西願寺では この土日、お盆を迎える墓参りがありました。檀家各家が一心に掌を合わせ、先祖を偲ばれます。これが 人間の最も美しい姿ではないでしょうか。亡き人と生者の 魂の拠り所 がお寺です。このような ” 心の港 ” を 末永く護るのが檀信徒の勤めであり、それを鼓舞するのが僧侶の役割です。
臨床心理士の金盛 浦子さんのお言葉です。
「ちゃんと港を持っている心は、どこまででも旅をし、ときには戦い、傷つくこともありながら、帰る港があるからこそ頑張れるのです。他人の中でもまれても耐えることができるのです。でも心が港を持っていなかったとしたら・・・。心はさまようしかありません。癒される場所はありません」(『「自分を信じる」ただそれだけでいい』大和出版)
人それぞれ ” 心の港 ” は違うかもしれません。それは 家族の待つ家かもしれませんし、故郷、旅館、居酒屋、喫茶店・・・色々な思いがあると存じますが、しかし この世は ” 諸行無常 ” です。住居があっても 家族を見送り 独りぼっち・・・生まれ育った故郷も 世代が変わると居づらくなり・・・なじみの場所が店じまい・・・震災での仮設住まい・・・あの お釈迦さまであっても、生前中に戦争で 故郷が滅んでしまいました・・・残念ながら、癒やされる ” 心の港 ” は移り変わってゆくのです。
このブログのタイトル『平成方丈記』。これは鴨長明の『方丈記』から名付けましたが、先月7月26日は 長明800回忌のご命日でした。「方丈」とは、 ” 粗末な庵 ” という意味です。内容は、どんな豪華な家を建てようとも 地位や名誉、財産、健康・・・人が考える あらゆる贅を尽くしても、やがては 苦悩や虚しさだけが残ると訴え、最後に 心の安まる場所は ” 佛の世界 ” しかないと締めくくられます。結局、絶対に崩れぬ港は、佛の世界しかないのです。それを司る お寺は絶対に壊してはなりません。このような真実は、手遅れになってからしか気付かないものですが、西願寺では 僧俗一体となって、” 心の港 ” を護っていく所存です。 合掌