一座建立

先日、リオ・オリンピックが閉幕しました。メダル獲得数が41個という大健闘の日本選手団でした。日本人は体格では外国に及びませんが、団結力では優秀な民族です。体操、卓球、リレー、シンクロ … 団体戦では無類の強さを発揮し、我々に喜びと感動を与えてくれました。

茶道の世界に「一座建立(いちざこんりゅう)」という言葉があります。これは千利休の教えで、主客に一体感を生ずるほど充実した茶会となることをいいます。個々の輝きも大切ですが、一つの象徴(主客)に向かって調和すれば、とてつもない力や 得も言われぬ悦びが湧き上がるのです。同じ幸福を得るにしても、個人の幸せを優先するか、主客への敬いを先に考えるのか … 日本人は 本来、後者の考えを持つ民族でした。

瀬戸内寂聴さんのお言葉です。
人間が生きてゆくには、もちろんお金が必要です。健康が必要です。地位もほしいし、高価なものもほしいでしょう。けれども、そうしたすべてのものを手に入れても、人に愛され、人を愛する心がなければ、人生は殺伐としたものになります。愛する人があって、自分が愛されている自覚が、生きることにはいちばん大切なうれしいことです。この気持ちがないならば、生きていてもほんとうにさびしい人生です。幸福になるためには、人から愛されるのがいちばんの近道です。そのためにはまず、自分が他人を愛さないといけません。よくがんばっているなと、他人をほめる。そして自分が幸せな気分になるのです。自分が他人を愛して幸せになったら、そのあなたを見て、必ず人が近づいてきます。するとその人も幸せになったり、自分ももっと幸せになる。幸せとは循環なのです。

お寺の法事も同じです。法要の「主客」は もちろん亡き人です。故人と参列者が 共々に感謝の心に包まれれば、その場は 幸福に満ちた空間になります。住職は亡き人の変わりとなり、その家がうまく進むための法話をし、お食事をご一緒し、個々の愚痴や苦言をお聞きし(笑)、お家の調和をはかります。日々、色々な不満はあると思いますが、その場は一旦置いて、共に悦ぶ時間を作るが法事です。そして、互いに悦んで頂いた姿をみて、自らもまた悦ぶ、だからまた悦んで頂こうと心を尽くす・・・この循環、連鎖を拡げていけば、必ず幸福へと繋がります。法要は、この ” 幸福の連鎖 ” の確認作業と言えます。

4年後の東京オリンピックの頃は、どんな日本になっているのでしょう。西願寺にご縁のあった方々には、この幸福の循環を味わっていただけるよう精進する所存です。合掌

キャプテンの乾友紀子さんは 近江八幡のご出身です。

シンクロ団体                   エースの乾友紀子さんは 近江八幡のご出身です。

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