人生の坂

門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 【一休禅師】

1月28日で、また一つ年をとりました(汗)。今年の誕生日は、ちょうど旧正月に当たります。昔は、門松を飾る正月が来たら 一つ年をとる ” 数え年 ” が主流でした。現在は 誕生日で年を加える ” 満年齢 ” が常識ですが、一休さんは、正月にしろ 誕生日にしろ、節目を迎えれば、一つ 冥土(あの世)に近づくんだと警告されています。「めでたい、目出度い♪ 」と浮かれてばかりではいけないということですね。「はやく 死後の救い(絶対の幸福)を見付けて、真に めでたい生活を送れ!」と警鐘乱打されています。 

去年は様々なことがありました。人生における根本の苦しみを、仏教では ” 生老病死 ” と説きますが、この ” 四苦 ” が一気にきた年でした。それは 息子達の得度(仏子としての生)、厄年による心身の不調(老)、盲腸での入院(病)、先代の往生(死)・・・得度はめでたいことですが、子供達を その心境にさせるための 産みの苦しみ があります。まさに四苦の一年でした。この節分で本厄を終え ホッとしてますが、ただ 厄を越えたからといって、苦しみのない人生が待っているということは ありません(笑)。

月刊誌『とどろき』(平成28年10月号)に上手く人生を表した文章がありました。
「あなたの生きる目的は?」と聞かれたらどう答えますか。例えば子供なら、学校に通って勉強するとか、友達と遊ぶことだと思っているでしょう。中にはいじめられて、学校に行きたくない、いっそ、「早く卒業したら幸せになれる」と思ってガマンしてる子も少なくないようです。現在、不登校は全国で12万人に上るといわれています。   ” 子供は無邪気 ” ”気楽でいいよな” と大人は思っていますが、子供は子供なりに苦しみ悩みながら生きているのです。

ようやく学校を出て、青年になると、関心は「異性」に向く。勉強、趣味、遊び、どんな時でも、男は好きな女の前ではカッコよくふるまいたくなる。多くの小説やドラマが恋愛をテーマにしてるのも、誰もが、「恋人ができたら幸せになれる」と思っているからでしょう。

適齢期になると、いよいよ「婚活」に力が入る。「結婚したら幸せになれる」と金剛のごとく信じ、気の合う相手も求め、” キミと一緒なら、金も財産も何も要らない ” とのろけてプロポーズ。結婚して子供が生まれれば、今度は育児中心の人生に。母親だけでなく、育児能力の高い父親「イクメン(育児男子)」が最近は増えました。「子供が立派に育ったら幸せになれる」と夫婦で一心にわが子の成長を願い、子育てに手間、ヒマ、お金をかける。教育費のために仕事を励み、マイホームを夢みて今度は、「家が持てたら幸せになれる」と、さらに仕事に熱中していきます。

そうして家族や会社に身をささげて退職。加齢で身体が衰えると、健康維持や病気の快癒に心を砕くようになる。「健康になったら幸せになれる」とリハビリに精を出す。いよいよ最後は、「子孫に財産が遺せたら、オレの人生も意味があったのかな」と、一生を総括しようとする。このように人生が進むにつれ、「生きる目的」と思っているものも変わっていくのです。

人生には色々な「坂」があります

人生には色々な「坂」があります

人生にはいろいろな坂があります。その都度、上り切った満足や安心はありましょうが、喜びは一時のもので、すぐまた新たな坂を、ヨロメキながら上っていかねばなりません。今回迎えた42才は、数え年で 宗祖・法然上人のお悟りの年齢となります。お上人であっても、その後の人生、順風満帆ではありませんでした。しかし、降りかかる法難を悦びに変えられるのです。それは、死後も崩れぬ ” 絶対の幸福 ” の得られたことにあります。結局、人生は苦しみの世界。この世を卒業した時に 救われる教えに出逢えた者が勝ちなのです。私も法然上人に師事して、同じ道を歩ませていただいていることは、何にも代え難いことです。今後も 念仏生活で ” 人生の坂 ” を愉しんで参る所存です。合掌

立教開宗像(粟生光明寺)法然上人43歳の御姿

立教開宗像(粟生光明寺)          法然上人43歳の御姿

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