「人生の分岐点」という言葉があります。人生を振り返えると、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔することが多々あります。しかし、自分は自分でしかない訳で、いくら背伸びをしても、結局 ” 今の自分 ” にしかなれないんだとつくづく思います。私は昔から群れて行動することが苦手でした。秩序を乱す言動こそしませんが、学生時代や修行時代を振り返ると、なぜか組織に入ると個性が死に、全く面白みのない人間になってしまうのです。団体の中に居場所を見つけるのが苦手なタイプかもしれません。ですから 出家後は、他の僧侶と共に行動することはなく、独りコツコツと行動し、不器用な私が 世の中に いかに貢献できるかということだけを考えてきました。
このたび、地元の僧侶青年会から役員の依頼がありました。もちろん人望や能力ではなく年齢から回ってくるものです。本来ならばお受けをしてしかるべきですが、拠点の大半を県外に置き、奉職寺院、自坊、説教とガチッとした三角形を組んでしまい、それぞれ待っておられる方があります。その上、先代の体調不良が加わり、組内寺院や檀信徒との交流も増え、スケジュールが目一杯となり、継続をした責務はお断りをするしかありません。これは同世代の方々のペースに合わせず、ガラパゴス化したツケかもしれません。大げさな物言いかもしれませんが、今回のご依頼を断ると、今後、同世代の僧侶と疎遠になる可能性があり、またお受けすると自動的に役職が上がって行き、組織での関係が深まる分、待っておられる方にお断りせねばならないことは目に見えています。青年会は 私如きがいなくても成り立ちますが、これらの方々は私の代わりはありません・・・おそらく読者は、そんな難しく考えなくてもいいのに・・・と苦笑いされてることと存じます(笑)。しかし、このように 世間が一笑に付すソフトな悩みを聞いて(わかってあげたい)と思うのが私の個性であり、需要があるということは、これはこれで生かされている証だと思っています。
心理カウンセラー・スピリチュアルセラピストの野坂 礼子さんのお言葉です。
「自分を変えるということは、今の自分をゴミ箱に捨て、新しい自分をゲットすることではありません。スミレはスミレだからこそ、可憐ですてきなのです。タンポポは黄色の花で綿毛のような種が見事です。タンポポが「雑草は嫌、花屋で高く売れるバラがいい」といって、真っ赤なお化粧を始めたら、美しいでしょうか。スミレが、高い値段のランの花を真似して突っ張って生きたらどうでしょうか。花たちは比べないし、うらやまない、淡々とユリはユリ、サクラはサクラのまま生きています。天命を生きているからです。今のままの自分です。根っこ、つまり生き方を変えるということです。すると見事なバラやスミレ、サクラが咲き、種が実るのです。そのことが、あなたがあなたらしく幸せになる道です。どんな花もすてきです。あなたは、スミレ、ナズナ、カサブランカですか?その自分の個性を「ありがとう」で生かし天命を生きましょう」(『世界一簡単に幸せになれる「ありがとう」の魔法 』マキノ出版)
お立場によって賛否があると存じますが、おそらく同じ気持ち(自らの居場所)で悩んでらっしゃる方もあろうかと思い記しました。人間は 違う何かになろうとするよりも、今の自分をより自分らしく成長していくことが、天命を全うすることになるのだと思います。何年か後に このブログを読み返して、後悔するか、これでよったと胸を張れるかわかりませんが、自分に今できることをしていきたいと思います。もちろん 青年会をお守りされている方々があっての仏教界です。心より敬意を表します。陰ながらの支援は惜しみません。私は私で丁度良い。あなたはあなたで素晴らしいのです。合掌