和魂洋才

お盆も佳境に入りました。今年は咳喘息を患い 体調不良のお盆でしたが、何とか乗り越えらそうです。皆様のお陰です。思えば 一人で盆詣りにデビューしたのが中学校1年生でしたので、あれから約30年が経ちます。

その間、明治、大正、昭和、平成と様々な方と接してきましたが、日本人の考えが変わってきていることを感じます。時代は ” 公 ” から ” 個 ” に急速に移り変わっています。その原因は、おそらく近代の日本人が 精神的な繋がり(自己犠牲による 助け合いの精神)を伝えることを軽視しすぎたことにあるのではないでしょうか。現代の若者は、過去から伝わる ” 公の精神 ” を語るだけで 猛烈なアレルギーを起こします。器を広げる(受け入れる)努力をせず、個人の楽しみに没頭する人が多くなった気がします。

あえて明治時代の方の手記を載せましょう(笑)。安珍清姫で有名な、和歌山県の道成寺管主・宏海老師の説法です。
頼みもしないのに親は勝手に生んだのだから養育の義務があり子にはそれをさせる権利こそあれ、親に対して孝行の義務はないなど口憚らず子供達に教えた教師が敗戦後にあったと確かにきいた・・・昭和20年10月米国の占領軍が民主化大改革を指令して以来、先ず学校では終身と歴史科を停止、続いて教育基本法・学校教育法公布、そして新憲法施行、日教組結成、刑法改定で不敬罪姦通罪を廃止し、民法改定で某国の嫌いな日本民族強固な基盤である家族制度を廃棄、親と子は別戸籍に分離せしめられたりでアレヨアレヨと言う間に敗戦の吾国世相は、革命的変化を来旨し、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ」の教育勅語で教育された明治人間には、愕きであり悲嘆でもあった。暫くして20数年、教育の欠陥は各方面に現れて、恐るべき社会現象を呈して来た。そして憲法改正の議さえ勃興、諸般を省みて今や修正を望む声が澎湃と湧き起こりつつある今こそ、取り戻さねばならぬもの多し。仏教伝持者の義務として特に道徳の復興、その根本は百行の基たる孝行精神の涵養こそ最大の急務であると考える。云々

日本には ” 和魂洋才(わこんようさい) ” という言葉があります。和魂洋才とは、日本古来の精神を大切にしつつ、西洋からの優れた学問・知識・技術などを摂取・活用し、両者を調和・発展させていくという意味の言葉です。明治時代以降、流入する西欧の文化や文物に対して、日本人がそれを受け入れる姿勢を表現したもので、つまり 知識や技術は受け入ても 日本人の心意気だけは守るという気概があったのです。この我慢が ” 粋 ” に通じます。お寺に集うものは、「七和三洋」というスローガンのもと、せめて我々のルーツである先祖(親孝行)は大切にしたいものです。合掌

親孝行

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