先日、浄土宗・滋賀教区 青年会会長より、青年僧に向けての講演を頼まれました。会長は修行時代の同期で、共に30代最後の年となります。「お互い そんな立場の年齢になるのか・・・」と昔話に花咲きました。 浄土宗では 宗祖・法然上人が43歳で南無阿弥陀仏をお悟りになったことから、その年までが青年僧と呼ばれます。
考えてみれば、一般社会には 青年と老人の境目が明確ではありません。もちろん 会社の定年や、社会保障のために区切ることはありますが、人間として分けるのは不可能です。還暦の方にお年寄り。75歳の方に後期高齢者とは とても言えません(笑)。ある言葉を見付けました。 「 青年と老人の違いは年齢ではない。見つめる方向(目的)によって青年か老人かが決まる。すなわち、将来に希望を抱く者、前を向いて生きる者が青年であり、過去の栄光を引きずって生きる者、後ろを向いて生きる者を老人という 」
前回のブログと合致します。年齢による 体の老いは 仕方ありませんが、 ” 目的意識 ” を持って 心 は充実したいものです。そのために ” 出会いを大切にせよ ” と申しましたが、最高の縁は ” 仏縁 ” です。仏教との出会いによって ” 人生の目的 ” が教えられるのです。人生の目的とは ” 後生の一大事 ” を知ること。つまり、死後の行き先(救われ方)を明確にすることです。これさえ腑に落とせば、自らに降りかかる 様々な苦難災難に翻弄されることはありません。なぜなら この世の地位や名誉、財産に関係なく、最期は必ず救われるからです。その ” 目的 ” を持って生きることが信仰です。
若年でも人生の目的を求めていない者は、もはや ” 老人 ” です。なぜなら、いずれ迎える死を顧みない 後ろ向きの人生 だからです。やはり真理は 若いうちから味わい、ブルー(青年)やシルバー(老人)を超越した、ゴールド(仏)の境地になりたいものです。極楽に生まれた者は、人生で最も輝いていた頃(人生の目的を悟った頃)の姿になるともいいます・・・そう考えると 皆さん、真理獲得は 急いだ方がいいのです。仏教を取りますか? アンチエージングをとりますか? 早くに 人生の目的を悟れば、 ” 永遠の若大将(美女) ” でいられますよ(笑)。合掌