月別アーカイブ: 3月 2013

春分(春彼岸)

太陽の中心が春分点を通過する日を「春分」といい、この日は昼と夜の長さがほぼ等しくなります。春分の日は太陽が真西に沈むことから、西方にある阿弥陀如来の世界(極楽浄土)とこの世が交わる日と考えられています。「救いの方向」が分かることは有り難いことです。 先日 お彼岸に向けて、子供達と境内の草引きをしました。単調な作業なので退屈してるのではないかと、おそるおそる子供の方に目をやると、楽しそうに抜いていたのが印象的でした。見つめ合わなくても、同じ目標に向かって、同じ楽しさを味わった瞬間です。立ち位置や価値観が違っても、人間は 同じ方向さえ見ていれば幸せなのだと思いました。 僧侶をしていると「救いの方向」が大切だと学びます。例えば お葬式を勤めますと、ご遺族の悲しみは大変なものです。胸が張り裂けるような悲しみは よくわかります。その時、私はこう説きます。「亡き人が極楽浄土で待っていてくださる場面を想像しましょう。そして私達も命尽きた時、お互いわかり合い、抱き合って涙を流すというゴールを決めるのです。想像できましたか?」「では、今から百ヶ日まで思う存分泣いてもいいですよ。どんなに悲しくても、最期は涙で再会するというゴールを決めたわけですから」どれだけ泣いてもいい。最期はどこに辿り着きたいのか?このゴールさえ決めておけば、すべてはそこへ辿り着くための「プロセス」になるからです。 私達はラストシーンを先に決めるべきです。向かうべき方向を先に決めてしまうのです。同じ方向を見ていれば、どんなに辛くても また必ず再会できます。 お念仏を唱えれば、阿弥陀如来が死後、必ず西方極楽浄土に導くとお約束されています。「春分(彼岸)」は、極楽浄土に最も心が通じやすいと云います。墓参りをされる方も多いと思いますが、家族や縁者で「救いの方向」を味わって頂ければと存じます。合掌  

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啓蟄

「啓蟄(けいちつ)」となりました。春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくる頃をいいます。「啓(けい)」は「ひらく、開放する、(夜が)明ける」、「蟄(ちつ)」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」の意味があります。 昆虫だけでなく、人間も暖かさによって開放されます。ただ本能で動く動植物とは違い、人間は 人々の言動が大きな影響力を持ちます。例えば ひとりの人間は、家族や友達、知り合いなど、およそ300人と深いつながりを持って生活しているといいます。ですから、ひとりの言動は、直接 300人に伝染するのです。また、その一人ひとりは別の300人とつながりをもって生きているわけですから 300人×300人で、最終的には9万人にも影響が及ぶのです。あくびが周りにうつるように、良くも悪くも 一人の言動がレーザービームのように伝染していくから怖いものです。 南無阿弥陀仏には「融通念仏(ゆうずうねんぶつ)」という教えがあります。これは「一人の念仏が万人の念仏に通じる」という教えで、ひとりの唱えた念仏が他に影響を及ぼし(阿弥陀仏の力が融通しあい)素晴らしい世界ができるというのです。世の中ために、身近にできること。それは 人のために南無阿弥陀仏を唱えることと教えられるのです。お念仏は 人々に幸福への種まきをする行為であり、ひいては自らの「絶対の幸福」につながっていきます。それは「啓蟄」の暦が示すように、春の暖かさ(弥陀の慈悲)で生物がどんどん地上(極楽浄土)へ生まれてくる姿にも似ています。人生の目的は、慈悲を感じられる開放的な心。つまり「蟄(ちつ)」から「啓(けい)」に目覚めることではないでしょうか。 覚えておきましょう。私達は常に9万人以上の人とつながっているのです。目の前にいる人を幸せにしようという念仏が「絶対の幸福」を開く扉となるのです。合掌

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