月別アーカイブ: 4月 2012

楽しさと厳しさ

最近、子供にまつわる事件事故が多発しています。昔の子供について、渡辺京二著『逝きし世の面影』には、江戸末期に日本にやってきた外国人が日本の子供達の様子を見て「世界中で両親を敬愛し、老年者を敬愛すること、日本の子供にしくものはない」「日本の子供ほど行儀良く親切な子はいない」「日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供に尽くす母親はいない」と評しておられます。 親学の第一人者である高橋史朗氏は、かつて日本の子供は、世界一幸せで、世界一礼儀正しかった。今は、世界一孤独で、世界一礼儀の悪い子が溢れている。それは親が変わってしまったからだ。親は子供の鏡。親が子供の手本でなくなった。これが子供が変わった理由であると述べておられます。 確かに子供は憧れる対象を欲しがります。他の動物も群れの中で生きるため、親の行動を観察するのと同じで、子供に良い手本を見せるか否によって、今後の生き方が大きく左右されるのかもしれません。 横浜高校野球部の渡辺元信監督が「子供の自主性は楽しさから生まれる、楽しさは厳しさから生まれる」と仰っていたのを記憶しています。自主性は、何も教育しないで、お前は自由にやれとということから生まれるのではない。野球部では千本ノックから始め、それを乗り越えて楽しさ、自主性が生まれるのだと。 現代はどちらかと言えば「どう生きるかは子供の意志に委ねる」という風潮がありますが、しかしそれは「子供が自分の意志で決定できる素養を身につけている」というのが前提なのかもしれません。子供達には良い手本を与えることを心がけ、そして何より私達大人自身が、子供達の良い手本となるように努めなければなりません。そのためには「楽しさ」と「厳しさ」が両輪となると教わりましたが、特に「愛のある厳しさ」を与えるためには、大人がしっかりとした器を持たなくてはいけません。それと同時に、教育は個人でするのは限界があり、家族やご近所、地域、郷土、国家が一丸となって成すべきだということも学びました。合掌          

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穀雨

先日の暦は「穀雨」でした。「穀雨」とは「雨が降って百穀を潤す」という意味からきている言葉で、この時期はやわらかい春雨が降る日が多くなります。 この穀雨で、嵯峨嵐山にある奉職寺院の桜は全て散りました。今年も綺麗な花を咲かせてくれたことに感謝をしつつ、境内の掃除をしておりましたら、志村ふくみ様がお詣りに来られました。志村先生は 染織家として永年に渡りご活躍され、重要無形文化財保持者(人間国宝)であられます。同じ近江八幡の出身ということもあり、法事にお伺いした際には、洋子先生と共に親しくお話させていただいてます。 そんな志村先生から教わったことですが、まだ粉雪の舞う頃の桜の「枝」を煮出して染めると、ほんのりした樺桜(かばざくら)のような桜色が出る。しかし、綺麗な桜の花の「花弁」を集めて染めても、灰色がかった薄緑色になってしまうそうです。 私はてっきり、美しい桜色に染まった糸の着物は、桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだと思っていました。しかし実際には、桜の「皮」から取り出したとのことで驚きでした。桜の花が咲く直前、あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮から、得も言われぬ桜色がとれるそうです。 咲いた花見て 喜ぶならば  咲かせた根元の 恩を知れ 私の大好きな言葉ですが、これは真理だと思います。 今、花咲いている(生かされている)者は、樹木全体(周りの支援)や根元(ご先祖様)のお陰を知るべしだと…そのことを知らずに、全てが自分の手柄だと思い、先人の遺産を食いつぶすようではいけないという戒めですね。 落ちた桜の花びらを掃除しつつ、そんなことを思いました。 合掌 と、ここまで記した時に、女優の鶴田真由さんがお詣り下さったのでご案内して来ました。憧れの方にお出会いでき嬉しかったです。 お聞きすると、志村ふくみさんとの対談の帰りだということでした。凄いご縁ですね!(笑)

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十三詣り

今年も十三詣りの季節がやって来ました。土曜日ということもあり、渡月橋では多くの子供達が着物を着せてもらい歩いています。頬笑ましい光景でした。 十三詣りとは、数え年13歳(厄年)した男女が厄難を払い、智慧を授けて下さるように虚空像菩薩を参拝する行事です。13歳は十二の干支が一巡し、自分の干支に初めての年で、子供から大人へ成長する時期なんですね。同じ子供を祝う行事でも、関東では七五三の方が盛んだと聞きました。どちらにせよ人生の節目を祝う行事は大切だと思います。 しかし現代は、別の意味での「七五三」が問題になっているようです。それは若者の早期離職率です。就職三年以内に、中学卒では約7割、高校卒では約5割、大学卒では3割余りが離職しているとのこと。この問題の原因は、様々な要因が考えれますが、ある方は、若者にプレッシャーやストレスを与えないよう、大人や社会が様々な配慮を積み重ねてきた結果だと指摘されていました。徒競走で全員が手をつないでゴールインするとか、通知簿で5や1をつけないなど競争を否定し、結果平等的な考えが蔓延しているからだとおっしゃるのです。これが早期離職に繋がるのはにわかに信じ難いですが…確かに、現実の社会は結果がすべてです。学生時代は言い逃れや言い訳が通用しますが、社会では通用しません。さらには、非合理や理不尽と思えることが沢山あります。残念ながらそれが人間社会です。そう言った意味で、過保護にされ、大きな挫折を知ることなく育ち、社会に巣立っていった若者が、現実の社会に落胆して離職するのは一理あると思いました。 考えてみれば、佛教の開祖であるお釈迦様も、法然上人であっても、その他の祖師方であっても、若い頃の挫折を翻して、我々に真理のみ光を与えて下さる存在になられたのです。佛教は「因果応報」という言葉に代表されるように「結果平等」ではなく、「結果公平」を説きます。佛縁を結べる「チャンスは平等」ですが、「結果は公平」だと…肝に銘じたいと思います。 若者の早期離職者が増えると、低所得による不安定な生活につながり、結婚も難しく、少子化を招いて日本から未来が奪われます。なかなか難しい問題ですが、今回の十三詣りや七五三、年回等の日本の素晴らしい節目行事に、少しでも自らを見直せる時間がとれればと感じました。合掌

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花まつり

昨日4月8日は「花まつり」でした。別名「灌仏会(かんぶつえ)」ともいい、お釈迦様のご生誕を御祝する行事です。日本では仏教伝来以来の歴史があると言いますが、最近では知らない方も多いようです。作法としては「花御堂(はなみどう)」の中央に「誕生仏(たんじょうぶつ)」をまつり、その仏像の頭から甘茶を注ぐのです。なぜ甘茶をかけるのかというと、お釈迦様がお生まれになった時、九龍が天から降りてきて、香水を浴びせ清めたとの逸話からなります。いわゆる産湯の役目をしたのですね。 甘茶をかけるは日本独自のもので、江戸時代からの風習と考えられています。当時、参詣人は甘茶を竹筒等に入れて持ち帰ったようです。そして、この甘茶で墨をすって書いた「虫」の一字を柱や壁、天上などに貼ったり、「卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙を戸口にさかさまに貼れば、長虫(蛇)やムカデ・害虫を退治できるとされていました。 明治頃まではこの甘茶をもらいに来る子供たちで賑わい、また門前には竹筒をうる店がずらりと並んだと言われています。仏教が暮らしの中に溶け込んでいたんですね。かつては、お寺を中心とする村社会がささやかな喜びを共有していたのだと思います。 民俗学者である宮本常一は日本全国の農村を歩き、その生活について書き留めたと言います。『家郷の訓(おしえ)』の中で「かつて人々は幸福というものの意味をよく知っていた。それはただ、人並みに暮らすと言うことであり、村の仲間と共働することであった。そこには泣き言も不平もなく、我を張るものもなく、人の心の階調があった。」と記しています。 幸いお寺にはまだそのような精神が残っています。そこには個人ではなく、先人への感謝を重んじ、背伸びや不平なく生きる人々の姿があります。まだ仏教にご縁のない方は、是非このような宗教行事から入られることをお勧めします。時代は「温故知新」です!お寺も頑張らなければです。お釈迦様ご生誕お目出度う御座います。心より感謝申し上げす。 合掌

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桜の入学式

今年の入学式は、ちょうど桜の開花時期に当たりました。今の私達には入学式と桜は一体のように思いますが、ある方から明治初期の入学式は9月だったと教わりました。それは高等教育学校や師範学校の先生のほとんどが欧米人で、外国の制度を取り入れていたからだそうです。しかし、国が4月1日から翌年の3月31日を「年度」としてくくった為、国からの補助金や早めの人材確保の関係上、今の時期になったようです。 しかし、平安時代の官人の任命は3月(現在の4月)といいますので、昔から我が国の「年度始め」はこの時期だったのです。明治時代、欧米に合わせようとしたものの、やはり日本には「春始まり」の方が向いていたのでしょう。やはりその国の土壌に適した時期があるのだと思いました。 国民性も同様です。日本人は勤勉にして誠実、責任感旺盛で協調性に富み、忍耐強く礼儀正しい。先人達の努力によって日本は「人材」という世界一優れた資源を持つようになりました。しかし、この国の気候・風土・歴史・文化など国の土壌を一切考慮することなく「個」を全面に押し出し「主張は美徳」とする外国の教育が日本の土壌にあっているのかといえば疑問符です。日本人は体格も小さく、桁外れの才能にも恵まれてもいません。どちらかといえば集団で力を合わせることで、無類の力を発揮する国民だと思います。個人がバラバラに存在しては世界に貢献はできません。 「協調性」と「自己抑制」は表裏一体です。これから入学される方々は「自己主張」も大事ですが、この国の美徳である「協調性」も意識して学んで頂ければと存じます。入学式の時期にあたり、改めて先人達から受け継いだ貴重な資源を捨て去ってはならないと思いました。合掌  

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春の嵐

昨日は日本列島を暴風が襲いました。隣の牧町では電柱が17本も倒れるという被害がありました。他県でも同様の被害があったようですが、混乱もなく助け合う日本人の精神は素晴らしいものがあると思います。 去年の東日本大震災の直後、アメリカのCNNテレビキャスターは「略奪行為などはショックを受けるほど皆無。住民たちは冷静で、他者と調和を保ちながら礼儀を守っている」と被災地仙台から驚きの声を本国へ送られました。 また、ロシアのイズベスチア紙には「首都圏の公共交通機関は完全に麻痺してしまったが、タクシー運転手は料金をぼったくろうとせず、粉々に割れたショーウインドウがあっても誰一人盗みに入ろうとしない。行列の場でも喧嘩など1つも起こらない。店員は水を配り、どの施設もトイレを開放していた」「日本人は上からの命令でそうしてるわけではない…驚くべき自己統制と他者への気遣い。日本人は自分たちを1つの大きな家族と捉えている。このような人々を見れば尊敬のまなざしを向けずにおれない」と。 歴史作家の鈴木旭氏はこう述べられています。 どん底に落ちても他人を思う心を忘れず、自分だけ良ければいいという個人主義、利己主義に陥らず、互いに助け合った。しかも、ごく普通の人々が、ごく普通にやったことであった。 外国人が称賛した日本人の姿は昨日、今日の付け焼き刃で出来ることではない。これは日本人が遠い祖先がら何代も重ねて引き継いで培って来た公徳心、公共意識、日本人のDNAであり、偶然ではない。 先人への報恩感謝。利他の心という仏教精神こそが、豊かな社会を築くのだと感じました。合掌

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