夕霧祭

観光の季節となりました。京都にある奉職寺院では、本日「夕霧祭」で賑わいました。この行事は 昭和35年、井筒八ッ橋本舗6代 津田佐兵衛 氏が 夕霧太夫(ゆうぎり たゆう)を偲び、生地であり、墓所に近い当山で 第一回の法要を営み、以来 今日まで続いている供養法要です。江戸時代に活躍した夕霧は、京都・島原の扇屋の太夫となり、のちに扇屋が大坂・新町に移転したため、大坂随一の艶名をうたわれました。しかし、延宝6年(1678)正月6日、わずか26才で花の生涯を閉じられます。姿が美しく、芸事に秀でた名姑でありましたので、「歌舞伎狂言」、「浄瑠璃」に劇化上演され、現在でも多くの人気を博している 伝説の太夫です。

今回で55回目の法要でしたが、毎年、島原から太夫が参列されます。京都市の無形文化遺産に指定された 花街の文化には、舞妓、芸妓、太夫がいらっしゃいます。おなじみの舞妓や芸妓は、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを仕事とする女性の事をいいます。舞妓とは 芸妓になる前の未成年(15歳から20歳くらいまで)の少女。舞妓として約5年間修行した後、芸妓になります。一方、太夫は 京都の島原に籍を置く、芸妓の最高位に当たる方です。島原とは 元禄年間に最も栄えた江戸幕府公認の遊里で、かつては天皇に謁見できる官位が与えられていました。夕霧祭には、毎年 太夫が供養の舞を指され、私はいつも間近で拝見しています。役得です(笑)。

太夫道中が始まると 多くの見物人で賑わいます。

太夫道中が始まると 多くの見物人   で賑わいます。  写真は如月太夫

こういう文化に触れますと、 時間がゆったり流れていることを感じます。ある意味、昔の方はその場を楽しみ、贅沢な時間を送ってらっしゃったんだなぁ…と思います。しかし現代はどうでしょうか。観光に来られても、皆さんは口々に「急いでる!」「時間がない!」「早くして!」と効率ばかり求められます。紅葉の美しさもカメラのレンズを通してしか見ず、5分法話をしていても、心ここにあらず・・・もったいないことです。

アンドリュー マシューズ氏のお言葉です。
「どんな小さなことにも、必要なだけの時間をかける。急ぎ足の人生は願いさげだ。私たちが「充分な時間がない」と思いこんでいる限り、時間が足りるなんてことはない。だからエレベーターに駆け込み、電車に駆け込み、電話の合間にあわただしく昼食をすませる。何をするときでも、自分にこう言いきかせよう。「この手紙を書いているあいだは、(このシャツにアイロンをかけているあいだは、このダンベルをもちあげるあいだは)、いまやっていることに集中しよう。どうせかかる時間は大して変わらない。急ぐなんてごめんだ」(『自分らしく生きているかい?』 主婦の友社)

目の前ことに集中するために、必要な時間をかけるのです。すると 時間をかけた分だけ満足感に繋がりますし、自信をもてるようになると思います。慌ただしく行ったことは流れていき、時間をかけたことは 自分のものとなっていくことと存じます。” 観光 ” は、” 光を観る ” ことです。つまり、その土地の空気や御利益、人の温かさという ” 光 ” に触れることから来ています。ゆったりとした気持ちで、お詣りいただければ幸いです。合掌

平成9年11月9日に勤めた夕霧祭。導師のお付きが若かりし頃の住職です。この法要は初代と2代の夕霧太夫の供養の様子ですが、上方に2つの青い光が見えますか?供養が届いているように見えます。

平成9年11月9日の夕霧祭            導師のお付きが 若かりし頃の住職です。この法要は   初代と二代目の夕霧太夫を供養している様子ですが、  上方に2つの青い光が見えますでしょうか?お二方に 祈りが届いているようにも見えます。参列は若雲太夫

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