けることはできませんでした。しかし、この日は素盞雄神社にとって、とても力の強い日だったので詣りたかったのです。
縁起を拝見すると、平安時代の延暦14年(795)4月8日、塚の中の岩(瑞光石)が突如 光を放ち、二柱の神様が翁に姿を変えて現れたとあります。その岩のある場所が現在の素盞雄神社です。
今年は1230年の忌日で、光を放った日(新暦5月14日)に当たりました。大変ありがたい日にお詣りできました。
今回もゴッチの声が聴きたくて、おみくじを引きました。参拝前に良い神籤の予兆はあったのです!
ジャラジャラ〜っと 自信満々に神籤棒を引くと、数が50番、、、恐らく大吉ではありません、、、ゴッチに「大吉じゃないんですか〜??」っと尋ねると、「不満なら、もう一度引け!」
よ〜く振って、再度 神籤棒を引くと、また同じ50番、、、、(汗)。こんなことある?!
待ち人来ず、音信あり とあります。これを読んだ瞬間、「今日は祈祷で会えなかったからのぅ〜」とユーモアに応えてくれるゴッチがいました(笑)。そして「今日はパワー最強の瑞光石を念入りに拝め!」と言ってくれました。
お神籤をよく読むと、
苔むせる 山の岩が根 千代へても 動かぬほどの 心ならまし
(心を決めて、色々と騒がず、迷わず、今までの事を勤めればよし。何事にも手を出してはいけません。常に控え目にして事をなさい)
今の課題を岩(瑞光石)にたとえて教えて下さって下さってるように思いました。
願望は「叶う」ではなく「ととのう」です。もう、叶えたいと祈る段階ではなく、叶ってるんだ(調えれば良い段階)と自信が付きました。あとは心に決めるだけだと教えていただきました。
とても明るいゴッチに、楽しい参拝をさせていただきました。また詣りますね^ ^
雲光院さまご巡教の翌日、関東の友人とともに、埼玉県飯能市にある竹寺に参りました。ここにも牛頭天王と縁があるようです。
神仏研究家の桜井識子さまによると、竹寺の牛頭天王は神社仕様の方と違い、お寺のオーラを持たれた牛頭天王だそうです。神社は物質界に力を発揮するのに対し、お寺は見えない世界に力を作用するとのこと。ですから、住職には馴染みのある雰囲気に感じました。
本殿は平成11年に焼失をし、今建っているのは、平成15年に再建されたものとありました。桜井識子さまによると、焼失から再建するまでの間に牛頭天王はここを去ってしまったみたいです。現在の社殿内部には、牛頭天王の眷属がおられるとのことです。
ただ、本殿後方上空は牛頭天王の次元と繋がっているようです。
参拝後、本殿を下り 本坊まで戻ると、副住職さまが「同業者ですか?」と尋ねて下さいました(笑)。「はい!」と答えると、住職さままで出てこられて、色々お話を聴かせていただきました。
遠い場所でしたが、次回のご開帳(2033年)の際にはぜひ参りたいと思います。牛頭天王ご本体がお戻りいただくことを、西願寺の念持仏よりお祈りし続けます。合掌
今年は 西願寺をお開きになった豊臣秀次公の430回忌にあたります。
【文禄4年(1595年)7月15日28歳ご遷化】
その節目に 京都国立博物館で特集展示をされてますので、秀次公をお知りいただく機縁にして下されば幸甚です。
西願寺も今年で創建440年目に当たります。
住職も各所で秀次公の琵琶を語り、ご威徳を偲びたいと存じます。合掌
4月5月と東京のご巡教の随行を賜り、その前後日に関東の牛頭天王を4カ所、参拝をしてきました。これから4回に分けて日記を書きます。
今回は4月の雲光院さま前日に参拝した羽田神社を紹介します。4月20日、早めに東京入りし、品川駅から大鳥居駅を下車、徒歩10分の所にある羽田神社に参拝しました。
神仏研究家の桜井識子さまによると、 廣峯神社、八坂神社、今宮神社、津島神社と並ぶ、凄い力を持たれた牛頭天王がいらっしゃるとのこと。コロナ騒動の頃から、行きたくて仕方なかった神社に参拝できました。祈祷札だけは羽田神社から取り寄せ、ここ3年、西願寺にて念いを馳せていました。
桜井識子さまによると、羽田の牛頭天王は 願いの内容ではなく、気まぐれで願いを聞いて下さるとのこと、、、(汗)。宝くじを買う気持ちで、開き直ってご祈祷を受けました。
ご祈祷の最中、頸椎から電流が走る感覚がありました。もしや、、、これは、当たり!?と思い、早速おみくじを引くと、、、。
大吉です。やりました^ ^
その予兆はあったのです。参拝前に大鳥居駅近くでの昼食。定食屋での呼出番号が128。私の誕生日だったのです。この時から歓迎を感じてました ♪
今でも羽田のゴッチへ祈りをすると、身体に電流が走る思いがします。得も言われぬ悦を感じてます。今後も一緒に歩んでいただければ幸いです。合掌
浄土宗が開かれて850年の節目に、大本山・くろ谷 金戒光明寺の藤本浄彦台下が各地を巡り、布教活動をなされてます。住職も台下からのご指名を賜り、琵琶説教で随行させていただく機縁がありました。
4月21日は、東京江東区の雲光院さまに参りました。奇しくも、師匠・祖父の23回忌の祥当日でした。
本日5月15日は、東京板橋区の東京大仏、乗蓮寺さまに参りました。終わってすぐにブログを書いています。
思えば法然上人は、お悟りになられた43歳の時に修行場の比叡山を下りられ、まず黒谷の地に草庵を結ばれました。それが現在の金戒光明寺になります。それから850年、様々な苦難困難を乗り越え、現在に法灯が受け継がれています。
法然上人は在世中、東京方面にご縁はありませんでしたが、850年の年月を経て、法然上人の名代として藤本台下が法を説かれました。
その光景を目の当たりにし、随行のご縁を賜ったことは 誠に有難く、仏縁の尊さを感じました。もう一度、金森昭憲に生まれ直しても、同じご縁をいただくことは難しいでしょう。それだけ色々な方に護られて今があるのです。まさに千載一遇の仏縁でした。すべての方々の導きに感謝します。合掌
4月11日、浄土宗大本山・くろ谷金戒光明寺で浄土宗開宗850年慶讃大法要があり、記念公演で琵琶説教を勤めました。
金戒光明寺は、43歳の法然上人が比叡山を下りられ、最初に築かれたお寺(草庵)であり、浄土宗始まりの場所になります。その時から丁度、850年が経ちます。
これまでの研鑽が形となって現れ、最上の幸せを感じました。50年に一度のタイミング。大殿いっぱいの聴衆。万雷の拍手。すべてに感謝で、有り難かったです。
大師前(法然像)で拍手を受けている時、生まれてからの出来事が走馬灯のように思い出され、点が線に繋がった気分になりました。
・・・私は昭和50年、浄土宗開宗800の年に生まれました。初不動の日に生まれましたので、神仏と結び付きが深いと感じています。
お寺で待望の男子。しかも一人っ子で大切に育てられました。特に祖父母は可愛がってくれ、几帳面さと親切心を教えてくれました。部屋では浪曲のテープが流れていた記憶があります。
20歳で僧侶となり、清凉寺(嵯峨釈迦堂)で修行のご縁をいただき、この4月で30年目になります。宿舎で宗教琵琶・江頭法輪(えとうほうりん)氏のカセットテープと出会い、琵琶に興味を持ちました。
清凉寺で随身しながら仏教大学に通わせていただき、筑前琵琶の田中旭泉先生に師事しました。
大学では、藤本浄彦教授(現くろ谷金戒光明寺ご法主)の元、熊谷直実の研究をしました。今回の創作琵琶は金戒光明寺に縁の深い熊谷直実出家の物語を語りました。
27歳の時、琵琶説教師として 琵琶と浪曲を合わせた現代琵琶を制作し、僧侶として物語からの教訓を布教しだしました。
琵琶説教を聴いて下さった方々と 仏縁が広がっていきます。1人の念仏者をつくると、極楽に1本の蓮の花が咲くと言われますが、菊田水月が在家から出家して 西願寺の弟子となり、私の琵琶のロゴマーク、西願寺の仏画等を描いてくれました。今は住職となって 芸術部門で浄土宗に貢献してくれてます。
琵琶説教の仏具(衣、袈裟、フクサ類)は、信徒の里田昭美さまが一手に制作して下さってます。仏具を購入するのは簡単ですが、布施の力を信じ、功徳を活かしていきたいと思ってます。
その他、書ききれない程、多くの出会い、助けがあって今の私があります・・・
この時間は、私の人生において上位の思い出になりました。最上の悦びです。「喜び」ではなく「悦び」です。
我々がいつも使う「喜び」は、外的刺激に対する反応ですが、一方、「悦び」は一人で無条件に自分の中から湧き上がるよろこびです。
「悦」という字の偏はりっしんべんで、意味は「心」です。外的な刺激や条件に関係なく、何か真剣に取り組んでいる時に心の中から湧き上がるよろこび、ワクワクする楽しい感情が「悦び」です。
ですから、この感覚は 他人に説明してもわかりません。話しても興味もないでしょう。しかし、自分の中だけの崩れることのない〝 よろこび〝 なのです。人生は この「悦び」を求める旅なんだと最近つくづく思います。
法然上人は850年前に悟られたよろこびを、「悦」で表されてます。
「うけがたき人身をうけて、あいがたき本願にあいて、おこしがたき道心を発して、はなれがたき輪廻の里をはなれて、生れがたき浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなり」 (『一紙小消息(いっしこしょうそく)』)
私の人生、すべてに携わって下さった方々に 心より感謝申し上げます。合掌
三寒四温を経て、徐々に春の訪れを感じます。今年(辰年)は 思いが具現化する年だと申しましたが、また一つ 思いを形にできました。
以前から申し上げている念持仏の牛頭天王ですが、この度、某氏の御寄進で厨子(ずし)に安置させていただくことができました。
住職は 明治政府に強制的に葬られた牛頭天王信仰の復活をライフワークにしてますが、協力者によって拝殿が充実したことを嬉しく思います。財力や権力による自己満足ではなく、有縁の方々の御力で信仰を広められてることに悦びを感じているのです。
将来は この厨子に納まった仏像を核に、参詣者が絶えない神社を造るのが夢です。私の意思を引き継ぎ、世代を超えて 立派な神社が出来てる様子が、私にはありありと見えています。
今回、小さな゛気付き ゛が 大きな゛築き ゛に変わる瞬間に立ち会えました。神仏の御力を借りれば、大概の夢は叶うと思います。信仰の力は偉大です。
今年のブログは辰年に因んで、無から有を産み出す悦びを 色々 記せればと思っています。合掌
先日、ビーたんの満中陰(49日)を迎え、法要と納骨をしました。
住職は 境内にペットの納骨所を建立しましたので、ペットを亡くされたご遺族とお話する機会があります。しかし、皆様のロス状態は 見ていて辛いものがあります。
今回は 我が家のペットでした。この49日間、どんな感覚になるのかを素直に味わってみました。皆さまがおっしゃってることで 強く感じたのは、、、
言葉を発しない存在なので、「思い出の美化」をしてしまう、、、これが一番でした。
ペットとの思い出は尽きません。彼(彼女)らは 言葉を発しないので、我々は表情のみを観て、一心に愛情(自らのすべて)を注ぎます。その為、お別れが来ても「もっと出来たんじゃないか?!」と思ってしまい、後悔と寂しさのループが続くんだと思いました。
人間同士で、お互いの心情を語り合ったり、喧嘩をしたりして 人となりを知ると、どこかで心の整理が付くものですが。
その上で率直に思ったことは、いずれ前に向かないと、何もかも止まった状態になるということです。つまり、キツイ言い方ですが、すべては自らの「思い出の美化」ですから、心が晴れ渡る要素がないということです。「喪に服す心=供養の心」が混同すると、いつまでも悲しんでなくてはなりません。
その体験を踏まえ、私自身、前に進む解決法を探しました。出た答えは、シンプルにお墓に納骨することでした。実際、お墓を持ことは 本当に安穏な精神状態になるのだと実感しています。
墓の効能は、
①「思い出の美化」を翻し、常に感謝できる心の状態を保てること。
②「存在の消失」を翻し、墓の存在が 彼(彼女)らの生きた証となること。
③供養の際、客観的に見てくれる存在(僧侶)と話すことで、安心ができ 前向きな心になれる。しかも、当家の先祖回向までしてくれる。
家に何十年と お骨を安置することは、遺族も霊(ペット)も前進がありません。浮遊霊のままで居させるのは人間のエゴになりかねません。どこかで前に進むべきだと存じます。そう考えると、納骨は いい距離感の出発だと存じます。また別の形で必ず逢えますから。
※しかし、納得するまでは近くに安置してあげてくださいね。住職もその意見は賛同します。あとは時期の問題だけです。
今年は辰年で、「思いが具現化」する年だと申しましたが、自ら建立したペット供養塔で愛猫を弔える幸せをしみじみと感じています。亡くなった霊と よき思い出の中に生きる・・・これは幸せななことですね。
ビーたんのお陰で、ペット供養相談に来られた皆様の気持ちに さらに寄り添えそうです。合掌