先師 一周忌法要

先日、先師の一周忌法要を檀信徒に勤めていただきました。あの大雪が降る葬式から1年 … 月日の早さを感じます。また 祖母の17回忌も併修していただきました。祖父母は今の西願寺の礎を築いた先祖です。葬儀委員関係者を始め、有縁の皆様、本当にありがとうございました。

通夜、葬儀の時は大雪でした。

通夜、葬儀の時は大雪でした

以下は 挨拶で述べた内容です。
(前略)… 遺品整理をしてますと、先代の写真が出てきました。幼い時の満面の笑み、学生時代の得意げな顔、背広を着た凜々しい姿、私を抱く父としての顔、僧服を着けた緊張の面持ち、孫を抱く 目尻が下がった祖父としての笑顔・・・等々、だんだん年老いく父の姿が残っていました。私にとっては生まれた時から ” 親 ” という存在ですが、息子の私と同じように年を取り、その時代 年代に苦労してきたと思うと、妙な親近感が湧いてきました。子を持って初めて分かりますが、完璧な状態で親になることはありません。未熟なまま、試行錯誤を繰り返し 育ててくれたと思うと、ただただ涙の出る思いです。

親を亡くし、人生について考えることが増えました。 我が半生を振り返ると、人の命は アッという間だなぁ と感じます。若造と言われてる私でも、20年もしないうちに ” 定年 ” という言葉がのし掛かります。恐ろしいものです。そんな限られた時間の中、我々は親先祖にどんな恩返しができるのでしょうか。それは ” 追善の念仏 ” しかないと思います。つまり 各人の信仰生活とは別に、お葬式をしっかり挙げさせていただくこと。また 節目に先祖の法事を開かせていただくこと … このことに尽きると思います。確かに法事ごとは、神経をすり減らし、時間を割かれ、財産のほとんどを持っていかれ … そんな思いをしても、褒めてもらうことなんかありません。よくわかります(笑)。しかし、子に注いでくれた親の愛情はこんなものではありません。信念を持って法事を勤めることが、生きる我が身の教えなのだと思います。それが先人の智慧であります。

最近は、親が率先して冠婚葬祭を省略し、子供に伝えていかない傾向にあります。これは 永い目で見れば、痛恨の極みです。取り返しがつかない行為であります。~ 世の人々が恩を忘れた生活をすれば 人類は滅ぶ ~ といいます。みんなが御恩を忘れ、目先の楽を求め、損得感情で動けば、それこそ お家(先祖や子孫、自らの存在)は滅ぶことでしょう。少々の財産を残しても、子供は感謝することなく、贅沢に使うことしかしません。親先祖の苦労を伝えてない環境なんですから … 。さすれば、どうか人生の先輩として、” 物の財産 ” より ” 心の財産 ” を残して下さい。 家族親族と共に 法事を勤める気概を持って下さい。お寺を護る気迫を教えて下さい。そこから 檀信徒を信仰の道に誘うのが住職の役割です。その双方の信念が 我々の生きた証となり、幸福の第一歩に繋がると確信します。

最後に、先代が よく法話で使っていた法然上人のお言葉を紹介して 終わりにします。
「念仏することは ひとえに わが父母の養いたてたればこそあれ」
【私達が 人間として生まれ、大きく育てて頂き、念仏を申すようになれたのも、すべて両親(先祖)の御恩です】

人間は勝手に手を合わす人格を養うことができません。親の姿を見て育つものであります。この一年で このようなことを学ばせて頂きました。先祖か懸命に護り続けて下さった西願寺が 更なる興隆していくよう、皆様と共に精進していきたいと存じます。本日は誠にありがとうございました。合掌  遺弟 三十一世・昭憲

先人の知恵は大事にしたいものです。頭からの否定ではなく、受け入れてからの判断が大切ではないでしょうか。

先人の知恵は大事にしたいものです。                  若者は 頭からの否定ではなく、受け入れて     からの判断が大切ではないでしょうか。

カテゴリー: 未分類   パーマリンク