人生は「宝探し」

最近、よく言われる言葉があります。「和尚はええなぁ・・・定年がないから」。本音だと思います(笑)。長年勤めた会社を定年し、第二の人生に向け、試行錯誤をされてる団塊の世代の方々が多いようです。

「定年後の自由な時間」について、ある人がこう述べてました。”現役時代、週休2日で40年勤めた人の過ごした休日は4400日。60歳で退職し、80歳までの20年間は7300日。定年後の方が圧倒的に時間が多いのです。この時間を上手に活用し、充実した第二の人生を過ごせるかどうか、それが大問題です” 引退と共に自由な時間を手にしたと言っても、少々の無茶もできた若い頃と違い、経済や健康などあらゆる面で、不測の事態に備えねばならなくなります。人生は有限であり、終末を意識すれば、残された時間はそう多くない。その中で、悔いなき選択をどうすればよいのでしょうか。

私は、人生は「宝探し」だと思っています。人類最高の悟りを開かれたお釈迦さまは「南無阿弥陀仏」の宝を見つけられ、生涯をかけお説き下さいました。考えて見ますと、定年後の時間は7000日余りですが、死後の時間は無限です。その死後の世界を絶対の幸福にして下さるのですから・・・お念仏の教えは、大宇宙最高の宝であります。金や財、名誉や地位などは、苦労して手に入れても、思わぬ天災人災で一瞬にして消え失せます。どんな豪邸のマイホームも、マッチ1本で灰になる。形あるものは、盗まれ、流され、焼かれ、やがて消えてしまします。死ぬ時には、1円も持ってはいけません。これらの宝では、私達の本当の安心や満足を得ることが出来ないのです。

しかし、生前から「南無阿弥陀仏」と一体になれば、焼けもせず、流されもせず、盗まれもしない、いつも満ちている無上の幸せに生かされます。お念仏は、学べば学ぶほど深いものであり、社会の知識とは全く異なる智慧を味わえます。時代は良くも悪くも変わってしまいます。当時の常識(宝)を印籠のようにかざしても、今の若者には、”猫に小判”、”豚に真珠”・・・摩擦に苦しみ、自分の存在価値を見失いがちになります。やはり、この世とあの世を貫いた宝こそが本物です。それこそが不変の宝です。最期に笑うのは、”大宇宙最高の宝(南無阿弥陀仏)”と一体になった心の長者に他なりません。

定年後の生き甲斐が「お念仏」という方が、少しでも増えるように精進します。合掌

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