比叡山に参拝

先日、比叡山にある無動寺に参拝して来ました。このお寺は 千日回峰行の阿闍梨さまが拠点とされてる所で、根本中堂より歩いて約30分の谷にあります。大雨の中でしたが、どうしても詣りたい衝動に駆られて行ってきました。到着は14時30分頃。通常、こんな時間に阿闍梨さまはいらっしゃいませんが、たまたまお勤めをなされてました。(約束をしてませんが、必ず会えると確信して参ったのが不思議です)

ノウマク サンマンダー バーザラダン センダン マーカロシャナ ソワターヤ ウンタラター カンマン・・・

霊験あらたかな不動明王の前で、しばらく阿闍梨さまと一緒に真言を唱えてましたら、「情けは人の為ならず・・・」と聞こえたように感じました。「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味です。よく「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」と解釈する人もありますが(笑)、親切にすることの大切さと説く諺です。

この言葉は私の心に響きました・・・コロナ禍の現在、 ” 寄り添っての親切 ” ができにくくなり、僧侶としての存在意義を自問自答していました。こんな時期なのに 何もできないジレンマがあります。私だけではなく、今、皆さんが 漠然と心にモヤモヤを持たれてるとしたら、根底はこの部分があるのかもしれません。経済的な苦しみはもちろんありますが、人間としてのふれあい(仕事、趣味、娯楽)が強制的にできなくなったり、また 人が喜んでくれることが できにくくなってる現状にストレスを感じ、苦しんでらっしゃる方が多いのかもしれません。今は 皆が指針を失っている状態です。

大阪大学の教授が検証し、アメリカの科学誌に発表された実験があります。
保育園で5歳~6歳の子供を対象に行われたのですが、「同じ歳の子供が、親切な行為をしているのを見た時、その親切を行った子供に対して優しく接する」というもので、親切な行為をした子供と、そうじゃない子供を比べると・・・

なんと、約12倍!
親切をした子供の方が、その後、親切にされる回数が高かったそうです。

この実験結果から想像できると思いますが、人に感謝されることをして、感謝をされて、今度は自分が有り難いことをしてもらった時にも きちんと感謝を伝えて、また喜んでもらえることをして・・・この流れを自然にできるようになると、人は見返りなんかどうでもよくなくなり、自然に幸せを感じているというのです。

今はコロナの影響で、そような自然な流れが立ち消えてしまいました。人間はいったん先を見失うと、動きたくなくなるものです。しかし、人に親切を施すことは 道徳や倫理ではなく、幸福になる方法論です。まして12倍の幸福が得られると思えば、その努力は楽しいものになるのではないでしょうか? 

一隅を照らす、これすなわち国宝なり(比叡山・最澄)

国民ひとり一人が 今 置かれている場所で、自分ができる親切をする気概を持てば、世の中が寛容な社会になっていきます。なんでも批判的、合理化されつつある現代に、いま一度 足元を見つめよ! 原点に返れ!と、不動明王から 今を生きる指針を教えていただきました。合掌

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啐啄同時(そつたくどうじ)

先日、野生動物捕獲のために設置していた檻に、キツネが掛かりました。西願寺では数年前より文化財被害があり、市から捕獲の檻をお借りしていたのです。私がお参りに出ていた時に母が気付き、慌てて総代さまに連絡をいれた時の会話です。

母:「総代さん、とうとう かかったわ!」
総代:「あー、とうとうかかってしもたか・・・心配してたんや・・・」
母:「どうしましょう? 連休中で 保健所に連絡取れないし・・・」
総代:「とりえず、急いで住職を連れて行くしかないやろ!」
母:「えっ、住職は今、お参りに出てます」
総代:「そんな状態で 外に出させたらアカンやろ!」
母:「なんで?」
総代:「???・・・かかったって・・・住職がコロナにかかったんやろ?・・・」

嘘のような本当の話でした(笑)。結局、総代さまが軽トラで山奥に逃がして下さり、殺生しなくて済みました。それにしても「かかる」という言葉が、すぐにコロナウイルスを連想させるとは、、、えらい世の中になりました(汗)。

実は 翌日に親キツネも捕獲され、
総代さまが同じ場所に逃がして下さいました。

実は 翌日に親キツネも捕獲され、
総代さまが同じ場所に逃がして下さいました。
親子で仲睦まじく暮らしてくれてたら嬉しいです。

昨日、39県を対象に 緊急事態宣言を解除される方針の報道があり、世の中が少しづつ動いていきそうです。これからが大変ですが、ボチボチとやっていきましょう^^。自粛期間中は、私も環境が大きく変わりました。3月から多くのご依頼をいただいていた琵琶説教は全て中止。京都で勤めているお寺も拝観停止。各法要、イベント等も自粛の連続・・・収入も激減し(笑)、気持ちが落ち込むと思いきや・・・逆に 今までやりたかったことに挑戦でき、充実した日々を送っています。密教、太鼓、声明、四弦琵琶、姓名判断、護符等々・・・隠居をしてからやりたかったことが 今、実現しているので、毎日が楽しくてなりません。逆に言えば、忙しさにかまけて 自らを失っていた生活って何だったんだろう、、、とも感じる今日この頃です。ちょうど ” 忙しさ ” が惰性となり、挑戦する意欲に欠けていた頃ですので、私の人生にとって この時間(タイミング)は、仏の慈悲だと思っています。

曹洞宗僧侶・枡野俊明上人のお言葉です。
ひなが卵から孵る(かえる)時、外の出る準備が整うと、
ひなは内側から殻をつつきます。
そのかすかな音を捉えて親鳥は外側から殻をつつき割ってあげます。
ひなが内側から殻をつつく音が「啐(そつ)」
親鳥がつつく音が「啄(たく)」
「啐啄同時(そつたくどうじ)」。
両者のタイミングがピタリとあった時に、
物事は変化し、新しいものが生まれるのです。

(『怒らない禅の作法』 河出書房新社) 

テレビ報道は過熱さを帯び、ギスギスしてます。政治家や人の悪口ばかりで、見ているとウンザリします。我々は恵まれているはずなのに、、、批判批判の洗脳は怖いです。日本国民の人格が変わってしまうのでないかと危惧します。昔の日本人は、自然を畏れ、敬い、感謝をし、我が身を正したと聞きます。こういう時期だからこそ、いつも申している「ありがとう、おかげさま、感謝、ご恩」・・・こういった仏教精神による情報にまみえ、心豊かに生きていきたいものです。幸福とは、洗脳ではなく洗心です。文句もいいですが、” 今のおもい ” が未来を産みます。そういった意味で、今、私が勉強していることが、新たな時代の布教活動の幅になれればと思っています。

皆様も「啐啄同時(そつたくどうじ)」の時期ですよ。信仰を持っていれば、” おもい ” は必ず引き寄せることができます。新しく変わらざるを得ない時代に向けて、今、できることをお探しいただければ、仏が道を示し、殻を破って下さることと存じます。この時期は、仏からの教導の時期とお捉え下さいませ。合掌

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楽観主義と無謀の違い

今、世界は新型コロナウイルスの感染拡大で異常事態が発生しています。1ヶ月で収束に向かうのか、それとも1ヶ月後にもっと未知なる領域に入るのか・・・不安な毎日です。マスコミの情報も大切ですが、あまりに一つのことに先鋭化しすぎると 情報汚染してしまいます。

仏教では幸福を妨げる5つの障害を説きます。五蓋(ごがい)と言って 考えや情報が偏りすぎると出る症状です。①欲望・②怒り・③心の落ち込みと眠気・④混乱と後悔・⑤疑い・・・皆さん、こんな状態になってませんか? 不平を言う前に まず心身健全を考え、今だからできることを考えましょう。

深沢孝之氏が監修の『アドラー心理学で人生が劇的に変わる! 「ブレない自分」のつくり方』(PHP研究所)に、今の世相に必要な言葉がありました。

未来を不安がってばかりいても何もできません。
だから、今この瞬間のことだけを考え、
そこでできることに一生懸命になればいいのです。
そうすれば、自然と状況は改善していくはずです。

ただ、ひとつ注意しておかないといけないことがあります。
それは、楽観的と無謀は違うということです。 
「なんとかなるだろう」と、
考えなしに突き進むのはただの無謀です。

楽観主義というのは、きちんと準備し、
努力を重ねていけば、その結果
「きっとうまくいくはずだ」と信じるということです。
「どうせダメだろう」と思いながら努力するより、
「きっとうまくいく」と信じてする努力のほうが、
自分の身になることは言うまでもないでしょう。

アドラー氏は、「ここいちばんのピンチのときこそ楽観主義であれ」と説いています。しっかりと準備をして努力を重ね、終息後のことを考えてみましょう。今だからできることが必ずあります。世界の皆さんが平等にピンチだからこそ、努力をすれば 公平にチャンスがおとずれるのです。そういった意味で、今は前代未聞の好機です!・・・楽観主義で 常識の視点を変えましょう^^。 合掌

現状維持は衰退の始まり!
ピンチはチャンスなり!!

追伸:コロナウイルスについて 色々な情報がありますが、過敏にならず 無理なくできる習慣を身につけたいものです。以下は、日赤医療センタ-・ドクターからの情報提供とお聞きしています。

新型コロナウィルスは、感染されても何日も症状が出ない場合があります。では、自身が感染されたかどうか、どう分かるのでしょう。咳と熱の症状が出て、病院に行った時は大体50%は肺が繊維化されていると考えられます。即ち、症状が出て受診すると遅れるケースが多いのです。

台湾の専門家は、毎朝、自身でチェックできる簡単な診療を提示してます。

深く息を吸って、10秒我慢する。咳が出たり、息切れる等、すごく不便なことがなければ、肺が繊維症状になってない、即ち、感染されてないということです。(注:新型コロナで悪化すると、肺胞の組織が繊維化して硬くなっていくようです)

現在、既に大変な事態になってるので、毎朝、良い空気を吸いながら、自己診断をしてみてください。
また、日本のお医者さんは、とても有効なアドバイスをしてくれています。皆んな、常に、口と喉を濡らして、絶対に乾燥した状態におかないこと。15分毎に水を一口飲むのが良いそうです。ウィルスが口に入ったとしても、水とか他の飲み物によって、食道から胃に入ってしまえば、胃酸によりウィルスは死んでしまう。水分をよく取らない場合、ウィルスが気管支から肺に侵入してしまうので、とても危ないのです。

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令和2年(2020)2月22日 今宮神社に参拝

今、世界では新型コロナウイルスが蔓延しており、目に見えないものの恐怖に 人々は右往左往しています。色々な情報が錯綜してますが、まず国民ができることをし、一致団結して乗り切ることが大切です。グローバル化の一途たどる時代に、もう一度 日本の足元を見つめ直す、よい機会ではないかと個人的に考えています。

先日、2月22日は ” 2 ” が続く特別な日でした。令和2年2月22日。2020年2月22日。2は仏教で言う ” ご縁 ” の日と言われます。その日は、様々な神仏とご縁をいただいた日でもありました。午後からは 芸術家・橋本関雪さまの命日法要で、導師と琵琶説教の勤めがありましたが、午前中の予定がポコッと空いたので、今宮神社に参拝し、ご祈祷を受けてきました。ここの疫神が 私が大好きな牛頭天王ですので、コロナウイルス疫病退散のお参りをしてきました。廣峯神社(姫路)、八坂神社(京都)、今宮神社(京都)は それぞれの牛頭天王がいらっしゃいますが、今宮神社は一番優しい性質のお方と云われます。

今宮神社

今宮神社

神仏研究家・桜井識子さんが今宮神社でのお告げを記してらっしゃるので紹介します。
牛頭天王が「書いておけ」と言ったことがありますので、ちょっと説明しようと思います。牛頭天王の神域で急に雨に降られる、ということについてです。これは、厚いご加護をいただいたことになるそうです。(中略)見えない世界で雨粒を「槍(やり)」に変換するらしいです。天の高いところから神気を帯びて落下してくる槍となりますから、「魔」に対する殺傷能力はとてつも高いと言います。しかも「魔」は、雨としか思っていないので防御をしませんから、バッサリ退治できるらしいです。ですから、もし境内で急に雨が降ってきた、という場合は、とてもありがたいことになります。(『神様と仏様から聞いた 人生が楽になるコツ』宝島社)

不思議なことに、当日はまさしくその状況でした。バケツをひっくり返したような雨が降る中、宮司さまに祝詞をあげてもらい、魔をさっぱりと払っていただきました! よっぽどストレスがかかっていたのでしょう(汗)。この牛頭天王という神様は、お願いしているその本人自身が、また願掛けそのものが「面白い」と思えば、少々の困難でも叶えてくれます。ですから、ありえない願掛けだとお願いしてみるといいです。「面白いやつだ」と思ってもらえたら叶います。皆様もどうぞお参り下さいませ。僧侶が神社の紹介するのですから、信憑性がありますよ(笑)!?

境内にある桂昌院碑
桂昌院さまは、地元の八百屋の娘でしたが、今宮の牛頭天王に願掛けして将軍の母になられたと伝わります。

境内にある桂昌院碑
桂昌院さまは、地元の八百屋の娘でしたが、今宮の牛頭天王に願掛けして将軍の母になられたと伝わります。

あぶり餅屋 一和

あぶり餅屋 
今回は向かって右側の一和さんに寄りました。

気さくな店員様が、写真を撮って下さいました(照)

気さくな店員様が、写真を撮って下さいました(照)

あぶり餅

あぶり餅

その後、六角堂(頂法寺)にも立ち寄り 聖徳太子にも縁を結びました。2月22日は太子の命日とも云われ(諸説あり)、ゆかりの寺院はお勤めされる日でもあります。日本の礎を築かれた方にもお力をいただきました。

六角堂

六角堂

神仏と共に歩む生活は楽しいですよ^^。今、目に見えないものにおびえる現代人ですが、そういう時こそ、見えないお力にすがるべきだと思います。合掌

橋本関雪さまの法要が行われた白沙村荘・存古楼

橋本関雪さまの法要が行われた白沙村荘・存古楼

関雪忌法要

関雪忌法要

琵琶説教では『平家物語』の「熊谷発心」から
縁の縁の教訓を学びました。

琵琶説教では『平家物語』の「熊谷発心」から
縁の教訓を学びました。

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誕生は 母苦難の日

立春が過ぎ、本格的な一年が始まりました。本日、2月15日はお釈迦さまの涅槃(ねはん)の日です。読者のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

西願寺の涅槃図
※現在公開中です

私は1月28日で 45才になりました。有難いことに「年齢よりも若く見える ♪」と よくお世辞を言って下さいますが(笑)、裏を返せば ” 若い ” といわれる歳になってしまったんだなぁ(汗)・・・とつくづく感じます。(もちろん若く見えるというのはスキンヘッド効果ですw)40代というのは 20代のような体力はなく、70代のような貫禄や経験もない年代です。しかし、上下世代の役割(精神的、体力的なこと)を同じ立場で勤めないと サボってると思われる年代でもあり、また両世代の言い分(伝統と革新)もわかるので、心身ともに重圧がかっかて体調を壊してしまう・・・だから 厄年(役年)と言うそうです。世代の波に翻弄されそうですが、仏の加護を信じ、やれることを一歩づつ勤めたいと思います。

お役と言えば、先月、地元仏教会の会長を仰せつかりました。宗派を超えた26のお寺の方々と、地元興隆のために勤める所存です。まず初めの行事は「花まつり」。花まつりとは、4月8日のお釈迦さまの誕生をお祝いする行事です。地元の子供達を集め、誕生仏に甘茶を注ぎ、健やかに日々を送ることを願うのです。そんな準備をしつつ、自身の誕生日を迎えることとなり、ふと思いました・・・若い時は 誕生日と言えば、自分を祝ってもらうものばかりと思っていたが、同時に 自分を産んで下れた両親にも感謝する日でもあると・・・・。

こんな歌があります。
諸人(もろびと)よ  思いしれかし 己(おの)が身の  誕生の日は 母苦難の日

私で言えば、今から45年前のその日に、母は青竹を裂くような辛い思いをして産み、育ててくれました。そのお陰で今日の私があるのです。だから、むしろ自分の誕生日は親に感謝をし、お礼を申し上げる日でなくてはならないと思うのです。もっと言うならば、今まで育てて下さったご家族、地域、社会、先祖にまで感謝を広げることも大切です。花まつりでは、このような精神も伝えられる行事にしたいと思いました。

お釈迦さまをお産み下さったマーヤさまにも感謝を捧げます。

親子を一本の木に例えれば、ご先祖さまは根で 親(自分)は幹です。根幹がしっかりしていると、枝先(子孫)は栄えます。様々なご縁やみ恵みに感謝し、親は親であることを自覚して子を育て、子は親を大切にする・・・今、寺離れが増え、このような当たり前で一番大切なことがなおざりになってるのではないかと思います。これは、時代や世代、年代を超えた共通の真理だと存じます。こんな事を思う誕生日でした。合掌

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修正会(令和2年) 子年の心構え

新年、明けましておめでとうございます。令和最初の正月になりました。旧年中は ひとかたならぬご尽力をいただき、心より感謝申し上げます。また、本年も 相変わりませぬようお願い申し上げます。今年も1月1日の10時から修正会を勤め、壇信徒を始め 参拝者と共に一年のご多幸を祈りました。その時の法話を掲載します。

令和2年の元旦となります。皆さん、この元旦元日の違いはご存じですか?「元」は「はじまり」の意味。ですから 元日は1月1日のことですね。一方、元旦の「旦」という字は、絵にするとこうなります。ーは水平線で、日は太陽・・・

一は水平線で、日は太陽=旦

一は水平線で、日は太陽=旦

ですから 初日の出を意味し、大きく見れば1月1日の午前中を元旦といいます。まさに 今の時間帯ですね。昔の教訓に 「一年の計は元旦にあり」とありますが、まさに今、この時間の過ごし方が 一年間のあなた自身の姿なんだよ!って事です。逆に言えば 恐ろしい教訓ですね・・・今、口を開けてカ~って寝てたら、その姿が この一年のあなた自身と言うのです(笑)。

特に今年は十二支でいえば1番目。始めの干支になりますので、大きな節目になります。今年の干支は 子(ね)年です。この字で「ねずみ」・・・「子」は 増えるを意味する「孳(し)」が語源で、植物に例えると 種子の中に 新たなる生命が宿った状態を表します。つまり、大いなる可能性(繁栄)への礎の年と読みます。

たしかに ネズミは「ねずみ算」という言葉があるほど、子供をどんどん産んで 数を増やしていくことから「子孫繁栄」の象徴でもありますし、また、株の世界にも「子年は繁栄」という格言があり、子年は株価が上昇する傾向にあると言われています。今年の東京オリンピック・パラリンピックによる経済効果を考えると、その格言もあながち間違いではないかもしれません?!。

では、今年は どのような心構えで生きればよいのか?・・・十二支の中で最も小さく、弱いネズミが最初に当てられたのは、新しい十二年を始めるにあたり、まずは自らの弱さを知ることが大切であると言われます。何事も謙虚であるからこそ、周りの理解や協力を得られ、着実に歩むことができるのです。自らの弱さを知るからこそ、相手の弱さも理解ができ、お互いに助け合うことができるのです。その精神が ” 繁栄 ” の礎となります。

また ネズミは「ねずみ=寝ず身」という字にも当てられます。ネズミには行動力があり、一つ一つの動きは小さくても 継続していくことで、やがて大きな成果に繋がるといいます。” 繁栄 ” の陰には 横柄なことをせず、自分を知り、謙虚になり、できるだけ功徳を積むことが吉となります。将来の種子を温めるためにも、「ねずみ=寝ず身」(徳積みの継続)を心がけて下さい。

そのためには、徳を積める お寺の存在は益々大事になります。今年は 種子の中に 新たなる生命が宿った状態であり、そう言った意味で吉凶は不安定ですが、丁寧に温めれば、未来への大いなる可能性(繁栄)の礎の年となることと存じます。

「一年の計は元旦にあり」・・・どんな時代になっても 西願寺に縁のある皆様は、1月1日10時の修正会の精神は無くしたらダメだと思います。やはり、仏様やご先祖さまを大事にしている人こそ、 未来への ” 繁栄 ” があるんだろうと確信します。本年も宜しくお願いします。ご清聴、誠にありがとうございました。同唱十念

 

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機嫌の良い距離感

今年もあとわずかになりました。時代は「平成」から「令和」に変わり、「明治」「大正」の時代の方々を知ってる「昭和」生まれの私にとっては、めまぐるしい時代の流れに翻弄されています。

一番変わったと思うのは、日本人の気質です。最近は 毎日のように、人間関係のトラブルや殺人、いじめ、ストーカー被害等が報道されています。昔の方々は 良くも悪くも他人を察する心があったように思います。目を見て挨拶をし、相手の考えを考察し、自己犠牲ができた方が多かったように見受けられます。またその精神が、自らの心をを調えるバロメーターになっていたのかもしれません。そのために華道や茶道、お寺に心の拠り所を求め、人々は 自他協調のバランスを調えていたのでしょう。

現代は真逆です。核家族や鍵っ子、ゲームやネット、マニュアルや合理的な思考の影響か・・・他人に無関心で、自らの欲望を満たすことを第一に考え、権利や主張に生きてる人が多くなった感じがします。残念ながら、自らの考えに添わない人は 上下に関係なく排除してしまうような時代です。しかし、どんな時代になっても人との関わりは無くならないものです。相性がありますから、みんな仲良くする必要はありませんが、これからの時代は、人付き合いの ” 機嫌の良い距離感 ” を勉強すべきなのだと思います。理想論者は多いですが、他人の心は変える事なんてできないんですから・・・自ら察して、機嫌の良い距離感を保たなければなりません。

人付き合いで一番難しいものに恋愛があげられますが、その悩みに DJあおいさん が的確(過激!?)に答えて下さってます。

恋愛熱量が高い人って怖いんですよね
こんなにも熱烈に愛してくれているのになぜ恐怖を感じてしまうのか
好きでいてくれるだけなら害はないはずなのに
なんとも形容し難いホラーを感じてしまうのはなぜなのか

それは恋愛熱量が高い人は
怒りや悲しみといったマイナスな感情もコントロールすることができないから
恋愛熱量が高い人ほど病的なヒステリックを起こすことが多いからなんです

恋愛熱量を適正にコントロールできない人は
怒りや悲しみも適正にコントロールできない人であり
だから過剰な恋愛感情を表現する人は『怖い』と感じてしまうわけです

長く付き合ってれば話し合いによって乗り越えるべき山場なんて腐るほどあります
話し合いに必要なのは理性ですから
理性を失うほど恋愛熱量が高い人は話し合うべき場面でも理性を失い
何をしでかすのかわからない狂人になって
ついには好きな人でさえも傷付けてしまうんですよ

理性は感情のラジエーター
適度に愛してくれる人は
怒りや悲しみも適度に抑えて
理性的に話し合える恋愛になります
だから適度に愛してくれる人との付き合いは
安心感のある恋愛になるんです

大事なのは恋愛感情ではなく
恋愛感情の熱量をコントロールする理性にあるということですね

だいたい恋愛熱量が高い人で
楽しそうな人なんて見たことがありません
禁断症状を起こして震えているか
ガンギマリシャブ太郎のようにアヘ顔で恍惚としているかの二択

『楽しい』という領域に止まるためにも理性は必要
何が嬉しいかって
恋人が楽しそうにしているのが何よりも嬉しいものですからね
そして楽しそうにしているのが
最高の愛情表現になりますからね

恋愛だけでなく 一般生活に当てはめても、納得する回答じゃないでしょうか。ここで言う恋愛熱量も理性も、結局は ” 機嫌の良い距離感 ” のバランスなんだと思います。どちらかに傾きすぎても うまくいかないのです。ここが現代人の課題なのだと思います。寺経営でも熱量を増やすと煙たがられ、理性的になると嫌われます(笑)。お互いに察し合って、機嫌の良い距離感で安心を分かち合う・・・これが、これからの幸福の尺度になっていくものだと思います。そのためは、目を見て挨拶をし、相手の考えを考察し、自己犠牲ができような器量を持つ・・・時代遅れと言われそうですが、自他協調の修練が「令和」の時代に最も必要な修行だと思います。

君子の交わりは 淡きこと水の如し(荘子)
[現代語訳]よくできた人物の交際を見ていると、あまり他人の実情に深入りしないことが多いようです。良好な人間関係を長く維持していくためには、お互い察し合うことを前提に、アッサリとしたお付き合いがいいでしょう。

何十年後かに次の時代が始まる頃、誰かがこのブログを読んで 答え合わせをしてくれれば幸甚です。よいお年を。合掌

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根元とつながる原理

紅葉の季節となりました。奉職寺院では多くの人々で賑わっています。観光客とも話す機会も増え、悩み相談を受けることが多い時期でもあります。悩みの大半は ” どう生きるか? ” ということに尽きますが、一昔前とは違って今は、” どう自分を輝かせるか? ” という自己実現の方に向いてるように思われます。それほど日本のしきたりが変わってきた証拠であると同時に、悩みも多岐に渡ってきたと言うことでもあります。私は それぞれの流行や仕組みを知ってる訳ではありませんが、どの時代になっても変わらぬ真理は勉強しています。

先日、アフリカの青年に日本の暮らしを見せ、体験してもらうというテレビ番組の再放送がありました。草原で暮らしていた彼には、すべてが驚くものばかり・・・水道の蛇口をパーッとひねると水がザーッと出る。これを見た青年は驚いてこう言いました。「水に困ってる家族のために、この蛇口をひとつ分けてほしい … 」また日の暮れにスイッチを入れると、電灯がパッともります。これまた驚いて「この電球を故郷に持って帰りたい … 」家族を喜ばしたい気持ちは痛いほどわかりますが、蛇口や電球を持って帰っても役に立たないことを納得させるのに、ずいぶん時間がかかった様子が放映されてました。

原理がわからない者は、蛇口が水を出しているようであり、電球が光っているように見えます。そうなるのには、発電所から電線を伝って電気が送られています。そこにつなぐので電灯がともります。いくら電球を母国へ持って帰っても、つなぐものがないので役には立ちません。蛇口が水を出してるようですが、それには水源地から送水管で 圧力をもって押しています。その送水管につなぐので水は出ます。

この話は 我が身に照らしてみると 意外と理解できないものです。世の中には立派な人が多いですが、根元原理を知らずに悩んでいる人は、失礼ながら ただの蛇口、ただの電灯の状態です。このままだと 光はともりませんし水も出ません。しかし 信仰心を持っている人は、不思議と原動力が授けられます。そうすると自然と輝くのです。なぜかうまくいってる人になれるのです。幸せになるには この根元原理を知り、コツをつかめばいいだけなのです。それは 送水管に蛇口をつなぐ行為であり、発電所から送られる電気を電灯につなぐような行為です。これが信仰です。私たち僧侶がしている布教活動は、この根元とつながる原理の伝道です。しかし 番組のアフリカ青年のように、なかなか納得してもらえないのが現状です(汗)。信仰心を持たない人は、優れた蛇口や電球を作ることのみに固執して、作り方や見栄えの良さばかり議論するイメージです・・・そうなると理屈っぽい人が増える・・・これではギスギスした世になります。

咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ

やはり紅葉も根元からの養分によって護られ、深紅の色をつけます。その葉だけでは如何ともなりません。人は 根元(大いなるもの)とつながる という意識を持つだけでも謙虚で優しくなり、新たな縁を持てるものだと存じます。合掌

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廣峯神社に参拝

先日、兵庫県は姫路にある廣峯神社(ひろみねじんじゃ)に参拝しました。ここには牛頭天王(ごずてんのう)という強力なご利益のある神様がいらっしゃいます。仏教の開祖・お釈迦さまの祇園精舎を守護されたと伝わるのがこの神で、全国にある祇園社の総本宮がこの廣峯になります。その他、京都の八坂神社、今宮神社、愛知の津島神社・・・私は足しげく参拝しています。ただ神様といっても 正確に言うと神様ではなく「閻魔大王みたいに、神様でも仏様でもない存在」(桜井識子さん談)だそうです。ですので 少しくらいダークなお願い事も、牛頭天王が興味を示したお願い事なら 叶えてくれたりすることもあるとかないとか(笑)。力の強い神様ですが 気ままなので、気が向いたら叶えるし 気が向かなかったら無視・・・実に面白い神様です。

廣峯神社

廣峯神社

牛頭天王

牛頭天王

僧侶が神社参拝なんて 違和感があるかもしれません。私が布教する阿弥陀如来は、死後の世界に魂ごとお救い下さる究極の仏様です。この仏にご縁があれば、間違いなく救われるので 日々を安穏に送ることができます。ですので 阿弥陀如来に感謝を捧げること(往生への念仏)はあっても、人間の細々とした祈り事をお願いする存在ではありません。そういう時にお世話になるのが神様なのです。私にとっての信仰の主食が阿弥陀如来で、サプリメントが牛頭天王といえばわかっていただけますでしょうか。様々なご意見はあると思いますが、私は神仏に波長を合わせて 笑顔で楽しく生きていきたいと思っています。

話を戻しますと、ど~しても叶えてほしい願いがあったので、朝にご祈祷を予約して行きました。到着をして受付にご挨拶すると「今日は一番偉い宮司様にしていただけるで!あんたラッキーやなぁ ♪」と言われました。牛頭天王が興味を示してくださった瞬間でした。拝殿内に上がらせていただくと、風がピュウーピュー吹き出し 頬を伝います。これは眷属が私の周りを囲んでくださる奇瑞です。牛頭天王との心の会話は伏せますが、確かに色々なお言葉を頂戴しました。案の定、その晩から常識がグネーっと曲がり、心願成就して今に至ります。本当に素晴らしい悦びを頂いてます。

♪ 祇園精舎の鐘の声~ と、いつも語っているので相性がいいのでしょうか(笑)

♪ 祇園精舎の鐘の声~
と、いつも語っているので相性がいいのでしょうか(笑)

このブログでお伝えしたいことは、信仰生活の素晴らしさです。浄土宗の宗祖・法然上人のご功績は、それまでの 知恵や学問の仏教を捨て、救済自体を目的とした仏教を示されたことでした。それから様々な僧侶が触発され、多くの宗派が生まれ、信仰の波が民衆に広がったのですが、あれから800年 … 残念ながら お寺のあり方は形骸化しつつあります。教えは正しいのです。きっかけさえあれば 本当に幸せになれます。しかし、肝心な悦びや悩みを解決してくださる方と なかなか出会えないのが現状じゃないでしょうか。人間ですからダークな悩みもあるはずです。ならば直接、好きな神仏と 正直な心の対話をして、御力をいただきましょうよ!と思うのです。

私の場合は 信仰の中心である阿弥陀如来のお慈悲と、人間生活に悦びを与えて下さる牛頭天王の神力、その他 諸仏諸菩薩諸天の見守りで とても幸せに生きています。まだまだ オススメの神仏がいらっしゃっいますので、その都度ご紹介しますね。皆様の手を合わせる時間が 少しでも増えることをお祈りします。きっかけ作りが私の使命です。ではまた来月です^^。合掌

祈祷前の拝殿内 受付の方より撮影を強く勧められ、一枚撮らせていただきました。合掌

祈祷前の拝殿内
受付の方より撮影を強く勧められ、
一枚撮らせていただきました。合掌

拝殿の隣で、黒田官兵衛を祀る「官兵衛神社」の建設がなされてました。11月に完成予定で、それまでの間、ご神木が祀られてます。 この ご神木写真も世の人々に勧めてくれ!とのことで・・恐れ多くも・・幸福波動をお裾分けします。 皆様も 寺社参拝の時、こういう特別な瞬間に立ち会うことができれば、そこの神仏が歓迎されてると解釈してもよいかと存じます。

拝殿の隣で、黒田官兵衛を祀る「官兵衛神社」の建設がなされてました。今月末に完成予定で、それまでの間、廣峯拝殿内で 官兵衛神社のご神木が祀られてます。
それ以降は、永劫に拝見できないそうですよ!
ご神木の写真も世の人々に勧めてくれ!とのことでしたので・・・恐れ多くも・・・すごく迷いましたが・・・幸福波動をお裾分けします。合掌
皆様も 寺社参拝の時、特別な瞬間に立ち会うことができれば、そこの神仏が歓迎されてると解釈してもよいかと存じます。ご縁を尊ぶのが信仰生活の醍醐味です。

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” しゃかりき ” に頑張れ!

先日9月9日。大切な信者さまが往生されました。ここで言う信者とは 檀家と違い、願い寺がありつつも ある特定の仏や僧侶に帰依し、仏道修行に邁進される方を言います。

ちょうど9月1日、2日と信者会の旅行がありました。一泊二日で姫路方面(書写山・圓教寺や赤穂)を巡りました。その信者さまも同行して下さり「金森さんが行ってくださると聞いて参加した!」「忠臣蔵の琵琶を楽しみにしてる!」等々、目を輝かして言って下さって参加されたのが 亡くなる一週間前だったのです。神戸の中華街・南京町では、手をつないで歩きました。美味しい焼き豚の店を教えてもらい、肉まんを頬張り、喫茶店でお茶をして「このデートは私の冥土の土産や。いつ死んでも後悔ないわ ♪」と言って下さいました。その時は、お元気な様子で 冗談だと皆が思ってましたが、虫の知らせだったのでしょうか・・・バスでお別れするとき「金森お上人さん、あなたが大変なことはよくわかってる。でも ” しゃかりき ” に頑張るんやで!」というのが最後のお言葉でした。訃報を聞いて、彼女への夜念仏をしているとき、ふと ” しゃかりき ” という言葉を思い出して、改めてこの言葉をかみしめました。

ラストサムライのロケ地で有名な書写山・圓教寺

ラストサムライのロケ地で有名な書写山・圓教寺

赤穂浪士の像を祭った赤穂・大石神社

赤穂浪士の像を祭った赤穂・大石神社

神戸の中華街・南京町

神戸の中華街・南京町

教林坊・廣部光信上人のご解説です。
私たちは普段何気なく「しゃかりきに~する」と言いますよね。平仮名で書くよりもカタカナで書いたほうがしっくりしそうな言葉ですが「釈迦力」と漢字で書けば「へぇ~」とうなずかれるのではないでしょうか。
お釈迦さまは今から約2500年前インドでお生まれになり、苦しむ人々を救おうと仏教を開かれ、すべての人が平安に暮らせるように、一生懸命に教えを説かれました。ここから転じて脇目もふらず物事に望むさまを「しゃかりき」というようになりました。
「お釈迦さまの力」と思えばどんな困難でも最後までやり通せる気がしますね。
(『人に教えてあげたい仏教語Ⅰ』)

「釈迦力」かぁ・・・あらためて信者さまの言葉の重みを感じました。仏縁のある方より、色々なことを教わります。

ただ、信者さまは 最期の別れが悲しいものがあります。檀家は ” 家 ” との付き合いで、法事を通じて世代を超えた仲間になりますが、信者はあくまで個人の付き合いですので、どれだけ心が通じていても お葬式での引導は渡せませんし、最近では 家族葬が主流となり 参列すら叶いません・・・出会わなくなったらそれっきり・・・まさしく 信者さまとは ” 一期一会 ” のお付き合いなのです。その時が最期の別れになると感じつつ、皆様と大事に時を過ごそうと思います。あわよくば、願い寺を大事にされることは前提ですが、西願寺の骨仏へ たとえ骨一片でもお納め下されば、生涯大切に祀らせていただく所存です。拝む対象があることで、私の心も救われます・・・そういった檀家・信者を超えた 心のつながりを大事にしたお寺を目指すのが私の指針です。宗教離れに 少しでも歯止めを掛けるよう「釈迦力」に頑張ります!合掌

西願寺のお骨仏    お骨を 仏の体内に納め、永代まつります。

西願寺のお骨仏         お骨を 仏の体内に納め、永代まつりますので 参拝者が絶えない生きた永代供養になります。

※本日は丁度、その信者さまの初七日になります。骨仏前にて 謹んでお勤めさせていただきました。南無阿弥陀仏

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