相変わらずコロナウィルスが猛威を振るっています。滋賀県でも緊急事態宣言が延長となりました。この情況に、来月予定をしていた授戒会の延長を決定しました。延長日時は、1年8ヶ月後の令和5年のゴールデンウィーク(5月3、4、5日)と定めましたが、その時節には 感染症とうまく付き合っている世の中であることを願います。
通常、お寺の世界で 大行事を延長することはありません。そういう意味では貴重な経験をさせてもらっています。率直な感想を申せば、今の西願寺が置かれた環境を見つめ直す絶好の機会だと捉えています。行事の成功か否かは感じ方です。どれだけ不備があったとしても 時間は止まりません。始まれば予定日時で必ず終わりますので、批判はあっても失敗はありません。ただ、問題なのは人の心です。この行事により 受者にどれだけの影響を与えられたか・・・ここが大切です。これだけ価値観が多様化し、唯物的な世の中になれば、残念ながら 皆様の授戒会の価値観や関心は低いんだろなぁ … と感じます。40軒ほどの檀家で82人の受者を集められたのは、今まで連綿と続いてきた布教の成果で 誇れることですが、現代の人々のニーズに合わせると、色々と考えさせられます。
つまり、神仏や先祖が ” 絶対的な善 ” という価値観が、音を立てて崩れているのです。一般の方々は、そんなことよりも日常の生活が大切です。先祖回向のお布施よりも携帯代の方が大切、家族の葬式に参列するよりも学校に行く方が大切、仏の教えよりもネットの情報が大切・・・暴論ではなく、そんな時代になってしまいました。今回の延長は、現代人の考えと仏の教えの溝について考える絶好の機会だと住職は捉えています。儀式直前のハードな面を固めた今、ソフトの面を考えられる 2年近くの時間をいただいたことは、仏の恵みを感じずにはおれません。
感染症コロナは、平和で物に恵まれて何もかもが自分の思うようになることしか求めてこなかった私達に、鉄槌を下すような不安増幅を与えています。いわゆる、今までの生き方に警鐘が鳴っている状態です。「物で栄えて心で滅ぶ」と言われるように、現代は、物中心の物質文明が放つ 眩いばかりの進歩の光に翻弄されて浮き足立ってしまい、人間にとって一番大切なものを忘れてしまい、コミュニケーションを否定し、責任回避で自らを守る風潮にあります。
人類の歴史の中で幾多となく感染症や疾病、自然災害などが襲ってきました。その折々に日本人は対策方法を生み出すと共に、一人一人が「信仰による生き方の見直し」を実行したのです。それが戒名(仏の名前)をもらう授戒会でした。その智慧を皆様方の先祖はしっかり培い続けて、今現在の我々が受け継いでいます。令和5年に延長された授戒会が さらに高みを帯び、この世とあの世を貫く幸福を得られる会になるよう精進して参ります。宜しくお願いします。合掌