六月病

毎年、5月のゴールデンウィークが終わったころ、よく話題に上るのが「五月病」です。しかし、最近 新社会人では5月よりも6月に症状を訴える人が増えていて「六月病」と呼ばれているようです。「五月病」と同じように「六月病」は医学用語ではありません。医学的には「適応障害」に分類されます。この症状は、急激な環境の変化についていけず、心や体が悲鳴をあげている状態です。入社時に限らず、配置転換や転職、退職、結婚、引越しなど環境が大きく変化する時期に起こりがちです。物事を幅広く見れれればいいのですが、「○○で なければならない!」という人に現れやすい症状だそうです。

諸説ありますが、「五月病」は ” 義務 ” (周りに迷惑をかけないか?)という意識、「六月病」は ” 権利 ” (この環境は 自分に合わないのでは?)という意識から起こると言います。「六月病」という言葉が出てきたと言うことは、現代人に ” 公 ” の精神がなくなり、” 私 ” に生きる傾向があるのかもしれません。しかし、若いうちから ” 私 ”というものに主観を置くと、周りの環境になじみにくくなります。なぜなら、世の中は「需要と供給」で成り立つからです。周りが望んでいること(需要)を、絶妙のタイミングや力加減で遂行(供給)できる人材が望まれるのです。学生時代ならともかく、社会は ” 私 ” に合わせてくれるほど優しいものではありません。よほどの天才なら別ですが・・・。

井上裕之氏のお言葉です。「大きな成功、目標、夢を得るためには、時間がかかることを常に意識します。すなわち、小さなことの積み重ねが、夢をかなえてくれることになるのです。しかし、多くの人は、結果を急ぎすぎ、投げ出してしまいます。仕事においても、人生においてもすべてですが、焦らず、ひとつずつ丁寧に積み重ねていくしかありません。成功や目標、夢を叶えるために、時間を楽しむことです。すぐに成果がでないからといって諦めてはいけません。叶えられた人は、運がよいわけでも、才能があるのでもなく、粘り勝ちをした人だと思っています。つまり、多くの人が勝手に辞めていくので、続けていけば勝てるのです。夢を叶えたいなら続けよう!!」(『コーチが教える!「すぐやる」技術』  フォレスト出版)

新しい環境に身を置くと、周りのアラがよく見えるものです。でも ” 私の正義 ” に需要がなければ、誰も見向きをしてくれません。主張だけして 責任が取れなければ、それは ただのワガママです。まず 世の中の矛盾を受け入れ、器を広げることが大切ではないでしょうか。物事を修めるには時間(忍耐)が必要です。才能ではなく、物事を続けていける人が最終的に勝つのだと思います。そういった意味で人間は平等です。男と女、本能と理性、権利と義務、過去と未来、需要と供給、公と私、主張と責任、平等と公平、忍耐と効率、正と負・・・あらゆる二極に分かれるものを包み込む精進こそが、真の修行(中道)だと存じます。合掌

感情が消化しきれなくなったら、海に向かって叫びましょう!・・・私は琵琶湖ですが・・・。

感情が消化しきれなくなったら、海に向かって叫びましょう!・・・私は琵琶湖ですが・・・。

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