地獄と極楽

先日、蔵掃除をしてると懐かしい本が出てきました。『地獄と極楽』という絵本です。幼い頃、食い入るようにこの本を見て、自然と「勧善懲悪」を学んだ気がします。

今、子供のしつけに地獄の絵本が流行っているようです。何でも合理的に、目に見えるものだけを信じる現代社会に 歪みが出ているのかも知れません。思わず目を背けたくなる地獄の光景が生々しく描かれて、幼い子にとっては衝撃的な絵本だと思います。地獄に落ちるぞ!と突き放すのではなく、良いことをするあなたを親や先祖は見守っているよ♪と、コミュニケーションをとりながら 親子で読めれば最高の一冊だと思います。

地獄の段

地獄の段

極楽の段

極楽の段

印象的な場面に「1メートルの長い箸でうどんを食べる話」があります。 地獄にも極楽にも 真ん中に大きな釜があり、美味しいうどんが煮えているというのです。ただし、その食べ方は 1メートルの長い箸で食べなければならないのです。つまり、釜の大きさも、釜を囲んでいる人数も一緒で、そこにいる人の心だけが違っている のです。地獄では 自分でうどんを掴み取り、自分の口に持って行こうとしますが、1メートルの箸なので 口まで届きません。反対側からは、こいつに食われてたまるかと奪い合う。結果的にうどんが飛び散ってしまい、誰もうどんを口に出来ないのです。一方 極楽では、みんなで分け合えるように、自分が箸で掴んだうどんを、反対側の人に食べさせてあげる。今度はあなたがどうぞと、今度は自分が食べさせてもらう。そうして全ての人がニコニコしながらうどんを食べるのです。欲を捨て「一たん止まる = 正」 … そして自他共の幸せを考えるのが極楽的な正しさです。当たり前の話ですが、みんなで助け合えば幸せになれるのです。

今年は、” 正しさ ” について考えさせられる年でした。地獄にいたら地獄の正しさ、極楽にいたら極楽の正しさがある … 先日ご紹介した良戒師の あたたかいお言葉を思い出します。「あの世には地獄も極楽もある。みんなが思っているほどの違いはない。外見上は地獄と極楽はまったく同じなんだよ。違っているのは、そこに住んでいる人の心だけ。地獄には自分のことしか考えない利己的な人が住んでおり、極楽には思いやりにあふれた利他の心を持っている人が住んでいるんだよ」 … まさに、その通りです。己の ” 正しさ ” にかこつけて、仲間や恩人を踏み台にし、自らの幸福のみを考える人は地獄的な発想です。幸い、我が西願寺では ますます団結を深め、明るく、和やかに事が進んでます。極楽の波動で 楽しく勤めていることを喜んでいます。西願寺バンザイです^^。合掌

追伸:最後に「ぬかに釘じじいの寝言のブログ」を紹介して終わります。 

『天国』と『地獄』はどの様に違うのか。『天国』も『地獄』も、どちらもテーブルの上に ご馳走が同じように置いてある。そして、一人一人1メートルもある長いお箸を持たされているのであるが、様子が全然違う。

よく見ると、地獄の人は全員やせ衰えてガリガリである。一方、天国の人を見ると、全員ふくよかに肥えてニコニコしている。何が違うのか。もっと近づいて時間を掛けて、その様子を良く見てみると、原因がはっきり分かった。地獄の人は、その1メートルもある長いお箸で食べ物を挟んで自分の口へ入れようと必死で 足掻き もがき しているが、上手く食べられず落としてしまう。又 お箸で挟んでは自分の口へ持って行くが駄目。地獄の誰もがそれを繰り返しているが、食べる事が出来ない。しかし、諦めず止めない。

一方、天国の人たちを見ると、ご馳走を挟んでは自分の口でなく 前に座っている人の口へ食べ物を運び、食べて頂いている。相手の人はニコニコ感謝しながら食べている。与えた人も相手の人の差し出すご馳走を感謝して食べている。まさに『求める世界』と『与え合う世界』の違いである。

条件が同じでも、その人の持つ心で 天と地 の違いが出現する話であります。自分の事は後回しで、先ず相手の事を考える人は のちに栄えていく。その逆に、相手の事を考えず、人の事は考えず、自分の事 自分さえ良ければ良いと考え行動する人は、先で想像を絶する苦しみが待つ。その様な人は目先より考えない。今が良ければ良い。それで生きて来て、一端困ると、人が悪い 自分以外が悪いと思い 言う。最後には神仏は無いのか と、神仏まで恨む。

『欲』と言う字は谷辺に欠けると書く。自分の事を先に考え、儲けようとする人は、底の無い谷へ落ちて行く。無限に落ちると言う事です。字は良く出来ている物です。

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