老いについて考える

2月になりました。緊急事態宣言が延長されるなど、相変わらずコロナの影響を強く感じる日々です。皆様、いかかお過ごしでしょうか。

住職も1月に誕生日を迎え、また一つ年を取りました。一休禅師のお言葉に、
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」とあります。
昔は数え年で、年が明ける元旦で一つ年をとる計算法でした。門松を飾る(正月を迎える)ということは、一歩づつ死(冥土)に向かっているのだ。はやく真理に目覚めて 心安らかに生きなさい!という一休さんからの教訓です。現代で言うところの誕生日ケーキが 門松にあたる感覚でしょうか。

私は阿弥陀仏信仰なので 冥土(死)に対して それなりの覚悟を持ってますが、それより怖いのが 世間の価値観が大きく変わっている現実です。この世相において 老いることに不安に感じます。これこそが魂の器を広げる修行であり、この世に生まれてきた意味なのだと思いますが・・・現代の風潮は、過去の価値観を否定し、目上の方をこけ下ろし、一つの過ちでその方の全てを抹殺する、、、まるで修羅界のようです(汗)。昔のありがとう、お陰さま、ご恩、感謝の日本人はどこに行ってしまったのか?というほどの変わりようです。46歳になり、上下世代の良さも悪さも知っている私は、それがうまく融合できないかと考えてしまう今日この頃です。

一休さん
昔、懐かしのアニメですが、様々なエピソードも、人間社会の葛藤を乗り越えた結果なのだと存じます。

世代間ギャップについて面白い言葉がありますので ご紹介します。
「18歳と81歳の違い」
・道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳
・心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳
・偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳
・受験戦争で戦っているのが18歳、アメリカと戦ったのが81歳
・恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳
・まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳
・東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳
・自分探しの旅をしているのが18歳、出掛けたまま分からなくなって皆が探しているのが81歳
・ドキドキが止まらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳
・恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳
・道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才
・「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

60年の差があると これほど見方が変わるんですね(笑)。しかし、世代によって考え方が変わるのは 今に始まった事ではありません。2600年前のお釈迦さまも「老い」の苦しみを説いてらっしゃいます。僧侶として十分勉強したつもりでしたが、最近 目上の方と話していると、老いの苦しみは 衰えや病気、あるいは死に向けての恐怖だけではないと気付きました。それは時代に対応できない孤独です。時代の流れと共に価値観が変わり、今までの言動では老害扱いされてしまい、「孤独」の苦しみに苛まれる方が本当に多くいらっしゃいます。「浦島太郎」なんて その典型の話かもしれません。身体はそのままで 新しい時代を迎えても、必ずしも幸せではないのだと存じます。やはり、自分が生きた時代が一番いいのだと思います。

私はまだまだ中年の部類ですが、目まぐるしい時代の変化に 老いに対する考え方が深くなってきました。できるだけ 縁ある方に寄り添うように心掛けてますが、時代の流れは如何ともし難いものがあります。そのような移り変わりの人間界で変わらぬもの・・・それが「手を合わせる心」です。最終的にこれしかありません。敗戦国として精神を骨抜きにされた日本。さらにコロナでの文化破壊は加速の一途です。しかし、幸せの妙法(ありがとう、お陰さま、ご恩、感謝)だけは心に留めたいと思います。合掌

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