月別アーカイブ: 11月 2015

自分らしく

「人生の分岐点」という言葉があります。人生を振り返えると、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔することが多々あります。しかし、自分は自分でしかない訳で、いくら背伸びをしても、結局 ” 今の自分 ” にしかなれないんだとつくづく思います。私は昔から群れて行動することが苦手でした。秩序を乱す言動こそしませんが、学生時代や修行時代を振り返ると、なぜか組織に入ると個性が死に、全く面白みのない人間になってしまうのです。団体の中に居場所を見つけるのが苦手なタイプかもしれません。ですから 出家後は、他の僧侶と共に行動することはなく、独りコツコツと行動し、不器用な私が 世の中に いかに貢献できるかということだけを考えてきました。 このたび、地元の僧侶青年会から役員の依頼がありました。もちろん人望や能力ではなく年齢から回ってくるものです。本来ならばお受けをしてしかるべきですが、拠点の大半を県外に置き、奉職寺院、自坊、説教とガチッとした三角形を組んでしまい、それぞれ待っておられる方があります。その上、先代の体調不良が加わり、組内寺院や檀信徒との交流も増え、スケジュールが目一杯となり、継続をした責務はお断りをするしかありません。これは同世代の方々のペースに合わせず、ガラパゴス化したツケかもしれません。大げさな物言いかもしれませんが、今回のご依頼を断ると、今後、同世代の僧侶と疎遠になる可能性があり、またお受けすると自動的に役職が上がって行き、組織での関係が深まる分、待っておられる方にお断りせねばならないことは目に見えています。青年会は 私如きがいなくても成り立ちますが、これらの方々は私の代わりはありません・・・おそらく読者は、そんな難しく考えなくてもいいのに・・・と苦笑いされてることと存じます(笑)。しかし、このように 世間が一笑に付すソフトな悩みを聞いて(わかってあげたい)と思うのが私の個性であり、需要があるということは、これはこれで生かされている証だと思っています。 心理カウンセラー・スピリチュアルセラピストの野坂 礼子さんのお言葉です。 「自分を変えるということは、今の自分をゴミ箱に捨て、新しい自分をゲットすることではありません。スミレはスミレだからこそ、可憐ですてきなのです。タンポポは黄色の花で綿毛のような種が見事です。タンポポが「雑草は嫌、花屋で高く売れるバラがいい」といって、真っ赤なお化粧を始めたら、美しいでしょうか。スミレが、高い値段のランの花を真似して突っ張って生きたらどうでしょうか。花たちは比べないし、うらやまない、淡々とユリはユリ、サクラはサクラのまま生きています。天命を生きているからです。今のままの自分です。根っこ、つまり生き方を変えるということです。すると見事なバラやスミレ、サクラが咲き、種が実るのです。そのことが、あなたがあなたらしく幸せになる道です。どんな花もすてきです。あなたは、スミレ、ナズナ、カサブランカですか?その自分の個性を「ありがとう」で生かし天命を生きましょう」(『世界一簡単に幸せになれる「ありがとう」の魔法 』マキノ出版) お立場によって賛否があると存じますが、おそらく同じ気持ち(自らの居場所)で悩んでらっしゃる方もあろうかと思い記しました。人間は 違う何かになろうとするよりも、今の自分をより自分らしく成長していくことが、天命を全うすることになるのだと思います。何年か後に このブログを読み返して、後悔するか、これでよったと胸を張れるかわかりませんが、自分に今できることをしていきたいと思います。もちろん 青年会をお守りされている方々があっての仏教界です。心より敬意を表します。陰ながらの支援は惜しみません。私は私で丁度良い。あなたはあなたで素晴らしいのです。合掌

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夕霧祭

観光の季節となりました。京都にある奉職寺院では、本日「夕霧祭」で賑わいました。この行事は 昭和35年、井筒八ッ橋本舗6代 津田佐兵衛 氏が 夕霧太夫(ゆうぎり たゆう)を偲び、生地であり、墓所に近い当山で 第一回の法要を営み、以来 今日まで続いている供養法要です。江戸時代に活躍した夕霧は、京都・島原の扇屋の太夫となり、のちに扇屋が大坂・新町に移転したため、大坂随一の艶名をうたわれました。しかし、延宝6年(1678)正月6日、わずか26才で花の生涯を閉じられます。姿が美しく、芸事に秀でた名姑でありましたので、「歌舞伎狂言」、「浄瑠璃」に劇化上演され、現在でも多くの人気を博している 伝説の太夫です。 今回で55回目の法要でしたが、毎年、島原から太夫が参列されます。京都市の無形文化遺産に指定された 花街の文化には、舞妓、芸妓、太夫がいらっしゃいます。おなじみの舞妓や芸妓は、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを仕事とする女性の事をいいます。舞妓とは 芸妓になる前の未成年(15歳から20歳くらいまで)の少女。舞妓として約5年間修行した後、芸妓になります。一方、太夫は 京都の島原に籍を置く、芸妓の最高位に当たる方です。島原とは 元禄年間に最も栄えた江戸幕府公認の遊里で、かつては天皇に謁見できる官位が与えられていました。夕霧祭には、毎年 太夫が供養の舞を指され、私はいつも間近で拝見しています。役得です(笑)。 こういう文化に触れますと、 時間がゆったり流れていることを感じます。ある意味、昔の方はその場を楽しみ、贅沢な時間を送ってらっしゃったんだなぁ…と思います。しかし現代はどうでしょうか。観光に来られても、皆さんは口々に「急いでる!」「時間がない!」「早くして!」と効率ばかり求められます。紅葉の美しさもカメラのレンズを通してしか見ず、5分法話をしていても、心ここにあらず・・・もったいないことです。 アンドリュー マシューズ氏のお言葉です。 「どんな小さなことにも、必要なだけの時間をかける。急ぎ足の人生は願いさげだ。私たちが「充分な時間がない」と思いこんでいる限り、時間が足りるなんてことはない。だからエレベーターに駆け込み、電車に駆け込み、電話の合間にあわただしく昼食をすませる。何をするときでも、自分にこう言いきかせよう。「この手紙を書いているあいだは、(このシャツにアイロンをかけているあいだは、このダンベルをもちあげるあいだは)、いまやっていることに集中しよう。どうせかかる時間は大して変わらない。急ぐなんてごめんだ」(『自分らしく生きているかい?』 主婦の友社) 目の前ことに集中するために、必要な時間をかけるのです。すると 時間をかけた分だけ満足感に繋がりますし、自信をもてるようになると思います。慌ただしく行ったことは流れていき、時間をかけたことは 自分のものとなっていくことと存じます。” 観光 ” は、” 光を観る ” ことです。つまり、その土地の空気や御利益、人の温かさという ” 光 ” に触れることから来ています。ゆったりとした気持ちで、お詣りいただければ幸いです。合掌

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