独りの時間

こんにちは。「平成」最後のブログとなりそうです。私が愛読する鴨長明の『方丈記』にちなみ、『平成方丈記』と名付け、月2回、日記感覚で続けてきました。何十年後かに読み返し、「そんなことがあったんだ~」と振り返りたいと思い 記しています。

「平成」最終の月は、多忙を極めています。西願寺での善導忌、奉職寺院での花まつりやお身拭い式、地元仏教会の副会長に当たり 行事の指揮、地方での泊まりがけの琵琶説教(10日間で15席)・・・その他、通常の法務を変えることなくやってます。日替わりのスケジュールで 頭の切り替えが大変ですが、30代にやってきた経験が今に生きているような気がします。思えば30代の私は、自分というものを見付けることに 切磋琢磨した時期でした。

孔子がこんな言葉を残しています。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
これは、優れた人物は協調はするが主体性を失わず、つまらない人物は同調はするけど 心から親しくなることはないという意味です。つまり優れた人はどんな集団の中にいても自分を失わないということ。他人と違うことを恐れず、また自分と異なる人を疎外することなく、違う者同士が違いを尊重し合い、各々が各々の責任を持って協調していくということです。

また 鴨長明は『方丈記』で、「人との関わりは大事なことだが、人と関わる自分を失ってしまっては本末転倒だ」と述べられています。自分を失わないために必要なものは「独りの時間」だと。人との関わりが大事なように、独りの時間も同じように大事なものです。なんとなく、独りでボーッとしている時間でも、その時間で人は自分自身と数多の言葉を交わし、自分という存在を確認しているのです。人と関わるために独りの時間は死守しなければいけないものであり、それは食事の時間や睡眠時間と等しくなければないものだと思います。

ただ、独りの時間でも ネットやゲーム、明かりや音楽等で満たされる現代社会は、本当の意味で ” 自分 ” を見つめていないのかも知れません。これが「令和」の時代以降の日本の課題だと存じます。自分を持たなければ、満たされることは決してありません。宗教でもセミナーでも構いません。自らを見つめる時間を取りましょう。どんどん日本というものが溶けてなくなっていく時代に、僧侶として いかにお役に立てるかを考える今日この頃です。合掌

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