遊蓮房円照上人(真の理解者)を求めて

住職が歴史上で逢いたい人物に、遊蓮房円照(ゆうれんぼう えんしょう)上人がいらっしゃいます。

この方は、法然上人に多大な影響を与えられた僧侶で、わずか2年の付き合いでしたが、生涯一の友(思い出)と讃えられた人物です。

※今回のブログでは 遊蓮房さまの詳細は割愛しますが、『京日記 花がたみ』で琵琶説教をまとめて下さってますので、転載させていただきます。月の真珠さま、いつもありがとうございます^ ^

http://oumi-saiganji.com/blog/wp-admin/post.php?post=16220&action=edit

今年は法然上人と遊蓮房さまが対面され、丁度850年目の節目となり、おふたりの琵琶物語を新しく制作しました。それを機に、遊蓮房さまが死の時を迎えたとされる北尾往生院(旧三鈷寺)を訪ねてきました。

先のブログでも触れましたが、43歳で比叡山を下られ 黒谷に草庵を築いた後、同じ善導流の念仏を修する遊蓮房さまを訪ねて この地域へ来られたのです。

北尾往生院(きたお おうじょういん)は山奥の遺跡です。京都西山の善峯寺(よしみねでら)の北門を出て、三鈷寺(さんこじ)から徒歩20分の山中にあります。

善峯寺の北門を出ると三鈷寺があります。

三鈷寺を右手に山道に入ります。

中間地点で「勅浄土西山派根本山」の碑が見えてきます。
ここまででも急な坂道で、結構キツイです(汗)

もう少し進むと「北尾往生院蹟へ→」の看板が見えてきます。
右手の坂を下りますが、ここからが荒れた道でした。

証空上人の「桂の樹」が見えてきたら すくそこです!

この場所で法然上人は遊蓮房さまの最期を看取られました。
その際、紫雲をたなびかせた阿弥陀様の来迎があったとあります。
この奇瑞で法然上人は念仏での救いを確信されました。

この地はその後、念仏道場として栄えましたが、三鈷寺は移転され、寂れた遺跡になっています。誰も人がいません。諸行無常を感じます、、、謹んでお念仏を唱え、法然上人と遊蓮房さまの琵琶歌を奉納しました。

新編した法然上人と遊蓮房円照上人の琵琶物語

法然上人は念仏を悟られ 法悦を得られましたが、唯一の理解者が遊蓮房さまでした。恐れながら、この気持ちはすごくわかります。み仏とは繋がっている悦びを感じていても、人間に理解を求める気持ちです。法然上人は人に対して あまり我を出されない方ですが、遊蓮房さまには人間らしい部分を見せて下さってます。

この参拝で、真の理解者について考えるようになりました。出会いは 決して運まかせではなく、主体的に強く念じて得られるものだと確信しました。その原点が信仰であり、感謝なのだと思います。合掌

南無阿弥陀仏
み仏さまはいらっしゃいます。

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