自分の作り方

先日、アトリエシムラ主催の勉強会に招かれ、琵琶説教を勤めてきました。人間国宝で染織家の志村ふくみ師と洋子先生からのご依頼で実現しました。文化を広めるという観点で、様々な角度から学びの場を提供されるお姿に頭が下がります。本来、寺院がその役割を担うべきですが、意識のない僧侶が多いことは恥ずべきことだと思いました。

説教の最後は、ロウソクだけの暗闇の中、「耳なし芳一」を語りました。

説教の最後は、ロウソクだけの暗闇の中、「耳なし芳一」を語りました。

当日は台風24号が近づいているにもかかわらず、60名近くの方がご参加下さいました。福岡から日帰りで琵琶を聴きに来て下さる方もありました。メインの演目は、志村家の先祖とされる「那須与一」。琵琶はタイムマシーンのようなもので、時空を超え 現代にその状況を伝えることができます。様々なご縁が絡み合って今があると思うと、感慨深いものがあります。最後は 志村昌司氏と濱崎加奈子さんとの鼎談(ていだん)で、あっという間の2時間でした。それぞれの分野の方と 公開の対談でしたので、独特の緊張感がありました。同じ思想の方々との馴れ合いではなく、それぞれの立場を主張するには、” 自分 ” というものを持たねばと思いました。

あおいさんの言葉を引用します。
人が過ちを犯す過程とは、まず自分を失うこと、そして失った自分を違う誰かに委ねてしまうこと。まわりに流され、まわりと一緒というだけで安心してしまい、自分の発言や行動から ” 自分 ” がなくなって、無責任に無自覚に過ちを犯してしまうってことです。「和を以て貴しとなす」とは言うのですが、和と同は似て非なるもの。これは決して同調をよしとする言葉ではないのです。

人間は 暇と忙しさのバランスではなく、” 人と関わる時間 ” と ” 一人の時間 ” のバランスが大事なのだと思います。人と関わる時間が多過ぎても自分が亡くなります。また、一人の時間が多過ぎても社会に適合できなくなってしまいます。自分が自分で在りながら社会に適合するためには、人と関わる時間と、一人の時間のバランスを取っていかなければいけないということ・・・人との交わりと、孤独の研鑽が ” 自分 ” を作っていくものだと学びました。合掌

有斐斎弘道館(ゆうひさいこうどうかん)にて

有斐斎弘道館(ゆうひさいこうどうかん)にて

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