月別アーカイブ: 7月 2013

人生は「宝探し」

最近、よく言われる言葉があります。「和尚はええなぁ・・・定年がないから」。本音だと思います(笑)。長年勤めた会社を定年し、第二の人生に向け、試行錯誤をされてる団塊の世代の方々が多いようです。 「定年後の自由な時間」について、ある人がこう述べてました。”現役時代、週休2日で40年勤めた人の過ごした休日は4400日。60歳で退職し、80歳までの20年間は7300日。定年後の方が圧倒的に時間が多いのです。この時間を上手に活用し、充実した第二の人生を過ごせるかどうか、それが大問題です” 引退と共に自由な時間を手にしたと言っても、少々の無茶もできた若い頃と違い、経済や健康などあらゆる面で、不測の事態に備えねばならなくなります。人生は有限であり、終末を意識すれば、残された時間はそう多くない。その中で、悔いなき選択をどうすればよいのでしょうか。 私は、人生は「宝探し」だと思っています。人類最高の悟りを開かれたお釈迦さまは「南無阿弥陀仏」の宝を見つけられ、生涯をかけお説き下さいました。考えて見ますと、定年後の時間は7000日余りですが、死後の時間は無限です。その死後の世界を絶対の幸福にして下さるのですから・・・お念仏の教えは、大宇宙最高の宝であります。金や財、名誉や地位などは、苦労して手に入れても、思わぬ天災人災で一瞬にして消え失せます。どんな豪邸のマイホームも、マッチ1本で灰になる。形あるものは、盗まれ、流され、焼かれ、やがて消えてしまします。死ぬ時には、1円も持ってはいけません。これらの宝では、私達の本当の安心や満足を得ることが出来ないのです。 しかし、生前から「南無阿弥陀仏」と一体になれば、焼けもせず、流されもせず、盗まれもしない、いつも満ちている無上の幸せに生かされます。お念仏は、学べば学ぶほど深いものであり、社会の知識とは全く異なる智慧を味わえます。時代は良くも悪くも変わってしまいます。当時の常識(宝)を印籠のようにかざしても、今の若者には、”猫に小判”、”豚に真珠”・・・摩擦に苦しみ、自分の存在価値を見失いがちになります。やはり、この世とあの世を貫いた宝こそが本物です。それこそが不変の宝です。最期に笑うのは、”大宇宙最高の宝(南無阿弥陀仏)”と一体になった心の長者に他なりません。 定年後の生き甲斐が「お念仏」という方が、少しでも増えるように精進します。合掌

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天才とは「100%今に集中する力」である

昨日、祖父母の13回忌法要を親族で勤めました。先日は母方の祖母の満中陰でしたが、今回は父方で、祖父は私の師僧になります。この法事に辺り遺品を整理をしてると、一枚の写真が出てきました。それは 私が赤ちゃんの頃の写真で、ハイハイをしてる私を微笑ましく見ている祖父母の光景でした。物心がつく前から可愛がられていたんだと、改めて感謝の心が湧き上がってきたと同時に、ふと こんなことを思いました。それは、この頃に 現在の自分が想像できただろうかということです。 ひすいこたろう氏の小話にこんなものがあります。もし、赤ちゃんが話すことができたら・・・「いつか君はね、立ち上がれるようになって歩けるようになるよ」と声をかけたら、赤ちゃんはこう言うのではないでしょうか。「バカいっちゃいけない。ムリムリムリ。ハイハイだけでも精一杯なのに、立ち上がるなんて、絶対ムリ。まして歩くなんてムリムリムリ(笑)」ハイハイしかできない赤ちゃんからしたら、立ち上がって歩くって、まるでサーカスでも見ているようなものでしょう。 でも、現在の私は 歩いてます。赤ちゃんの頃に思えば 奇跡に思えるようなことが、当たり前の現実となっています。それは よけいなことを考えず、ただひたすら今できることをやってきた結果、いつの間にか立ち上がり、いつの間にか歩き出し、今では車の運転もし、また僧侶にもなっています。思えば子供の頃は、一見 ムダに思えるような行動に没頭してました。それは 余計なことは考えず、目の前の一歩を楽しんでいたのです。しかし 大人になれば、失敗や周りの目、後悔等が先に浮かび、行動範囲がどんどん狭くなってきます。もし、今も100あるエネルギーを目の前のことに 純粋に注ぐことができれば、人は知らず知らずのうちに夢が叶っているのだと思います。こたろう氏いわく、今、目の前のことに100の力を注げる人を「天才」というのだそうです。 天才とは「100%今に集中する力」である・・・これは皆が生まれもった力ですが、経験と共に忘れていくのは寂しいものです。しかし、南無阿弥陀仏は教えてくれます。よく見ると「お念仏」の「念」は「今+心」という字で出来ています。今ある心を目一杯、仏様に伝え、救いを求めるのが念仏なのです。言い換えれば、100あるエネルギーを目の前のことに純粋に注ぐことができる修行が、南無阿弥陀仏なのです。無我夢中で念仏を唱えることにより「絶対の幸福」へのレールが引かれているのです! 私が現在、お念仏を唱えられるようになれたのは、多忙だった両親にかわり、手を合わせる環境で育ててくれた祖父母のお陰です。赤ちゃんの頃の自分に「お前は幸せなんだぞー!」と伝えてやりたいです(笑)。悩みは尽きませんが、今に集中して念仏を唱えている時は、阿弥陀様や先祖と繋がっている瞬間です。このような尊い教えに出会い、本当に幸せだと この度の法事で再認識しました。合掌

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