神仏に可愛がって”もらう”人生

西願寺には、江戸時代から伝わる疫病退散の掛け軸があります。今から200年ほど前の文元年間、当山がある船木村で疫病が流行り、当時の住職(薫誉上人)が祈りを捧げたところ、地蔵菩薩が夢で「利剣名号(穂先が刀のように尖った南無阿弥陀仏)を記せ」と告げられたとあります。そして夢告の通り行動し、大念珠で南無阿弥陀仏を唱え続けた暁には 疫病が完全に収束したと云われます。さらに地蔵菩薩は「我に祈る者、疫病から守る」と告げられ 自ら軸の中に入られたと伝わり、現在でも利剣名号の周りにお地蔵さまらしき黒い影が確認できます。

詳細は西願寺七不思議の5
をご覧下さいませ。

本来、今月は授戒会開催の月でしたが、疫病(新型コロナウィルス)感染拡大のため、やむなく延期となりました。現在の西願寺は 江戸時代の状況とよく似ていると思い、このたび住職より大念珠を布施させていただきました。参拝者は 利剣名号の前で、お回しいただければ幸いです。

私は 得た収入の〇分の1を神仏に布施することを決めています。陰徳がなくなるので これ以上申しませんが、この感覚は説明しづらいものがあります。例えば、布施と御礼は違います。一般的に「布施は ” させてもらう ” 行為、御礼は ” してあげる ” 行為」と言います。双方共に尊い行為ですが、御礼はお返しの意味合いが強く、潤滑油的に してあげる行為に対し、布施は自らの修行であり、他者の評価を超えて、させてもらうことに喜びを感じます。ですから、お褒めの言葉や領収書は発生しません(笑)。して ” あげる ” 行為は、対象者の反応によって喜びが変わり、あげることで無くなりますが、させて ” もらう ” 行為は、神仏の恵みをもらい、心が満たされ、繁栄をもらうことで 減ることはありません。

また、御礼は受動的(受け身)な行為に対して 布施は能動的(自発的)な行為となり、布施行は その人の本質そのものと言っていいんじゃないかと思います。つまり仏教では、その本質(霊格)の高さそのものが 物事がうまくいく根源と見ているのです。

少し難しいと思いますので、桜井識子さんのブログからヒントを拝借します。
「私の昔の知人に、とても信仰心の厚い人がいました。
性格も温厚で、優しく、いつも笑顔で、相手を心から気遣うことのできる、善人の見本のような人でした。
彼の夢は自分の会社を持つことでした。
残業も厭わず、一生懸命に働いて、奥さんもパートを頑張り、2人で資金をコツコツと貯め、ついに会社を設立しました。
周囲の誰もが、おめでとう! と盛大にお祝いをしました。
恥ずかしそうに照れていて、でもすごく嬉しそうにしていた2人を思い出します。
会社は順調にスタートし、神仏のご加護もあって、なんと! 3年目にして、支店を出しました。
大成功したのです。
よかったね~、という友人に囲まれて、2人はニコニコしていました。
でも、その頃から彼の人柄が、少しづつ変化していったのです。
お金持ちになったせいか、一般人を下に見るようになり、話をする時もそれがチラチラと出てきます。
成功した自分は、平凡な君たちとは違う、というようなことも口にするようになりました。
あれ? あんなにいい人だったのに? と、最初は軽い違和感を覚える程度でした。
しかし、だんだんと変わっていくので、周囲も徐々に距離を置くようになりました。
というか、彼のほうが以前の知り合いとは付き合いをしたくないようでした。
それからしばらくして、支店が閉鎖されたと噂で聞きました。
そしてその後、そんなに時間がたたないうちに、会社がつぶれたことも耳に入ってきました。
あれだけいいスタートを切り、明らかに成功していたのに …… 坂道を転がり落ちるように状況が悪化したのです。
神様に可愛がられている人でしたから、人格が変わった時点で、これ以上、霊格を落とすことはさせたくない、と神様が守ってあげたのです。
このようなことは、世の中にたくさんあります。
(中略)
神様はもとの性格の彼が好きだから、これ以上霊格を落とさないように守るのです。
霊格を落とすきっかけが会社なら、あっさりつぶします。
彼の魂にとって、会社を持っていることが、人生で一番重要ではないからです。
何が彼にとって一番いいのか …… そこはシビアに判断されます。
ですから、神仏に応援してもらって、何かを成し遂げた! 成功した! という場合、そのあとは自分の霊格を落とさないように心がけたほうがいいです。
あちらの世界に帰る時に、泣いて後悔しないようにという、神仏の優しさ、思いやりで、その成功がナシになるかもしれないからです。
でも、逆にいえば、霊格さえ落とさなければ …… つまり、そのままの自分でいれば、その成功は持続するわけです。
ということで、神仏に可愛がられている、目をかけてもらっていることを自覚することは、実はものすごく大事なことなのです」

(桜井識子オフィシャルブログ~さくら識日記~)

現代は、地道に物事を続けてらっしゃる方を評価する風潮があまりありません。変化変化で斬新なことをする人にスポットライトが集まります。しかし、仏教では ” 諸行無常 ” の世に変化しないものなんてない。現状維持に見える人でも、小さな変化や努力を繰り返して今の立場があるんだと教えます。つまり、一時的な成功や功名心が大切なのではなく、日々、地道に神仏に可愛がられることや目にかけてもらっていることの自覚をし、また高めた霊格を落とさないこと(小さな変化、精進)が一番の生き方と説きます。そのために布施の修行があるのです。

自らの心地いい環境を目指す、して ” あげる ” 人生か、神仏に好かれて、できることをさせて ” もらう ” 人生なのか・・・それぞれあるかと思いますが、住職は後者で楽しく信仰生活を送っていきたいと思います。合掌

もちろんお金のいらない布施修行もあります

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