月別アーカイブ: 10月 2013

教育勅語

最近、よく尋ねられることがあります。それは「宗教を抜きにして、人として誇れる生き方を教えてほしい」「時代に左右されない真っ当な生き方はないのか」という問いです。私に宗教を抜きにしてというのは失礼な話ですが(笑)、一般の方が 宗教の話をすると 変人扱いをされる・・・悲しいですが よくわかります(汗)。僧侶である私は、「どう生きるのか」ではなく「なぜ生きるのか」を説く立場ですが、現代社会には、それ以前の ”生き方の指針” がないのかもしれません。そう言う時は、やはり この国の原点(基本)に戻るべきではないでしょうか。 日本は 明治維新の後、近代の学校制度が始まりました。しかし、当時の学校では、人として「どう生きるべきか」ということについて学ぶ機会がなかったそうです。そのため、明治20年頃の学校の現場では「人としてどう生きるべきかについては、教師も生徒も向かうべき方向も分からず、あてもなく漂う船のように途方に暮れている」(能勢栄『徳育鎮定論』)状況でした。 そうした状況に、日本人らしい生き方の指針を確立し、実行することが期待される心の教育を、明治天皇から直接、国民に賜ったのが『教育勅語』でした。本文は315字からなり、大正生まれの祖父は暗記し、心の糧 としていたのを記憶しています。いらぬ解説は無用ですので、現代語訳をご紹介し、今回のブログとさせて頂きます。合掌 『教育勅語』(現代語訳)わたくし(明治天皇)は、わたくしたちの遠いご先祖様が、大きな夢や希望に燃え、どこにも負けないすばらしい国をつくろうと、この日本の国をおはじめになったものと考えます。その限りない理想のもとに、何億何兆というこれまでこの国に生きた先人たちは、自分一人のことよりも国の平和にとって大切な考え方を重んじてきました。そしていつの時代も変わらず心を合わせて努力し、今日に至るまで、人として美しい生き方を継承してきたことは、この日本の国のすぐれた国柄と言えます。このように一人ひとりが善く美しく生きることであり、品格のある国柄もまた、一人ひとりの生き方の結集であると言えます。 そこで国を挙げて、皆で次のことを心掛けていきましよう。子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく、友人はともに信じ合い、自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、仕事に専念し、教養を高め、人格をみがきましょう。さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、国が大変な状況のときには、真心をささげて、その平和と安全のために奉仕しなければなりません。それが国民としてのつとめであり、私たち祖先が残された日本人としての生き方を、未来の子孫に伝えていくことにもなります。 このように日本人として歩むべき道は、祖先からのバトンとして、私たちが子孫に受け継いでいけなければなりません。そして、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本だけでなく、外国に行っても、人として決して間違いのない道です。わたくしもまた、国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から願うものであります。   本日、10月30日(明治23年)は 丁度、『教育勅語』が施行された日であります。皆で「生き方の指針」を今一度 考えみましょう。再拝

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勝林院一千年紀

昨日10月10日。京都大原・勝林院(しょうりんいん)で「開創一千年紀 慶讃法要」に出勤し、琵琶説教を勤めました。この地は、お経を独特な節回しにのせて唱える「声明(しょうみょう)」発祥地として有名です。声明は、琵琶や能、浄瑠璃、そして民俗芸能に大きな影響を与えた ”日本音楽の原点”と言っても過言ではありません。一千年紀は 各宗派の代表が日替わり出演し、声明法要をなされます。10月5日から20日まで勤修されますが、私は「節談説教」と並び、法要ではなく 説教形式の出番でした。琵琶説教を開創して丁度10年。そうそうたる皆様と名を連ねることができ、感無量です。 この勝林院は、法然上人が名だたる高僧と議論を交わした「大原問答(談義)」の舞台でも有名です。時は文治2年(1186)。当時、お念仏の教えを掲げ注目を集めていた法然上人(53才の御時)が勝林院に招かれ、秀才と評される名僧が集まる中、南無阿弥陀仏の論議をされました。そうそうたる顔ぶれは、当時の仏教界のオールスター戦とでも呼ぶべきものだったようです。居並ぶ僧の質問の嵐に、的確な答えを返していく主役の法然上人は… 「私は皆さまの教えを妨げるつもりはありません。ただ、この乱れた世の中では、この修行を全うすることは難しいのです。誰でもできるお念仏こそが、愚かな私をはじめ、この乱れた世に生きる庶民にとって、最も適したものだと思うのです」 この問答は、なんと一昼夜ものあいだ続けられました。法然上人の教えに感服した僧は、一般の聴衆も交えて念仏を唱え、その声は三日三晩途切れることなく、大原の山々に響き渡ったと伝わります。(『法然上人行状絵図』第14巻) つまり、勝林院は浄土の教えを各宗に宣言した、いわば南無阿弥陀仏のターニングポイントといえる地となります。 今回は、その問答に唯一お供をしたといわれる「熊谷直実」の話を語らせて頂きました。単独で問答に臨まれた法然上人の心意気に、私もあえて檀信徒を募りませんでしたが、堂内に入りきれない程の人で溢れました。終了後、108枚用意した「散華(さんか)」を、ひとりづつ手渡しさせて頂きました。この蓮華の形をした「散華」が、極楽浄土への救いの切符となるよう 心込めて作らせて頂きました。 千年もの間、人々を導いて来られたご本尊さまから見れば、この時間は 一瞬の出来事だと思いますが、我が宗祖・法然上人と同じ場所で説教し、また時空を越えて 聴聞の方とお念仏を共有できたことは 生涯の思い出です。長い間、法灯を守り続けて下さった諸大徳さま、すべての有縁の方々に 心より感謝申し上げます。まさに「千載一遇」のご縁でした。合掌   追伸:西願寺の本尊・阿弥陀如来像は 大原問答と同時期の制作です。制作年[文治4年(1188)]や、胎内に千体仏(梵字)が記されてることが、一千年紀 出演依頼の直後に発見されたことは、大きな因縁を感じます。南無阿弥陀仏 参詣者にお配りした結縁散華(けちえんさんか)   一千年紀ポスター

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